We wish you a merry christmas 時刻は午後六時……三分前。手持ち無沙汰に指につけたまま回していた指輪から手を離し、そろそろ時間だと、座っていた黒い革張りのカウチソファーから立ち上がった。
足元を包むふわふわとした黄色のスリッパが、カウチソファーとその前に置かれたローテーブルの下に敷かれた白いラグと擦れ合う。
若干の歩きにくさを抱えながらも、ゆっくりとリビングと廊下を繋ぐドアの前へと向かった。
三回目ともなると、もはや慣れた流れではあるが、これまでの戦績を考えると今年は負けるワケにはいかない。
大小様々なオーナメントが吊られたクリスマスツリーの横をぶつからないように慎重に通ってから、ぴたりと閉じられた白い木製のドア前に立つ。
そのまま、まるでリングに立ったボクサーのように肩を揺らめかせつつ、勢いをつける為に軽いジャンプを一回。
デニムのポケットにしまっていた最後の仕上げの品を目元へと取り付け、髭の生えた頬を両手で動かして顔を整えた。──どうか持ってくれよ、俺の表情筋。
そんな祈りを心の中で唱えながら、華やかなクリスマス用ガーランドで飾り付けられたベージュカラーの壁紙へともう一度目を向ける。
そこにかけられたシンプルな時計の秒針が、六時まであと十秒しかないのを示していた。
十、九、八、七、六、五、四、三、二……その秒針と共に脳内でカウントをしてみせる。さぁ、試合開始だ!
六時きっかりにリビングルームのドアが勢いよく開かれ、ドアの向こう側に待機していた対戦相手とついに対峙した。
「…………ッぐ……」
「……ふー……」
初撃で、かなり良いのが二人とも入ったといった所だろう。だが、この謎の儀式めいたモノを始めた頃のように簡単にはお互いにやられなかった。
しかしながら、俺は改めて目の前に立つテジュンの姿を上から下まで観察してしまう。
頭には星のマークが散りばめられたパーティー帽。その帽子の天辺には細く切られた蛍光緑とピンクの紙が束ねられて無造作にくっついている。
着ている深緑色のセーターには頭が無いサンタの小さな体のイラストがフェルトを切り貼りして描かれており、肌色の丸だけで表現された片手には、大きく膨らんだ白い袋を掲げていた。
サンタボディの横に浮かんでいる吹き出しには、気の抜けるようなフォントで『Present for you!』の文字。
首元へと向けられたその吹き出しの先端と、サンタのイラストのせいもあって、まるでテジュンの顔がサンタの顔のように見えた。
なかなかに良いチョイスをしてきている。敵ながらやるな、と思わず吹き出しそうになるのを頬の肉を噛んでどうにか保たせた。
対して俺はというと、『Welcome』とフレーム上に丸っこいフォントで文字が並んでいるハート型のサングラスと、色はシンプルな赤色のセーター……ただし、前側にはネッシーの胴体前半分、背中にはなだらかな尻と尻尾が取り付けられている。
俺の体を貫いて(実際にはそうでは無いが)可愛らしいネッシーが居るというのは、なかなかのインパクトだろう。
サングラスの『Welcome』という文字も良い具合に意味不明さを醸し出していて、ネットで見つけた時には、これだ!と勢いよく購入ボタンを押していた。
しかしながら、両者見合ったまま、動かなかった。あと一押しが足りていないのだろう。
ここまでくれば、あとはもう動きで勝負だと、俺はリズムよく体を左右に揺らして見せる。勿論、顔は真顔のままだ。
その動きに従って、前と後ろのネッシーの頭と尻尾が上下左右に勢いよくあらぶり出す。
ブンブンと綿の詰まった緑色の布地が空気を切る音と共に、目の前に立っているテジュンの顔が赤らみ、唇を噛み締めているのが分かった。
このままなら勝てる。いけるぞエリオット! やっちまえ! 脳内でデコイ達が両手を振り上げ応援している幻影が浮かんだ。
だが、向こうにも秘策があるようで、そっと被っているパーティー帽へと手を伸ばしたのを、笑いを堪えながら踊るという苦行で重怠くなってきた体を止めないまま見つめる。
来るなら来い。そう思う俺の前で、パーティー帽から垂れ下がっている紐を引っ張ったテジュンの頭から一気に赤と緑の光があふれ出した。
煌々と星のマークを象るように動く眩い光を暫し黙って目で追っていたが、その光輝くパーティー帽の下で赤と緑に彩られながらも、『何事もありませんが?』とばかりに真面目くさった顔でミニサンタの体をしているテジュンについに耐え切れなくなる。
「うー……ブハッ……っく、……ぐぅぅぅ……ダッセェ……! なんだその帽子、光るなんて聞いてないぞ……!!」
崩れ落ちる膝と両手を床に着くが、それと同時に腹から生えたネッシーの頭がフローリングと当たって、ぶにゅりと歪む。
笑い過ぎて滲んだ視界の先、俺とお揃いで買った色違いの薄緑色のスリッパを履いた足が見えた。
「……ふ、っ……今年も、……俺の勝ちのようだな……ッ……」
「お前だって笑ってんじゃねぇ、か……くく、……その光マジで止めて、もう無理……無理だって……頼むよ、テジュン……!」
崩れ落ちた俺の前にしゃがみこんだテジュンは、必死で笑いをこらえているのがバレバレな顔をしている。
それでもなお、ピカピカと光を発している帽子が余りにも可笑しくて、もはや鼻水すら滲みだし始めたのを拭ってから片手を上げて降参を示した。
やっと光を止めてくれたテジュンがもう一度マジマジと俺の顔を見るや否や、プッと吹き出して顔を反らした。
「……大体、お前だって、なんだその『Welcome』って文字は……ドアを開けた瞬間にそれを見た俺の立場になってみろ」
「いやー……これ良いだろ?『Happy』ってのもあったんだが、こっちの方がワケ分からなくって、笑えるかなと思って」
「……っぶは……! そっちだったらもっとヤバかったかもしれない」
「あー……マジかよ……そっちにすべきだったなぁ」
どうにか落ち着いてきたものの、笑いを我慢し過ぎて腹が痛い。
しかし腹を摩ろうにも、俺の腹部には海の中でも無いのにネッシーが生息していた。
ゆるゆると立ち上がった俺に続くようにテジュンも立ち上がると、俺はかけていたサングラスを外し、向こうもパーティー帽を外す。
向かい合ったテジュンも笑うのを我慢していたからか、黒い瞳をいつも以上にしっとりと艶めかせていた。
コイツと【APEX】という【ゲーム】での同僚だったのは少し前の事だ。
厳密にいうなら、今でも【APEX】の同僚ではあるが、それ以前に家族でもある。
テジュンが無実の罪を着せられ、それが冤罪である事を証明する為に【クリプト】として【ゲーム】に参加していたのは、俺もかなり昔に教えて貰った話だった。
数多くある筈の選択肢の中でも、一番に苦しいだろう道を選んだテジュンの強さに、元々コイツの色々な面に惹かれていた俺は、全力でコイツを支えてやろうと決めたのだ。俺に出来る事ならなんだってやってやろう──とすら思った。
それでテジュンが俺を意識してくれたら良いという下心も無くは無かったが、それ以上にコイツが心から幸せになれる世界を探してやりたかったのだ。
俺自身を好きになって貰えるだなんて、本気で思っていなかったのもある。
しかし色々な経験を共に経ていくうちに、俺達は互いに相手を好いているのだと察してしまった。
そこから恋人として付き合うようになったのにもう、……うよ……とにかく、大変な出来事の連続ではあったが、それも過ぎてしまえば騒がしくも懐かしい思い出ばかりだ。
それから、当時の【APEX】運営企業であったシンジケートがテジュンの件だけでは無く、その他の問題にも関わっている諸悪の根源であるというのが分かり、【レジェンド】であった俺達は様々な手段を使ってどうにかシンジケートの悪行を世間に公表する事に成功した。
その結果、【クリプト】であるテジュンの濡れ衣も晴れたのだ。
だから、妹であるミラや養母であるミスティックとの幸せながらも普通の生活へと、テジュンは一人、戻っていってしまうのだろう。俺は寂しい気持ちのままそんな事を考えていた。
────けれど、そうはならなかった。
全てが落ち着いたタイミングで、目の前の男はさも当然のように新たなスポンサーと運営会社を得た新生【APEX】に参加すると世間に発表した。
そうして俺には、いつの間に測っていたのかも知らないがピッタリのペアリングを持ってきたかと思えば、『遅くなってすまなかった』と照れ臭そうにそう言ったのだ。
俺の事などすっかり忘れ、置いて行かれてしまうのだろうと思っていたというのに、そこまで男らしい宣言をされてしまえば、俺は正式にテジュンに戻った【クリプト】を強く抱きしめるしか出来なかったのは当然だろう。
それから、俺とテジュンは俺の希望で、母さんの病院からそこまで離れていない場所に家を建て、今はそこで二人で暮らしている。
ミラは、テジュンとは正反対の明るくて──気の強さと頑固さは似ているかもしれない──女性で、俺達の事を優しく受け入れてくれたし、ミスティックも俺が会いに行った時は涙を流して喜んでくれたものだ。
俺の母さんは病が進行しているのは確かだったが、それでも、俺とテジュンを温かく迎え入れてくれたように思えた。
特に式は挙げていないが、他の【レジェンド】達の間でも俺とテジュンが共に住んでいるのは周知の事実であったし、もはや一家族として俺達は認識されている。
俺達以外にも交際宣言をした上で【APEX】に参加しているメンバーは数多くいるのもあって、特に問題も無いまま慌ただしい日々を送っていた。
互いに取ったサングラスとパーティー帽を持ちながら、見つめ合いつつ、自然と隣に寄り添う。
そのまま俺が先ほどまで座っていたカウチソファーの方へと向かうのもまた、いつもの流れだった。
「はー……笑った笑った。ササっと飯食おうぜ、腹ペコペコだよ」
「もう準備は済んでるのか?」
「とーぜん。俺を誰だと思ってるんだよ」
「それもそうだな」
クスクスと小さな笑い声が二つ、リビングルームの中を満たしていく。
恋人であった時にもテジュンとクリスマスを過ごすのは至極当然だったが、一緒に暮らすようになって、俺から少し"変わった勝負"でもやらないかと提案したのがこのお遊びの始まりだった。
でも、"変わった勝負"とは言ってもレジェンド間で行っていたクリスマスパーティーの時も、皆でアグリーセーターを着てパーティーをしていたから、そこまで変わっているとは言い難いかもしれない。
勝負の内容としては、『とにかく相手よりもおかしなアグリーセーターを探し出し、それを着た状態で相手を先に笑わせた方の勝ち。勝った方は次のオフでしたい事を相手へ好きに命令出来る』とまぁ、単純なものだ。
初回は俺が勝負に勝ち、散々良い思いをさせて貰った。
次の年は去年の恨みを晴らすかのように、気合の入った格好で現れたテジュンに五秒ももたずに敗北したのは今でも忘れられない。
そうして今年は、一勝一敗という状況を覆せる重要な局面。どちらもやる気に満ち溢れているのは言わずとも分かっていた。
想像通り、二人とも気合バッチリな格好のまま移動したカウチソファーの前に置かれたローテーブルには、簡単なテーブルセッティングをしてある。
ダイニングテーブルで向かい合って食事をするのがいつもの日常だったが、たまにはこうやってカジュアルに軽い物を食べながら飲むのだって良いだろう。お前と隣り合って話せる時間が多い方が嬉しいから。そう言ったのは、テジュンの方だった。
「何か手伝うか?」
「いや、いいよ。すぐに持ってこれるから、先座ってな」
「ん。……ありがとう」
素直にそう言ったテジュンに薄く笑ってから、俺はネッシーの尻尾を揺らしつつキッチンへと向かった。
□ □ □
先ほどの宣言通り、既にキッチンで準備していたクリスマスディナーを二人掛かりで粗方食し、手に持ったグラスを揺らす。
最初はシャンパンで満ちていたそのグラスも、今は深い赤を帯びたワインへと移り変わっていた。丁度、今日明日がオフなのもあって、酒が進むのが速い。
背もたれに当たるネッシーの尻尾は相変わらず邪魔くさかったが、どうせ今年限りの出番なのだ。
どうせなら目一杯着てやろうと、時々姿勢を変えながらその尻尾をクッションにしつつ、腹がいっぱいになった事もあって穏やかな息を吐いた。
ふと、隣に座っているテジュンの手がテーブルに置かれたワインボトルに伸びたのを見て、ついついその姿を目で追う。
ほんのりと赤い目をしているテジュンは、最後の一滴まで残さず中に残っていたワインをなみなみとグラスに注ぎ入れると、拾い上げたグラスの縁に柔らかな唇を触れさせる。
そこまで酒が強くないクセに、こういう時に飲むのは案外好きなんだよなぁコイツ。自分でもボンヤリとしている思考の中でそんな事を考えた。
ソファーの背もたれに乗せていた手を動かして、セーターの編み目が浮かび上がっているテジュンの肩口を撫でる。
グラスに当てていた唇を外したテジュンの目が俺を見つめてくる。こくり、と口の中に入っていたワインを飲み込んだのか、カメラを誤魔化す為に取り付けていた金属デバイスが無くなってだいぶ経つ喉元が動いた。
先週は日差しが強かったからか、喉元が少しだけ日に焼けているのが健康的で、目に眩しい。
このままキスでも……と、肩に当てていた掌を滑らせて、グラスをテーブルへと戻し、目を閉じてくれたテジュンを引き寄せようとする。
「ッう」
だが、唇が触れ合う前にうめき声を上げたテジュンに目を開ければ、俺の前面に居るネッシーに胸元を頭突きされているのが見えた。
てっきり怒るかと思っていたテジュンは、少し蕩けた瞳のまま、ネッシーの頭を一度撫でたかと思うと、丸くつぶらな瞳をしたネッシーの頭頂部へとキスを落とす。それがなんだか悔しくて、思わずネッシーの頭を抱き寄せていた。
「ダメ」
「なんだよ、何を怒ってるんだ」
「……俺には? 俺にもしてくれなきゃヤダ」
「ぬいぐるみに嫉妬してるのか? 子供じゃあるまいし」
「子供さ。だって俺のが年下だからな」
「一つだけだろうが。……全く、仕方のない坊やだな」
結構な量の酒が入っているから。今日は良い子にしていたら、サンタさんがプレゼントをくれる日だから。
そんな言い訳が頭を回るのと同時に、自分でも甘ったれだと思う声音でそう囁いて見せた。
呆れたような顔をしていたテジュンも、慣れた様子で俺の髪へと手を伸ばすと、ネッシーを無視してこちらの額にキスを一回落としてくれる。
その唇の温かさに押し出されるように、下世話な考えが頭をよぎった。
「この服着たままさぁ」
「……ん?」
「これ着たままエッチしたら、このネッシーがぴょこぴょこって動くワケだろ? それってさぁ、端から見たら、……じゅ……いってぇ!!」
全てを言い切る前に髪を撫でていたテジュンの手に力が籠り、髪が引きちぎれるのでは無いかと思うくらいに掴まれた。
この男は見た目に寄らず握力が強いのを自覚するべきだ。
「それ以上、俺のネッシーを汚すような事を言ったら殺す」
「ころっ……!? 怖すぎるだろ、目が据わってるって!! マジで悪かったよぉ、怒るなって、テジュンー……」
「…………まぁいい」
ふん、と鼻を鳴らしたテジュンに握られた髪を離される。
先ほどまでの甘い空気は掻き消えたものの、そのままテジュンの肩に頭を寄せれば同じようにテジュンの頭が凭れ掛かってくるのが分かった。
そうして俺が凭れ掛かっていない方の手をギリギリまでローテーブルへと伸ばしたテジュンが、そこに置かれたグラスを指先で握り込んで再び唇へと近づけていく。
そこにあるのが当然とばかりに美しい輝きを纏ったプラチナのリングが嵌められた手で傾けられ、ドンドンと吸い込まれていく赤を見守りながら、こんなに飲んで明日は大丈夫なのだろうかと心配になる。
まぁ仮に二日酔いになったとしても、俺が介抱するのはいつもの流れではあるが。
「なぁ、そういえば明日どうすんだ? お前の勝ちだろ。だからお前の言う通りにしてやるよ」
「……明日は、……昼くらいに起きて……」
「おう」
「それから……クリスマスマーケットに行く。夜は、お前の作ったものを食べる……」
「……そりゃいいな。 でもそれって、いつも通りのオフじゃないか?」
それもそうか、と囁いて微笑んだテジュンの手からさり気なくグラスを奪う。
顔に出にくいから分かりづらいが、そろそろ止めておかないと明日に響く。
けれど、俺の顔をジィっと見つめてきたテジュンがまたグラスを奪い返してきそうになったので、もう残り僅かとなっているグラスの中身を目の前で飲み干してやった。
途端に不満げな顔をしたテジュンの前で、ローテーブルへとグラスを置く。
そんなテジュンに向かって今度こそ胸元に居るネッシーを抑え込みつつ顔を寄せれば、触れ合った唇から濃く甘い葡萄の匂いがした。
「分かった。……命令、思いついたぞ」
「……なに?」
「ここでシたい」
ふぅ、と甘い吐息を洩らしたテジュンが何度か瞬きをする。
黒々とした睫毛が揺れて、アルコールだけではない熱で溶け始めた瞳が俺を可笑しくさせる。もう可笑しくなっているから、普通に戻るのか? という無駄な思考が一瞬だけ駆け巡った。
「いいぜ。……でも、体痛くなるから、ここでは一回だけな」
「……ん……」
二人とも段々と若くなくなってきているから、ソファーで致すのは出来るだけ止めようと少し前に決めたのを思い出す。
けれど今日は勝者の命令だから仕方が無いよな? と俺は完璧にニヤける顔をもう隠す事無く、役目を終えたセーターを脱ぐ為に素早く裾へと手をかけていた。