ブラックジャックの妄想ことのはじめは、静御前。
静御前の役割を与えられた奏汰の一挙一動は、まるで舞いのようだった。流星隊の衣装とは打って変わって動きが制限される衣装に、自然と奏汰の動作も丁寧になっていたのだろう。
そうして、牛若丸の衣装に身を包んだ颯馬は頭を抱える。不満であったわけではない。寧ろ、身に余る光栄であり、歓喜極まる想いだった。だからこそ、頭の奥が痛む。
からからと朗らかに笑うのは、弁慶の衣装に身を包んだ男。
五条大橋の上で出会った牛若丸と弁慶。さて、颯馬と斑の出会いは真に我らが夢ノ咲学院であるのだろうか?
知ってか、知らずか。源氏の家系である颯馬を牛若丸に選んだ斑。そして知ってか知らずか、颯馬にとって言葉通り神であった奏汰を静御前に選んだ。
知らぬはずが、あるものか。
幼き頃拝謁したときのように着飾った奏汰を前にして、颯馬はただ手を伸ばすことしかできなかった。
「……とまあ、あの頃は三毛縞殿も丁寧だった」
「何が?」
思い出話と言うにはまだ然程の年月も経っていないが、遥か昔の出来事のようにも感じる。
「何がも何も……うむ、万事問題なく済んだようであるぞ」
「君たちがスマホを使っている様子はいつまでも慣れないなあ。タイムトラベラーのようで愉快でもあるが!」
「ふふん。我が一族も日々成長をしておるのだ」
得意げな表情とは裏腹に、辿々しくスマホをタップしながら颯馬は通知を確認していく。
夢ノ咲学院の地下にある、隠された空間。そこへ忍とプロデューサーを送ることは、颯馬にとってはさほど難しいことでもなかった。
それは、颯馬の家からの信頼が厚いことを証明している。いきなりアイドルを目指した変わり種であるにも関わらず、その印象すら打ち消してプラスに転じるほどだ。一言で言えば、良い子。それが家から颯馬への印象だった。
「成長は大切であるが、初心を忘れてはならぬ。三毛縞殿、どんどん我への頼み方が雑になる」
「そうかあ?」
「うむ。今一度、あの粋な計らいを思い出してほしい」
駄々を捏ねるような口ぶりではあるが、颯馬の表情から怒りや不平不満は見受けられない。ほんの少し口元に笑みを浮かべ、月に照らされた夜道を歩く。
「『まぁぶるきゃすと』に関連した協力要請の際、刃物を突きつけた詫びをせよと仰ったのを覚えておられるか」
「それを忘れるほど礼儀知らずではないぞお」
「そして、今回は深海殿に頼む、と」
「……あー」
颯馬が言わんとすることを悟り斑は眉尻を下げた。
「我は……」
脅迫などしなくても、貴方に協力する。その言葉を、颯馬は飲み込んだ。飲み込まなくては、斑はきっと怯んでしまうから。
物騒な世の中などと陳腐な言葉で終えられないほどに、世間は混沌としてきている。無力な人間は搾取され、力ある人間は釘を打たれる。打たれぬようにと支えにしていた家という力は、今の斑にはない。
奏汰を護る代償に失われた支え。その代役。それが出来るのならば、義を心に生きる武士として至高の誉だ。
「……まあ、今回のようなことは金輪際せぬと思っていただきたい」
「ならばまた脅迫をするだけだなあ?」
「面倒な御仁であるな」
一瞬、颯馬と斑の視線が合い、そしてすぐに離れた。
これでまた、有志の際に斑は颯馬を脅迫する。それにより、神崎の家の子である颯馬は、本来斑の後ろ盾であるべきである三毛縞家の代替になれる。
面倒な御仁、と今度は心の中で呟いて、颯馬は斑に苦情を入れる。
「三毛縞殿がこのようなこと、深海殿に頼めるはずがない。雑に脅迫をされると、我はそんなことも分からぬ愚昧にならざる得なくなるのであるぞ」
素直に愛されてほしいと、心中溜息をついた。