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    凛潔/プロポーズする凛と鈍感力Maxな潔

    最低で最上な 心地よい闇から意識が浮上する。
     未だ重たい瞼を何度か瞬かせ、ついでに仰向けになっていた体を重力のままに横向きに変えた潔は自身の視界が鮮明になるにつれて、些細ささいながらも確実な違和感を覚え心臓が跳ねた。
     そのまま五本の指を動かし、ゆっくりとこれまでとは異なる感触を確かめてから目の前に引き寄せる。
     左手の薬指、そこに嵌った銀色のリング。何回見ても消えないそれが幻影ではない事を察した潔は、瞼同様に重たい身体の上半分を持ち上げてから隣でかすかな寝息を洩らしている凛を見つめる。
     と、同時にすぐさま両手で頭を抱えた潔は、グルグルと回る思考をまとめようと必死に昨夜の事を思い出していた。
     何故なら、この指輪の意図と嵌められたタイミングにまるで覚えが無いからだった。
     「やばい……やばい……えー……っと……?」
     もやがかった記憶の断片を綱引きの如くどうにか引っ張り出す。
     ついでに周囲に散乱したスーツ二着分と、二日酔い気味の体調にセックス後特有の腰にくるダルさも加味する。
     焦る潔の横で呑気に眠っている凛は、寝顔ですらも完璧な美しさを保っていたが、今の潔にしてみればまさに起こしてはならない獅子にしか見えなかった。

     "青い監獄ブルーロック"から数年が経ち、凛はフランス、潔はドイツに渡り、それぞれが所属しているチームの要として日夜フィールドで戦っている。
     そんな二人が何の因果かしとねを共にするようになったのは、偶然に偶然が重なった結果だった。
     互いを極限までたかぶらせるような試合の直後、飲みなれていない酒を飲み、売り言葉に買い言葉で、気が付けば二人は凛の自宅ベッドであられもない恰好のまま大の字になっていた。
     でもあれが一夜の過ちにならなかったのは、凛が忘れる事を許さなかったから。
     それどころか、当然のように次回を要求してきた凛に、潔は呆れ半分喜び半分という気持ちのままそれを許容した。
     潔としても凛と過ごした夜は、初めてだとは思えないくらいに相性が良かったので。
     その後は予定があえば一緒に出掛け、当たり前のように夜は双方の自宅に泊まる事を繰り返した。
     しかしながら凛はこの関係性を言葉で表すのはせず、潔もまた言及する気は無かった。
     恐らく凛にとって自分は最も都合のいいセフレなのだろう──それで納得していたからだ。だから昨夜もそのつもりで凛の誘いを受けた。
     でもよく考えてみれば、そこかしこに違和感のピースは散りばめられていたのだ。

     珍しく事前に凛からメッセージが来て、昨晩は言われるがままにスーツを身に纏い、指定された待ち合わせ場所に向かった。
     パパラッチ対策なのか、颯爽とタクシーで潔の前に乗り付けてきた凛とドレスコードのある三ツ星レストランの重厚感あふれるドアをくぐった時、潔は試合でも感じないくらいの緊張を覚えていた。スーツ姿の凛がいつも以上にカッコよく見えたのもある。
     洗練された所作に加え、潔にしか読めないだろう穏やかな笑みをテーブルの向こう側で零す凛はもはや別人のようにすら思えた。
     だからワイングラスを傾けるスピードが速まってしまったのは覚えている。
     そこからは本の虫食いのように記憶がさらに途切れ途切れではあるものの、締めていたネクタイを剥ぎ取られ、丁重にスーツに包んだ身体を暴かれて、セットした髪を振り乱して獣のようにめちゃくちゃに肌を重ねた。
     組み敷かれた最高級ホテルのベッドの柔らかさと、けして逃がす気は無いとばかりに握り込まれた手の温度。それからいつも以上に熱を帯びたターコイズブルーの眼差しが掻き上げるようにセットしていた筈の前髪の隙間から覗く様は、印象深かったのかハッキリと残っている。
     潔が凛の見目の良さに盛り上がってしまったのと同様に、凛もまたいつもより興奮していたようだった。
     ────そのあたりでプッツリと途切れた記憶は、もう潔ひとりでは辿れない。

     「……ん……」
     寝ていた凛が不意に声をあげる。そのまま長い睫毛が羽ばたくように動いて、ゆるりと焦点を結ぶ。
     「……お、はよ……凛……」
     「……はよ……」
     寝ぼけているのかもしれないが、想像以上に穏やかな声を発した凛にこの疑問をぶつけるのは流石の潔でも心苦しかった。
     でもここで聞かなければ、聞く機会が一生失われる気がして、勇気を振り絞り凛に向かって声をかける。
     「……あの……さ、……凛……この指輪……なんだっけ……」
     「…………?」
     「いや、あの……」
     起き抜けだというのに、地を這うような低音にすぐさま切り替わった凛の声が潔の鼓膜を揺らす。
     対応をマズったと潔が理解した時には、俊敏な動きで凛が横たえていた体を起こしていた。
     綺麗な筈の目が血走っている。そうして血管が浮き上がった腕の太さが今は逆に恐ろしい。
     近頃はフィールドでしか見なくなった殺気立っている凛に、本気で殺される可能性すら脳裏に過ぎった。
     「テメェ……」
     「わー! ごめん、俺、昨日酔ってて途中の記憶が……」
     「座れ」
     「……座るって……どこに……」
     「座れッつってんだろ」
     「……ひぇ……」
     凛の背後からどす黒いオーラが溢れ出ている気がして、息を呑む。
     これ以上の不用意な発言はこの場で血を見る事になると察し、潔は被っていた布団から這い出る。そのまま柔らかなベッドの上で姿勢を正し、正座してみせた。
     何が悲しくて、起きて早々パンイチで正座する羽目になっているのだろう。その上、向き合っている凛の絶対零度の視線が潔を貫く。
     こんなに激怒している凛は久しぶりなのもあり、どれほどの暴言を吐かれるのかと俯きビクついている潔に飛んできた言葉は意外にも短かった。
     「……覚えてねぇのか」
     「……いや、……所々は……でも、その……」
     「これを覚えてないって事だろ。……マジでありえねぇよ、お前」
     これ、が何を指すのかと下げていた顔を凛に向けると黒いオーラは鳴りを潜め、代わりに寂しそうな顔をしている凛が潔の目に映った。
     けれど凛がこんな表情をする相手も、それを読み解ける人間もこの広い世界でもごく限られている事を潔は知らない。
     そうして凛が右手で触れている指に光る銀色の輪を見つけ、動揺が抑えきれなくなる。

     いくらなんでもこの年になって揃いの指輪を渡される事の意味が理解出来ない程、潔もボンクラでは無い。
     ただ、何故凛が自分にこれを渡してきたのか、その点の理解が及ばないだけで。
     「……そもそも、なんで俺? 凛が俺にくれたんだよな? 凛って俺の事、そんなに好きだったの……?」
     口に出してから、言わなければよかったと潔はひどく後悔した。どう見ても凛はショックを受けている。
     冷静な凛がここまで分かりやすく目を丸くしているのを、潔ですら初めて見るくらいだ。
     うろうろと子供のように視線を彷徨わせた凛は、一度強く目をつむると迷いを振り払った顔で潔を睨みつけた。
     「……ハァ……もういい」
     「……いいって……?」
     「それ、返せ」
     おざなりに差し出された掌を見つめる。
     その指に嵌ったリングは薄闇の中でも鈍い光沢を放っていて、とても良い品である事が窺えた。

     考えれば考える程に昨夜の凛の行動が事前に計算され尽くした物である事を理解し、段々と潔の頬が熱を帯びる。
     普段から邪魔になるからと、潔はほとんどアクセサリーを身につけない。
     だから指輪など持っていないのに、今、潔の指に嵌っているリングは吸い付くようにピッタリだった。
     つまりは潔の知らない間に凛がこっそりと計測していた事の証明になる。
     あの糸師凛が秘密裏に自分の指のサイズを測り、ペアリングを用意していたというなら。
     その光景は想像するだけで潔の胸を強く締め付けた。──そんなの、あまりにも健気で可愛すぎる。
     「……いやだ」
     「あ? いらねぇんだろうが」
     「いらないなんて言ってないだろ!」
     「ふざけんな! さっきテメェが自分でそう言ったんだろ!!」
     「やだったらやだ!!」
     ついに怒りの臨界点を突破したのか、潔の手首を掴んで指輪を外しにかかってくる凛とそれを拒絶する潔。
     トップアスリートの二人が本気で取っ組み合いをする姿は、もはや乱闘騒ぎに近い。
     それでも結局フィジカルの差は大きく、身体を押さえ付けられた潔は、自身に覆い被さってくる凛を睨みつけた。
     どちらも荒い息を零し、軽く汗ばんでいる。プロポーズを無事成功させた筈の翌朝とは思えぬ雰囲気を纏った凛もまた、潔を睨み返していた。
     「クソ潔、本当に死ねよ……何が『やだ』だ。可愛い子ぶってんじゃねぇぞ」
     「可愛い子ぶってなんかねぇし」
     均衡状態を崩すように、はらりと落ちた前髪を煩わしそうに顔を動かして避けた凛が囁く。

     まだ怒りは残っており明確な殺意は滲んでいるものの、絶望感は多少なりとも払拭された凛は潔の真意をはかりかねていた。
     もじもじと凛の下で両足をシーツの波に泳がせた潔は、何故か照れた様子で声をあげる。
     「だってさ、返したら、もう貰えないんだろ」
     このまま捨てたりとかしそうじゃん。それって勿体ないし。
     何を当たり前の事を言っているんだ──と呆気に取られる凛を他所に、そう発言した潔の表情は明るい。
     それを少しでもかげらせたくなって、咄嗟に思ってもいない言葉が凛の唇をついて出た。
     「同情で貰ってやるってか? ナメてんじゃねぇぞ。……お前が受け取らないなら、別の奴にやるだけだ」
     「……これを?」
     「……お前は俺を好きでもなんでもないんだろ。だったら俺が他の奴と結婚した所でテメェには関係無いだろうが」
     潔の指にぴったりと嵌っている指輪を他の誰かに渡すなんて未来は凛の中には永劫存在しないし、それは不可能だと知っていた。
     サイズが合わないという現実的な要素もあるが、それ以上にベッドで指輪を渡した時の潔の嬉しそうな表情が凛の脳に写真のように焼き付いているからだ。
     あれだけの笑みを浮かべておいて、朝起きたら綺麗さっぱり忘れているだなんて、眠っているうちに違う時空の潔と入れ替わったと言われた方がまだ納得できる。
     「結婚って、凛が他の人と……って事?」
     「……そうだ」
     「いや、無理だろ」
     「はぁ?」
     「だって俺以外の奴なんか見れないじゃん、お前」
     「殺す」
     三度目の正直。今度こそ潔の息の根を止めようと動いた凛の前で、自信満々な様子を崩さない潔を見て、凛は自分の運命を呪った。
     どうしてこんな頭のおかしな男を求めてしまうのだろう。
     しかし、仮に何度過去に戻ったとしても潔の言う通り、凛は潔を潰す為に動くだろうし、潔は凛の期待の上をいく。それは互いに分かり切った結末だった。
     「大体さぁ、なんでどっちも酔ってる上に抱き潰した状態で言ったんだよ」
     「それは……」
     「しかも今まで面と向かって俺に『好き』って言ってくれた事、あったっけ?」
     左手をかざし、指輪のきらめきを眺めながらそう囁く潔はそのまま跨っている凛を澄んだ瞳で見つめる。
     完全な漆黒ではなく、寒い冬の夜空をそのままかたどったような群青色。
     潔のそんな瞳を凛はうとましく思うのと同じくらい、好ましく感じていた。
     「……そうは言ってなくても、今までの流れで普通は分かんだろ」
     「分かんねぇってば。ハッキリ言ってくれなきゃダメなの、凛が一番知ってるじゃん」
     潔が死ぬほど鈍感で自分に向けられている感情を察せない人間なのは"青い監獄ブルーロック"時代からだったが、まさか成人してもなお、そうであるとは流石の凛も思ってはいなかった。
     「そもそも、何とも思ってない野郎を俺が飛行機乗ってまで抱きに来てると思ってたのかよ」
     「……いやー……体の相性とか都合良いからかなって……」
     「ッチ……お前、よくそんな考えでずっと受け入れてたな」
     もう全てがどうでも良いと潔の上に跨っていた凛はそこから退くと、潔の隣で横たわる。
     何を言った所で死ぬほど鈍感なサッカー馬鹿には伝わらないのだ。
     潔と密度の高い付き合いを数年続けている凛は、学生の頃よりも潔に対する感情のコントロールのみ、諦めと切り替えが早くなっていた。

     そんな凛に今度は潔の方が跨り、乗り上げる。
     昨日の蕩けた表情とは違い、小生意気な顔をしている潔は凛のしゃくに障ったが、胸板に片手をつけて凛を見下ろしてくる潔の恰好は煽情的で悪くは無い。
     「……凛こそ、俺が誰にでも足開く尻軽とか思ってんならブッ潰すぞ」
     "青い監獄ブルーロック"で潔が身に着けた物は数多くあるが、卓越した視野やフィジカルだけではなく、折れない精神性と口の悪さもしっかりと磨いてしまったらしい。
     凛もまた潔と同じく"青い監獄ブルーロック"で多くの物を獲得したものの、【潔をぐちゃぐちゃにしたい】という欲求はまさに天啓の如く凛に舞い降りて常に心の奥に燃え続けている。
     だからこそ、この男を手元に置いておかねばならない。
     そうで無ければ潔世一という気まぐれで身勝手な男はあっちこっちに粉をかけて、そのうち凛以外に殺されかねないからだ。
     そう思ったからこそ凛は初めて潔と寝たあの日から今日こんにちに至るまで、慣れないながらも出来る限りの事をしてきたつもりだった。
     けれど、潔はそんなものでは足りないとのたまう。
     「……つまり?」
     腹の底から出た凛の疑問を嬉しそうに受け止めた潔は、自分の指に嵌っている指輪に恭しく口づけを落とす。
     自分にとって最も大切な物を授かり、それを心底愛でるように。
     「今からやり直ししてくれよ、プロポーズ!」
     当然だろうとまばゆい笑みを浮かべてそう言った潔を、凛はもう許す気も離すつもりも無い。
     甘んじてマウントを取られていた凛は再び潔の腕を引くと、その体を少し乱雑にベッドに組み敷いていた。
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