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    ナンデ

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    何でも許せる人向け 雑食壁打ち

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    ナンデ

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    山市 出所後の山と市が一瞬だけ邂逅する 暗い小話

    #山市
    yamashiro

    毒になれシュガーポット 山本が出所した日、東京は雨が降っていた。傘のひとつ、持っていない山本は濡れながら公衆電話に小銭を入れて実家に電話をかけた。山深い最早秘境染みた小さな村の年老いた両親に帰って良いかと聞くために。
    「とっくに死んでるわよ。叔父さんも、叔母さんも。は?違うわよ。あんたが捕まる前じゃなくて……もっと前、あんたが東京に出て三年か、四年か……。それより冬樹、あんたもう、電話をかけてこないでよ」
     存在すらおぼろげな親類が電話に出て、呆れ声で冬樹をなじった。帰る場所などとっくになくて、東京に作った居場所も消えた。いつまでも公衆電話ボックスにこもっているわけにも行かず、外に出ると待ち構えていたかのように雨粒が山本の頭にぽつりぽつりと落ちてくる。どこにも居場所はない。繋がりもない。事務所はあの不祥事が原因でとっくに潰れたし、帰る家もなし、誰かに助けを求めるにもスマートフォンは証拠品として押収され、手元に戻ってきた今ではオーパーツのごとき型落ちとなり、そもそも契約自体がとっくに切れている。
     ぽつぽつ、と雨粒が落ちる。財布の中には今日明日でつきてしまいそうな、雀の涙しか入っていない。街灯に照らされたショーウインドウに映る姿はしょぼくれて、惨めだ。街の誰も身につけていない、時代遅れのコート、ボサボサの髪、ここに居たあの時よりぐんと老けた顔。
    「山本さん?」
     ショーウインドウに、女が映り込む。腰までの髪を緩く巻いて編み込み、細い持ち手の白い傘をさしてレインブーツを履いている。彼女が市村だと気付くのに、数分はかかった。市村のほうはしょぼくれた、かつての自らのマネージャーを上から下までジロジロと眺め回し、合点のいったように吹き出した。
    「ヤバ、カッキーみたい」
     コロコロと鈴の音が鳴るような声だった。少女の頃はつぼみであった、彼女の愛らしさが花開いたのだと山本にもわかった。街灯の光と、雨の夜の薄暗さとで市村の睫毛がやけにキラキラふるえて、肩をすくめて困ったようにしているのがたまらなくキレイで、山本は口を開けて、呆然としていた。
    「え?わかんない?嘘でしょ。あんだけ、私にあんなことさせといて?」
    「市村?」
    「分かるんだ。だよね。良かった、さすがにそこまでクズじゃないよね。安心した。で、どうしたの?なんか……くすんだ?っていうか、ホームレスみたい。みたいじゃなくて、ホームレスなの?」
    「まだ……」
    「まだなんだ。やばァ……つか、ウケる。ね、ごはん奢ってあげようか。どうせお腹すいてるでしょ。行こ」
    「いや俺は……ああ、いや、うん、頼む」
    「あは。久しぶりに聞いた、山本さんの頼む」
     市村は傘を貸してはくれなかった。少しのスペースも分けてはくれなかった。山本は仕方なく雨に濡れながら、ゆったり歩く市村の後ろを歩いていく。やがてビルの中に入ったチェーンのコーヒーショップを見つけた市村が「ここにしよ。ミラノサンド美味しいじゃん」と告げて、さっさと入ってしまったので後に続いた。今どきの女性といった風貌の市村の後に入ってきた、俯いたびしょ濡れの男に店員は驚いていたが市村が「ふたりで」というと渋々席を案内してくれた。山本は濡れた髪を耳にかけたり、額に張り付いた前髪を手ではらおうとしたりして、店員からわざと目をそらした。それから店員にここまで嫌そうな顔しなくてもいいのにと心の中で念を送り、大人しくカウンターで市村が注文し終わるのを待っている。
    「山本さん、生ハムとアボカドサーモン、どっちにする?」
    「な、生ハム」
    「だよね。すみません、こっちの生ハムとボローニャソーセージのサンドをセットで。ドリンクはどっちもコーヒー……アイス?ホット?」
     市村は時折、山本のほうを振り向いて聞いてくる。山本はその度に一言、二言ぼそぼそと返した。
    「市村、あの……」
    「なに?とりあえず、座ろ?後ろで待ってる人いるから」
     市村はコーヒーとミラノサンドの乗ったトレイを抱えてすいすい店の奥に進んでいく。山本は濡れた服が他のテーブルに触れないようにおっかなびっくりついて行く。いたたまれない。でも腹は減っている、ついて行かない理由がない。
    「ほら、ソファ側座りなよ。私トイレ近いほうがいいからこっち座りたいし」
     すすめられるままソファに座ると、湿ったズボンにソファの合皮が滑り気持ちが悪い。もぞもぞと尻を動かして程よい場所を探すが、そんな所はどこにもない。テーブルに置かれた、コーヒーの湯気がより一層山本を惨めにした。市村がゆったりとした手つきでシュガーポットに手をかけて、ひとつふたつ角砂糖をコーヒーのカップに落とす。ミルクは入れなかった。彼女は大人になったのだろう。色んな意味で。この会わなかった歳月で。
    「食べなよ」
     目線だけで指し示される。生ハムと、ボローニャソーセージのミラノサンドは山本を待っている。
    「あは、お腹空いてたんだ……。あははっそんなに必死に食べてる山本さん、初めて見たかも!」
     市村は口元に手を当てて笑う。心底楽しそうに、嬉しそうに、目を細めて肩を揺らし、伸びた爪と髪と、濡れそぼった服よりも目の前のサンドイッチを優先する男を殴るように蹴るように、笑い続けた。周りの客が何事かと視線をやり、今風の若い女の子がびしょびしょでボロボロの中年男と、向かい合って座る異様な風景に眉をひそめた。でもここは東京。大きな街、広い街、人と人との距離が近くて遠い街だから、だあれもとがめてはくれない。声をかけてはくれない。市村が嬉しそうに髪を揺らして笑うのを、山本がもう泣きながらサンドイッチを飲み込んでいるのを不審に思いこそすれど心配などしてはくれない……東京だから。東京じゃなくても。異端者やはぐれ者は遠巻きにされて、ひそひそ話のネタになるだけ。
    「あーあ!久しぶりにこんなに笑っちゃった。ね、山本さん、私の分も食べていいよ。欲しいでしょ?」
     山本は返事をせずに、市村の差し出したサンドイッチにかぶりつく。市村は目を細め、コーヒーを飲んでいる。
    「山本さん、覚えてる?私が美人局なんてイヤって言った時にさ、そんな事言わないでくれって。俺だってやらせたくない、だけど仕方ないってさ、私の肩を抱いて……」
     コーヒーカップから離れた指が、市村の肩にかかる。指先はあの頃と違ってつやつやのピンク色がのっている。ピンクと白のフレンチネイル、よく見れば控えめにビジューも飾られて小指には簡易的な花も描かれている。女の子らしい、ありふれたデザインの、大多数の人間が好きな爪先。
    「練習すればうまくなるって、連れてったよねラブホテル」
     山本の手元にはもうミラノサンドはなくて、パンくずに塗れた指先は汚れていた。洗ってもとれない黒ずみと伸びた爪の間のとれないゴミ、こまめにハンドクリームを塗るなんて到底出来ない環境のせいで指先も手のひらもガサガサに荒れていて、あの頃市村しほの身体をつまびらかに顕にしていった男の手とは思えない。
    「結局カッキーとはしなかった。ていうか、酷いよ。私あの後勇気出して関口さん、だっけ。あのおっきな黒いジャージの人。あの人に聞いたの。私まだこんなことしなきゃダメですか。冴えないおじさんとエッチしないとダメなんですかって」
     山本がコーヒーに角砂糖を入れようとしたら、市村が先にシュガーポットのふたを開いた。ひとつふたつ、みっつ入れて、もうひとつふたつとまた入れた。「カロリーとっといたほうがいいよ。これから大変でしょ」と鼻歌でも歌うみたいにどんどん入れて、山本の手元のコーヒーはとろみのついたどす黒い液体に成り下がった。
    「そう、それでね関口さんが別にしなくてもいいって。金さえ入ればそれでいいって。ウケる。良かったんじゃん、練習なんかしなくても……私初めてだったのに」
     山本はカップをかたむけて、飲んだ。溶けきっていない砂糖が口内でじゃりじゃりと音を立てる。美味しいものでは決してなかったけれど、市村の言う通りこれから先のことを考えるとカロリーは摂っておきたかった。死なないために。生きるために。
    「ねえ、聞いてる?山本さん」
     市村の指が、爪先が、山本の指にふれた。怯えて手を引っ込めたら嬉しそうにしていた。
    「山本さん」
    「い、市村」
    「山本さん」
    「市村……」
     山本は今こうして目の前にいる市村が夢なのではないかと思えてきた。ほんとうの市村はまだ少女然とした、売れないアイドルの三番手で、山本にとっての駒のひとつで、戦略のひとつで、使い捨てるための道具の一人で、こうやってコーヒーを飲みに連れてきたのは自分のほうで、自分はこの後レジで領収書を貰ってあのビルに帰るのだと、それが現実ならと思った。願った。有り得ないと分かりながらも、耐えられないので夢想に逃げた。
    「良かった。山本さん、幸せそうじゃなくて。私、ずっと恨んでたから」
     市村はぼうっとしている山本をそのままにカップの中の残りを飲み干すと立ち上がり、バッグの中から財布を出して万札を二枚取り出してテーブルに置く。
    「感謝もしてるよ。あの頃一番私たちのためにがんばっててくれたのも山本さんだったし」
     そのまま、市村は振り返らずに行ってしまった。ふわふわの髪を揺らして、フレアスカートをなびかせて、今の市村の話をひとつもせずに、これからの山本に一切の未練なく。山本は置かれた万札をポケットにねじ込んで、ズボンが濡れていたのを思い出して慌てて取り出し開いた。くしゃくしゃの万札は間違いなく山本の命綱で、山本は悔しいよりも悲しいよりも先に助かったと思ってしまった。
    「う、うう……う……」
     泣いても、今度は誰も山本を見なかった。誰も山本を見なかった。向かい合って山本を見ていてくれた市村しほは、この街のどこかに消えた。山本が目を背け続けていたあの日の市村しほは過去に取り残されたままだ。山本さん、山本さんと山本を呼ぶ市村の声が懐かしい。三矢と二階堂の後ろで微笑む、控えめな女の子。あの日自分の夢のために、二階堂ルイのために、罪を隠す対価に差し出すために抱いて散らした女の子。
    「市村……」
     ミステリーキッスが世に出ることはもう二度とない。市村しほは今、幸せなのだろうか。貧しい家からも、アイドルの立場からも、美人局を強要する悪い男たちからも逃れて、まっとうな女の子をやれているのだろうか。市村しほは今、幸せなのだろうか。彼女の求める大きなお風呂は、手に入ったろうか。
     山本には分からない。もう二度と分からない。誰も知らせてくれない。会うこともないだろう。コーヒーカップに口を付けた。甘すぎてじゃりじゃりの不快感しかない半固形の液体が、口内に留まる。続けて水を飲んだ。もう一度、コーヒー。また水を。繰り返し、繰り返ししながら山本は考える。市村しほは金剛石足り得たろうか。

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