冬花火中学生最後の冬休みが始まったその日、実家でのクリスマスパーティを終えると揃って俺の部屋へと帰ってきた。
弟の言う「週末婚、通い妻」はあの夏から続いていて、気付けば同棲開始までもう間も無くという時期に差し掛かっていた。
週末を迎えるごとに千寿郎の私物も増えてきた。初めて泊まりに来た日、パジャマを置いていきなさいと言ったら頬を染め花が綻ぶように微笑んでくれた。そのパジャマも今や秋、冬と順調に枚数を増やしグラスやマグといった物も二つ仲良く並ぶようになった。
年が明け春が来れば此処で二人の生活が始まる。兄弟としてはもちろん、恋人同士としてもっと仲を深められたらと思っているのはきっと俺だけじゃない。
思いを通わせてから向こう、今まで以上に弟が可愛くて仕方がない。頭を撫でればそのまま引き寄せ唇を重ねたくなるし、ハグをすればその細さを確認するように素肌を暴きたくなる。しかし相手は中学生、義務教育真っ最中だと思えばこそ我欲を抑え込めてきた。だというのに当の本人からキスを強請られた時には思わず決意が揺らぎそうになった。
思えば多感な時期、恋に恋もすれば好奇心もあるだろう。その上相手が実の兄となれば確証を得たい気持ちも理解してやれる。その幼い心は何時だって不安と隣り合わせだろう。特別に好きだと伝え合った日に乱暴なキスをして以来兄弟以上のスキンシップをしていなければ余計に。
しかしそれは大人としての矜持でもあり義務なのだときっと聡いあの子ならわかってくれるだろう、敢えて話しはしていないがこれは建前だ。実際のところもし一歩でも踏み込んでしまえば止まれる気がしないのだ。
あんなにも愛らしく清純な生き物が真っ直ぐに恋心を向けてくれているのに、それを汚し欲望でねじ伏せてしまいそうな自分が恐ろしい。そしてなによりそんな俺すら受け入れてしまいそうな千寿郎を守らなくてはいけない。
なにも急ぐ事はない、今は鬼も居なければ大正でもないのだ。だからこそこうして夜道を並んで歩けるんじゃないか、と噛み締めていると街灯の下で千寿郎が左手の手袋を外した。日も暮れたし家まではまだ少しある、かじかんでしまうぞと言いかけた時その温かな手が俺の指に絡んだ。
手袋もしていない武骨な手は冷たいだろうに、と強く握り返すとそのままコートのポケットへと招き入れる。
えへへ、と笑った横顔にそうかこれが狙いだったかと可愛い策士殿と指を絡ませる。弟ではなく恋人を甘やかす動きへと変えれば淡く紅潮した頬の色がまた俺を惑わせる。
その思いを断つように歩き出したが千寿郎の発した小さな声に呼ばれ立ち止まった。
「あ、」
「どうした?」
「このポスター見てください、冬の花火大会って」
「ああ、少し前から貼られていたが区の記念行事のようだな」
「日付今日、今夜ですよ!会場の公園って…」
「ベランダから見える先の…あの公園だな」
「じゃ、じゃあ…っ」
腕時計を確認すれば間も無く打ち上げ開始時刻。千寿郎にそれを伝えると繋がれた指にきゅっと力が入った。
「あたたくしてベランダから観ようか」
「はい!」
俺からも握り返し再び歩き出すと小走りのような速度で部屋を目指す。兄弟と恋人が混ざり合うような感覚は何度味わっても良い、そうこっそりはにかんでいるとまた一段速度が上がった。
***
部屋のドアを閉めた時、ちょうど外から大きな音が響いてきた。
カーテン越しにも暗い室内に明かりが散っていて自然と気持ちが昂っていく。一度顔を見合わせるとそのまま部屋を進みカーテンへと手を掛けた。そして再び視線を絡め同じタイミングで明け放てばドンという音の後に視界いっぱいに光が降り注いできた。
「わ、ぁ…」
「見事だな」
夏よりも鮮やかに見えると聞いた事はあったがここまでとは、と揃ってベランダに出ると静かに夜空を見上げた。赤、緑、とどこかクリスマスを意識した色が多い気がして微笑んでいたけれど、今年の夏の花火は全く記憶に無いなと苦笑へと変わっていく。
千寿郎が母上に嘘をついてまで姿を眩ませたあの夜。愛しい子の姿を探して、探して、花火一つ見上げる余裕も無かった。離れると覚悟を決めたのに失うかもしれないと思った瞬間恐ろしくて堪らなくなった。俺という脅威を遠ざければ千寿郎は平穏に暮らせる、それが弟の為だと信じて家を出たのに目を腫らしたこの子を見付けた瞬間に全てが吹き飛んだ。
互いに恋心を向けている、そう確認し合うには酷いキスだった。花火も終わっていたし、結果良ければと思ってみても後悔がゼロかと言えば嘘になる。
なんせ初めての恋だ、余裕など皆無だがそこは大人としてきちんと立ち回らなければならないだろう。そう何度一人で反省しただろうか。千寿郎を守りながら仲を深めて行く、恋とはなんて難儀で難解。そして楽しいのだろう、色々な光に照らされ花火にも負けない瞳が隣できらきらと輝いている。
この美しさの前では恋の悩みすら赦されていく。千寿郎が隣で笑っている、それが全てだろうと。
「綺麗ですね…」
「ああ、」
「兄上…花火観てます?」
「いや、千寿郎を見ている」
「も、もう…っ!」
弟の頬が染まっているのは花火の赤かそれとも、とそっと唇を寄せる。キスとも呼べない触れ合い、そう思っていたのに千寿郎がこちらを向くと強い視線が俺を見上げてきた。
「もう少し大きくなるまでキスはしないって言ったのは兄上なのに」
「すまない」
「ゆるしません」
「千寿郎…」
視線を合わせ改めて謝罪をと腰を屈めると、コートの胸元を引き寄せられ体温が触れ合った。すっぽりと収まった華奢な身体から子どもらしい高めの温度と心音が伝わってくる。とくとくと響くそれは俺の音と重なり合い共鳴していく。
「さっきみたいに手を繋いで一緒に花火観てくれなきゃ、許してあげないんですから…」
「……」
「夏、一緒に観られなかったから…嬉しくて…」
「……っ」
寄せた頬を猫のように擦り付ける姿が愛らし過ぎて気付いたら思いきり抱き締めていた。これからも一緒に沢山の綺麗な物を観よう、美味い物を食べよう、同じ時を生きて行こう。その思いのままに力を込めていたら苦しいと背中を叩かれてしまった。
すまん!と叫んだ俺の頬を柔らかな物が撫でる。
「これで許してあげますから花火…観ましょ…っ」
呆気にとられている間に小さな手がポケットに入り込んできた。早い心音の宿る優しい温度に呼ばれ、形を確認するように手首から撫で下ろし一本一本を絡めていく。指先で口付けるように突いてなぞって愛でていけば、じわりと汗ばむほどにポケット内部の温度が上がった。
「春が、楽しみだ…」
「は…い…、」
また同じ景色を観られた幸せと確かな興奮を寄せ合うと、冬の夜空に咲いた花に二つの熱い吐息がたなびいた。