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    水野しぶき

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    水野しぶき

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    【北女体化】イカれたギャルと拗らせ童貞

    #女体化
    feminization

    イカれたギャルと拗らせ童貞 俺の通う『通称:北高』は、偏差値がおそろしく低く、ヤンキーとDQNの巣窟(奴らは確実に『すくつ』と読むだろう)である。
     窓ガラスは昼夜問わず叩き割られ、壁は性器をデフォルメした下品な絵や所々間違った画数の多い漢字、派手なスプレーアート等で埋め尽くされた、まさに絵に書いたような不良高校だ。
     そんな不良高校に何故、小学生の頃は学年で一番頭が良く、児童会メンバーにまで選出されたことのある俺がわざわざ通ってやっているのかというと、まあ簡単な話だ。高校受験に失敗したからである。
     そうでなければ、こんな社会の底辺御用達の劣悪な環境に進んで身を置くわけがないだろう。今年の進学校への編入試験は不運にも落ちてしまったが、来年こそは、こんな社会のゴミ共とは縁遠い、本来の場所へと戻ることができるはずだ。
     しかし、こんな底辺高校にも一つだけ長所がある。どういうわけか、冗談みたいに低い偏差値と反比例するように、この学校の女子生徒の顔面偏差値だけはまあまあ高かった。
     不良高校ということでケバい女も多く、当初は「どうせスッピンはブスだろ(笑)」と鼻で笑っていたものの、最近化粧に目覚めた従姉妹のおかげで、『ブスは化粧をしたところで化粧をしたブスにしかならない』という残酷な現実に直面した俺は、このゴミ溜めの中で唯一、彼女らの外観だけは評価していた。あと制服が黒地に赤のセーラー服という点も好印象である。アニメに出てくるトンチキな制服のようでいい。

     しかし、いくら容姿がよかろうとも、彼女達もまたイカれた北高生の一員である。そのため、授業中の廊下というありふれたロケーションで、普通高校ならば生徒指導の教師が金切り声をあげて飛んでくるような光景に遭遇することもあるのだった。

     廊下の壁にもたれかかり、自身のセーラー服の裾を噛み締めたやたらとスタイルのいい女に視線をやる。涼しげな顔を苦痛に染めて、色っぽく呼吸を乱す彼女の名前を俺は知っていた。
     ミスラだ。
     この学校の、俗に言う女番長というやつである。
     暴力性と声のデカさしか取り柄がないような当校の男共が束になっても敵わない、親がマフィア等々の物騒な噂とは裏腹に、めくれあがった上着から覗くのは筋のない腹とくびれたウエストラインだった。元々セーラー服の丈は短めに設計されているため、腹どころか、黒いブラジャーの片鱗まで露出している。
     血縁者以外の女の下着をナマで見るのは初めての経験だった。従姉妹の付けている安っぽいブラジャーとは違い、繊細な刺繍が施されたそれは鮮烈な輝きを持って俺の網膜に焼きつく。
     きつく眉根を寄せる姿は先日ネットで見た陵辱物のエロ同人誌に出てくる女剣士とダブった。ぶっちゃけ神絵師よりも作画がいい。そういえば、モデルのバイトをしているのだと以前聞いたことを思い出した。
     とはいえ、いかに外見が優れていようとも、衣服と呼吸を乱したあられもない姿で目の前に現れようとも、全身をぐっしょりと血で濡らし、何か赤黒い塊を引きずり歩くミスラの姿を校内で見たことがある俺のおちんぽ様はぴくりとも反応しなかった。
     そんな彼女の足元――というか、地面すれすれまで伸びた変型スカートの中でなにやら動く影が一つ。
     そちらは体のほとんどが黒い布で覆われていたのだけれど、規定丈の膝丈スカートと薄手のタイツに覆われた細すぎる脚だけは見て取れた。この情報だけで、俺はミスラのスカートの中に潜り込んだ者の名前をぴたりと言い当てることができる。
     オーエンだ。
     彼女も当然、顔が良い。また、一見清楚風の見た目をしているからか、俺の周りではやたらとウケがよかった。
     類は友を呼ぶという言葉に違わず、俺は普段、このゴミ溜めの中では比較的マシな部類の生徒とつるんでいる。こんなところにいる時点で愚かな人種であることは確かだったが、俺は奴の勧めるエロ同人の質だけは信頼していた。
     特にそいつはオーエンの持つ、ボクっ娘・オッドアイ・貧乳というコテコテの二次元属性に執心しているようだったが、生憎、俺はそんな使い古されたテンプレラノベ設定は中学で卒業している。
     元々リアルとフィクションは混同しない主義でもあった。俺はそのへんの痛いキモオタとは違うのだ。二次元は二次元だからこそイイ。二次元キャラの人気属性を無駄に詰めこまれたオーエンも、リアルでは、どう見積もっても地雷女である。
     そして制服だけはちゃんと着ているというのに、彼女もまた、黒い噂の絶えない生徒であった。
     しかし、何度も言うが、双方見た目はよかったし、俺も彼女たちの外見は正当に評価しているのである。
     オーエンは床に膝をついて、ミスラのスカートの中に全身を突っ込み、なにやらもぞもぞと動いている。反対にミスラは声を抑えるように布を噛み、涼しげな美貌をねつっぽく乱していた。
     百合。どう見積もっても、百合である。
     校内でセックスするDQNカップルは何度も見たことがあるが、まさか白昼堂々、廊下でオーラル・セックスに及ぶレズに出会うとは誰も思うまい。俺の体は時間停止AVの如く硬直した。男は皆美少女同士の百合が好きで、松本人志と加藤鷹に憧れ、向井理と鈴木一徹を親の仇の如く毛嫌いする生きものなのである。
     ああ、なんて卑猥なのだろう。尊い。けしからん。本当に偏差値が低い。自制心のない馬鹿はすぐに盛る。猿以下だ。でも美少女同士なら許される。百合の世界にはビッチ・ヤリマン・中古品という概念がない。百合は日本の伝統文化だ。
     たとえ彼女達のオツムが異常に弱く、現実問題、普段はDQN男子や大学生あたりの彼氏の肉便器になっているであろうことを踏まえても、百合は、イイ。
     俺は、この場に俺以外の男子がいないことに心から感謝した。百合の世界に男は不要だからだ。
     この学校の授業なんてあってないようなものだったが、今は体育館で保険医のフィガロ先生が男子生徒向けに性教育の授業をしているため、男子生徒は皆そちらに向かっている。
     美人で保険医という無敵の属性を備えたフィガロ先生は、この学校で唯一支持率の高い教師だ。不真面目が服を着て歩いているようなDQN男子も皆、フィガロ先生の口から飛び出す卑猥な単語を期待して大人しく膝を抱えていることだろう。『先生はナマとゴムどっちが好きですか〜?』と下等な質問を挟みつつ。
     本来ならば、俺もそちらに混ざっているはずだった。しかし今日のためにメルカリで購入したボイスレコーダーを鞄の中に忘れるという失態を犯し、ひとり輪から外れてきたのである。CVフィガロ先生で、「セックス」「コンドーム」「妊娠」等の言葉を合法的に聞ける機会を逃すのはじつに耐え難いことだった。
     しかし、DQNの居ぬ間に繰り広げられていた良質な百合のせいで、俺は完全に本来の目的を忘れていた。
    なぜか女子生徒の姿まで見えないことも気になったが、百合のパワーで全員死んだのだろうと結論付ける。百合作品では、耽美な世界を演出するために都合よくモブが消失するのがお決まりのパターンだ。
     つまり、この場では俺の存在も居ないものとして扱われることになる。現に、オーエンはともかく、ミスラですら、こちらを一切見ようとしなかった。あえて見ないようにしているという感じでもなく、まるで透明人間にでもなったような感覚である。
     もうすこし近づいてもバレないかな、と俺はすり足でふたりとの距離を詰めようとした。

    「あ? なんでヤローがここにいんだよ」

     突然飛び込んできた声に浮ついた意識が引き戻される。ついでに透明だった俺の存在も完全に可視化された。ミスラがこちらを目だけで見やる。耽美な世界が、ぶっ壊された瞬間だった。
     声の方向に振り返ると、一人の女子生徒が背後に立っていた。こちらも有名なので名前は知っている。
     ブラッドリーだ。
     彼女は規定よりも随分短いスカートを翻し、まるで変質者を見るような目を俺に向けてくる。一日分の野菜をなんとも言えない微妙な顔で啜りながら。
     なにも後ろめたいことをしていたわけではないのに、俺はとっさに視線を地面に落とした。率直に言うと、俺はブラッドリーのことが苦手だった。
     一匹狼で、どこか浮世離れしたミスラやオーエンとは違い、身近なスクールカーストの匂いを感じるからかもしれない。DQNに陽キャという、俺が最も嫌悪する属性を同居させたような雰囲気も要因の一つだろう。
     授業なんてろくに出ていないくせに時々教師が舌を巻くほど芯を食ったことを言うところも、実家が金持ちらしいということも、いつも人に囲まれているところも、俺が彼女を倦厭する要因のひとつだった。
     しかし彼女もやはり顔立ちは整っており、こちらも規定より短い上着からちらりと覗くヘソピアスと引き締まった腹筋は素直にえろかった。顔や体のあちこちには古傷のような痕が見えたが、本人が堂々と晒しているせいか、傷というよりも、最早ファッションの一部のように馴染んで見える。

    「おい、あんまじろじろ見んな。見せもんじゃねえぞ」

     そう言って、ブラッドリーは、俺からミスラとオーエンを隠すように立った。ミスラはすでにこちらを見ていないし、俺もふたりを見ていたわけではない。けれど、『おまえを見てたんだよ』とも言えない。
    「見てないんだが」と発した声の震えを嘲笑うかのように、ブラッドリーがゆっくりと口端を吊り上げる。

    「言ったそばからガン見じゃねえか。ははあ、さてはおまえ、むっつりスケベだろ」

     いたずらっぽい笑みとエロ同人っぽい単語に、不覚にも胸が高鳴る。俺は自他ともに認める特殊性癖持ちのサディストなのに。まるで内気な童貞(実際童貞だが)を性的に弄ぶ、一時期ツイッターで流行った量産型ギャルのような手管に、一瞬でも興奮してしまった自分が情けない。俺はあの手の、女優位の同人誌では抜けない性質なのに。
     屈辱に震えながらもブラッドリーから目を離せないでいると、女の肩にとんっと色の白い腕が置かれた。

    「こら、あんまからかうなって。困ってんだろ」

     清楚な顔には不釣り合いの派手な服装と粗暴な口調の女が、俺を庇うようにして現れる。
     ネロだ。
     学年は一個下だが、彼女はブラッドリーと仲が良いため、三年の階にもよく来ている。来ているというか、呼ばれたり連れてこられたりしているのだろうが。
     そして率直に言うと、俺はこの女がすこし気になっていた。
     彼女は見た目や服装だけで言えばまあまあギャルだったが、ただのギャルではない。なぜなら、俺が彼女にシンパシーを感じているからだ。彼女はブラッドリーたちとつるんでいたが、そのわりにはいつも落ち着いた雰囲気をまとっていたし、つねに集団からは一歩引いたような態度でいる。
     端的に言うと、彼女からは孤独の匂いがするのだ。
     どうせ自分のことなんて誰にも理解できないと思っている、俺と同じ、高尚な人間の匂いがする。俺とは違い、無理に凡人のふりをしようとするのは、共感をツールに用いる女性コミュニティの構成員であるが故の習性だろう。
     俺たちはこの世で唯一、互いを理解できる相手になれるのではないかと俺は密かに期待していた。いままでは対話をする機会が中々巡ってこなかったけれど、これを機に、彼女は俺の存在に気づくのではないだろうか。さすがに気づいてはいるだろう、というのが俺の見立てだったが。
     また、彼女は意外と胸の大きい女だった。そして当然のごとく美人である。正直に言うと、ネロは俺のタイプかもしれない。昔推していた女児アニメのキャラクターに雰囲気が似ている。

    「んだよ、ネロ。おまえこういう奴がタイプだったのか?」
    「べつにそういうわけじゃねえよ。ただ、」

     そのとき、ガンッと壁を蹴る音が響いた。
     ミスラだった。

    「っ……痛っ…………ちょっと、わざとやってるんじゃないですよね……ッ……! 後で、覚えておいてくださいよ……」

     スカートの中から、「うるさいなあ」と冷静な声が応えると、ミスラはより一層苦痛をにじませる。かちゃん、と金属質な音がどこかで鳴った。
     それは快楽というよりも、どちらかと言えば、痛みを堪えているように見える表情である。ブラッドリーがあきれたように肩をすくめ、ネロがためいき混じりに視線を逸らした。

    「なあ、やっぱロキソニンじゃ麻酔代わりにはならないだろ」
    「だからって、モルヒネなんか出回ってねーし、あいつ相手に変なヤクぶっこむわけにもいかねえだろ。シラフでさえ凶暴なんだ。イブプロフェンごときでラリることはねえだろうし、あいつは頑丈だから、もう積めるだけ積むしかねえよ」
    「もう積んだよ。一回一錠のところ、ワンシート全部だ」
    「お、いいじゃん。十分じゅうぶん」

     にかっと笑ったブラッドリーが、「ほら、差し入れ」とパックジュースを放る。一日分の鉄分と書かれたジュースをミスラは難なく片手でキャッチし、「ありがとうございます」とくぐもった声で返した。
     マフィアの娘とはいえ、そういうところはちゃんとしてるんだな、と俺は素直に感心してしまう。

    「つーかさ、こういうときは感覚鈍らせるために冷やすんじゃなかったか? おまえもピアス開けるとき冷やしてたろ」
    「ああ、それなら一応オーエンがピノ持ってる」
    「ピノ!? よりにもよって!? あれ六個しか入ってねえのに……」
    「これがいいって駄々こねやがったんだ。せめてアイスボックスにしとけっつったんだけどよ。ピノがダメならダッツがいいだの騒ぎやがって……」
    「ああ……さすがに購買にダッツは置いてないからな……」
    「そーいうこった」

     聞き慣れたアイスの名前を耳が拾う。しかし、部外者の俺にはまったくピンと来ない会話だった。ただどうにも、ふたりの反応から見るに、ミスラとオーエンが性的な行為に励んでいるわけではないということは薄々察しはじめている。俺の知ってるセックスには、麻酔やピノといったものは出てこないからだ。

    「ま、酒でも用意すりゃ変わるかもな。つっても、血行よくなって余計えぐいことになるかね」
    「……イヴならまだ残ってるけど。取ってくるか?」
    「いいって……てかおまえどんだけ生理重いんだよ。まじで大丈夫か?」
    「まあ……大丈夫だろ。死にはしねえし」
    「あのなあ、そういう問題じゃ、」
    「ちょっと、暇なら手伝ってよ。暗くてよく見えないんだ」

     スカートの中から届いた声に、ふたりが再び視線を合わせる。先に動いたのはブラッドリーだった。

    「行ってくるわ。大方グロいことになってんだろうし」

     ブラッドリーはスマホにライトを灯すと、居酒屋の暖簾をくぐるような調子でミスラのスカートの中を覗く。まるで常連客のような気安さだった。
     さすがに下着までは見えなかったが、中にいたのはやはりオーエンである。ブラッドリーが彼女の隣に腰を下ろすと、スカートの中にぽつんとちいさなひかりが灯った。
    「あー、いい感じじゃん。つーかすげえの履いてんな」
     その言葉に、俺は全神経を聴覚に集中させた。しかし、その後それらしい会話はなく、ただ当たり障りのない会話が続く。
     ――そういやマックシェイク飲んだ? 飲んだ。今回は当たりだったね。まじかよ。甘すぎて秒で飽きたわ。結局バーガー追加しちまったしよ。甘さが足りなかったんじゃない? シロップ足したらもっと美味しかった。うげ。つーかやっぱりピノ食ってんじゃねえか。当然でしょ。溶けたら美味しくないもの。
     まるで普通の女子校生のような会話をするふたりに、俺はなんだか叫び出したい衝動に駆られた。
     もっと執拗に描写しろよ! 俺みたいに! 中学生の考えたオリキャラ描写くらい無駄に! これは文字だぞ! 絵かなにかと勘違いしてるのか!? ――なんて心中で吠えてみても、無論ブラッドリーには届かない。このギャル、無駄に想像力を掻き立てやがる。

    「そうだ。音楽流してよ。とびきりエモいやつ」
    「おう。最高にサグいの流してやんよ」

     という会話の直後、すぐにスカートの中から音楽が流れてきた。なんて言えばいいのかはわからなかったが、いかにも不良生徒が好みそうな、無駄にノリのいい音楽が布越しに耳を打つ。

    「ねえ、僕の話聞いてた? エモいやつって言ったんだけど」
    「言ってろサブカルクソ女。てめえ好みの曲は歌詞が抽象的でわけわかんねえんだよ。全身がかゆくなる」
    「わかってないなあ。それがエモいんじゃない」
    「それじゃアガんねえだろ」
    「アガる必要なんてないだろ」
    「アガんねえと音楽なんて聴く意味ねえだろ」
    「はぁ……クラブのトイレから一生出てこれなくなればいいのに」
    「てめえこそ一生ヴィレバンから出てくんな」

     クソみたいにくだらない口喧嘩をはじめたふたりに、とうとうミスラが口を開いた。当然、咥えていた布がぱたりと落ちて、夏場のギャルのように露出過多だった腹部を覆い隠してしまう。

    「ちょっと、ひとの股下で揉めないでくれます? はやいとこ終わらせてくださいよ。勝手にサボるなら、あとで同じ目に合わせてやります」
    「はぁ? そりゃねえだろ。てめえがいまここでやるとか無茶言うから、こっちはわざわざ人払いまでしてやったんだろうが」
    「いまなら仕返しできるよね。ミスラにはいつもお世話になってるから、とびきり痛くて、屈辱的なお返しをしてあげなくちゃ」

     なにやら不穏な空気が流れはじめた三人を尻目に、俺はネロの横顔を見やった。端正な横顔から匂うのは、多大なる呆れである。
     今ならば話せるのではないだろうか。でもどうやって? まずなにからはじめれば――なんてことを考えているあいだに、ネロはスマホを片手に三人の元へと歩いていってしまう。

    「喧嘩してる場合じゃないだろ……おいブラッド、手出せ」
    「あ? なんだよ急に」

     スカートの中からぬっと手だけが伸びてくる。その手にネロは自身のスマートフォンをていねいに握らせた。布の中に手がひっこむのと同時に、ぽろんとピアノの音が流れ出す。
     まるでヒーリングミュージックのように穏やかな音は実にネロらしく、やはり彼女がただのギャルではないことを裏づける、決定的な証拠にもなっていた。ギャルはピアノなんて聴かないからだ。ミスラが身をわずかに屈めて、スカートの中に耳を澄ます。

    「……これ、聞いたことがある」
    「なんだっけな、これ、どっかで……」
    「ああ……たしかこれ、あれですよ。ほら……テレビつけると流れるやつ」
    「ああ、それだ!」
    「あいだとってこれでいいだろ。うるさくないし、歌詞もないし、クラブにもヴィレバンにも置いてないんだからさ」
    「すげー気ぃ抜けるけどな」
    「わかる。ねむくなってきた」
    「くつろがれるのもむかつくな……ふぁあ」

     繊細に紡がれるピアノに気を取られて、三人が戦意を喪失する。獣みたいだな、と思った。実際、知能指数的には、獣と呼んでも相違ないのだろうが。
     ピアノ効果は絶大で、その後はしばらく和やかな空気がつづいていた。
     しかし、しばらくすると再びスカートの中でオーエンが動き、ミスラが苦痛に濡れた喘ぎを漏らすようになる。ブラッドリーがスカートをぺらりと捲り、「あちい」と外に愚痴った。
     それと同時に、俺は自分の目を疑うものを見た。大きく捲れたスカートの中身――オーエンとブラッドリーの合間から覗く、白くて細くて長い脚。その上をだらだらと流れ落ちる、幾筋にも割れた真っ赤な液体はどう見ても血にしか見えなかった。
     はあ、とため息をつきながら、オーエンがくるくるとなにかを回している。指先で踊るのは医療用のメスのように華奢な刃物だった。やはりというべきか、こちらもミスラの脚同様、真っ赤に濡れている。
     俺は声にならない悲鳴をあげて、ネロの顔を見やった。どういう反応をしているか気になったのだ。きっと彼女はなにも知らされていないに違いない。
     相変わらず、なにをしているのかはイマイチわからなかったけれど、あの三人が冗談抜きにイカれていることだけは明白だった。馬鹿や不良などという生ぬるい言葉で語れるようなものではない。あいつらは完全に狂っている。
     でもおまえは、おまえだけは――と思った瞬間、ネロはいつのまにか手にしていたトマトジュースを啜りながら、「とれた?」と自然な口調で口にした。

    「いいや」ブラッドリーが首を横に振る。
    「あともうちょいだな」

     そう言うと、ブラッドリーは再びミスラのスカートの中へと潜っていった。

    「まあ、ミスラ。もう少しの辛抱だ。てめえも北高のトップなら気張れや」
    「もうじゅうぶん耐えたでしょう。そろそろガチでキレます」

     俺はネロの横顔から、目を逸らすことができなかった。
     授業中の廊下で、同級生が同級生に刃物を突き立てるという全国ニュースになりそうな事案を前にしても、涼しい顔でトマトジュースなんか啜っている奇妙な女が目の前にいる。
     どうして気づかなかったのだろう。こんなクズの吹き溜まりみたいな高校にいる時点で、この女も最低限イカれていることは明白だというのに。いくら仲が良いとはいえ、先輩に対してあれだけタメ口を叩ける女に、高尚な思想など期待した俺が馬鹿だったのだ。

    「あ、とれた」

     不意にオーエンが脳天気な声で言った。
     直後、スカートの中から、ころんっと小さな硝子片のようなものが無造作に投げられる。それを見たネロはほっと安堵の表情を浮かべ、スカートの中で、ブラッドリーとオーエンがぱちんと手を打つ音が鳴った。

    「おつかれさん」
    「おう。ま、予想より時間はかかっちまったがな」

     ネロの労いに応えるよう、スカートの中から出てきたブラッドリーが言う。その後を追うように、スカートの中から、オーエンが顔だけを覗かせた。

    「消毒する?」
    「はあ……できるんですか?」
    「簡単なのはね。表面を火で炙るんだよ。肉は火を通すとかたまるでしょう。人間もおなじで、焼くとかたくなるんだ」
    「へえ……それよりも、あなたを燃やして塗りつけたほうが手っ取り早いと思いますけど。たしか、油って軟膏になりますよね」
    「冗談が通じないなあ」

     言いながら、彼女もまた、スカートの中から這い出てくる。
     トレードマークの白い手袋が真っ赤に染まっているのを見て、さあっと脳の血液が下へ下へとくだってゆくのがわかった。これは遮蔽物がなくなってはじめて気づいたことだが、ミスラの足元にはちいさな血溜まりができており、彼女の上靴を赤く汚している。
     ミスラは、はあ、とためいきをついて、少々癖のあるセミロングの髪を無造作に掻き上げた。

    「まあ、どっかの誰かさんみたいに、『傷は女の勲章』とかいうんじゃなければ、ちゃんと病院行ったほうがいいんじゃねえか。あんた、たしかモデルのバイトとかしてただろ」
    「……たしかに。金に興味はありませんが、自分の価値が下がるのはなんか嫌ですね」

     ネロの言葉に納得したような表情を浮かべながら、彼女はさきほどブラッドリーから受け取ったパックジュースにずぶりとストローを突き刺す。
     のどを潤すよりも、まずは現在進行形で太ももを滴り落ちる血のほうをどうにかしろよ、なんて思いながらも口には出さなかった。こちらもやはりと言うべきか、血よりもさきに、スカートについたホコリを手で払ったオーエンが言う。

    「約束忘れてないよね。ヒルトンの苺ビュッフェだよ」
    「はあ……じゃあ金曜の午後でいいですか」
    「いいよ。ふふ、楽しみ。胃の中を真っ赤にするんだ」

     オーエンがにっこりと上機嫌に笑う。その顔はたしかにかわいらしくはあるのだが、制服やら手やらにべったりと付着した血のせいで、なんだかホラー映画を見ているようなきぶんになった。
     ホラー映画に出てくる幽霊はなぜ美少女ばかりなのか、その理由がようやくわかった気がする。血濡れの美人は手っ取り早く、非人間っぽい異様な雰囲気を演出することができるのだ。

    「しかし、足の付け根ってえぐいな。ぜってー嫌だわ」
    「まだましでしょ。僕なんか舌だったよ」
    「うげ、そんなのどうやって取ったんだよ」
    「舌を裂いた。死なないように、毎日すこしずつ」
    「あー、そういや一時期裂けてたっけな……」
    「単なる趣味かと思ってたわ。あんた、バンドとかすきだし」

     意味はわからないけどおっかないことだけはわかる会話を聞きながら、俺は一体なにをしているんだろう、と今更すぎることを思った。
     そうだ、たしか百合に釣られたのだ。
     でも、百合だと思ったら百合じゃなかった。
     それならば、ここにとどまる理由もないはずである。体育館ではフィガロ先生が俺の帰りを待っているのだ。イカれた馬鹿女たちとは違い、大卒の美女が待っているのだから、そちらを優先して然るべきである。
     俺は足音を立てないように注意しながら、そうっと元きた道を戻ろうとした。ボイスレコーダーはもう諦めよう。今回は音源よりも生優先だ。
     それ以前に、こんなイカれた空間に身を置いていたら、俺の脳味噌まで壊死してしまうような気がする。

    「おい、そこのむっつりヤロー」

     そんな俺を呼び止める声が一つ、背後から不躾に飛ぶ。突然声をかけられたせいでビクッと大仰に肩が揺れた。
     ああもう最悪だ。この場で彼女がむっつり“ヤロー”と呼ぶのは、どう考えても俺しかいない。聞こえなかったフリをして無視してしまおうか、それともダッシュで逃げるか――なんて考えても、俺の足はちっとも動いてくれなかった。
     普通の女ならいざ知らず、俺の背後に控えているのは男でも適わないような筋金入りのヤンキーだ。
     ここで下手な行動をすれば、俺の学校生活は確実に終わる。編入試験に合格するまでの我慢だと、極力目立たず波風を立てず平穏に暮らしてきた、いままでの苦労がすべて水泡に帰すことになる。
     俺はギギギとブリキの玩具のように振り返った。
     協調性とは無縁の顔をしているくせに、揃いも揃ってこちらを見ている四人と目を合わせないようにしながら、蚊の鳴くような声で用件を問う。
     ブラッドリーは空になったジュースのパックをぐしゃりと握り潰すと、ぽんっと手のひらの上で一度弾ませてから言った。

    「見物料だ」
    「え?」
    「あ? てめえ、あんだけガン見しておいて、まさかタダで帰れると思ってんのか? なに、安心しろよ。金は取らねえから。対価はてめえの体で支払ってもらう」
    「は……………?」

     カツアゲされるのかと青ざめた直後、エロ同人の常套句を言われて、俺のあたまは完全に混乱していた。体で払え、なんて言葉をまさか現実世界で聞くことになるとは。この世界は意外と、フィクションとリアルの垣根は低く設定されていたりするのだろうか。
     しかし、どう考えてもミスキャストである。これはこいつらのように大人を舐め腐っている生意気なギャルへの仕置きとして用いられるべき台詞で、ただ通りがかっただけの俺のように善良な一生徒に向けられていいものではない。
     それなのに、なぜかすこしだけ高揚している自分がいる。脳味噌ではなく、主に股間のあたりで、ふつふつと得体の知れぬ興奮が生まれていた。正直、がんばれば勃起さえできるような気もする。
     ブラッドリーは俺の前まで来ると、ぽんっと肩に手を置いた。

    「つーわけで、片付け頼んだ。ネロ、行こうぜ」

     それだけ言って、彼女はあっさりと俺を追い抜いてゆく。硬直したままの俺を置いてぺたぺたと遠ざかってゆく足音がなぜかみょうに女らしく感じられた。
     ミスラとオーエンは相変わらず物騒な話題――おそらく正しい皮膚の裂きかた講座――に花を咲かせていたが、ネロだけは静かに俺の元へと歩みを寄せてくる。

    「ほんっっと、なんであんなに勝手なんだか……悪いな、巻き込んじまって。悪気があるとか、そういうんじゃなくてさ、いつもああなんだ。片付けならやっとくから、あんたは授業に……」
    「いいよ。俺がやる“ぜ”」

     俺の言葉に、ネロはぱちぱちと驚いたように瞬きする。

    「ほんとにいいのか?」と尋ねられて、俺は頷いた。彼女の困惑が一層、濃度を増すのが見て取れる。
     そりゃそうだ。ただ偶然居合わせただけの人間が、床にこぼれた他人の血を拭う必要なんて微塵も存在していない。
     そのうえミスラやオーエンは端から俺に興味がないようだったし、ブラッドリーが去った今ならば、この状況から逃れることは容易でもあった。ネロだって、俺がこの場から去ることを是としてくれている。
     俺自身、なんでこんなことを口走ってしまったのか、自分でもよくわからなかった。
     正直、後悔していないと言えばウソになる。でも一度吐いてしまった言葉は戻らないし、ここで前言を撤回するのは、なによりも自尊心がゆるさなかった。ほんのすこしまえまで気になっていた女の前ではいい格好をしたい、というのもあるだろう。

    「ほんとにいいのか……? あいつには、あんたがやったってことにしておくし、あんたが損をするようなことにはならないと思うけど」
    「いいよ……べつに」
    「……わるい。ありがとな」

     ネロはそう言うと、最後まで申し訳なさそうにしながら、ブラッドリーの後を追った。ちなみに俺はおまえより先輩だからな、気よりも先に敬語を使え敬語を、とその背中に目だけで訴える。
     やれやれ、とひとり肩をすくめて、放置された血溜まりに視線をやった。あれは雑巾を使って、そのまま処分してしまうのが無難だろう。完全に固まる前に処理したほうがいいのだろうが、生憎ミスラとオーエンは未だこの場にとどまったままだった。
     はやく退いてくれよ、と内心愚痴ったとき、俺はふととんでもないことに気づいてしまう。
     この流血沙汰の当事者は、ミスラとオーエンだった。ブラッドリーとネロも関係者ではあるのだろうが、実際にミスラの太ももを切り裂いたのはオーエンで、切り裂かれたのはミスラである。
     もしかすると、とんでもない状況に、俺は自らの身を投じてしまったのではないだろうか。まるでライオンの檻にでも迷い込んでしまったかのような絶望感がドンと背中に重くのしかかってくる。
     しかし予想に反して――ふたりは俺のことなど一切気にするようすもなく、そのままくるりと踵を返した。

    「僕も帰ろ。べたべたになっちゃった」
    「フィガロに見つかると厄介ですね。裏から出ればバレないかな」
    「大丈夫じゃない? たしか、いまは体育館に……」

     と言いかけたオーエンがなんの前触れもなく、突如こちらを振り返る。
     彼女は、不意打ちの出来事に思わず身をこわばらせた俺に視線を合わせると、わずかに目を細めた。完全に手ごろな獲物を見つけた肉食獣の目だった。正直、めちゃくちゃ嫌な予感しかしない。
     彼女は流れるような動作で床に手のひらを這わせると、そのまま俺の元へと歩み寄ってくる。
     第六感が救急車のサイレンのようにけたたましく警鐘を鳴らした。四の五の言わずに逃げなければいけない。そうあたまではわかっていても、俺はまるで蛇に睨まれた蛙のように、オーエンの挙動を目で追うことしかできないでいる。
     彼女は俺の前に立つと、無言で俺の手首を引いた。そのまま両手で包むようにやわらかく手を取られる。

    「これあげる」

     華奢な指先が俺の手のひらをこじ開けて、なにか固いものを握らせた。
     それがなんなのかを確認するまえに、ぎゅっと蓋をするように、華奢な両手につつみこまれる。以前推していたアイドルの握手会とおなじ握りかただった。ただ、真新しい血で汚れた手袋はしめっており、布越しの指先は驚くほどに温度がない。
     女というより、まるで死人のような指先に、心臓がか細い悲鳴をあげる。まあるく見開かれた色違いの瞳に真正面から見据えられ、ドッと冷や汗が沸いた。

    「な、なんなんだ、これ……」

     オーエンは女狐のように目を細めた。それから血に濡れた手のひらを俺の肩に置くと、こちらにもたれるようにしてしなだれかかってくる。
     距離が近いとか、最早そういうレベルではなかった。これではほとんど抱きつかれているようなものである。
     女とこんなに近づいたのは生まれて初めての経験だった。しかも相手はマトモに会話すらしたことのない血濡れの女。まったくもって度し難い状況である。
     動揺に動揺を重ねて、半ばパニック状態に陥った俺の耳元に、オーエンはそっと唇を寄せる。それから、あまったるい蜜のような声で囁いた。

    「きみを特別にしてくれるものだよ」

     特別、という言葉がとすんと胸に突き刺さった。それから何度も何度もあたまの中で反芻される。
     特別、特別特別。特別――そうだ。俺は特別なはずだった。本当はこんなところにいるような人間ではないのだ。もっと俺にはふさわしい場所があって、でも運が悪くて、まるで誰にも見つけてもらえない原石のようなきぶんで、このまま腐った場所で死んでいくのではないかと考えるとゾッとして、はやく試験に受からないといけなくて――。
     オーエンはすんなり俺から身を剥がすと、にぃと満足げに笑った。その視線はかたく握られた俺の手のひらに向けられている。
     去っていくふたりの背中と残された血溜まりを眺めながら、俺はしばらく放心していた。一体なんだったのだろう。なんの時間だったのだろう。俺は一体どうなってしまったんだろう。
     へなへなと崩れ落ちるように尻をつき、深く長くためいきをついた。
     汚れた拳を開くと、手の中には、ところどころに肉のようなものがこびりついた血濡れの物体がある。
     よく見ると、それは携帯のSIMカードによく似ている。こんな薄っぺらいものに、一体なんの価値があるというのだろう。しかし、これは俺を特別にしてくれるものなのだとオーエンは言った。
     俺はそれを水道で洗うと、ハンカチでていねいに包み、ポケットの中に忍ばせた。
     あの女の言葉を信じるわけではなかったが、教室のゴミ箱に捨てていいものでもないだろう。べつに女からもらったハジメテのプレゼントだから、という浮ついた感情は一切ない。断じて、ない。
     ――「きみを特別にしてくれるものだよ」
     勇者の剣か。俺がチート無双できる異世界への招待状か。宇宙から異形の怪物が侵略してきたときになぜか俺だけを守ってくれるアイテムか――まあ、そんなに都合のいいものがあるわけないが、受験の願掛けくらいにはなるかもしれない。神頼みなんてガラでもないが、たまには、こういうのもわるくないだろう。
     俺は布越しにチップをなぞると、無言で雑巾を取りに行った。
     ■蛇足

     日雇いのアルバイトから帰ってきた俺はすぐにパソコンを開き、ストロング・ゼロの缶を開けた。グッグッグッと勢いよくエタノール臭い液体を胃に流し込み、ぷはあっと息をつく。食道が燃えるような熱を帯びていたが気にならなかった。はやく脳味噌を壊死させたい一心で、俺はさらに酒を煽る。粗悪なアルコールが体内に循環していくのを肌で感じながら、まだ半分以上中身の残っている缶をぐしゃりと握り潰した。
     今日の現場は、最悪だった。
     求人には軽作業と書いてあったのに、蓋を開ければハードな肉体労働と重労働。そのうえ現場の人間まで、超が付くほど最悪な人種だった。どうせFランのくせに大卒というだけで威張り散らす正社員。学生時代のイキりを引きずったまま歳を重ねたようなヤンキー上がりの職人たち。
     そんなクズ共に理不尽に叱責され、嘲笑され、事故という名の暴力が飛んでくる度、俺はカッターの音を思い出した。カッターの刃を出すときのチチチという軽快で規則正しい音。その音は、粗悪なアルコールと同様、俺のこころをいつだって穏やかにしてくれる。
     俺には失うものなどなにもない。いざとなればお前らなんて簡単に殺すことができるのだ。俺がそんなことを考えているとは露知らず、散々威張り散らしていた奴らの顔を思い浮かべ、俺はキヒヒと笑った。笑いはどんどん大きくなって、気づけば腹を抱えて、ケタケタと床のうえに転がっている。
     ひとしきり笑い転げたあと、俺は鬱屈としたきもちに支配された。あわてて酒を煽る。きっと酔いが足りなかったのだろう。
     ツイッターを開き、タイムラインにざっと目を通す。アニメの感想や時事ネタ、政治ネタ、バズ狙いで滑ったクソツイが大半だったが、そんな取るに足らないツイッタラーとは一線を画した、美麗なアイコンにふと目が留まった。
     俺の推し絵師だった。しかも新作を投稿している。俺はすぐさまツイートにカーソルを合わせ、カチッと画像を開いた。
     相変わらず、べらぼうに絵が上手い。
     俺はその絵をすぐさま特定のフォルダの中に保存した。あとで線をなぞるためだ。トレパクではない。参考にしているだけ。いわばリスペクトだ。咎められるようなことはなにひとつしていない。二次創作が同人市場を席巻しているこのご時世に、ファンアートの一体なにが悪いというのだろう。
     俺はツイッターにもどると、あらためてそのイラストを注視した。今度はイラストだけではなく、絵の中に書かれた文字までしっかりと読み込んでいく。
     この絵師は派手なギャルのエロ絵を得意としており、絡み相手はいつもコミュ障童貞キモオタクの三拍子が揃った蛆虫のような男だった。男には興味がないので毎回スルーしていたが、それにしても、もうすこしマトモな男を宛がえばいいのではないかとアドバイスをしたくなるほどである。
     しかし、相手がイケメンやDQNだと、それはそれで抜けない。理由はわからないが、嫌悪感が性欲に勝ってしまうのかもしれなかった。でもこの絵師ならば安心だ。主人公以外の男は誰ひとり出てこない、まさしくご都合主義の世界を再現した絵師だからである。
     しかし、俺はその絵で抜くことができなかった。めずらしく全年齢だったからではない。
     その絵に、見覚えがあったからだ。
     派手なギャルがオタクの前で口角をあげる。手にはいちごミルクのパックジュース。制服はセーラー服だった。丈は上下共に短く、露出した腹部にはシンプルなへそピアスが一つ輝いている。
     ギャルは、「オタクくんさ〜さっきうちらのことエロい目で見てたっしょ(笑)」とイタズラに笑うと、硬直したままのオタクの耳元でそっと囁いた。――「この、むっつりヤロー」と。
     これは昔、俺が体験した出来事に酷似している。ツイートしたのはかなり昔のことなのでとうに埋もれているだろうが、たいしてバズらなかったことだけは覚えていた。
     俺がバズったのは、殺人事件に対してコメントをしたら、「不謹慎だ!」と正義マンに叩かれたときのみ。それ以降アンチなのかファンなのか判別できない類の粘着は増えたが、バズったことは一度もなかった。
     それに対して、神絵師のいいねは一万以上、リツイートも数千超えとまあ普通にバズっている。
     その『1』という数字が、俺にはマッチのように見えてしかたなかった。アルコールに濡れた脳味噌に投げ込まれた、一本の、火のついたマッチ。
     ――クッソ、この絵師、俺のネタでバズりやがって……!!! パクったな……!!!!
     俺はすぐさま絵師のDMを開いた。それから、さきほどの絵が俺の実体験にどれだけ酷似しているかを目に止まらぬ速さで詳細に打ち込み、以前その体験をツイートしていた旨も簡潔に記載する。
     証拠は揃ってるんだ。俺のネタをパクって稼いだいいねは美味いか? 明日までに返信が来なかったら晒す。ブロックするなら然るべき処置を取らせてもらう――等々と打ち込み、ターンエンド。エンターキーをタタンッと軽快に叩いて送信する。
     あとは返信を待つだけだ。一時間以内に返ってこなければ、また再度催促すればいい。まあ、あちらに非があるのは明白だから、すぐに謝罪するとは思うが。 
     俺はアルコールを流し込みながら、はあ、と深く息をついた。たしかにどこかで見たようなネタばかり描くとは思っていたが、まさかパクラーだとは思わなかった。信頼の置ける神絵師に裏切られたショックは大きい。
     ああ、今日は厄日なのだろうか。
     いや、今日だけではない。ずっと前から、俺の人生は不幸の連続だった。
     この世界にはクズしかいない。クズばかりが幅を利かせ、クズだけが生き残り、クズがクズと結婚し、クズを産む。こうして世界は余すことなくクズまみれになるというわけだ。俺のようにクズになれない人間はいつも損をする。
     思い返せば、高校受験に失敗したのが運の尽きだった。その後の編入試験にも落ち続け、地続きで大学入試にも落ちた。親のツテで入った会社はブラック企業だった。すぐに辞めて、しばらくニートをしたあと、日雇いのアルバイトをするようになった。そこでも出会う人間はクズばかりだった。この世界には、俺以外、クズしかいないのだから当然である。
     俺は小学生のときから使っている学習机の引き出しから、丸めたティッシュを取り出した。その中には、携帯のSIMカードのようなかたちの小さな金属の欠片が丁重にくるまれている。
     そういえば、あの四人の動向はいまでもSNSで追っていた。
     どうせあの手合いの『ツラだけはいい女』は、軽率に水商売でもはじめて、金持ちの男に見初められ、優雅な専業主婦様コースに乗るに違いないと踏んだからである。その後は華やかで見栄えのいい生活と家族写真を餌にバズりまくり、インフルエンサーとして金を稼ぐようになるというのがお決まりのパターンだ。
     ヤンキーだった過去も都合よく“なかったこと”にして、人生の上昇気流に乗る。俺が必死に努力してようやく掴める暮らしを、あいつらは持って生まれた遺伝子だけで手にすることができるのだ。
     当然、そんな理不尽が許されるわけがない。
     だから、俺は四人のSNSを何年も追い続けた。金持ちの旦那と結婚して専業主婦様やインフルエンサーにでもなろうものなら、当時の奴らの悪行を事細かに記した記事をネットの海に放流してやろうと思ったのである。ソースはなくとも、証拠と銘打って卒業アルバムの写真を載せれば、信じる者も多いはずだ。
     しかし、俺の予想に反して、四人は未だに独身であるらしい。公表していないだけかもしれないが、すくなくとも投稿する写真からは一切、家庭や特定の男の気配が匂わなかった。

     ミスラは未だにモデルを続けているようで、まあ宣伝のような投稿が多かった。噂によれば、アカウントは事務所が管理しているらしく、その大半が業務的なものと隠し撮り風の他撮りである。あまり仕事をしているようには見えなかったが、私服の大半がハイブランドなあたり、随分リッチな生活を送っているらしい。あと当時と変わらず無駄にスタイルのいい女からは金の匂いがぷんぷんした。モデルをきっかけに金持ちの愛人にでもなったのかもしれない。この女が他人に媚びているところは想像できなかったが、きっと外観だけでしこたま貢いでくれる男が山ほどいるのだろう。

     オーエンは食べたスイーツの画像しか載せない飯テロbotになっていた。それ以外の投稿は皆無である。見ているだけで胃もたれしそうなアカウントだったが、興味本位でモノの値段を調べて見ると、とんでもない値段のものが幾つも紛れ込んでいることに気づいた。中には、希少価値が高く、一般人の口にはまちがっても入らないであろう菓子まで掲載されている。しかも気に入ったのか、オーエンは定期的に、その法外な値段の菓子の画像を投稿していた。つまり、こいつも金持ちなのだ。もしくはパパ活でもやっていて、他人の金で高い飯を貪り食っているだけなのか。

     ブラッドリーはバーベキューや海水浴といった、一見地元に固執するマイルドヤンキーのような投稿をしていたが、背景のスケールが違った。どれも明らかに海外なうえに無駄な高級感が漂っている。ときどき投稿されるブラッドリー本人はすっかりセーラー服とは無縁の大人の女になっていたが、かなり羽振りがよさそうな感じだった。こいつも例のごとくハイブランドを着ており、身につけている宝飾品の数々は素人目でも高価なことがわかる。仕事内容まではわからないが、一般的な会社勤めではないことだけは確かだった。大方、キャバ嬢とか愛人とかその類だろう。

     ネロは個人のSNSを見つけることができなかったが、死に物狂いで探した結果、仕事用のアカウントを見つけることはできた。水商売ではなく、個人経営の料理屋の宣伝アカウントである。あまり大きい店ではないようだが、食べログの評価は上々で、店主が美人だという投稿も多く目についた。地元からは離れているため、俺は一度もその店に行ったことがない。行きたいとすら思えなかった。どうせ男の援助で開いた店だろうが、この歳で自分の店を持つというのは、勝ち組以外の何者でもないからである。

     予想とは違えど、現在進行形で順風満帆な人生を送っているであろう元同校の女たちを思うと、俺は毎回辛酸を舐めたようなきぶんになった。
     これだから、女は嫌いなのだ。元ヤンの低学歴の馬鹿でも、ツラがいいだけで人生が確約されている。
     俺が必死に努力しても手に入れることができなかった暮らしを、奴らは生まれ持った美貌と女体という遺伝子の恵みだけで、難なく手にすることができるのだ。挫折や不幸といった苦い経験とは無縁の人生はさぞかし楽しいことだろう。さぞかし輝いていることだろう。
     しかし、それも風前の灯だった。いかに容姿が優れていようとも、女の魅力は年齢に比例する。
     奴らは老いれば老いるだけ価値がなくなり、最後は売れ残りとして、自分より圧倒的に劣る遺伝子ガチャドブスと同じワゴンに陳列される運命にあるのだ。
     その点、男は外見も年齢も関係ない。何歳からでも、人生をやり直すことができる。現状は底辺スレスレを漂っているが、俺はまだいくらでもやり直すことができるはずだ。
     アルコールを一気に喉に流し込む。空になったので、またあたらしい缶を開けた。酒が回ってきたのか、次第に思考が靄がかってゆくのがわかる。はやく酩酊して、このまま朝までねむってしまいたい。そして、このまま苦しまずに死んでしまいたい。
     俺はティッシュをはらりと捲り、金属片を手のひらに出した。
     見れば見るほど小さくて薄っぺらいカードは、いまのところなんの役にも立っていない。むしろマイナスの効果があるのではないかと勘繰ってしまうほど、俺の人生は不運の連続でしかなかった。
     ――「きみを特別にしてくれるものだよ」
     特別というのは都合のいい言葉だ。基本的にはいい意味として捉えられがちだが、実際には悪い意味としても用いることができる。あの女は、きっと俺に後者の特別を握らせたのだろう。
     それでも未だ手放さないでいるのは、この欠片の効果を信じてのことだった。これだけの不幸を招く力があるならば、反対に、一度くらいは幸運を招く力を秘めていてもおかしくはない。
     俺は欠片を握りしめて、いつものように強く祈った。
     ――あー宝くじでも当たんねえかな。買ってないけど。それか俺の画力に目をつけた出版社からスカウトがきて……とにかくなんでもいいから有名人とか金持ちになりたい……それで激安風俗の老婆じゃなくて、いい女とセックスがしたい。たとえば、いい暮らしをしている女……人生を舐め腐ってる生意気な女……挫折を知らないあまったれた女どもを俺のおちんぽ様で躾けてやるんだ……綺麗な顔面にザーメンぶっかけて、生意気なケツをぶっ叩いて、おもいっっっきり中出ししてブサイクなガキを孕ませてやりたい……もちろんヤり逃げ……馬鹿なガキはかわいくないからな……どうせ俺を見下すに決まってる……でも親子丼は、いいな…………。
     なんてことを考えているうちに、俺は完全に睡魔に呑まれていた。散乱したゴミを押し退けるようにして床に転がり、近くにあった座布団を枕替わりに敷く。ベッドまで移動するのも億劫だった。風呂も飯もまだだったが、もう今日は無理だろう。
     目を閉じて、全身の力を抜いて、泥のように深い眠りの中にずぶずぶと沈んでいく。特別なことなどなにも起こりはしない、いつものようにありふれた一日の終わりに、俺はただ緩慢に身をゆだねた。
     ガッシャーーーーーンッッッ!
     しかし、ありふれた日常とは無縁の爆音と衝撃に、俺の意識は安寧な泥の中から、強制的に引きずりだされたのである。

    「えっ…………?」

     一瞬、なにが起こったのかわからなかった。
     ただ、俺はこの音を知っている。そうだ。これは高校時代、日常的に聞いていた音の一つ、校舎の窓ガラスが叩き割られる音。それが至近距離で聞こえたということは、つまり、つまり――。
     あわてて体を起こすと、予想通り、部屋の窓ガラスが派手に割れているのが見えた。割られた、という言葉が適切なのかもわからないほど、見事に粉砕されている。
     窓ガラスは結構頑丈で、衝撃を加えた箇所を中心にして、歪な形状に砕けるのが通常だ。すくなくとも、たった一撃で綺麗に粉砕できるほど、脆い素材ではないはずである。
     しかし何度見ても、俺の部屋の窓ガラスは見事にすべて吹き飛んでいるのだった。
     近所のクソガキが悪戯に石を投げ入れたところで、こんな風に砕け散ることはまずない。これはあきらかにプロの犯行である。あのゴミ溜めに三年間も通った俺が言うのだから間違いはない。
     強盗や猟奇殺人と言った不穏なワードがあたまに浮かんだが、それにしては、犯人らしき者の姿が見当たらなかった。
     吹き抜けになった窓が、夜をそのまま写している。そういえば今日の月はやけにデカかった。異様なほどに明るい月光がだらりと流れ込み、薄暗い部屋を煌々と照らし出す。にゃあにゃあ、とどこかで猫が騒ぎ出した。なにもかも、不気味な夜だった。
     ――パンッ!
     そのとき、唐突に発砲音のような音が鳴った。

    「ハッピーバースデー!」

     やけに開放的になった窓辺に、ふたつの影が姿を現す。よく見ると、彼らの手にはクラッカーが握られており、それは俺に向かって盛大にぶちまけられていた。紙屑がはらはらと視界を汚す。
     一応言っておくが、今日は俺の誕生日じゃない。誰かに祝われるような日でもなかった。第一、こいつらは一体誰なんだ。
     月の光を背に受けてたたずむのは、つくりもののように愛らしいふたりの子供である。性別すらわからないほど未成熟で、まるで生き写しのように整った顔がにこりと微笑む。表情から首の傾げかた手の添えかたまでぴたりと一致したふたりの挙動を、俺は唖然と見つめていた。

    「おめでとう! そなたは月に選ばれたのじゃ!」
    「おめでとう! そなたは魔法少女の一員じゃ!」

     ふたりのこどもが、そう高らかに宣言する。

    「今日から命懸けで厄災と戦ってもらいまーす!」
    「拒否権はないぞ。世界のために身を粉にして働いてもらう」
    「給料はないが、とってもやりがいのあるお仕事じゃ」
    「当然福利厚生もないが、アットホームで楽しい職場です」

     困惑する俺をよそに、ちいさな口から矢継ぎ早に紡がれる言葉たちが脳味噌に吸収されてゆく。
    魔法少女、月、厄災といった非日常的な言葉と、聞き慣れたブラック企業の常套句。叩き割られた窓ガラスとインスタ映えしそうな子供の変な言葉遣い。
     すっかり酔いの醒めたあたまが状況を整理しようとして、その度にぐわんぐわんと頭痛を生む。
     ふたりはズカズカと部屋の中に入ってくると、床に尻を着いたまま惚けている俺の前に立ち、にっこりと微笑んだ。子供とはいえ、やっていることは完全に犯罪だったが、愛らしく、天使のように清廉な笑みを浮かべるふたりの姿が善悪の境界を有耶無耶に掻き乱す。
     黙ったままの俺を不審に思ったのか、グッと揃いの顔を近づけてくる。直後、ふたりは同時にパッと俺から飛び退いた。それから同時にこてんと首を傾げる。

    「えっと……ミスラちゃん?」
    「イメチェンとか……した?」
    「…………ミスラ? 俺が?」

     意外な名前な飛び出したことに、俺は純粋に驚いてしまう。ふたりは再び揃いの顔を見せると、「むむ」とちいさく唸った。

    「……お名前とか、聞いてもいい感じ?」
    「その……小さいチップみたいなものに心当たりは?」

     チップ、と聞いて、思い浮かべたのは手中の破片である。昔オーエンにつかまされた、不幸ばかりを招くのろいのチップ。
     そういえば、これは元々ミスラの股から出てきたものではなかったか。

    「あ、我らぜんぜん怪しい者とかじゃないんで」
    「こんなに愛らしい双子が不審者なわけないもんね」

     双子はきゃっきゃと互いを褒め合うと、もう一度、重ねて問うた。俺の名前と、それから例のチップについてのことを。
     俺は素直に、自分の名前をフルネームで伝え、かたく握りしめたままのチップをおずおずとふたりに差し出した。よくわからないが、目当てがこれならば、さっさと渡してしまったほうがいいと思ったのである。
     見た目の愛らしさに騙されそうになるが、このふたりがやっていることはほとんど強盗のそれだ。窓ガラスを一撃で粉砕できるような武力を持った強盗相手に金を出し渋る命知らずな人間なんて、はたしてこの世にいるのだろうか。
     双子は受け取ったチップをしげしげと眺めると、「本物じゃ」「本物じゃな」と口々につぶやいた。

    「どうなってるんじゃ? オーエンは犬になっておった」
    「ブラッドリーはお魚さんになっておった」
    「まさか……」
    「まさか……」

     俺は何年も前、高校の廊下で体験した、あのイカれた出来事を思い出していた。当時あの場にいたミスラ、オーエン、ブラッドリー、ネロの四人は、チップがなんなのかを知っているような口ぶりだった。そして特別だと嘯かれたものの、ミスラからすれば、自身の肉を切り裂いてでも摘出したかったチップである。
     非常に嫌な予感があたまを支配して、暑くもないのに、背筋をじっとりとした汗が流れていくのがわかった。双子は顔を見合わせると、幼い顔には見合わない、重たいためいきをこぼす。

    「あやつら、せっかくのΝew紋章を抉り取ったな」
    「まったく、無駄な悪あがきを……」
    「女の子だし、スパとかナイトプールとか行きたいかな〜って配慮してやったというのに……」
    「カレシと温泉デートは外せないよね〜っていう我らの親心を無駄にしおって……」
    「運命からは死んでも逃げられぬというのに」
    「まったく、困った子たちじゃのう」
    「とんだ不良生徒じゃな」
    「きつ~いお仕置きが必要じゃな」

     相変わらずよくわからないことばかり語る双子の背後にそびえる、かつて窓だったものに、俺はさりげなく視線を投げた。いまなら逃げられるだろうか。あそこから身を投げるためには双子の横でも間でも、とにかく通過しなければならないのだけれど。一か八かに賭けてみるか、と思ったところで、恐怖にすくんだ足はピクリとも動かないままだった。
     そんな俺の葛藤をよそに、物憂げな顔から一変、双子はふふんと不敵な笑みを浮かべる。

    「まあ、後日てきとうにつれもどすとしよう」
    「今日は代理でそれっぽく誤魔化すとしよう」

     そう言って、ふたりはあらためて俺に向き直った。未だにこの状況には理解が及ばないままだったが、『代理』という言葉が、俺を指していることだけはかろうじて読み取ることができる。

    「さて、当然、魔法少女の醍醐味といえば傷だらけになって戦う美少女じゃが……」

     双子は顔を見合わせると、花のように笑った。

    「まあいっか」

     寸分の狂いもなく、綺麗に重なった声で言いながら、ウンウンとふたり納得したように頷く。

    「そなたも変身すればいい感じに美化されるじゃろ」
    「凶暴な闘犬もキュートなポメラニアンになったし」
    「お魚さんは死んでしもうたがのう」
    「適正のない者には、ちょっと痛いかもしれんが……」
    「最悪死んじゃうかもしれんが……」
    「世界平和のためだもんね」
    「世界が滅びたらみんな死んじゃうもんね」

     硬直したままの俺に、双子が例のチップを握らせる。俺は昔、オーエンにこれを掴まされたときのことを思い出した。
     まるで生者のように温かな手のひらと、死者のようにつめたい手のひらにぎゅっと拳をつつまれて、ああ死ぬんだな、と他人事のように思った。俺は今日ここで死ぬ。いま、死ぬ。何一ついいことがないまま、多額の不幸だけを先払いさせられて、元を取るまえに俺の人生は終わるのだ。
     双子は視線を合わせると、せーの、と声を合わせて、なにやら聞き慣れない言葉を口にした。

    「ノスコムニア」

     瞬間、俺の手中で例のチップがまばゆい光を放つ。

    「まあ我らもそこまで鬼ではない」
    「詫びに、願いの一つくらいは叶えてやろう」

     双子は申し訳なさそうに言ってから、俺のあたまをゆっくりと撫でた。

    「そなたは物分りのいい、いいこじゃからな」
    「そなたはやさしいこじゃ」

     口々に囁きながら、小さな手のひらが頭蓋をなぞる。そんなふたりに、俺はなぜか、恐怖とはべつの意味で泣きそうになっていた。思わず嗚咽を漏らしそうになった俺を、双子はやさしく抱きしめてくれる。
     酒と汗にまみれた底辺の体を包み込んで、「大丈夫、大丈夫」「こわくないよ」とゆっくり背中をさすられた。

    「さあ、そなたの願いはなんじゃ?」
    「願い……」

     願い、と言われて、俺のあたまに浮かんだのは、『有名かつ金持ちになりたい』というものだった。しかし、双子はふるふると首を横に振る。どうやら俺の願いは漠然としすぎているらしく、もっと具体的でリアリティのある願いでなければ駄目らしい。
     つぎに浮かんだのは、『いい女とセックスしたい』というものだったが、これにも双子は首を振って答えた。――現実的で具体的で、尚且つ、そなたの真の願いでなければ駄目なのじゃ。
     しばらく、俺が思いついた願いを言っては、ふたりに却下されるだけの時間が続いた。
     あれもだめこれもだめと言われ続け、俺はとうとう、「なんなら叶えられるんだよ」と文句を言ってしまう。ふたりは顔を見合わせて、「ならば、こちらに聞いてみよう」と俺の手を握り、また聞きなれない言葉を口にした。
     瞬間、手中のチップがぱあっと再び鮮やかな光を放った。双子がにっこりと俺に笑いかけてくる。

    「成功じゃ」
    「成功じゃな」

     チップから漏れた光の渦がゆっくりと俺の前に集っていった。見る見るうちに膨れ上がった光の集合体は、まるで人間のようなかたちを成したかと思うと、ぱあっと弾けるように霧散する。
     あまりのまぶしさに顔を覆った俺の耳にカツンと硬質的な音が届いた。おそるおそる目を開けると、凶器のようなピンヒールが視界に飛び混んでくる。
     そこから伸びた脚を、俺はゆっくりと目だけで辿っていった。すらりと伸びた長い脚、馬鹿みたいに短い黒のミニドレスの裾。女らしい体のラインにぴったりと沿うようにして作られたそれのさきには首があり、首の先にはあたまがある。
     そしてとうとう俺の視線がその女の顔に行き着いても、俺は驚きのあまり、言葉を発することすらできなかった。

    「うわっ! なんだこりゃ……っ!」

     俺の前にいたのは、なんとブラッドリーだった。
     この女とは当然、高校を卒業してからは一度も顔を合わせていない。当時だって、面と向かって話す機会は皆無に等しかった。元々、俺とこいつは住む世界が違う人種だったのだ。
     なぜ、俺の願いを聞き届けた結果、この女が召喚されることになるのだろう。
     女は唯一手にしていた酒瓶とグラスを交互に見比べて、薄赤い目をぱちぱちと瞬かせている。俺だって、おそらく奴と似たような顔をしていた。
     どうしてこの期に及んで、学生時代苦手意識を抱いていたヤンキーと再会しなければならないのだろう。どんな嫌がらせだ、と思いながら、俺は手中のチップに視線を落とした。いつも見ていたものと変わらない、ただの金属の欠片のようなものが無言でたたずんでいるだけだった。

    「おお、ブラッドリー!」
    「ブラッドリーではないか! 探す手間が省けたのう」
    「は!? なんでてめえらが……チッ!」
    「これこれ、逃げるではない」
    「悪い子にはお仕置きが必要じゃな」
    「ふっ、ざっけんな、離しやがれ……! こんの……っ!」

     双子の姿を見つけるや否や、ブラッドリーは窓から飛び降りようとする。すこしの前の俺が実行できなかった逃走術だ。しかし、ふたりは「逃がさぬ!」と即座に飛びついて、彼女の逃走を未然に防ぐ。
     ふたりの子供にがばりとしがみつかれ、身動きの取れなくなった女を見て、逃げなくて正解だったな、と俺は自分の判断を賞賛した。
     しかしブラッドリーは諦める気など毛頭ないようで、なりふり構わずに暴れ回る。華美な装飾品がガチャガチャと音を立てて軋み、相変わらず馬鹿みたいに短い布地からは完全に下着が露出していた。
     すごいのを、履いていた。
     なんて言えばいいのかはわからなかったが、とにかく、ものすごく、すごかった。
     不意に、双子を背負ったままのブラッドリーがこちらを振り返る。俺は思わず身構えたが、それはあくまでも一瞬の出来事だった。女は即座に、俺への戦力外通告を目だけで済ませると、再びひとりで暴れ出す。ブラッドリーの必死さに反して、双子はまるで遊んでいるかのように、きゃっきゃっと声を弾ませていた。
     やはりなにかの間違いではないだろうか。一応こちらは死をチラつかされているわけで、もしかするとこれが生前最後の逆転チャンスかもしれないというのに、何故よりにもよってこの女が出てきたのだろう。
    俺がいくら懇願したところで、この女がヤらせてくれるとは毛頭思えない。
     むしろ、さきほどの視線は完全に俺を見下していた。学生時代から今日に至るまで、空気のように浴びせられてきた鋭利な視線。慣れた視線。
     人生最後の日なんてそう劇的なものではないと以前どこかで見たような気がするが、それにしても、これはあんまり過ぎるのではないだろうか。やはり不幸のチップだった、と俺は今頃スイーツを貪り食っているであろう女の顔を思い浮かべる。幽霊になったらまっさきに呪い殺してやるからな、と捨て台詞のようなことを思いながら、俺は双子とブラッドリーのトンチキな攻防に視線を戻した。
     せめて冥土の土産に、あの女のえろいパンツぐらいは目に焼き付けておこう。
     しかし俺の視線が向いたのは股ではなく、以前よりも大人びたブラッドリーの顔だった。一度逸らされた視線がなぜかこちらに戻ってきていたからである。ブラッドリーは訝しげな、まるで不審者でも見るような目を俺に向けていたのだけれど、俺と目が合った瞬間、大ぶりのネックレスをまとった首が九十度傾いた。

    「あ? おまえどっかで……あっ!!! てめえ、あんときのむっつりヤローじゃねえか!!!!」

     高らかに不名誉なあだ名を叫んだブラッドリーが、ビシッとゆびを指してくる。双子が思い出したようにこちらをくるりと振り返った。相変わらずジタバタともがきながらも、どこかスッキリしたような表情でブラッドリーが頷く。
     彼女は、「おまえぜんぜん変わってねえな」と感心したように言うと、「知り合い?」「どういう関係?」と首を傾げた双子に、「高校んときの同級生」となんの躊躇いもなく、ただ事実だけを返した。
     それを見て、俺はすとんと何かが腑に落ちるような感覚を覚えた。どうしてこの女が呼ばれたのか、なんとなく、わかったような気がしたのだ。長年わだかまっていたものが、胸のあたりにつかえていたものが、あちらからすれば日常会話にも等しいであろう何気ない言葉で、綺麗さっぱり取り払われてしまった。
     会話の隙にと逃げ出そうとしたブラッドリーに、双子が例の言葉を口にする。つぎの瞬間、彼女は電池が切れたロボットように動かなくなり、その場にどさりと派手に倒れ込んだ。
     双子はふうと華奢な肩を撫で下ろすと、あきれたように言う。

    「まったく、とんだじゃじゃ馬じゃな」
    「相変わらず、やんちゃな子じゃのう」

     双子はブラッドリーの体をひょいっと避けると、そのまま俺のほうへと足並みを揃えて向かってきた。あっという間に正面まできたふたりの子供がにっこりとやさしく笑いかけてくる。

    「そなたの願いは叶ったか?」

     無言で頷く俺に、双子が静かに頷き返してくる。

    「そうか、叶ったか」
    「よかったよかった」

     そう代わる代わるあたまを撫でられて、俺は思わず笑ってしまう。
     きっと、俺は誰かに見つけてほしかったのだ。
     そして、誰かに覚えていてほしかった。
     こんなクズでみじめで地を這うような人生だったとしても、誰からも底辺として踏みつけられるような存在だったとしても、俺という人間がこの世にいたことを誰かに覚えていてほしかった。
    『きみを特別にしてくれるものだよ』
     特別にはなれなくとも、誰か特別な人間に、俺を見つけてほしかったのだ。

    「ノスコムニア」

     双子が呪文を唱えた瞬間、俺の世界はぱあっとまばゆい光に包まれた。まるで眠りに落ちるときのように安らかな感覚が全身にじわりじわりと広がってゆく。暖かくて、心地よくて、おだやかなもので満たされたもので胸がいっぱいに満たされていった。このまま、こんな風におだやかなきもちで死ぬことができたら、きっと幸せに違いない。ああほんとうにクソみたいな人生だったな、と思った瞬間、俺の意識は暗闇の中に落ちていった。
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