氷菓子と夏 木漏れ日の中を歩くと風が涼しくて、爽やかな気分になる。日傘を差せば陽光は遮られるが、やはり木々の中だとより涼やかで癒される。
ベンチに一息付くと少し汗ばんだ火照りが冷めていき、さわさわと賑わう葉の踊りを楽しんでいった。
「ふう……今日はあまり暑くないですね」
ぽつりと呟いて、ゆるゆる日傘を回して帰路に向かう。夏の香りを堪能して、笑みを浮かべながら──。
ちょうどいい天気で良かった、と視察から戻った彼女は目の前の相手に、そのまま思いを告げた。
「……は?」
睨むかのように見つめる琥珀の瞳は、苛立ちが滲んでいた。何を言っているのか理解できない、とありありと態度で示していた。
「なんで、そんな顔するんですか? ちょうどいい天気ですね、って言っただけじゃないですか」
「それが理解できん。お前、今は夏だぞ。翠雨の節がちょうどいいわけないだろ!」
「風が出てますし、気候も穏やかじゃないですか? 港の方はちょっと寒いくらいでしたよ」
「はあ?」
再度、フェリクスはリシテアに胡乱気な目を向ける。
見ると彼女は薄手の長袖を着て、涼やかな顔をしていた。可能な限り衣服の風通りをよくしているフェリクスとは対照的で、まるで春の装いのように見えた。
「ファーガスの夏って、けっこう涼しくて良かったです」
「……真夏なんだが。今日は暑い方だが」
「あら、そうなんですか? レスターだと初夏辺りの気候なので、過ごしやすくて助かりますよ!」
そうだった、リシテアはレスターでも南国の帝国寄りの領地出身だった。昔、なんとなく話したことがあった……コーデリア領の夏はとても暑そうだ、と!
「避暑地にいいですね、ファーガスは。風も冷たいですし、熱帯夜にもなりませんし。あっちだともっと暑くて溶けそうになりますから……河に涼みに行くのも大変で」
「今、その話をするのはやめろ。余計暑くなる」
「アリルより、ずっとマシじゃないですか」
「あんな灼熱の地獄と比べるな!」
寒国出身者は冷気に強くても、暑さには弱い。よくある話。彼らには真夏の気候でも、温暖地方住みの者にとっては春や初夏の時と相違ない。
体調崩しやすいリシテアが、ファーガスの夏を元気に過ごしている様子はフェリクスにはおかしく映っていた。
「フェリクスは暑いのですか……わたしはあんまり暑くないのですが、公爵様が涼めれるよう手を施すのも妻の役目だと思います。ですよね!」
「──何を企んでいる」
「すぐ疑いの目を向けないでください……。大丈夫ですよ、前もって色々準備しておきましたし、あんたも気に入りますよ。さあ、じゃあ厨房に行きましょう!」
怪しい……嬉々として話すリシテアは、まず疑ってかかるべきだと刷り込まれているフェリクスは警戒心が跳ね上がる。
だが、今は暑い! 真夏日の中で、何かする意欲が湧かない。元気溌剌の彼女に抗う術はなかった……。
言われるまま厨房に向かうと、桶に入った塊をフェリクスに見せてきた。
「氷?」
「そうです、氷塊です。夏といえば氷、氷菓子です!」
氷は冬だろ、と突っ込みたかったが、暑くて怠かったのでスルーした。
さすがのファーガスでも夏に雪は降らないため、氷は出来ない。どうやって手に入れたのか気になるところ。
「ふふふ、驚いてますね。これはマリアンヌに頼んで、氷魔法で出来た氷を氷魔法で密閉して送ってもらったんです。エドマンド領と此処は港を通せば近いですから」
「言葉がおかしくないか?」
「ついでにエドマンド領の流行りのお菓子も頂きました。幾多の交易品の中での選りすぐりのお菓子……ふふ、考えるだけで素敵ですね!」
いつの間にか、港を通して交易している……。
とりあえず、氷の入手ルートは把握した。変な物ではなさそうで、マリアンヌの所からなら安心だろう。たぶん。
「なんだって、氷なんか仕入れた?」
「夏のお菓子は冷たい物に限ります。この間、あんたに打ってつけなレシピを見つけたんですよ。これです! ──氷を削って食べるんです」
…………え?
自信満々に見つけた氷菓子レシピをフェリクスに見せるが、彼には意味がわからず疑問符が浮かぶ。氷を削る? なんだって、夏に氷を?
「氷の菓子? 雪でも食ってればいいだろ」
「当たり前のように雪を食べる話をしないでください! それだと、お腹壊すじゃないですか」
「なら、魔法で出来た氷は良いのか?」
「純度の高い氷魔法なら大丈夫なのは実証済みですから。マリアンヌのなら問題ありません」
「…………試したのか」
時々、リシテアのお菓子への熱意が怖い。一体、その熱はどこから出てくるんだ……。
フェリクスには謎だらけだが、削った氷に甘いシロップをかけると美味しいらしい。暑い夏の日に食すと、さらに美味しさが増すという。
「だが、氷を削るのは容易じゃない。お前の言い分だと、細かい結晶並みを求めていないか?」
「安心してください、その辺も抜かりないです。この話をしたところ、快く協力してくれましたから!」
ドヤ顔でリシテアは、厨房のテーブルにドンと奇妙な道具を置いた。用途不明の謎の置物……馴染みの表現だと、かき氷機によく似た形状の物体だった。
「ハンネマン先生やアネットやリンハルト達と協力して作った氷削り魔道具です!」
「もの凄い才能の無駄遣いだな」
「まだ改良の必要はあるのですが、削るには問題ないので。──ということで、削ってください!」
なんで、俺が?! 当然の疑問をフェリクスは持った。
「俺がするのか?」
「実はこれ、加減が難しくて……魔力を送る人とハンドルを回す人を分けた方が効率良いんですよ。地味に力もいりますし、魔力が途切れると暴走しちゃうので……」
「怖ろしい欠陥品だな。そこまでして食いたいか?」
「だ、大丈夫ですよ! 何度も試しましたし、ちゃんと綺麗に削れるんですよ! フェリクスも食べてみたら驚きますから!」
「……もういい。わかった」
ここで拒絶したら面倒だし、なんだかんだで氷菓子に興味を持ち始めていた。暑いし! 涼めるなら、今は何でもよかった。
(しかし……何だって、こんなことしているんだ)
ハンドルを回しながら思う。暑いと判断力が鈍るのかもしれない。
ガリガリと氷が細かく削られていく音が、厨房に響いていった──。
途中で魔力を送り過ぎて危ないことになったが、無事にかき氷によく似た氷菓子が出来上がった!
氷を削っただけの物に懸念が湧くが、予め作っておいたリシテアお手製のシロップをかけると、白き結晶は色鮮やかに変貌していった。
「百聞は一見に如かず、です。まずは、食べてみましょう!」
言われた通り、スプーン一匙分を食べさせられる。音もなく舌で溶けていく氷と甘さ控えめのシロップ……さて、そのお味は。
「まあ、いいんじゃないか」
「そうでしょう! 夏の氷菓子は格別です。あんたに合わせて甘くなくしたんですから、ゆっくり味わってください!」
「いや、溶けるだろ」
たかが氷、されど氷。甘いシロップをかければ、夏にピッタリのお菓子に早変わりする。馴染みある氷の塊が、このような夏向きのお菓子になるとは感慨深い。
夏に氷を調達するのは容易ではないが、趣がある……甘味に疎いフェリクスでも、そう思えた。
「氷がうまく流通できて、流行ったらいいのですが」
「難しいだろ。それなら、お前が氷魔法を使えるようになった方が早くないか?」
「ふふふ……何度試しても闇色の結晶になるんですよね。……どうしても食べてみたいとは思えなくて……見ますか、わたしの氷魔法?」
「やめておく」
魔導にも系統や向き不向きがあるようだ。リシテアはかなり残念なようで、自分用のベリーと蜂蜜のシロップをかけて、氷菓子を食べて心を癒していった。
夏の至福のひと時は、氷魔法があると良いようだ。
「もっと暑い方が、氷菓子を堪能できそうなのですが」
「いや……今でも十分だ」
フェリクスとリシテアの暑さ耐性はけっこうな差があるようだ。