「おまえ、何なんだそれは」
「……マイマスタァ、その隣の男はどこから連れてきたのですかな」
道満の整った顔が引きつった。今一番会いたくなかった男が、主人たる少女の隣に立ってこちらを睨みつけているからだ。
少女はバツが悪いのか、道満と目を合わせない。そのことが、またいやに道満の不安を煽った。嫌すぎる予感に道満の鼓動が早くなる。
「うーんと、晴明さんなら何とかしてくれるだろうって、鬼一師匠が、あぁいや、やっぱり今のナシ、じゃなくて、道満が心配だったんで、それで、ええと、とにかく! えーと、その、後は宜しくお願いします晴明さん! 暫く道満は周回休んでていいから! じゃっ!」
「マスター! 殺生な!」
ぷしゅ、と音を立てて部屋の扉が閉まった。だだだだと廊下を走って遠ざかっていく足音に混ざって、「どーまん! ごめん! でも自業自得だと思う!」と少女の声が微かに聞こえてきた。
部屋には蘆屋道満と、未だカルデアとは縁を結んでいない筈の安倍晴明と、そして──道満を覆うように巻き付いている大蛇が残されたのだった。
「説明してもらおうか、道満」
晴明がしゃしゃり出てくるのなら、さっさと食っておくのだった。思ったところで遅いのだが。とんでもない圧をかけながら一歩一歩近づいてくる晴明に、道満はンンンと低く唸った。
************
「ほぉう」
沼地に建てられた祠の中に、それはいた。
暗がりに目を光らせて、しゅうしゅうと音を発している。赤い舌がちろちろと覗く度に、鋭い牙もぎらりと光った。
「これはなかなか」
道満は口の端を吊り上げて笑う。祠の奥から感じる巨大な妖気に興奮で身震いする。
「こんな僻地へのレイシフトというから対して期待はしていませんでしたが……よもやこれほどの大物がいようとは。なんてことはない特異点にも付き合ってみるものですな」
膨大な妖気の中に、清涼な気配も混ざっている。間違いない、この地において神と称される類のものだろう。
「喰らえばさぞ力になるでしょうねェ!!」
新たな神格を手に入れて打倒晴明に一歩近づくのだ。祠の入口で舌なめずりをしていると、ずるりと地を這う音がした。
巨大な身体を引きずって、祠の奥のものが出てこようとしている。
道満の目が怪しく光る。爪に纏った呪が噴き上がる。式が蛾のように周囲に舞う。
迎撃態勢は万全。特異点の沼地の神ごときを倒せずして天の星は落とせまい。だんと勢いよく地面を踏みしめる。
「──来い」
道満の低い声に呼応するように、祠からぬるりと這い出てくるものがあった。道満の体躯をゆうに超える程の太さを持つ巨大な蛇だ。銀色の鱗が日に照らされてきらりと輝く。晴天の海原を思わせる眩しさに、思わず目を細めた。
蛇は腹の鱗を地面に擦り付けながらゆっくりと道満の目の前にやってくると、恭しく頭を下げた。
「は?」
思わず間の抜けた声が出た。
蛇は獲物を絞め殺してから喰らうというが、そのような素振りは一切見せない。ましてや噛みついてくる気配も無い。敵意を全く感じない。
それどころか蛇は道満に擦り寄ると、道満の身体に頭を擦り付け始めた。予想外の状況に混乱する。
「え、あ、何。何です一体」
「お、お、お〜ま〜え!おまえ、なにしてんのそれ!ど〜まん!ひーっ、え、なになに。ふーん、ええと。ははぁ、成程成程! あっははは、ひっ、ひひ、ふふあははは!!」
急に割って入った女の声に驚いて振り向くと、鬼一法眼が宙に浮かんでいた。マスターに着いていっていた筈なのに、いつの間にここに来たのか。足を組んで座るようにして浮いている。天狗の顔に浮かぶのは、楽しくてしょうがないといった満面の笑みだ。嫌な予感しかしない。
「ええ、でも、それはちょっと……。うんうん、まァ確かにそうだが。というか何だお前、趣味悪ゥ~~」
笑いながら何かと会話をしている様子の鬼一に道満は叫ぶ。
「何がどうなっているのですか! 拙僧はこの蛟を取り込みたかっただけなのですが」
「おまえ、昔から僕達みたいなヤツに気に入られやすかったみたいだが、今の姿だと更に好かれやすくなっているんだな。面白い」
「だから何が」
「この蛟はおまえを番にしたいんだとさ。妖力も高い上に女の胎もある、そして何より神格を宿している。神の子を産むのにぴったりだとさ……あーっはははは! お前はれっきとした男子なのにな! あッはははっは!!!!」
鬼一が腹を抱えてげらげら笑っている間にも、蛟は道満の周りでとぐろを巻き始める。敵意を一切感じない相手を屠るのも躊躇われて、舌打ちをする。
「しかし何故」
「何故も何もないだろう。アイツの目をひたと見据えて”来い”って言ってただろ」
「一体いつから見て……。というか、そんなつもりで言ったのではないのですが!?」
「神なんざいつの世も自己中心的だ。都合の良いようにしか物事を捉えない。人の理の外にあるものの事なら、他ならぬお前がよく知っている筈だろう。なぁ、道満」
鬼一の琥珀色の双眸がつうと細められる。指で狐を形づくって、わざとらしく一声コンと鳴いた。
びきりと青筋を立てた道満を見て、鬼一はあははと笑う。
「とはいえ、だ。僕達が聖杯を回収した以上、この特異点は直に消滅する。この地に根付く土地神である彼もまた長くはないだろう。それも運命ではあるが、お前と会ったのもまた何かの運命だ。害を為す気はないようだし、喰うよりもこのまま連れ帰って宥めすかして式にでもしてしまえ」
かんらかんらと笑う鬼一を横目に、道満はふむと考えこむ。特異点のものとはいえ神は神。確かに式にしてしまうのも良いかもしれない。
「そうですねぇ」
ひんやりとした大蛇の鱗を撫でる。
目蓋の無い黒い瞳がじぃっと道満の事を見ていた。
少女は道満が引きずってきた大蛇を見て、遠い目をして言った。
「道満、駄目だよ。うちでは飼えないよ」
「マスタァ、これは拙僧の式神に致します。貴方の道満が、一層強くなるのですよ?」
「んっぐ」
少女は言葉を詰まらせた。目を瞑って、口をきゅうと引き結ぶ。
カルデアと縁を結んではや数か月。聖杯やロックオンチョコレートなるものを渡されていた道満は、少女からの己の評価を正しく理解している。勿論、嫁にするだのなんだのと面倒な事になりそうな部分は伏せた。もう一押しだと、吊り上がりそうになる口元を袖で隠した時だった。
「大丈夫さ、弟子よ。こいつは道満の害になる事はしない。なんたって道満を嫁にしたいやつだからな」
「えっ、嫁?」
道満は天を仰いだ。折角伏せていたのに、何故余計な事を言うのか。恨めし気に睨みつければ、鬼一はにかっと笑った。何笑っとんじゃこのダボ!と叫び出したい気持ちをぐっと抑える。
「言葉の綾ですよぅ」
「いや、がっつり孕ませたいって」
「えぇッ!!!?」
「ンンンンンンン!!!!!!!」
心配するマスターをなんとか説得して、無事に大蛇を使役する事に成功した。したのだが。
戻ってきたカルデアで所かまわず勝手に顕現しては、道満に巻き付いてくる。食事中、入浴中、睡眠中、エトセトラ。道満に纏わりついては身体をこすり付け、ちろちろと舌で舐めまわしてくる。蛇なりの愛情表現だと理解はしているが、迷惑この上ない。
使役したばかりで魔術回路が馴染んでいないのだろうとはわかってはいたが、顕現する度に道満の魔力はごっそり削られる。膨大な魔力を貯蔵できる霊基とはいえ、そう頻繁に出られては枯渇していくのは必然だった。数日もすると周回にも影響が出てしまい、部屋から出られなくなっていた。
「だから心配してたのに」
「面目次第もございませぬ」
道満に巻き付く大蛇は、赤い舌を出して道満の首元を舐めた。唾液に塗れた首筋からは、自分のものではない清い魔力を僅かに感じる。式となっても神としての権能は多少残っているらしい。道満が苦しまない程度の力できゅうきゅうと身体を締め付けてくるあたり、本当に道満自身に害を為す気はないようだ。
ベッドの上に座り込む道満を見ながら、少女の隣に立っていた鬼一が自信あり気にどんと胸を叩いた。
「言い出した手前、僕にも責がある。なんとかしよう」
「本当ですか! 鬼一師匠、よろしくお願いします」
「おまえ、何なんだそれは」
そう言って2人が部屋から出て行って暫く経った後、マスターが連れてきたのは座にいる筈の安倍晴明であった。隣に鬼一の姿は無い。マスターの目は忙しなく右に左に泳いでいる。
あンの糞烏、逃げよった! そうは思ってももう遅い。身動きがとれない道満は、冷たい目で見下ろす晴明を前に脂汗をたらりと零したのだった。
*************
「鬼一殿から話は聞いたよ。おまえ、私という者がありながら神相手に番ったんだな?」
「拙僧にそのつもりはありませんでした!」
「結果そのザマならば何の言い訳にもならんだろう。どれ、見せてみろ」
晴明が道満の手を取ろうとすると、ばちりと手が弾かれる。見えない壁が道満と晴明を隔てているようであった。
弾かれた晴明の白い指が黒ずんだ。肉の焦げる嫌な臭いが漂ってきて、道満は目を見開く。
「晴明殿?」
まさか、そんな。あの安倍晴明に傷がつくなど。
蛇は相変わらず道満に巻き付いていて、首元に頭をこすり付けている。時折ちろちろと舌を出しては、道満の顔を舐めた。道満の薄い唇を、蛇の真っ赤な舌が掠めた途端に晴明から膨大な魔力が迸った。
表情にこそ出さなかったものの、身が竦むようだった。冷ややかな圧が部屋に満ちる。壁にも僅かに亀裂が走った。
「道満」
滅多に聞く事のない晴明の低い声にどきりとする。
「おまえの式だから、払うのはやめてやろう。しかしね」
霊基を編み直しているのか、黒ずんだ指先がゆっくりと元の色に戻っていく。指先が背後の蛇を差した。
「私がまだ優しくできるうちに、彼にはお帰り願いたいものだな」
(此奴のこういうところが……!!)
言葉だけを捉えれば道満に選択肢を与えているように聞こえる。しかしその実、道満に拒否権は無い。
拒否をしようものなら、どんな酷い目にあうかなどわかりきっている。肉体的にも、精神的にも。それに魔力がほとんど尽きている今の状態では、一矢報いる事すら難しいだろう。
(しかし素直に応じるのは余りにも癪ではないか!)
ぎり、と歯噛みする。
「道満」
あからさまな怒りを向けられてなお、変わらず冷ややかな顔をしている晴明が静かに言った。いつの間にか片手で印を結んでいる。
「おまえも式が苦しむ姿を見たくはないだろう」
抑揚の一切無い淡々とした声にぞっとする。
晴明が小声で呪を唱え始めると。すぐに大蛇がしゅうしゅうと苦しそうに息を吐きだした。身体を這ったまま身悶えをする姿に、目の前が真っ赤になる。
「晴明、貴様!」
道満の怒号にも晴明は表情一つ崩す事はなかった。
蛇は鎌首をもたげて晴明を威嚇する。晴明の呪を直に受けて苦しい筈だが、主である道満を庇うようにして晴明に牙を剥き、案じるなとばかりに尾を道満の腕にするりと絡める。
どうにも晴明にはそれが面白くないらしい。無表情だった男の眉が微かに動いたのを見て、道満は舌打ちをする。このまま続けたところで式が弱るだけだろう。魔力が枯渇した今、道満に勝目はない。
(今回ばかりは、分が悪いか)
仕方ない、今回は引いてやる。今回は。今回だけは。
艶やかな鱗を一撫でする。
「拙僧は大丈夫です」
蛇がぴくりと動く。赤い舌が躍った。
「ですから、今は疾く戻られよ」
道満の言葉に、晴明の呪がぴたりと止まった。手は変わらず印を結んでいる。用心深い狐め、と心中で毒づく。
「次にあなたを喚ぶときは、この男の膝を泥で汚すときです」
大きな黒い瞳が、道満をじっと見つめる。晴明と道満の顔を何度か見た後、静かに単眼の黒い式に姿を変えた。かさりと音を立てて、道満の袖口に潜り込む。
「ははは、私に膝をつかせると? いやに強気じゃないか。そんなにあの式が気に入ったのか」
「神ごとき御せないようでは、あなたには勝てぬので」
吐き捨てるように言う。忌々しいが、本当にその通りだった。神とはいえ、式に下したものに振り回されているようでは星を堕とすことはできないだろう。
劣勢となっても尚曇る事のない道満の瞳を見て、晴明は笑う。
「ふふ。そうか、そうだな。いやあ、よかったよ。平和的に解決できて何よりだ」
晴明は印を結んでいた手をパッと開くと、口の端を吊り上げて笑った。
目は笑ってなどいなかった。
~以下スケベパート予定~
ケツ叩きでした。がんばろ。