猫にツナ缶 「あ! お前またそんなもん食おうとしてるのか」
何となく気配を察し、シップに備え付けられたレジェンド共同のキチネットを覗き込む。
すると、やはりそこには白いコートを纏い、背中を猫背気味にした男が立っている。
そうして、片手に持った赤いパッケージのインスタントカップヌードルの包装を丁度、剥がしている最中だった。
ヒラヒラと揺れる透明なビニールを片手に握りこみながら、俺の声に顔だけを後ろに向けたクリプトの眉が『喧しい奴に見つかった』と言わんばかりにしかめられる。
ちょっと前に起きた事件の途中。実は一歳年上だと判明したクリプトは、飲食店をやっているような俺とは違って、とても"効率的"な生活を送っているようだった。
しかし、それにしても酷いと端から見ていても分かるくらいの食生活をしているのに気が付いたのは、いつからだっただろうか。
別にクリプトとかいう嫌味ったらしい男がどれだけふ、ふえ……ふ、不摂生な生活をしていようが俺には全く関係が無い。寧ろ、それで【ゲーム】の戦績が奮わずに俺にデカイ口を叩けなくなればいいんだ、とすら最初の頃は思っていた。
けれども、だ。それにしたっていくらなんでも目に余る。
だから、一ヶ月程前だったか。偶然を装いクリプトに自分の昼飯を分けてやると言って、このミラージュ様の手料理を食わせてやったのだ。
被害妄想狂の変人、オマケに何を考えているのかもわからない偏屈な男が、そもそも人の作った料理を食うのか? という疑問があったものの、その点に関しては先に俺が食べているのを見て安心したらしく、クリプトがそこまで嫌がる素振りはなかった。
それよりも、俺の中で一番の衝撃だったのは、無表情な外見を崩す事の無いと思っていたクリプトが確かに、俺の料理を一口食べた途端に仄かに驚いた顔をしたのを見た事だ。
その後はすぐにまた無表情になってしまったものの、皿に盛った俺にしては随分とシンプルに作ったパスタをペロリと平らげたクリプトに、どうにも……、自分でも表現しようの無い感情が芽生え始めているのを自覚していた。
強いて言うなら、油断など一切しない男が米粒ほど出した隙に目を奪われた。そうして、他人に懐かない凶悪な野良猫が、上手い餌をちらつかせた時だけ近寄るのを許してくれるような、あの感覚に近いかもしれない。
勿論、その後に俺から積極的に声をかけに行く程、こちらもお人好しではなかった。
だが、コイツは何となくこの時間くらいにこの場所に来ると大体居るのが分かってきたから、たまたま、コーヒーを淹れたくて寄っただけだ。ただ本当に、それだけの話。
「そんなんばっかり食ってると、午後のゲームで力出せねぇぞ。ってか、腹減ってるなら食堂で食ってくれば良いのに」
「見知らぬ他人から出された物は、極力食べないと決めている」
「……へぇ」
何故? とは聞かなかった。どうせ頭の可笑しいコイツの事だ。
『何か混入している可能性がある』と真面目腐った顔で言うのは目に見えていた。
馬鹿馬鹿しいと一蹴するのは簡単だったが、それをした所で俺に何か利益があるワケでもない。逆に敵部隊になった時に執拗にEMPを撃ち込まれ続ける可能性が増えるだけだ。
ふと、カップヌードルを持ったままのクリプトの周囲に視線を走らす。
そこには水を張られたケトルも無く、コイツが良く使っている使い捨ての箸も無い。
準備をする前に包装を開ける事もあるだろうと、視線を丸い頭へと再び戻せば、相変わらず俺を見たまま黙っているクリプトと視線が絡んだ。
「……コーヒー、淹れたいんだけど」
「……あぁ」
「それから……なんだ……、ついでに軽くパスタでも作ろうかと思ってる。……食堂は混んでるからさ。混んだ中で飯食うのってそういう気分の時は悪くないけど、そうじゃない時は、……まぁ、気が進まねぇよな」
「……あぁ……そうかもな」
やっぱりクリプトの手に握られたままの透明なフィルムがゆらゆらと揺れていて、俺はこの会話の着地点が分からなくなりつつあって。
でも、クリプトは首だけじゃなくてそのまま身体全体で振り向くから、手狭なキチネットの中で互いに見つめ合う羽目になる。
コーヒーを淹れたいなんて言った俺の喉は、全く渇いていなかった。
そもそも、ついさっきこの場に来て、コイツがまだ居なかったから、仕方なく淹れたコーヒーが湯気を立てたまま自分のスペースにある小さなデスクに置きっぱなしなのだから。
「お前、ツナ嫌いだったりは?」
「……別に……嫌いではないが……」
「ふぅん」
「……ツナパスタでも作るのか?」
ヒクリ、とクリプトの喉が金属デバイス越しにでも分かる程度に動く。
あぁ、ツナは嫌いじゃないんだろうな、と勝手に脳が忘れないようにしっかりと刻み付けていた。
コイツは辛い物とか、海産物とか、そういった物を比較的好むらしい。肉も嫌いでは無さそうだが、まだ俺の秘伝のポークチョップを食わせた事は無かった。
いつか食わせたら、コイツはどんな顔をするのだろう。ふとそんな想像が流れては消えていった。
「そう。……ツナと、キャベツに鷹の爪を混ぜたペペロンチーノ。定番のやつ。ニンニクも本当はたっぷり入れたいが、この後にゲームだと思うとな。ちょっと控えめな方が良いかとは思ってる」
「……そうか」
「お前もそんなん食うくらいなら、パスタでも食った方が良いんじゃないのか。どうせ昨日もそれ食ってるとかだろ? 別に一人分増えた所で大したあれでもねぇし。もしもそっちのが食べたいなら、止めやしねぇが」
未だにクリプトの手の中にある赤いパッケージを指差してやる。
最後の言葉が早口になってしまったのを誤魔化したかったからだった。
俺の指の先にあるカップへと視線を落としたクリプトは、もう一度顔を上げたかと思うと、包装の剥がされたカップを白いコートのポケットにねじ込んだ。
片方だけパンパンになったポケットがなんだか愉快で、つい大声で笑ってしまいそうになったが、どうにか我慢した俺を誰か褒めて欲しい。
代わりにどこかそわついた様子のクリプトに向かって、自分でもどこか浮わついた調子で声をかけていた。
「材料取ってくるから、今度は湯くらい沸かしておけよ」