センチメンタル・スタージャーニー(仮)「類、迷惑をかけたな」
優しい夕暮れに照らされたセカイ。
そこで唐突に、天馬司はそんなことを口にした。
付箋だらけの台本を片手に、神代類はきょとんとしながら司を見つめる。
「……いきなりだね?僕には司くんにそう言われる心当たりがないのだけど」
「いや、あるにはあるだろう。別にもう遠慮する必要なんてないぞ」
オレはもう大丈夫だからな、と付け足して、司は柔らかい笑みを浮かべた。
太陽のように眩しい笑顔を受け取れば、類は少しだけ困った表情を彼に向ける。
「別に迷惑だなんて思っていなかったよ。寧ろ、司くんの"心"を知れて良かったと思っているくらいだ」
「そうか……しかし、改めて思い返すと少し恥ずかしいな……。というより、寧々たちに言ったりはしなかったんだな」
「おや、司くんは自分が身も世もなく号泣したことを公開して欲しかったのかい?」
「いや!?そういう意味では言ってないぞ!?」
類が弄り、司が慌てて反論する。
彼らにとって当たり前となった日常は、ほんの少し前まで失われていたものだった。
その暖かさを類は内心噛み締めつつ、"戻ってきた"司を優しい瞳で眺めていた。
「冗談だよ。寧ろ僕が君の"心"を見てしまって良かったのかな」
類は本心からそう告げる。
――あの日、司が長らく失っていた弱さを取り戻し、いなくなってしまった"友達"を想って泣いた時……
ただ一人、類だけがその涙を受け止めることができた。
家族でも親愛なる存在でもなく、ただ一人の仲間であった自分があの場に立ち会えた。
それで司は良かったのだろうか……なんて、類にしては遠慮がちな考えを持っていた訳だ。
「……何を言うかと思えば、随分と控えめなことを言うのだな」
「……君、普段僕のことをどう思っているんだい?」
「どうって……変人で演出のためならオレを容赦なく爆発させるクレイジー演出家だが」
「フフ、君も学校では同じ”変人”って括りなんだけどね?」
互いのあんまりな言いように、二人は顔を見合わせて笑みを零れさせる。
この友達のような、信頼のおける仲間のような……そんな空気が、類にとって掛け替えのないもののように感じられるのだ。
ずっとこんな時間が続けば良い。もう二度と、失いたくはない。
……そんな想いをそっと抱きながら、類は夕焼けを見つめていた。
「――それで、先ほどの話に戻るが……」
類の隣で、司は改まったように口を開く。
「オレは類に受け止めてもらって良かったと思っている。
咲希でも、両親でも、冬弥でも、寧々やえむでもなく、他でもないお前だから、オレは"心"を曝け出せたのではないかと思うんだ」
穏やかな表情で、天馬司はそう告げた。
燃えるような夕焼けに染まるセカイを愛おしそうに眺めながら。
……司の言葉を受け、驚愕を顔に浮かべながらこちらを見る類に気づくことはない。
「それは……どうして、そう思ったのかな?」
やや言葉をぶつ切りにしながら、それでも類は問う。
――類だから"心"を曝け出せた
その言葉の真意を問うべく……そして、そこに宿る"感情"を読み取るべく。
「まぁ、オレも正直言葉にするのが難しいのだが――」
「――類が、オレを特別強く想ってくれたのが嬉しかったから……とかか?」
オレの気のせいだったら悪いな!と司はあっけらかんと笑う。
そこに特別深い感情や思惑がある訳でもなく、優しい彼は心の底からそう想っているのだと、類はそう結論づけた。
――同時に、司がそう告げたことにじわりと心が歓喜した。
「……そうか。君がこうして元気になってくれたなら、僕も頑張った甲斐があったよ」
「あぁ、オレもまた皆とショーが出来て嬉しいぞ!今は"王さま"の為に全力を尽くしている最中だが……」
一度言葉を区切れば、司は類へと振り返る。
そして――
「――これから先も、どうか隣で支えてくれ。オレだけの演出家」
太陽のような笑みを浮かべ、司は類へと手を差し伸べる。
――"弱さ"を取り戻した君は、今までよりも輝いてみえた。
その脆さが時に彼を曇らせようとも、頼ることを覚えた今の彼ならば、きっと乗り越えられる筈だ。
だから……類はそんな太陽を前に、密かな決意を重ねたのだ。
(もし、君の心が傷つきそうになったなら……その時は、何度だって癒してみせよう)
(大丈夫。君をこれ以上苦しませることなんてしないさ)
「――あぁ、勿論だとも。君が輝ける星となるためなら喜んで何でもしようじゃないか。僕の座長殿」
司が差し伸べた手を握り返し、類は穏やかな顔でそう告げる。
――その"心"に強い決意を宿し、何食わぬ顔で演出家は星へと密かな誓いを立てたのだ。
「ほう、"何でも"と言ったか?ならばオレがとっておきの難題をふっかけても良いんだな?」
「司くんなら一線は越えないだろう?それに、その難題も"王さま"のためなら僕は妥協なんてしないさ」
「む、流石類だな。そこまで見通していたなら、早速頼ませてもらうが……」
そうして、もうすぐ夜になるだろうセカイで、二人の少年は何時までも語り合っていた。
平穏で、安寧のある日常。
数々の傷と引き換えに漸く手に入れたその日々を、"彼"はずっと続くように祈っていたのだ。
最早憂うことはなく、何も恐れることはないのだと信じきっていた。
――少なくとも、その"夜"が来るまでは、だが。
***
【第一夜】
――本当に、それは偶然だったんだ。
再起した司くんの願いを叶えるべく、僕らは日々"王さまのためのショー"を作っていた。
彼が珍しく告げた我儘は忙しくもやりがいがあり、僕らは笑いながらも最後のハッピーエンドを求め走り続ける……そんな日々を続けていた時だった。
……ある夜、僕は唐突に目を覚ました。
最近は夜でもちゃんと眠れるようになっていた僕にとっては珍しく、真夜中に突然眠気が消え失せてしまったんだ。
――暇の持て余しと、少しの不安
後者の感情が何を由来としているのかわからないまま、僕は何となくスマホへと手を伸ばし――セカイへ至る曲を流した。
夜のセカイを訪れるのは、ルカさんと話したあの日以来だった。
相変わらず夜は落ち着いている不思議の国を見回せば、僕は眠気を呼び起こすために歩き出そうとした。
「――あれは?」
ただ、その足が自由に動く前に、僕は偶然"それ"を目にしてしまった。
夜になったことで全ての灯りが消えたワンダーランド。
その視界の中で、ぼんやりと光が存在する場所がある。
……そして、その光の前に――"誰か"が立っていた。
ざわり、と胸が騒めいた。
その姿は遠くからでは影しか見えない。
……それなのに、僕はその人物が"誰か"を理解してしまった。
……走る。地を蹴って、その光へと吸い込まれるように歩く影を追う。
そうして辿り着いたのは、普段は空飛ぶ汽車が発車する駅だった。
駅のホームにのみ点灯した灯りが、僕と"彼"を照らしてみせる。
ここまでくれば、その距離と灯りによって"彼"についてもよく見えた。
――私服に身を包み、こちらに背を向ける金色髪の"彼"
普段の賑やかさが嘘のように、"彼"は静かに立っている。
その姿を前に――僕は、愕然とするしかなかった。
「――どうして」
ありえない。
君は救われたのではなかったのか。
その"心"だって、十分に癒されたのではなかったのか。
そうでなければ――
「どうして……君が此処にいるんだ」
司くんが……司くんの"心"が、未だに彷徨うことなど無い筈だろう
そう願ってかけた言葉に、"彼"は歩みを止めた。
――それでも、沈黙は止まらない。
そうして、君は僕へとゆっくり振り向いてみせた。
当たってくれるなと懇願にも似た想いで見つめる僕に"トドメ"を刺すべく――
――その"虚ろな硝子玉"が二つ、僕を射抜いてみせたんだ。
『………』
やはり、その司くんは何も言うことはない。
ただ僕をじっと見つめ……その顔はすぐに前を向いた。
――僕は、すぐに動くことができなかった。
ハッピーエンドだと信じていた光景が引き裂かれた時と同じく、僕が信じていた幸福はまやかしだったのではないかと、そう心が動揺していたからだ。
(……また、僕は間違えたというのか?)
冷たい汗が流れる。
駅の中へと歩み出す彼の背を、僕は時が止まったように見つめ続け――
『お待ちしておりまシタ』
突然聞こえた"第三者"の声によって、僕の意識は現実へと引き戻された。
はっとして声が聞こえた先へと目を向ければ、そこには見慣れない汽車が一台止まっていた。
それは普段ワンダーランドのセカイを飛ぶ色鮮やかな汽車とは異なり、黒一色の素朴な塗装となっていた。簡潔に言えば、蒸気機関車を想起させるものだ。
そして――その汽車の乗車口には、"黒い何か"が佇んでいた。
それは人型をしているものの、明らかに人間などではなかった。
汽車の乗車口よりも背が高く、所謂"車掌の制服"とも言うべき黒の衣装を纏っている。
そして何よりも……制帽を被るその頭は、明らかに人の形をしていない。
“黒い球体”と例えるべきか。少なくとも皮膚が見えるべき部分は全て影になっていて、表情どころか元の骨格すら伺うことができなかった。
――詰まるところ"影人間"と称すべき存在が、無人の駅に立っていたんだ。
僕はその不気味な存在と不可解な状況を前に、少しばかり我を忘れていた。
『――サァ、司サマ。どうぞこちらカラご乗車くだサイ』
……それでも、影人間が導くように汽車の乗車口を示し、司くんがそれに導かれるように歩みを進めるのを見れば――僕は弾かれるように動き出していた。
「待ってくれ!!」
叫ぶようにホームへ飛び込み、僕は汽車に乗り込みかけた司くんの手を強引に掴み取った。
――あの時と違い、僕は確かに司くんへと触れることができた。そうなると、やはり目の前の司くんは本物の司くんということなのだろうか?
そう考えたい気持ちはあれど、目の前の司くんは何も言ってくれない。
……一体何が起きているのか、僕には理解出来なかった。
それでも、一人で何処かに行ってしまおうとする君を、僕は放っておくことなんて出来なかったんだ。
『――お客様。手をお放しくだサイ。司サマは"旅"に出るのデスから』
そんな僕らへと歩み寄る、一つの影。
その黒い人型はくぐもった声音で僕を戒めようとする。
そんな異形を睨みつけながら、僕は司くんを庇うようにそれの前へと立った。
「……お前は誰だ?なんで司くんを連れていこうとする?」
『ワタクシはただの案内人デス。"車掌"トデモお呼びくだサイ』
『そして誤解ナキようにお知らせシマス。司サマは、紛れもなく自分の意思で"旅"に出ようとしてイルのデス』
「自分の意思…?」
"車掌"と自分を称した異形は、表情すらない頭を動かし、汽車の乗降口に立つ司くんを見遣った。
……彼が、僕らを置いて旅へと出るというのか。そしてそれを望むほどに、その心は傷ついていたとでも言いたいのか、この"何か"は。
『説明シマス。司サマは此度、ある"王"の導きによって"寂しさ"なる感情を取り戻しマシタ。その感情は今まで捨て去っていたものでアリ、言うなれば"受け取りを拒否シテイタもの"となりマス』
「寂しさを取り戻した…つまり、彼の心が癒えているのは間違っていないと?」
『そうデスネ。お客様が憂うコトはアリマセン。今ここにいる司サマはあくまで"心"だけの存在でアリ、本物の彼は今頃夢の中デショウ』
彼――"車掌"の説明を聞き、僕は驚愕の眼で目の前の司くんを見る。
繋いだ手は、まるで寒空に出ていたように冷え切っていた。けれど、こうしてしっかり触れることのできる彼が、彼本人ではなく"心"そのものだと言うのがにわかには信じ難かった。
『そして――司サマは"旅"にでないといけマセン。彼が今まで受け取ってこなかった"寂しさ"全てを受け取る旅に、彼は向かわれマス』
「……"寂しさ"を受け取る旅、とは何なのかな」
先ほどから車掌が告げている"旅"というワード
それについて問いかければ、車掌は淀みなく僕に答えてくれた。
『旅――それは、司サマが今まで忘れてイタ"寂しさ"を想起させるタメの旅とナリマス。"寂しい"という事象は、人間ならば多く経験することデショウ。今までの司サマは、その感情を忘れることで受け取り拒否をされてキマシタ。……デスが、こうやって思い出してしまった以上、捨てていた"全て"を享受しなければナリマセン』
「……待ってくれ。それはつまり、司くんが過去に"寂しい"と思っていたことを全て思い出させるのが"旅"ということであり――その全てを、一度に思い出させようと言うのかい?」
『ソノ通りデス。流石に一度では時間が足りまセンが、これから夜毎にこの汽車に乗っテ、司サマは"寂しさ"を巡る旅に出てもらいマス』
「……ダメだ。司くんの心は癒えたばかりなんだ。ただでさえ立ち直りかけた"心"を更に傷つけることなんて――」
『イイエ、お客様に拒否する権利はございまセン。
司サマの"心"がこの旅によって再度壊れようトモ、彼は忘れていた代償を払わねばいけないのデス』
食い下がろうとする僕を叩き出すかのように、その影人間は機械的に言葉を紡ぐ。
どうあっても部外者である僕には止める権利すらないと、そう無慈悲に告げられたような心地だった。
……王さまや"寂しさ"を思い出すことは、司くんにとっての望みでもあった筈だ。
ここにいるのが意思のある本人だったとしても、彼は車掌の言う旅を素直に受け入れてしまっただろう。それほどまでに、君は優しい。
――けど、だからと言って、君を孤独な旅に送り出すことは……絶対にできない。
君の心は癒えたかもしれない。それでも、過去の忘れていた傷までは癒せていなかった。
これからの旅によって君はまた"心"に傷をつける。
それが積み重なり、今までのように独りで抱えようとすれば――今度こそ、彼の"心"は壊れてしまうかもしれない。
……そんな考えに至った瞬間、僕は無意識に言葉を紡いでいた。
「――それなら、僕もその"旅"に同行させてくれ」
真剣な表情で"車掌"を見つめる。
……のっぺらぼうのように黒い顔には、当然ながら表情はない。
――その筈なのに、僕は何故か彼が"笑った"ようにも思えた。
『……よろしいノデ?この旅はお客様には関係ないことデスが』
「いいや、関係あるよ。僕は司くんを独りにさせないと誓ったんだ。そして彼の苦しみに寄り添うとも決めた。だから……この"寂しい旅"に、彼を一人で送り出すことはしない」
「旅の道連れとして、僕も連れていってくれ」
強い意志をもって、車掌に願う。
たとえ拒否されたとしても、僕は強引にでも汽車に乗り込むつもりだった。
……司くんが"寂しさ"を捨てていたのは決して悪ではない。寧ろ不可抗力だった。
やっと取り戻せた感情なのに、それによって彼の心が再び傷つくなんてことがあれば……そんなの、悲しすぎるじゃないか。
今、彼は”友”を取り戻そうと走り続けている。
その歩みを止めないよう、僕は舞台裏に立つ錬金術師として、ここに一つの決意を抱いた。
――絶対に、彼を"幸福な終わり"へと導いてみせる、と。
『……良いデショウ。どうぞ、お客様もご乗車ヲ』
結果として、車掌は僕を咎めなかった。
ただ業務的に同行を認めれば、僕らを車内に導くように手を差し向けたんだ。
「あっさりと受け入れるんだね、君は」
『エエ、ワタクシには元より拒否する権利はアリマセン。それに……』
『――司サマ本人が、同行を望んでいらっしゃるようデシタノデ』
車掌の言葉にはっとすれば、僕は反射的に顔を前へ向けた。
……先ほどまで背を向けていた司くんが、僕をじっと見つめている。
相変わらず能面のような表情に無機質な硝子玉を携えて……それでも、その瞳は確かに"僕"を映し出していた。
――ここに僕が存在すると、彼は確かに認識している。
そして何も言わずとも、彼は僕の同行を望んでいたんだ。
「………」
胸にじわりと込みあがった感情を抑え、僕はゆっくりと歩きだす。今度は司くんを僕が導くように、その黒い汽車へ共に乗り込んだ。
汽車の内部はワンダーランドに元からある汽車とそれほど変わらない。
ただ、何処か古びたような雰囲気を感じながら、僕は意思のない司くんの手を引き、客席へと並んで座った。
『デハ、出発いたしマス……』
車掌のアナウンスが響き渡れば、汽車は大きくガコンと揺れ、ゆっくりと動き出す。
――隣の君を見る
依然その瞳は遠くを見ながら、司くんは静かに前を向き続けるだけだ。
……もし、この旅によって君の心が傷つくなら、その度に僕は何度だって救ってみせよう。
僕ができるのは君に寄り添うことであり、その苦しみを共有することだ。
"王さま"を救う前に、君をもう一度失うことなんて絶対にさせない。
だから――もし、この旅が終わった暁には……
どうか、僕に笑いかけてくれないだろうか。
――これより始まるは、"君"の心を真に癒すための物語
この旅路の果てに、万雷の喝采が鳴り響くことを願っている。