〈裏切り者には 必ず 死を〉
それはティーラパンヤークン家の信条で、いつしか俺の信条になっていた。生まれてから今日まで、いつだって死は身近にあった。そんな世界で生きてきた。
なぜ耐えられる?そう問うPorscheに、選択の余地はないと答えた。いちいち辛さを感じてたら、とっくの昔にKinnという男はティーラパンヤークン家から逃げ出すか、自らこの世を去っていただろう。
『あんたに感謝してる』
不意にそう言われて心が動いた。無防備に笑うこの男の唇に触れたら一体どうなるのか、知りたかった。決して綺麗とは言えない埠頭に座り込み、雰囲気の欠片もない酒臭い口付け。触れてから後悔した。この世界に置いておくには忍びないと思ってしまうような何も知らない普通すぎるこの男の唇は柔らかく、とても甘やかだった。
翌日、Porscheが憶えていないのは予想外だった。苛立ちと安堵が共存する不思議な感覚。他の男といると腹が立ち、暗に恋人の存在を確かめるような問いかけをする自分の、まるで10代みたいな子供っぽさに笑いが込み上げた。
オークション会場でPorscheの姿が見えなくなった時、平静を保たなければならない自分の立場に嫌気が差した。彼のボスじゃなければ?彼が恋人なら?…──マフィアじゃなければ?
酔いの回ったキスだけで後悔したのだから当然一線を越えるもりなんてなかった。でも気になって仕方ない。放っておけばよかった。そんなのは無理だと分かってる。BigやKenと一緒に戻るべきだった。
何を言い訳にしても、もう遅い。薬を盛られ正体をなくした男の幼稚な挑発に反応した身体は最も容易くPorscheを貪り、初めての快楽に溺れた。
昔から父は何でも知っている。監視されているのだから当たり前だ。父が知らないことなど、きっとない。危険ばかりが付き纏う世界に生きる親の愛情なのだと思い、幼い頃から受け入れてきた。
父から向けられた眼差しに耐えられず、言い訳がましい言葉を並べた。Porscheだけを特別扱いするなと言った父の言葉は尤もらしく聞こえる。罰を与えるための体のいい理由は用意されていて、従う以外の選択肢は用意されていなかった。
一線を越えたせいで一線を引く羽目になるなんて、なんて馬鹿げた関係だろう。突き放すのは簡単だろう。今までと同じように振る舞うだけでいい。手に入らないのなら父の言う"最善"を選ぶしかないのだ。
いつか…もし進む道を選ぶ機会が訪れたなら、果たして俺は選択肢を与えられたことに感謝するだろうか。それとも見て見ぬふりをするのだろうか。
いや。そもそも、そんな機会は来ない。考えるだけ無駄だと、そう思っていたのに。
まさかPorscheとふたり、手錠に繋がれたまま野に放り出されるなんて。戻る手立てを考えるより先に仕込まれてるGPSを握り潰していた。
海辺でバーを開くのが夢だと語ったPorscheの瞳は幼い子供のようにキラキラと輝いて見えた。つい口を滑らせた、幼い自分が思い描いていた歌手になりたいという夢は遠の昔に諦めがついてる。今は一族の繁栄が大事だ。
一族を繁栄させるのが夢なんて、そんな子供はいないと彼は言う。だが、もう子供じゃない。 あの日から子供ではいられなくなった。
今となってはティーラパンヤークン家の繁栄を一番に願い、マフィアの跡継ぎ以外の何者にもなれない男。
落ちた崖の下、腕を差し出す決心をしたPorscheを前にした時、不思議と自分と彼とでは互いを想う気持ちに違いがあるような感覚に陥った。数日を共に過ごし、今まで誰にも感じたことがないぐらい深く分かり合えたと思えるのに、それが同じ情愛ではない気がした。
実際のところPorscheがどう思っていたのかは最後まで聞けなかった。だから本当のところは分からない。ただ彼には夢を諦めてほしくなかった。
今ならまだ間に合う。
「逃げろ」
「は?」
「森で死んだことにする。お前は弟と暮らせ」
「…………」
「バーを開けるぞ、夢を叶えろ」
「なぜだ?」
「分からない。お前が腕を差し出したから」
「…………」
「お前と一線を越えたから」
「…………」
「または…お前の笑顔を見ありがとうたいから」
心からそう思った。もし何年経ってもこの男を忘れられなかったら、その時は海辺のバーを探し歩けばいい。
Porscheとの口付けは最後まで後悔の味しかしなかった。