桜色ナイトフォール (蘭カミュ)頬を撫でる風に仄かな温もりを感じるようになった、そんなある日のことだ。
来るエイプリルフールに向けての打合せも終了し、事務所を出て帰路を辿る。道すがらすれ違う周囲はまだまだ着膨れた服装をしている者も多い中、祖国に比べれば暖かく感じる日々にふと目を細める。空を見上げれば延びた日の長さに、綿菓子のように軽やかな風貌で淡色に咲き誇る桜に、この国では春が来るのだな、と今更ながらに実感する。
陽光の下で咲き誇り、その薄紅の花びらを惜しげもなく散らす様は、夜空を翔けるオーロラとはまた違った美しさがあり、つい見惚れてしまう程だ。そしてそれは、あの男にしても同じことであったらしい。
俺より少しばかり後ろを歩きながら、目立つ銀髪を風に遊ばせてはその双眼を僅かに大きく開け、ほうっと感嘆の声を上げている。
「……今年もよく咲いてんな」
そう呟く声には心なしか喜色が滲んでいて、ちらりと後ろを見遣れば声音通りの緩んだ表情がそこにあった。
普段から不機嫌そうな顔をしているか、仏頂面を浮かべるかのどちらかの顔に浮かぶ笑みはとても珍しく、思わずまじまじと見つめてしまう。すると視線に気付いたのか、いつもの不遜な態度へ戻り、フンッと鼻を鳴らしたかと思うと不意に手を伸ばしてきた。何事だと構えるも束の間、その手は頭上へと伸びていき、俺の髪に触れてくる。
「何を、」
「てめーでも花びらなんて付けたりするんだな」
そっと髪を軽く摘まれ、そのままはらりとその指先から逃れていく感触に眉を顰めながら僅かに身を引くと、奴は小さく笑いながら自らの手をひらつかせ、指先の小さな一枚を見せてつけてくる。どうやら気付かぬうちに付いていたようだ。
「っ、貴様など常に綿毛を付けているようなものではないか」
「あ?」
思わぬ出来事につい憎まれ口を叩けば再び険しい顔つきになるも、それも一瞬のこと。すぐに口元を吊り上げるように笑ったかと思うと、何事もなかったかのように俺の横を通り過ぎていく。どうやら桜は短気な男の情緒さえも浮かれさせるらしい。
機嫌良さげに歩む後ろ姿を目で追い、それから再び桜を見上げれば一陣の風にはらはらと空を舞う花が視界を埋め尽くしていく。それに小さく息を吐き、俺は足を踏み出した。
まるで雪のような花吹雪に溶け込む奴の背を追いかけるように、ゆっくりと春を纏いながら。