3日目『お腹いっぱい!』 私の職場であるコスメ売り場には様々なお客様がいらっしゃるが、そのお客様はなかでも特別目を引いた。制服を校則の規定通りに着こなすような勤勉な男の子がひとりでいるというのも珍しかったし、その子の容姿がとても美しかったのもある。
切れ長の目元に泣きぼくろを携えたその男の子は、三十分くらい前にも店の前を見回しながら通過していったはずだ。その視線が何かを探すようにさ迷っているのは、先程みかけたときと変わらない。たまたま手が空いていたこともあって、私はその子に声をかけることにした。
「何かお探しですか?」
「ああ、はい」
店員が近づいて来ているのが見えていたのか、声をかけられたのに対して驚いた様子もみせずに淡々と頷く。
「お手伝いは必要ですか?」
「お願いします。実はリップを探しているんですが、種類が多くてどれがいいのか全くわからなくて」
ただ売り場を見回していたように見えたけれど、思っていたよりも困っていたらしい。声をかけてみてよかった。
「リップですね。贈り物ですか?」
「はい」
迷いなく頷く。うーん、これは彼女にだろうか。返事は落ち着いているけど、どうみたって高校生だ。これだけ顔がよくて大人びていれば、彼女の一人や二人はいるだろう。いや、二人は問題あるけど。クリスマスやホワイトデーは遠いから、きっと誕生日や記念日ってところだろう。
「お相手の方はどんな方なんですか?」
利用シーン、年齢、肌の色、服装の好み。リップのカラーは選択肢が多いうえに、下手な色を選ぶと浮いているのが目に付きやすい。軽率に勧めて、失敗してしまったらかわいそうだ。
「どんな……」
少し顎に手を当てて、考えこむ仕草を見せる。
「俺にとってはかけがえのない大切な人です。迷ってばかりだった俺を受け入れて引っ張ってくれたかっこいい人で、とても尊敬しているんです。でも、照れ屋で可愛い一面もあって」
思慮深そうな口から、想像もしていなかったマシンガントークが飛び出す。そんな剛速球でノロケが飛んでくると予想もしていなかったので面食らう。その人のこと大好きすぎるでしょ。
「その方のこと、とってもお好きなんですね。ええと、年上の方ですか?」
「あ……、同級生です」
語りを遮ってしまったせいか、む、と唇を一文字に引き結んで黙ってしまう。怒らせたかもしれない。頼むからSNSとかでこの店の店員の接客が悪かったとか書かないでくれと内心で冷や汗をかいていると、白い頬がじわじわと赤く染まっていった。ものすごくわかりにくいけれど、もしかして照れているだけ? 多分、質問の意図を取り違えたことに気がついてしまったんだろう。
「相手の方も学生さんなら、あんまり色の濃いものは避けたほうがよさそうですね」
「そう、ですね」
「肌は弱い方ですか?」
「あ……唇は良く荒れると言っていました。その、舐めてしまうせい、らしくて」
「それでしたら、保湿が売りの商品をメインにいくつかご紹介しますね」
ああ、唇を舐めちゃう子っているよね。私も昔はそうだった。剥けているのが気になって、舌でつついてしまうのだ。なんだかこの子が変に言い淀むせいで、彼女の口をペロペロ舐め回しているようにも聞こえてしまったけど、まさかこんなに清楚そうな子がそんなことするはずないものね。
口紅というよりは、リップケア寄りの商品をいくつかピックアップする。色も派手なものはないから、学校でもつけやすいし、何より好みが割れる心配も少ない。いくつかオススメの商品を紹介してみせると、少し悩んでから一本のリップを手に購入することに決めたようだった。
決め手は、ブラックとゴールドのシンプルでクールなパッケージがその子の好みに合いそうなのと、どうやら少し甘めの香りがイメージにピッタリらしい。プレゼント用の包装に包まれたリップをショッパーに入れてお渡しし、入口までお送りする。ぺこりと丁寧にお辞儀をして帰っていく彼は、受け取った紙袋を手にウチの店のリップの甘さなんか目じゃないほどの甘ったるい目をして微笑んだ。きっと彼女さんのことを考えたに違いない。
何も口にしていないのに、なんだかお腹がいっぱいになった気分だった。ごちそうさま!