Fill in the blank カチコチと時計の音がする。
目を開く。接着剤で貼り付けられたかのような重みがあった。
天井は白い。そうして高く見えた。自分はいつしか横たわっていたらしい。
背中を包むのは柔らかなベッド。そういえばこんな形をしている何かを見たような気がした。
顔を動かす。前髪が目を擦って、少し煩わしい。
窓。四角い窓が見える。クリーム色のカーテンは端の方で纏められていた。
射し込む光の筋がベッドまで続いている。
着ている服は、黄色かった。……薄手の、寝間着のような。
「やばい! 早く起きねぇと今日は【ゲーム】だ!」
横たわっている場合ではないと、重く感じる身体を持ち上げて跳ね起きる。
そうだ、なんで俺は忘れていたんだろう。今日は【ゲーム】があって、昨日は散々ボロ負けしたから、今日こそはアイツに吠え面をかかせてやらなければならないってのに。
ベッドから下ろした素足に、ひんやりとした感覚が走る。
今日は何日なのだろう。そもそも、何月だったか。いや、それは後で確認すればいい。
まずは着替えなければならない。顔を洗って、それから、トレードマークのヒゲも整えなければ。
髪だって自慢のスタイルをキープしなければファンを落胆させてしまう。
髪を切ったのは、いつだったか?
思考と連動して首を傾げる。なんだかまだ寝惚けているみたいだ。
昨日は、パラダイスラウンジで遅くまでパスとレイスと何かを話していたからかもしれない。酒は入れてなかった気もするんだが、それは一昨日の話だったか。
とにかくここから出なければならないような気がしてきて、この部屋に唯一あるドアに向かう。
木製の質素なドア。金色のドアノブはツルリと輝いている。
半ば駆けるようにそこへと近付いてドアノブを押し引きするが、空回りするだけで動かない。
もしかして、俺はどこかで誰かに連れ去られてしまって、ここに閉じ込められているんじゃないかという不安が頭をもたげる。
だって、俺の部屋はこんなシンプルじゃない。天井だって白くないし、高くない。こんなじゃない!
「誰か! 誰か助けてくれ、出してくれ! 俺はレジェンドのミラージュだ! 今日は【ゲーム】があるから早く行かないといけないんだよ!」
ドンドンと両手でドアを叩く。
思ったよりも厚みのあるドアは、手に鈍く響くような音を立てた。
何の音もしない。向こう側はどうなってる?
急に全てが怖くなる。俺はなんでこんな場所に居るんだろう。
何かしたんだろうか。そうか、母さんのお見舞いに近頃、行けていないから母さんが怒ってしまったんだ。俺は悪い子だから兄貴はたまに俺を閉じ込めた。許してと泣いた俺を兄貴達はわらってたんだ。
なんで、なんで、俺はひとりぼっちなのかと心臓が段々と脈を速めて痛くなる。
「助けて! 助けてくれ……俺が悪かった……ごめんなさい! もうしないから。もうしないよ、ちゃんと良い子にするから! 勉強もするし、母さんの手伝いもする! 好き嫌いもしない」
お願いだよ、と掠れた声が喉を過ぎる。
ドアの向こうで誰かの足音が聞こえた。急いでいるのか、早足なそれがドアの前で止まる。
カチャカチャとドアの前で誰かが鍵を開けている。やっと誰かが助けに来てくれた!
全く、このエリアは俺が守り通したから他の敵部隊に取られずに済んでいるんだ。早く味方が来てくれないと、コースティックがガス缶を投げ込んできかねないだろ? そしたら、いくら俺様でも流石に一人ではこの場所をキープするのは難しいからな。
でも、ここにずっと居なきゃいけない理由って、なんだっけ。
ドアが開く。黒髪の窶れた顔をした男が立っていた。
ムッとしかめられた顔が俺を見る。なんだか生意気そうな顔をしている奴だと思った。
さらりとした髪と、その髪に似た涼やかな目は綺麗な気もしなくは無いが。
「ウィット」
「なぁ、アンタ、俺の知り合い? 俺、エリオット・ウィットって言うんだよ。ほら、APEXって知ってるか? あの競技で【ミラージュ】って名前で出てるんだ。あ、サイン欲しいか? 何か紙があれば書いてやれるんだが……」
着ている服をまさぐる。ポケットもついてない。なんて使い勝手の悪い服だ。
「……サインはいらない。それよりも今日は【ゲーム】じゃない」
「あれ? そうだったっけ?」
「あぁ。それにまだ朝飯も出来ていない。もう少し寝ていた方がいい」
「そっか、ちょうど腹が減ってたんだよ。ありがとな! えぇっと……」
男の目が細められる。責められているような気がして、必死に記憶を探ろうとするが頭が痛い。
あぁ、そうだ。俺達はいつも一緒に居て、土埃の中でも笑いあっていたんだよ。
ほら! ほら! もうそこまで答えは出てるのにあと一歩が出ないんだよな。なんでだっけな。なんだったっけな。
「……いいんだ。気にしなくていい。ほら、ベッドに戻って……もう少しだけ待っていてくれるか?」
「ん、分かった。じゃあちゃんと待ってるから」
「……あぁ」
俺の背を男が押す。
でも、見た目よりも優しい手付きに安心して、よろよろとベッドまで付き添われるようにたどり着く。
白いベッド。皺のよったシーツはさっきまで誰かが寝ていたように凹んでいた。
横になって枕に頭を預ける。ふかふかとした感触が後ろにある。
まるで雲みたいだと、思わず笑えば、ベッドの横に立って俺を見ている男の手が頭に伸びてきて撫でてくれた。
そのまま目を伏せる。まだ起きるのが早かったんだと思ったから、もう一度寝なくちゃいけない。寝る子は育つってよく言うもんな。
男の手が離れていく。その温もりが恋しくなるが、きっとまた会いにきてくれるような気がしたから我慢しなくちゃ。
キィ、とドアノブが回されてドアが閉まり、カチャン、と鍵が閉まる音がした。
パタパタとまた、足音が遠ざかっていく。
少し時間が経って、また目蓋を開いた。
天井は白くて高い。瞬きを何度かして、滲む視界をよびもどす。
――――ここは、どこなんだろう?