愛を与える男、奪う男。 -Vegas編- *
人を殺すのは好きじゃない。
別に信じろとは言わないが、嘘じゃない。威勢よく怒鳴り散らしていた奴が苦痛に顔を歪め、最後には泣き叫ぶ様を見ると愉しさに似た感情や満たされたような心地良さを感じた。
普通じゃない。
自問自答を繰り返してみても何かが変わるわけじゃない。死という恐怖を前にした人間がどんな行動をとるのか?屈するのか?屈さずに死を選ぶのか?それを想像し、結果を見届けることで満たされる。
その事実は変わらなかった──…
*
初めて人を殺したのは13歳の誕生日。親父に強請った銃の引き金を引いてみた。人が死ぬのを見たのは、もっと前。純粋に"死"というものに興味が湧いた。
幼い探究心は時に残酷な結果をもたらす。死に触れる機会があるかと思い、親父の仕事に同行したいと願い出てみた。喜んだ親父を見たのは後にも先にも、その時だけだったような気がする。子供心に嬉しいと感じたことを覚えてる。
だが所詮は子供。やれることなど多くない。
一つのことすら真面に出来ないのかと罵られ、甘えるなと怒鳴られ、殴られる日々に逆戻りするまでに時間はそう掛からない。
少年は自分が飢える理由も分からずに与えられない愛を渇望し続け、同時に不平と不満がゆっくりと時間を掛けて身体を満たしてゆく。
〈あんな汚れた一族は身内なんかじゃない〉
耳奥で響く声。親父がよく口にしていたその言葉は俺の中へ泥々とドス黒く流れ込み、次第に身の内にこびり付く。こんな情けない思いをするのは本家とKinnのせい。情けない自分を満たしてくれそうな憐れで、死にそうな奴にも出会えず不満が募る。
汚れ仕事ばかり押し付けられていた分家といえど、毎日ドンパチしてるわけじゃない。ヘマをした奴や裏切り者が捕まると、どこからともなく聞きつけ収容場所へ足を運ぶような時期を何年か過ごした。
『また来てるぞ。誰だよ、坊ちゃんに知らせたヤツ』
『俺じゃありませんよ!さっき新入りが吐いて上に引きずられて行ったんで、そいつじゃないですかね…知らないですけど』
大の大人が目を背けるような行為であればあるほど、目が離せなかった。しばらくして気づいたのは、死んでしまうと途端に興味が失せるということ。
どうやら自分は"生きて苦しんでいる姿"に満たされ、そいつが最期にどんな選択をするのかに興味があるのだと悟った。だから殺すのは好きじゃないし、目的にもならない。死んでしまえば、それで終わり。玩具は簡単には手に入らない。
やり過ぎて死んでしまうたびに反省した。一瞬で命を奪える拳銃も好きじゃないと気づいた。欲しいと強請ったはずの、あの銃も何処へやってしまったのかすら覚えていない。
どこをどう痛め付けれは死なせずに長く飼い続けられるのかを知りたくて人体の構造を独学で学んだ。大学に入ってからの専攻は心理学。己を知り他人を知るためには、それが有効だと考えたから。Kwangに会ったのも、その頃だ。
だが大人になり学を身につけたところで何も変わらなかった。普通じゃないと思い始めた幼少期と同じ。自分がおかしい原因も惨めな理由も結局は全て本家のせいでKinnのせい。奴の上に立てなければ、この先もそれは変わらない。ならば、その地位を奪うまでだと思ってた。
『お前しだいだ』
そんなことを言う奴はいなかった。もちろん身に付けた知識は有効的に活用した。今もそれなりに仕事に活かしてはいるが、分家の家業にも役立ったしKinnの男たちも簡単に手に入った。俺は元々ゲイじゃない。Kinnの対象が男だったというだけ。同じ男を組み敷くのは確かに楽しかったが。
女が好きかと聞かれたら…まぁ生きてる"物"としては──…っと、Peteがいる今となっては、どうでもいい話だな。
自分のことはよく分かってる。相手が予想に反した行動を取ると苛つくタイプの人間だ。以前ほど顕著ではないにしろ本質は今も昔も変わらない。ただ明確に違う点があるとすれば、
"To suppress or Not to suppress"
Peteに出会い物事の見え方や考え方が変化した俺は抑えることを学び、大人になったと言えるだろう。"分家のVegas"だった頃は他人から奪うことに罪悪感を感じたことなどなかった。
自我が芽生えはじめたばかりの赤ん坊と同じで欲しければ奪い、手に入らなければ泣き叫ぶ。赤ん坊は罪悪感など抱かない。図体ばかり大きくなって、大人になれないまま長い時間を過ごした。
出会いとしては最悪な時期。Peteには事毎く予想を覆された。だがイマイチ触手が動かなかった。欲しいとも排除したいとも思わなかったのはTankhun付きのBGだったからだろうか。
下手な尾行を繰り返し、逐一Kinnへの報告を欠かさない鬱陶しくて間抜けなBGだと侮っていた奴が、まさか分家相手に単身潜入してきたことには驚きだった。計画は総崩れ。殺しても殺し足りない男に昇格した瞬間、チリチリとした痛みを伴って粟立つ首筋を駆け抜けた怒りと、ほんの僅かに芽生えた好奇心。
こいつは一体どんな選択をする?
捕らえたあとのPeteには興味をそそられた。苛つくことも確かにあったが、それ以上に面白い奴。殺せと叫ぶ死にたがりのくせに瞳の奥には強い意志と欲望を宿して俺を睨んでた。
なるほど、屈さないタイプか。
自尊心を奪うつもりが、自分を傷つけ貶める相手に同調し、親身になって話を聞くような変わり者。仕舞いには親父から受けた俺の痛みを案じる、お人好し。
こいつは…何だ?
怯えるどころか一層強くなる眼差し。痛めつけても屈しないPeteに疑問が湧く。今まで出会ったことがない種の人間なのは間違いない。
整理し切れない状況で弱ったPeteの姿を目の当たりにした瞬間、自分でも驚くほど狼狽えた。現状を図りかねていた俺はPeteの言葉で更に困惑した。
『俺たちが悪いんじゃない、親父が殴るのは自分自身が情けないからだ』
そう言われた時、一瞬にして世界が真っ暗になった。心が軽くなってパッと視界が開ける、なんてことにはならず、考えれば考えるほど深みに嵌まった。根深い闇に底は見えない。
親父が来てまた殴られる。殴られた頬は当然痛かった。でもPeteの言葉を憶うと今までと何が違う。殴られるのは自分が悪いわけじゃなかったのかも。そう思えただけで不思議と胸は痛まなくなっていた。
そんなに難しくはないのかもしれない。
深い水底からゆっくりと浮上するような鈍重な感覚の頭には、もうPeteを痛めつけたいとか殺そうなんて考えはなく、出来るだけ長く傍に置ける方法を考えるようになっていた。
盲点だったのは俺は飼育に向かない性質だったこと。ハリネズミすら真面に飼ってやれなかった。ペットに死なれるのは好きじゃない。愛着だとか慈愛なんて感情は持たない。ただ見捨てられた感じがして惨めさと苛立ちを覚える。
『なぜ悲しい?』
その聞き方に疑問は持たなかった。あの日の俺は、悲しいと感じている胸の内を隠しもせず、曝け出していることすら気づかない。
『悲しいと感じるのは、そいつが大切だからだ』
Peteによってもたらされた答えはハリネズミの死で白日の下に晒されたこの感情が、愛着以外の何ものでもないと告げていた。
今思えば、この時点でのPeteへの感情は違和感だらけ。逃げ出したペットを罰するどころか、ハリネズミの死を共に悼み、自ら進んで弱みを晒した。剰え独りではなかったことに安堵していた気さえする。
仮にもマフィアの分家長男として生きてきた。弱みを見せれば呆気なく踏み潰され、翌日には名前すら忘れ去られる世界。人前で涙を流すなんて初めてだった。
俺の涙腺はPeteとの出会いを切っ掛けに瑣末な世界と共に崩壊したと言えるだろう。
*
「Vegas、ちょっと来て!」
「…………」
「Vegas!!!」
「Pete、今は手が離せない。5分…いや2分でいい、待ってくれ」
「知ってるけど、来て!」
早くとせがむ恋人に目を向けると、リビングのソファの上で満面の笑みを浮かべて手を広げるPeteがいる。
(なんだ、どういう状況だ?)
深刻そうな声の割に満面の笑み。あまりの眩しさに数回瞬いた俺の瞳と無意識に寄った眉を気にする様子もなく、可愛すぎる笑顔をこちらへ向けたまま仕舞いには小首を傾げる、Pete。
近頃じゃMacauですら、この顔にやられてるのか大学の寮へと戻る週末の終わりには別れを惜しんで離れようとしない。先週は頬をこねくり回した挙句、抱きついて離れないから思いっきり顔面を引き剥がしてやった。
(ああ、くそ。Porsche悪いが、この太陽のような笑顔には勝てない)
ダイニングテーブルに置かれたノートPCを閉じパソコン用の眼鏡を外したVegasは、ふらふらと吸い寄せられるようにPeteの元へ向かう。
手が離せないことも、その顔に勝てないこともPeteは全て分かったうえでやっているから性質が悪い。だが、それがまたいい。
(…──今更ながら気づいたが、だいぶ思考がやられているな)
「Pete…」
「Vegas、疲れた顔してる」
そう言って目を細めるPete。伸ばされた手首を掴み、手のひらにkissすれば陰りを見せた太陽が、またはにかむ。
膝を折って床に座り込むと"おいで"とでも言うように手を引かれる。腰に腕を回し抱きつけば優しい手つきで撫でられる頭と髪を梳く指先の感覚が心地いい。ほんの少しだけ柔らかみの増した腹に顔を埋めると温もりに包まれた。
極力、仕事は家に持ち込まないように心掛けていたつもりだった。だが今はPorscheの仕事を手伝っているせいで正直余裕がなくなっていたようだ。
根を詰め過ぎると、Peteはこうして立ち止まるように導いてくれる。この男に甘やかされるようになってから思い出したことがある。
幼い頃に死んだ母の記憶。俺は母が好きじゃなかった。いや…正確には弱い女だと親父が罵るから好きだと言えなかった。たとえ子供でも人間は思考して忖度をする。どちらか一方を選ぶ必要なんてなかったのに俺は親父を選び、母を軽んじた。
そんな軽薄な息子でも、殴らないでと声を荒げて親父に歯向かう母がいたことを思い出し、幼い俺を抱き締める温もりを思い出した。
母は親父が言うほど弱い人間ではかった。そう思うと胸の辺りが、すっと軽くなり呼吸がしやすくなる。
「Vegas、まだ仕事する?」
「このふかふかに埋もれたら、もう抜け出せないって知ってるだろ」
「は!?何それッ!太ったってこと…ッ!?」
「"Don't cry,Body shakes."」
「た、確かに最近ちょっと食べ過ぎだったかも知れないけど…」
「太ったなんて言ってないだろ」
腕に力を込めて腰を引き寄せると、さらに顔を埋める。
「確かに筋肉は落ちてるが、訓練なんてするなよ」
「え、何で?」
「お前、 Porscheに頼んだだろ?本家の訓練に参加させろって」
「あ…の、、、くそッ…Porscheのヤツ!内緒にしろっつーたろがぁ!!!」
顔を上げると片頬を吊り上げたPeteが、何やらブツブツと小声で呟いている。
「Pete、声に出てるぞ。あともう内緒じゃなくなったから、お前の口から説明を聞かせてもらおうか」
「あ〜いや〜…今、Vegasが言ったじゃん、筋肉落ちてるって。だからジムとかに行くぐらいなら訓練のほうが効率もいいかなって」
「筋力UPなら、ジムで十分事足りると思うが?」
「そう言われると思ったから、言いたくなかったのに…」
口先を尖らせ不貞腐れた物言いをするPeteの頬に手を伸ばし、親指と人差し指で両頬を挟み込む。
「は、はにしゅるの、へかすッ??」
「"No escort needed."もし要るとしても別に雇う」
聞き捨てならなかったのか、Peteの眼差しが冴えて鋭くなったと思った瞬間、右手を払い落とされた。
「あ"?嫌だけど?別ってなに?知らない奴に命預けるのか、お前」
胸ぐらを掴まれ、同じ目線の高さまで引き上げられる。相変わらず力が強い。
「落ち着け、Pete。本当に護衛は必要ない。Porscheとやっている今の仕事にも危険はないし、今後も仕事の内容は選ぶつもりだ。だからBGが必要になること自体が無いってだけだ」
「本気で言ってるのか、Vegas。まさか2年やそこらで腑抜けたわけじゃないよな?」
「Pete…」
「Porscheの仕事を手伝うのは構わない。もしVegasが裏の仕事に戻りたいならそれもいい」
「"That's not──"」
「いいから、聞けってッ…!」
目一杯掴まれていた胸元から、力が抜けていくのを感じる。
「Vegasには好きなことをしてほしい。それが何でも俺は反対しない。出来れば人は殺してほしくない。でも危険を排除するためなら誰を撃ち殺したって構わない」
「過激だな」
「当然だろ?普通には生きられない」
そんなことはないと言おうとしたが、自分の口から出たのは溜息だった。Peteの言うことは間違ってない。たとえ今、危険がなかったとしても思い掛けず命のやり取りを強いられるなんてのはマフィアの世界では、よくある話。
まして過去の因縁がいつ明るみに出るかも分からない。
「知らない奴に守らせるなんて、二度と言うなよ。俺のトラウマ知ってるだろ」
胸元からするすると這い上がる両手は首元を掠めて後ろへと回される。不安にさせない…そんな約束を口にしたところで、守れないことは二人が一番よく分かってる。互いが辿った過去は消せない。
「自衛はする」
抱きついてくるPeteの小さく丸まってしまった背中を撫でると腕の力が強まる。
「それだけじゃダメだ。ちゃんと訓練を受けた奴じゃないと、いざという時に対処出来ない。Vegasだって分かってるだろ、強いだけじゃ生き残れないって」
Peteが生きているのは運じゃない。元々の素養に加えて警護のための訓練に励み、活かせる能力があったからだ。尾行については驚くほどの "Have bad taste"だったが、対象が俺で本当によかったと思う。
「本気で訓練を受けたいのか」
「冗談で自分から、あんなキツいことしたいって言う奴いるかよ」
「"Not enough?"」
「なに?」
何のことを言われているのか分からないPeteは抱きついたまま首を傾げる。
「俺の努力が足りないのかと思って、心配になっただけだ」
背中を下り尻を撫でると、性急に身を引き剥がしたPeteの顔がみるみると赤く染まっていく。
「"What did you imagine,Pete?"」
「な、何も考えてないッ!何で笑ってるんだ?馬鹿Vegasss!!!」
数週間後、Vegasは広いリビングでひとりTVを観ていた。正しくは電源が付いているだけで画面を見てはいない。Peteの訓練の話は結局うやむやにはならず、一週間前からPorscheの口利きで本家の訓練に参加している。
なにも早朝から始まる訓練パターンを選ぶ必要なんてないだろうに、毎朝5時には家を出ていき帰宅は21時過ぎという生活を送ってる。
流石のVegasも欲求不満を募らせているわけだが、Peteはまったく気づいていない。あと一月は、この調子だと昨日キラキラとした瞳で告げられたばかりだ。
Vegasが見つめる視線の先には19時過ぎを指す時計の針。耐えて家で待つべきか。それとも訓練後の"Runner's High"からのPeteの昂ぶりに淡い期待でもして迎えに行くべきだろうかと、彼の葛藤はしばらくの間、続くのだった。