子犬にはご法度なので昼寝にはいい天気だった。日向が当たるリビングの窓際で昼寝して、日光を吸った彰人の毛も服もほかほかと温まっている。きっとこの季節に撫でたらさぞ心地よくて、主人もこの毛並みを手放せなくなるだろう。ぐっと伸びをして体の凝りを解し、同居人の存在を探して立ち上がった。
ふすふす。彰人は鼻をならす。甘くていい匂いだ。きっと今日も飼い主はいつものエプロンをして、キッチンに立っている。
甘いものが得意でない冬弥が甘いものを作ってくれるのは、いつも愛犬である彰人のためだった。だから、今回のも自分のためだと自信に満ち溢れた足取りでキッチンへ向かう。爪がフローリングに擦れて、チャカチャカとご機嫌なリズムを鳴らしていた。
「待て。彰人、ダメだ。ステイ」
しかし、現実は厳しい。料理によっては背中に張り付くように抱きつくのを許してくれるときもあるのに、今日はキッチンとダイニングの境目でお叱りがとんできた。これ以上入ってはいけない、と。彰人は冬弥の言うこと限定で言いつけを守れる良い子なので、ダメと言われたからにはキッチンに立ち入ることは出来ない。
しゅん。上機嫌に揺れていたしっぽが下を向いた。彰人には理解出来ない理屈だけど、これをやると冬弥は手のひらを返してちょっとだけだぞと許してくれることがあった。顔を俯かせたまま器用にに瞳だけで冬弥を伺うと、見下ろしている視線と目が合う。どうやら彰人がここに居ることを諦めるまで見張っているつもりのようだ。今回は効かなかったらしい。
「今作っているチョコレートはいつもお世話になっている人の分だから、彰人のじゃないんだ」
オレのじゃない。こんなにいい匂いがしているのに……!?全くもって信じられない。彰人はショックで固まってしまった。冬弥の言うお世話になっている人には心当たりがあった。いつも声がデカくて、豪快に彰人の頭を撫でる人。あんなのにオレが負けるだなんて!不満げにヴゥ、と喉の奥が鳴ったのを見咎めた冬弥がこら、と目尻を厳しくする。こんどは彰人の気持ちに連動して、しっぽどころか耳までくたりと元気を失ってしまう。
冬弥は腕組みをして、彰人が折れるのを見届けようとしている。このままここに居座っては冬弥の手によって追い出されてしまうだろう。冬弥は主人の手を煩わせてしまった彰人のことを、わがままな犬だと呆れるだろうか。
仕方なく踵を返した彰人の耳に、ホッと冬弥が安堵の息を吐いたことが寂しい。くぅ、と喉から甘えた声が出たが、冬弥には届かなかったようだ。
面白くない気持ちになった彰人は、冬弥のベッドを占拠して立てこもることにした。まだ一緒のベッドで寝られるくらい小さいころは、冬弥のベッドに上がっても何も言われなかった。しかし、成長にあわせて彰人には冬弥が専用の寝床を別に用意してくれていて、冬弥が彰人を大事にしてくれるのが嬉しくて、その気持ちを尊重したかったから普段は渋々そちらで寝ている。
朝起きたときに軽くベッドメイクしたのだろう、整えられた掛け布団をベッドから剥ぎ取って頭から被る。おまんじゅうのような風貌も気にせず、ぎしりとスプリングを鳴らしてベッドの上に寝転がった。
そうすると冬弥の香りでいっぱいになって、ちょっとは胸の底を冷やした寂しさも紛れる。お菓子作りが終わったとき、彰人がいないと焦って探し回ればいい。布団に籠城しながら、安心する香りに包まれて、もう一度彰人は睡魔に身を委ねた。
「彰人」
ゆさゆさ、と体を揺すられてはっと目が覚める。
「お腹を出して寝ていたら風邪をひいてしまう」
冬弥の声に、大の字の体制からがばりと跳ね起きた。足の先にかろうじて引っかかっていた掛け布団が、重力に負けてずるりとベッドの下へ落ちた。
捲れ上がっていたニットの裾と、ぴょこぴょこと寝癖が跳ねた髪を冬弥に直して貰いながら、きょろきょろと辺りを見回して、ようやくここがどこなのか思い至って……どうしてここで寝ていたのかを思い出した。
まだ怒っていると伝えるために口を尖らせて、背中を向ければもっふりとしたしっぽに頬をぶつけたらしい冬弥から「わぷ」と悲鳴があがる。
「追い出す形になってすまない。チョコレートは犬の体には悪いから」
しっぽをもふもふと揉みながら謝罪する冬弥は、まだエプロンを脱いでいない。冬弥らしからぬ甘い香りを纏っている。あれからどのくらい経ったのかは分からないが、彰人を構えるくらいには作業が一段落したのだろう。
そっぽを向いたまま全身を寄りかかるように預けると、横抱きのような体制になる。腹いせに体をごしごしと強く擦り付けるように身動ぎして、香りを上書きしていく。
顎の下を指先が掻き、つむじにキスをされて。そうやってわかりやすく愛情を示されれば、抑えの効かないしっぽが早々にゆらりゆらりと揺れ始めてしまう。チョロい自分が何より許せない。もうあとひと押しくらいしてくれたら、許してやってもいいのに。くすりと微笑む冬弥の吐息が彰人のくせ毛をそよがせる。
「彰人のためにプリンを作ったんだ。そろそろ機嫌をなおしてくれないか?」
冬弥のお伺いに、仕方がないなとばかりに鼻息をこぼしてやった。だって、彰人もいつまでも拗ねたフリなんてせずに、冬弥と一緒に過ごしたかったから。