テフ豆──。苦味が特徴の黒い豆は粉状に挽いて、水で抽出すると、味わい深い飲み物を生み出す貴重な豆。
出来上がる苦味と酸味が混ざった黒い液体は、紅茶が主流のフォドラでは敬遠されがちだが、愛好家は多い。中には、大金を払ってでも買い求める貴族もいた。
そんな貴重な豆を手に入れたのは、苦いのが嫌いな甘党だった。
「お礼の品でテフ豆ですか。……貴重とわかっていますが、何故これにしたのだか」
はあー……と、ため息を吐きながら黒い物体を眺める。
嫌いなものの代表の一つであるテフ豆を手にしても、宝の持ち腐れ。それは、リシテア自身が強く思っている。
「高待遇で、お礼にしては破格だとわかっていますが……。どうせなら帝国産のお菓子が良かったです……」
ボヤきながら、黒い豆が入ったガラス瓶を揺らす。
何故、無縁のテフ豆をリシテアが手にしているかというとエーデルガルトと、彼女を通じてヒューベルトからグリーンティーの菓子を振る舞った返礼で頂いたのだ。
貴重な品を礼にするとは、よほどリシテアのお菓子が気に入ったのが窺える。それは素直に嬉しく、ありがたく思うが……苦いテフ豆では対処に困るというもの。
「誰かに上げるには上等品ですし、わたし宛ですからね」
好意の礼の品を誰かに上げるのは無礼に当たる。テフ豆は気軽に贈る品ではないのだから、尚のこと。彼女の甘党を理解しているエーデルガルトからは「お菓子に使うといいんじゃないかしら?」と、アドバイスを貰っていた。
色々考えたが、それ以外の使い道がないと導き出す。
「一応、調べてみますか……」
自室に保管している甘味大全を開いて、テフ豆の項目を捲っていった。
遥か東方産のグリーンティーは載ってなかったが、フォドラ産のテフ豆に関しては、いくつかレシピが記載されていた。
……正直なところ、どのレシピもリシテアの好みとかけ離れており、惹かれない。
だが、考えようによっては良い機会である!
こんな時でなければ、テフ豆のレシピは調べなかっただろうし、甘いの反対の苦味を活かしたお菓子なら気に入るかもしれない……と。
「せっかくのお礼ですからね。使わない方が失礼ですよね」
気乗りしないレシピを書き留めて、材料を確認していった。こうと決めたら、彼女は切り替えが早い。
慣れない豆挽きに手間取ったが、無事にテフ豆を用いたお菓子が出来上がった。
それは──コーヒー味のクッキーに酷似していた。
「これはこれで美味しいのでしょうか……?」
恐る恐る、黒く染まった焼き菓子を一つ味見してみる。
「んっ?! ……苦いっ!」
テフ豆の特徴を活かしたお菓子なので、当然苦かった。
甘いものが大好きなリシテアの舌は、苦々しい大波に見舞われる。二口で一枚を食べ終えたが、すぐに水を欲してしまうほど彼女の口に合わなかった。
元々、そういうお菓子なのだから苦いに決まっている……そうとわかってても不満だった。
「甘い匂いはするのに!」
焼き色も仕上がりも良く、美味しそうな香りをしている。よく作る焼菓子と似ていたので、失敗していない自信がある。……しかし、出来上がったお菓子は、リシテアに至福の時を齎さなかった。
「ま……まあ、いいです。新たな発見をしましたし」
──苦い物をお菓子にしても苦い!
その教訓を活かそうと、次回は砂糖や牛乳やバターや色々入れようと決めて、出来上がったお菓子を紙袋に詰めていく。
厨房に広がる甘い香りは、今日は恨めしかった……。
中庭にいれば、大体会える。時間は決まっていないが、数少ない授業被りに合わせれば成功率は高い。
示し合わせたわけではないが、なんとなくそうなっている。もはや、習慣みたいなもの。
程よく木陰が落ちるベンチで待つこと、十数分。
──やってきた足音を聞いて、リシテアの心音は騒がしくなる。
「ふふん、今日は特別なお菓子を持ってきました! さあ、今度こそお菓子の素晴らしさに落ちてください!」
「……落ちたらまずくないか」
不毛なやり取りは定型文で、半ば挨拶だった。
本日もお菓子布教に励む時間となる。
「ふふふ、今回はなんとテフ豆のお菓子ですよ! 貴重な豆を作ったお菓子ですから、よく味わって食べてください」
「テフ豆? …………お前が?」
「な、なんですか、その目は! ……言いたいことはわかりますが」
リシテアとテフ豆は、月とスッポン並みにちぐはぐだった。甘いもの大好きな少女に苦いが特徴の豆は、さすがのフェリクスも訝しげる……。
それに、テフ豆は貴重で高価な品。おいそれと手に入る代物ではなく、使用するのも躊躇ってしまう。
「菓子のためにそこまでするのか……」
そこまでするリシテアに引く……。憐れみが含まれた驚愕の眼差しを送られて、心外だと気分を害していく。
「ち、違います! わたしが、わざわざテフ豆を手に入れるわけないじゃないですか!」
「それもそうだな」
「……納得してくれて、喜んでいいのか悩みますね。その、テフ豆は……貰ったんです。先日、色々あって相手からのお礼で頂いたんです……」
グリーンティーの試作品を振る舞って、エーデルガルトとヒューベルトからのお礼とは言いたくなかった。
妙な組み合わせだし、何よりフェリクスのために試行錯誤していたお菓子の話題は触れたく無い! 恥ずかしい!
「随分と、たいそうなことをしたんだな」
「い、いえ……そんなことは!? ま、まあ、いいじゃないですか! それは置いといて、今日の新作を食べてください!」
強引にお菓子に目を向けさせて、食べるように促す。ちょっと変なリシテアに首を傾げるが、こういったことはよくあったので、フェリクスは気にしないようにした。
……彼女への対処法が熟練されている。
リボンで留められた袋を開けてみると、芳しい匂いが鼻腔を刺激する。
「なんか……違うな」
「あら、わかるようになったんですね! ……喜ばしいのですが、少々複雑ですね」
バターとテフ豆が混ざった香りは独特で、疎いフェリクスでも違いを感じ取れた。
一つ取り出してみると、二口サイズのテフ豆と同じ焦茶色の焼菓子が出てきた。貴重な豆と知っているが、これまで縁遠く食す機会がなかったので、珍しく食べる意欲を見せた。
早速、一口食べてみる──。
「悪くないな!」
「あんたの美味しいと言いたげな顔、初めて見ました」
「…………別にいいだろ」
「ええ、構いませんよ。そういうの好きそうですよねー」
棘が含まれたリシテアに少し居心地が悪くなるが、苦味が強く、ほんのりした甘さが残るテフ豆の焼菓子はフェリクスの口に合った。苦いのが得意なわけではないが、ミルクと砂糖で抑えられているので美味しく感じていた。
食べる前から気に入るだろうと思っていた彼女には、喜ばしいこと。
そのはずだが……。
「機嫌が悪そうだな……」
「機嫌が悪そうな人に機嫌が悪そうと言ったら、余計気分を害するものですよ」
「面倒な女だな」
「女性は、ちょっと面倒な方が良いんです!」
ちょっとか……? 疑問を持つが、本日のリシテアは機嫌が悪そうだ。不貞腐れた態度で子どもっぽく拗ねてるように思えたが、それを当人に言ったらもっと面倒になると予測できたので、黙って食べかけのお菓子を飲み込んだ。
苦いお菓子だが、苦味も甘さも口の中に残らなくてフェリクスの好みだった。さすが、手に入りにくい豆なだけある!
そう思って隣を見ると、あることに気付いた。
「お前、食わないのか?」
「……わたしが好きそうに思えましたか?」
「いや」
即答した。まず、リシテアの口に合わない。
ちょっと心配になるくらい砂糖たっぷりの甘党を好む彼女なのだから聞くまでもない。
「テフ豆……貰ったは良いんですけど、苦いですからお菓子にしたんです。でも、やっぱり苦くて……」
「だろうな」
「ええ……でも、頂き物ですから。誰かにあげるのも良くないですし……。まあ、あんたが気に入ったのなら何よりです」
リシテアの言い分は理解できた。感謝の礼の品を誰かに渡すのは忍びない。
しかし、なら何故不貞腐れているのか……。
「嫌なら甘くすれば、良かっただろ?」
「それじゃあ、勿体無いですから! 苦味が特徴なんですから、それを活かしてこそです。……もっと牛乳やお砂糖を足したかったですが」
お菓子への拘りが強いのか、自分の好みよりも材料を活かすことを優先した彼女にフェリクスは感心した。……苦味が無くなるくらい砂糖を大量に入れる方がしっくりくる。
出来上がったお菓子は、テフ豆を活かして芳ばしく作り上げたのだから成功だろう。
そう思うのだが、違和感があった……。
「…………お前が食わないと妙な気分になるな」
「ちょっ、どういう意味ですか!」
「いつも食ってるからだろ」
「そ、そんなことないです! 毎回毎回、お菓子を食べていません! ……たぶん」
フェリクスに渡す甘さ控えめのお菓子はリシテアの好みではないが、それはそれで美味しく食べていた。甘さ控えめなのは、女性には歓迎である!
お菓子を渡す際も、ちゃっかり自分の分も用意して一緒に食べるのが常で、時には彼以上に食していた。
そんなリシテアが、一口も口にせずに隣にいるのは落ち着かない……妙に居心地が悪い。好みのお菓子のはずなのに、何か物足りない気がしてならない。
「──っ!? 恨めしそうに見てくるからか?」
「見てないですから! 失礼なこと言わないでください!」
「なら不貞腐れるな」
「不貞腐れてなんていません! ちょっと……わたしも食べれたら、と思ってるだけです」
うまくできたと自負しているが、苦味が強くて食べれない自分が悔しかった……。
何度もお砂糖や牛乳や蜂蜜を入れたいと頭に過ったが、それでは台無しになると思って我慢していた。予想通り気に入ってくれて満足しているのだが、やっぱり不満だった。
だって───一緒に至福の時間を味わえないから!
……とまでは、理解が追い付いてないが、近いことを互いに思っていた。違和感、というかたちで。
「じろじろ見られて食うのも落ち着かん」
「見てないですから、もう! ……こんなことなら、別のお菓子も用意すれば良かったです」
「その方が助かるな」
「ええ、言いましたね! まだテフ豆は残っているんです。次は、お砂糖も牛乳も蜂蜜もモモスグリも入れますから!」
それは、もう別の菓子だろ……。そう思っても拒否しなかった。苦味を無くしたテフ豆である必要がないお菓子の方が、フェリクスは良く思えた。
どう考えても、自分の口に合わないのに──。
「お前には宝の持ち腐れだな」
「うっ……!? それは……そうですね。わたしにテフ豆を贈るのが間違ってると思います……」
「同感だな」
激しく頷いてしまうフェリクス。リシテア自身も自覚していたので、同意されても共感してしまった。
「……エーデルガルトもヒューベルトもおかしいと思うはずですが。……何が狙いなんでしょう」
「何か言ったか?」
「い、いえ、何でもないです! まあ、あんたがテフ豆のお菓子を気に入ったのなら良いです。貴重なんですから、ちゃんと味わってくださいね!」
「お前は、自分が食える物を作れ」
なんとも言えない結末になってしまう……。
糸は絡めど、もつれて交わらず解けていった。しかし、テフ豆が紡いだ糸は無駄ではない。今のところは──。