ミルクパズルを染めないで お見合い相手のやる気がないとき、どんな対応をするのが良いんだろう。
初めて私と会話をする時に私の目を見ない男性はいない。いたとしても体を見るか、下を向いて黙ってしまうかの二択だ。芸能人のように可愛いというわけではないけれど、容姿に悩んだことはなかった。いつだったか、愛される才能があるのだと友人に言われたことがある。きっとそうなんだろう。そしてその才能を持っていれば、この世界を上手く生きていくことができる。
愛されることを一番に考えなさいと母は言っていた。それさえ考えていれば幸せになれると。母にとってそれはきっと本当で、私にとっては半分足りない。残りの半分は、母の言うことを守るということだった。だから両親の選んだ学校に入り、両親がプレゼントしてくれる鞄で出かけた。短いスカートの女の子は本当の幸せを手に入れることができないのだと父は言って、男の子をコントロールしなさいと母は言う。父には秘密でそれなりの恋愛をしたし、男性という存在のこともそれなりに好きだった。私を求める恋人は可愛いと思っていた。
二十五歳になって初めて、「結婚相手は決めてあげるからね」と母に言われた。私は母に紹介するほどではなかった恋人と別れ、お見合いをすることになる。三回目のお見合いも変わらずに「初めてだから緊張します」と笑って、相手の親と歓談する。
広瀬大地は私の目を見なかった。つまらなそうに魚をほぐす仕草を見て、なんだかちぐはぐな印象を受ける。口元は笑っているのに、やっぱり私に興味はなさそうだった。
「休日は何をしてらっしゃるんですか?」
そう話しかけると、ちらりとこちらを見て、すぐに手元へ視線を戻す。
「休みとか曖昧だなあ」
自営業だから、と続ける言葉は更に小さい。私だってあなたに恋をしているわけではないのに、この場を取り繕うことさえしないのかと少しだけ腹が立った。
彼の母親は隠したいようだけど、職業が探偵だということは既に母から聞いて知っている。もしかすると、彼と結婚させる気はないのかもしれない。きっとその仕事は不安定だし、忙しいだろう。
「それならご趣味とか……!」
「えーと、パズル?」
「良いですね、私も以前作ったものを部屋に飾ってます」
指先を合わせて笑顔で言う。
「ピースが合うと心がすっきりしますよね。正しいことをしているって感じが」
彼も少しだけ笑った。私にはそれが嘲笑に見える。どうしてそう見えたのだろう? 彼に見下されるべきところなんてひとつもないのに。
「スッキリするんだ。よかったね」
暖かくも冷たくもない声音でそう言って、グラスに口を付ける。
この人にとって私はフラットな存在なのだと、その時になってようやく分かった。つまりはどうでもいいのだ。彼の世界に私は必要ない。
振り向かせてやりたい、と、そう思った。
母に目配せをして微笑むと、ぱん、と手を合わせてその場を仕切る。私とよく似た仕草だ。
「私たちは先に失礼しましょうか、大地さんと花さんには気楽にお話してほしいですから」
「ええ、そうですね。それでは」
主役を残して親たちが立ち上がる。そんな時に、入口からどたばたと場違いな足音が聞こえてきた。グレーのスーツに身を纏い、額に汗を浮かべた黒髪の男が、焦った様子で個室に入ってくる。肩を上下させて、唇を震わせて、きらきらと光る目が一人だけを見ていた。
「せ、先輩……!」
私の向かい側では、主役であったはずの人間が立ち上がる。
「レイン……!」
「迎えに来ました」
早く、と手を伸ばす男に向かって彼は飛び込む。
「お母さん、花さん、ごめんなさい……俺、こいつ以外と結婚できません……!」
芝居がかった言葉のあとで、広瀬大地は隣の男の頬を片手で掴みキスをする。まあ、と怒ったような声が響き、非現実感を加速させる。
「う、うわ、えーと」
何故か焦ったような顔をした男は、覚悟を決めたのか、腕を引っ張って部屋を出る。
「ごめん、お母さん……ごめんね……っ」
口元を隠して眉を下げた姿が見えなくなるまで、誰も動くことができなかった。
ドラマみたいだと思った。ドラマのように馬鹿みたいだった。だけど、見とれてしまった。
母の荒れようは言うまでもない。
「そんなこと言ってもねえ。広瀬さんに何を言われても、本人に謝る気がないだろうし」
刺々しさを包んだ言葉は、電話の向こうで弾けているようだった。
お見合いから逃げ出した息子に謝罪をさせたいらしいというのは、ここのところ毎日かかってくる電話から窺い知ることができた。どうせ関係を修復することはできないわけだし、もう関わらなくていいだろうと思うけれど、元々母親同士は知り合いらしい。相手にとっては重大な失敗なのだろう。
「気にしないでくださいな。こんな頻繁にお電話をいただくのもねえ」
ため息を吐く母を見て、ふと思う。
「お母さん、電話代わってもらってもいいかな」
「ええ? 良いけれど……謝罪、いらないでしょう」
「うん、でもね、ひとつ教えてもらえたら嬉しいなあって」
不思議そうに首を傾げる母に向かって、自然と笑みがこぼれた。
「欲しくなっちゃったの、あの人のこと」