わ、おめのこどすぎだはんで、わんつかばしでもおべてでけろ 後編八月二十八日
「源一郎、お誕生日おめでとう!」
木蓮館にスタオケメンバーの声が高らかに響く。部屋は所謂「映え」るように飾りつけられ、本日の主役である一九三センチメートルの男にも装飾が施されていった。そして現在、数時間前に源一郎の実家から送られてきた林檎ジュースをグラスに注ぎ、各々歓談を楽しんでいる。
主役の源一郎は唯と南の三人で過ごしていた。他愛のない話をしていると、ふと源一郎が制服の右ポケットに手を入れ、スマートフォンを取りだし、その表示に視線を置く。
「……すまない、実家から電話だ。少し出てくる」
源一郎は二人に向けて申し訳なさそうに断りを入れると、通話ボタンを押し小声で会話をしながら廊下に抜けていった。唯と南はその背を見送る。つもりだった。南が唯にこう囁いてきたのだ。
「なあなあ、コンミスちゃん」
「なんでしょう?」
悪戯に笑う南。
「こないだ、源一郎の青森弁、聞きそびれたから、今なら聞けるかな~って思って」
以前食堂で三人で話していた際、二人で源一郎に対し故郷の言葉を聞かせて欲しいと頼んだのだが、彼は唯にだけ耳打ちしていったのである。
「ボクも聞きたかったさあ~。なあ、ちょっと盗み聞きしに行こ?」
穏和な彼は年上で強引なところもある。唯の返事を待たずに彼女の手を引くと、廊下へ続く扉へと駆けていった。ところが、
「わあ!」
予期せずがちゃりと動いたノブに南は後ずさる。扉の奥からは源一郎が顔を覗かせた。
「わい、めやぐした」
唯と南は顔を見合わせる。何を言っているか分からない。ポカンとする二人を見て、源一郎は悟った。
「わ、訛ってます?」
「「訛ってます(るさ~)」」
今度は聞き取ることが出来た、が、明らかに普段耳にする標準語のイントネーションとはかけ離れている。そしていつも穏やかな口調の源一郎が、どことなく早口だ。困惑する二人の顔を見て、溜め息をついた源一郎は右手で顔を覆った。隙間から見える頬は、どことなく林檎色に染まっているようだ。
「わんか、待ってけろ」
左の掌を二人の前に出し、制止のポーズをとる。「待って」という単語が聞こえた。恐らく「待て」と言っているのだろう。
その様子を遠目で見ていた仁科は、三人の傍へとやって来た。
「なしたの?」
仁科の口からも普段聞き慣れない語が出てきた。二人は停止する。それに対し源一郎は、口を開く。
「実家のかっちゃと電話しでらったっきゃ、津軽弁移らさってまって。こうなぃば、一日は直んねびょん」
「んだね、それは仕方ないしょや」
「しても、たげめぐせえです」
「そんなことないよ。したって、何の話だったんだい?」
「さっきた林檎ジュース届いたはんで、連絡の電話へでだんだばって出ねがったがら、折り返しでした」
「したっけ話すうちにそうなっちゃったんだ」
「んです」
うんうん、と仁科が頷く。仁科が言っている言葉は理解できるが、やはり普段の口調を考えると所々違和感を覚える。そして会話が成立していることがどうも不思議でならない唯は、思わず仁科に尋ねた。
「仁科さんはわかるんですか?」
「あ、うん、俺の親戚は函館にいるから。青森と函館の言葉は近いものがあるから、なんとなく、ね」
横で源一郎が成る程と首を縦に振った。
「ええと……?」
南が源一郎を見上げ、頭上に疑問符を散らした。源一郎は言葉を失っている。それもそうだ。弁明しようにも言葉のチューニングが合わないのだから。
「実家のお母さんと話してるうちに津軽弁がうつっちゃったから、一日はこのままだって言ってたよ」
通訳のように仁科が源一郎の言っていたことを伝える。そこでやっと唯と南は納得をした。
「あ、そういえば」
思い出したように南は呟く。
「前に食堂で源一郎がコンミスちゃんに言ってた青森弁は、何て言ってたんさね~?」
唯ははっとした。聞き慣れない方言の中で、唯一聞き取ることが出来た単語は、好意を示す「好き」であった。それが何に対しての「好き」なのか、まさか自分に向けての想いなのか。その言葉を聞いた日の夜は、悶々としながら眠りについたのだ。
「……私も知りたいなあ」
ちらりと源一郎の顔を窺う。視線が合うと、頬を赤らめた源一郎はぱっと横を向いた。その様子を見た仁科は、ははーんとでも言いたげに二人に目線を送る。
「これはこれは、俺らのいないところで、コンミスを口説きでもしたのかな?」
紅潮する顔は動かない。仁科はやれやれと笑う。
「……ま、今日は主役だし、譲ってあげようか」
仁科はほらほら行った行ったと源一郎と唯の背中を押し、廊下へと追いやる。困惑する二人はあっさりと廊下へ出され、「それじゃあごゆっくり」と扉を閉められた。扉の外では「ボクも知りたいさあ」と言う南を宥める仁科の声が聞こえる。
隣の源一郎を見上げると、林檎色の頬は変わらず、でもどこか落ち着いた面持ちをしていた。
「朝日奈」
唯の手をとると、そのまま隣の準備室へと引っ張られる。普段口数が少ない源一郎に、たまに強引なところがあるのは薄々気づいていた。これが噂の東北男子なのかなと、こっそり唯は思う。
準備室に入り電気のスイッチを入れると、源一郎は唯の手を離し、机へと向かった。そこに置きっぱなしになっていた、既に終了したコンサートのフライヤーとペン立てからボールペンを一本抜き取ると、長机へ移動し、パイプ椅子を二つ引く。促されるような視線に唯は大人しく左の椅子へ腰かけると、その隣へ源一郎も座る。
何も言葉を発せず、フライヤーの裏へ源一郎はすらすらとペンを走らせる。カタとペンを置くと、唯の目の前に紙を差し出す。
「わ、おめのこどすぎだはんで、わんつかばしでもおべてでけろ」
まるで暗号のように、唯は書かれてある文字を読み上げる。隣に座る源一郎の反応を見ようと首を動かすと、源一郎は紙に目線を置いていた。直後、体を寄せる。が、触れる直前、源一郎は唯の目の前の紙に文字を書き足した。
「わ」
「おめ」
「はんで」
「わんつか」
「ばし」
「おべて」
「けろ」
ここまで書いて、源一郎はペンを止める。唯はそれを一つ一つ読み上げた。一通り、読み終えると、源一郎は再びペンを動かす。
「すぎ」
「返事はいらねはんで。へば」
そう言うと源一郎はすっと立ち上がる。そして扉へと歩いていく。
その後ろ姿を唯は呼び止めた。