20210925「食欲の秋だからさ」
「カップラーメンに関係あるのか?」
ないねぇ、と笑いながらケイトがカップの蓋を開ければ、豚骨の独特の匂いとつんとする匂いが湯気と共に広がる。トレイの手にあるシーフード味が追いやられてしまうような強い匂いがひんやりとしてきた部屋に充満していく。
ぐしゃぐしゃになったシーツと汗や体液を吸って湿ったバスタオル、ローションのボトルとコンドームの箱をベッドの端に追いやって座り、寝間着代わりのTシャツだけを身につけて、熱湯ですらペットボトルの水を炎魔法で温めてカップラーメンを作る。運動後の空腹には抗えない。
知らないうちに日付はとっくに越えてしまってそろそろ土曜日の朝になる。限りなくだらしのない部屋でふたり、気持ちよく疲れた身体を寄せあって麺を啜る。
「ひとくち食べる?ちょっと辛いけど」
「食べる」
トレイの前でも食べられるようになってしまった辛くて赤い豚骨スープは喉の酷使した場所をひとつずつ指摘するようにひりひりとして美味しい。強い塩分が身体に沁みる。熱い汁と唐辛子でじわじわと汗が滲んでくる。パスタのようにフォークでくるくると巻いた麺を蓋を折って作ったカップもどきに載せて左隣に手渡すと、辛そうだなあとつぶやきながら口に運んだ。
麺類やスープをひとくち分けるとき、汁が落ちるから少し迎え舌になるのはトレイの癖だ。きっと自分だけしか知らないわずかな癖がいくつもある。
口内に収まって、くちびるがわずかに光る。やっぱりからい、と眉間に皺を寄せながら笑って、ペットボトルに手を伸ばした。
「ケイトもひとくち食べるか?」
「ん、たべる」
サービス、と小さなエビが麺が巻かれたフォークの上にひとつ載せられた。そのまま一口。シーフードの塩ベースのスープは豚骨を飲んだあとだとなおさらに優しくやわらかい味がする。辛くて痛いラーメンのほうがよほど食べがいがあるはずなのに、こうしてひとくちだけ貰う食べ物というのはどうしてこんなに美味しく有難く感じるのだろうか。
3年生になってそろそろ1ヶ月になる。この間に寮はずいぶんと変わって、ついでにトレイとの関係も少しだけ変わった。いつもやることだけやって日が昇る前に部屋に帰るだけだったのが、こうしてずっと明るくなるまで一緒にいるようになって、ここ最近は毎回なにか持ち込んで食べて昼まで眠るようになった。
噛みごたえのないエビを咀嚼しながらふとトレイを見上げて、
「ふ、んは、トレイくん、かわいい!」
つい吹き出した。
「ん?」
「ふふ、ふ、は、トレイくん、人が食べてるとき、口もぐもぐするの、なにそれかわいい」
「そうなのか?初めて言われたよ」
「オレも今初めて気づいた!」
ケイトを見つめながら自分は食べてもないのに食べた気になってしまうトレイがかわいくておかしくて、カップを机に置いてトレイの頬を両手で包んで犬のように撫でた。さっきよりもほんの少し明るい日光がカーテンから漏れて、照れて赤くなった顔がよく見える。そんな表情が嬉しくて可愛くて切なくて苦しくて悲しくて、辛いものを食べてもないのに鼻の奥がつんとする。
これまでいくつものトレイの癖をみつけてきたと思っていたけれど、こんなに些細なことすら2年間隣にいて今の今まで知らなかった。
あと1年もないトレイとの時間の中で、自分はあとどれだけの癖をみつけられるだろう。
もう3回目の秋だ。次の秋にはもう同じ部屋にいることすらままならないなんて、まだ想像できない。想像したくもなかった。想像したくもないことも、できないことも、別離に慣れたケイトにとって初めてのことばかりだった。
暖かくて柔らかいくるしさでいっぱいになりながら、頬からそっと手を離す。
なんでもないように笑って、かわいいね、とまた言って、なんでもないようにカップを手に取った。
熱いスープでじんわりと汗ばんだ足が意味もなく絡まってきて、絡めながらまたふたり、並んで少し伸びた麺を啜る。
そろそろ日が昇るようだった。暗さに慣れた目には明るくてだんだん眩しくなってくる。眠らずだらだらと交わり続けた身体が重い。食べ終わったらシャワー浴びるか、と言う声はどこか眠そうだ。
時は確実に着実に平等に過ぎてゆく。
涼しくやさしく白い朝の光が、空からハーツラビュルの一室にそっと流れ込んでいた。