夏。
それは山滴る季節。
蝉は短い生を謳歌せんとばかりに鳴き、植物達が我先にと生い茂る。
心頭滅却すれば火もまた涼し、なんて戦国時代の禅僧は辞世の句を読んだらしいが、現代の暑さを体感すれば「ファッキンホット!」と両手の中指をおっ立てながら滝壺にダイブすること待ったなしだろう。
『今日は全国的に夏日となり、40℃を超える地域もありそうです。不要不急の外出は避け、出掛ける際もショッピングモールなどの涼しい屋内施設をご利用ください。また、こまめな水分補給を忘れずに──』
テレビから流れるニュースキャスターのお姉さんの声を聞きながら、私はリモコンを手に取った。
ピッ、という電子音と共に画面が切り替わりお昼のバラエティ番組が映し出される。
『───今月24日、25日、26日は天神祭!天神祭というのは学問の神様である菅原道真公を祀る天満宮のお祭りで、境内には多くの露店が立ち並びます。今回のオヒルデスでは、日本三大祭りの1つである大阪天満宮の天神祭と奉納花火大会を紹介して───』
「もうそんな季節かぁ」
テレビの中ではナレーションと共に大勢の人が神輿を担いで街中を練り歩く様子や、何十もの船が提灯や篝火を灯して川を行き交う中、次から次へと夜空へ花火が打ち上げられていく様子が映し出される。
流石三大祭り、スケールが違う。というか違い過ぎる。
「立香、洗濯物干し終わったぞ」
「あ、うん、ありがとう」
自宅の庭から縁側へと戻ってきた伊織が、空の洗濯籠を抱えながら居間に入って来る。
彼は籠を置くと、そのまま私の隣へと腰を下ろしテレビに目を向けた。
「祭りか……懐かしいな」
「伊織も祭に連れて行ってもらった事あるの?」
「いや。お前と出逢う前は、ああいった人が多く居る場所に黒猫の姿で赴くと食べ物を恵んで貰える事が多かったんだ。だから祭りの時なんかは良く行っていたな」
「そ、そうなんだ………」
伊織の話に思わず顔が引き攣る。そういえば最初に怪我をした彼を拾った時もかなり毛並みがボサボサで(今はペットサロンでしか売ってないようなちょっとお高めのシャンプーで洗っているお陰でいい匂いがするしふわさらだ)野良生活が長そうな感じがしたけれど、私と会う前はどんな風に生きてたんだろうか。
虫とか食べたり?……怖くて聞けない。
「……今変なこと考えてただろ」
「えっ!?き、気のせいじゃないかな?」
ジトリとした視線を浴びつつ慌てて顔を逸らす。……もしかして思考まで読まれる様になってきたのでは?と内心冷や汗を流しながら話題を変えようと口を開いた。
「あー、そういえばこっちでも天神祭はやってたなー。浴衣姿の伊織見たいなー」
「?袴なら毎日着ているが」
「袴と浴衣は違うでしょうが」
そう、何を隠そう。この現代日本で普通に生活していたらまず着る事のない袴と着物という和装。それを伊織は日常的に着用しているのである。
勿論悪目立ち過ぎるので外に出る時は父親の服を着せているが。
「ね、良いでしょ?浴衣着てくれたら幾らでも出店の料理買ってあげるから!」
「む……」
少し悩んだ素振りを見せた後、伊織は小さく溜息をつく。
「約束だからな」
どうやら陥落したらしいその様子に、私はニヤケそうになるのを必死に押し隠した。
「伊織ー、準備出来た?」
「ああ」
襖越しに声をかけると、ゆっくりと開かれたそこから浴衣姿の伊織が現れる。
濃紺に白い流水紋があしらわれたシンプルなデザインのそれは、私の祖父が生前に着ていた物だ。「
「うん、やっぱり似合ってるね」
「……そうか」
私が褒めると伊織は恥ずかしそうに視線を逸らす。その様子が可愛くて思わずニヤけてしまうけれど、これ以上揶揄うと拗ねてしまいかねないので我慢する事にした。
「ところで、お前は着ないのか」
「え?ああ、私は良いよ。浴衣持ってないし」
「……そうか」
伊織は少し残念そうな表情を浮かべると、そのまま玄関へと向かう。
私も慌てて後を追い掛けると、下駄に履き替えた彼と共に外へ出た。
やはり祭りの日ということもあってか、ちらほらと家族連れやカップルらしき2人組が浴衣姿で歩いている。
「わぁ、賑やかだね」
「そうだな」
そんな会話を交わしながら歩いていると、徐々に提灯を模した街灯が灯り始め、城の跡地に建てられたという桜の名所にもなっている公園──祭りの開催場へと辿り着いた。
「凄い人だかりだな」
「まぁTVで見た程じゃないけど、こっちのお祭りは花火とかしない分屋台が多いから」
「そうなのか」
伊織は興味深そうに周囲を見回している。その様子がまるで初めて都会に来た田舎者のようで少し微笑ましい。
「とりあえず何か食べようか」
「ああ、腹が減ったしな」
私達は屋台が並ぶ通りへと足を踏み入れると、それぞれ気になる物を買っていくことにした。
(うーん、どれにしようか迷うなぁ……)
そんなことを考えているとツンツンと控え目に脇腹の辺りを突付かれる。
振り返るとそこには伊織が何か言いたげな表情で立っていた。
「どうしたの?」
「立香。あれは一体どんな物なんだ?」
「あれ?」
彼が指差す先を見ると、そこには『タピオカドリンク』と大きく書かれた看板が掲げられている屋台があった。
「あれはタピオカっていう食べ物だよ」
「たぴおか……」
伊織は不思議そうに首を傾げる。どうやら知らないらしい。まぁ確かに私も最初見た時は驚いたものだし無理はないかもしれない。
私は彼の手を引いてその店へと近付いた。
「すみませーん、タピオカドリンクの……ミルクティー味を2つで」
「はいはい。2つで800円になります」
「じゃあこれで」
財布から千円札を取り出し、香具師の女性に支払う。
「ではお釣りの200円ね。少々お待ち下さい」
女性は手早くタピオカドリンクをカップに注ぐと、ストローを付けて手渡してくれる。私はそれを受け取ると伊織と一緒に近くのベンチへと腰掛けた。
「はい、どうぞ」
「ああ。ありがとう」
伊織はカップを受け取ると興味深そうに眺める。私はそれを横目にストローを咥えて一口飲むと、もちもちとした食感のタピオカと冷たいミルクティーのまろやかな味わいが口の中に広がった。
「ふぅ、美味しい〜」
「……」
伊織は私の事を観察していたようだが、やがて恐る恐るといった様子でストローを口に含む。そして勢い良く吸い上げた。
あ。
「ぐふッ……!?」
「わーっ!一気に飲もうとしちゃ駄目だよ!」
案の定、タピオカを喉に詰まらせた伊織の背中を慌てて擦る。彼は涙目になりながらゴホゴホと咳き込んでいたが、やがて落ち着いたのか大きく息を吐いた。
「まさかこれ程までに飲む事を拒絶される飲み物だとは……」
「いや、単にタピオカを喉に詰まらせかけたってだけだよね?」
物凄い表現に思わず突っ込むが、伊織は神妙な顔付きでタピオカドリンクを見つめている。
その後も苦戦して中々飲めない伊織を他所に、私は自分の分を平らげた。
「ご馳走様でした」
空になった容器をゴミ箱に捨て、私は伊織の方へと向き直る。彼は未だにタピオカと格闘しているようで、ストローを咥えたまま固まっていた。
「大丈夫?」
「ああ……」
伊織は眉間に皺を寄せながらちびちびと中身を飲んでいる。どうやらタピオカが1粒口に入る度に咀嚼しているようだが、それだと時間が掛かり過ぎるんじゃないだろうか。氷が溶けて味も薄くなりそうだし。
それから10分程掛かって、ようやく飲み干したらしい伊織がふぅ……と息を吐く。
「たぴおか……恐ろしい食べ物だな」
「そこまで言う?」
喉に詰まらせそうなのはともかく、味は美味しいと思うんだけど……。
今度飲む時はタピオカをスプーンで取り分けたりして、飲みやすくする方法を教えてあげた方が良いかもしれない。
「じゃあ行こうか」
「ああ。次は何を食べるんだ?」
伊織の手を引いて歩き始めると、彼は嬉しそうに私の後に続いた。
「はー、お腹いっぱい」
あれから私達は屋台を回りつつ、様々な食べ物を食べ歩いた。じゃがバターに焼きそばに広島風お好み焼き、チョコバナナに人形焼き……伊織が美味しそうに頬張るものだから、釣られてこちらもついつい食べ過ぎてしまった。
……カロリーは気にしない事にしよう。
「伊織、次は何処に行く?……伊織?」
歩きながら伊織に声を掛けるものの、彼からの返事は無い。不思議に思って後ろを振り返るも、姿が見えなかった。
「え?伊織!?」
まさかはぐれてしまったのだろうか。慌てて周囲を見回すが、それらしい人影は無い。
(どうしよう……)
不安に駆られながら途方に暮れていると不意に背後から声を掛けられた。
「そこのお嬢さん。さっきからキョロキョロしてるけど、迷子か連れと逸れたりでもした?」
振り返るとそこには30代くらいだろうか。藍鼠色の短い髪に朽葉色の瞳の、半袖の白いYシャツの上に法被を着て茶色いチノパン姿をした男性が立っていた。彼は私と目が合うとヘラリと笑う。
………胡散臭い。
「おっと、もしかして不審者だと思われてるカンジ?僕、これでもお巡りさんなんだけどなぁ」
「え」
お巡りさん?思わず目を丸くさせる。
「制服とか着ないんですか?」
「お巡りさんだって普通の服は着るからね。ましてや非番だし。まー今日はそれとは別に手伝いに駆り出されてるんだけど……や、この話はいいか。はい警察手帳」
男性はズボンのポケットからチョコレート色の手帳を取り出すと開いて私に見せた。確かにそこには彼の顔写真と共に『警部』『斉藤一』等と記されている。
「……本当にお巡りさんなんですね」
「だから最初からそう言ってるじゃん。それで君はどうしたの?」
「実は一緒に来てた人が居るんですけど、逸れちゃって……」
「ふーん?携帯は?」
「持ってないです」
「連絡手段ないの?困ったねぇ」
男性は顎に手を当てると考え込む素振りをする。それから何か閃いたのかポンと手を叩いて口を開いた。
「取り敢えず、僕と一緒に運営本部来なよ。そのお連れさんを見たって人が居るかもだし、行く途中で会えるかもしれんしね」
「え、良いんですか?」
「うん。この人混みじゃぁ無闇に探しても見つからないと思うから」
お言葉に甘えて、私は斉藤さんと一緒に本部に向かう事にした。
「そう言えば自己紹介がまだだったね」
歩きながら彼はそう切り出すと私の事を見る。
「僕は斉藤一。気軽にはじめちゃんと呼んでくれて構わな」
「斉藤さんで」
「即答かい」
思わず名乗られた瞬間拒否すると、斉藤さんはわざとらしく肩を落とした。初対面でそんな呼び方は流石に無理だから諦めて欲しい。
「それじゃー君は?」
「藤丸です」
「藤丸さんね。よし覚えた。っと、着いたよ〜」
斉藤さんはそう言うと運営本部と書いてある天幕の前で足を止めた。
中では法被を着た人達がお酒を飲みながらワイワイと談笑していたり、忙しなく動き回ったりしている。
「あれ〜、斎藤さん、サボリですか?」
「いやいや沖田ちゃん、ちゃんと見回りはしてたって。この子、連れと逸れちゃったけど連絡手段が無いみたいでさ。ここなら何か情報が入って来るかと思って」
「おや、迷子ですか?それは大変ですね」
沖田と呼ばれた女性はそう言って私の顔を見る。その表情はとても優しげだ。
「私、沖田総司って言います。早くお連れさんが見つかると良いですね」
「ありがとうございます。あの、お2人は知り合いなんですか?」
「はい。同じ警察学校で学んだ同期なんですよ〜。本当は他にも居るんですけど……イカ焼きの露店の手伝いに駆り出されちゃったので暫く戻ってこれなさそうですねぇ」
「アイツが店番したところで、客なんて来るかね?寧ろ「顔が怖い」って一般人から通報されそうなんだけど」
「ははは、確かにそうですね」
……この人達、警察官なんだよね?なんか凄い物騒な会話をしてるけど。
「そう言えば藤丸さん、お連れさんってどんな見た目してる?」
「えっと、男性で……年齢は私と同じ20歳前後です。後は紺色の着物を着てて、青緑っぽい目をしてて……顔は整ってる方ですかね」
「ん〜。それっぽい人は見てないなぁ。沖田ちゃん、見た?」
「いえ、私も特にそういった人物は見てないですね。無線で他の人達にも連絡しておきますので、見つかるまでこちらでゆっくりして行って下さい」
「ありがとうございます。何から何まですみません」
私は頭を下げると、近くの椅子に腰掛けた。すると隣に斉藤さんが座ってきて声を掛けてくる。
「藤丸さんって、この辺の子?」
「そうですけど……どうしてですか?」
「や、深い意味はないけど。まぁ市民の安全を守る警察官としてちょっと気になっただけ。あ、枝豆あるけど食べる?」
「じゃあ少しだけ……」
斉藤さんはクーラーボックスからフードパックに入った枝豆を2つ取り出すと、その片方を私の前に置いてくれた。
「ありがとうございます。あのー、お金……」
「ああ、いいのいいの。僕達の軽食用で売り物じゃないし。遠慮せずに食べちゃって」
「そうですか?じゃあお言葉に甘えて頂きます」
私はパックに入った枝豆を1つ取って口に入れる。塩気と甘みが丁度良くてとても美味しい。
「どう?美味いっしょ」
「はい、とっても」
「そっか〜。なら良かった」
斉藤さんはニコニコしながらペットボトルのお茶を飲んでいる。
ピー、ピー!
「ん?」
突然、斎藤さんが身に着けていた無線機から電子音が鳴った。
「はい、こちら斎藤。……え、見つかった?そう。こっちに来るのね。了解」
どうやら誰かを見つけたらしい。斎藤さんは無線機を切ると私の方へ向き直った。
「藤丸さん、君のお連れさんが見つかったってさ」
「本当ですか!」
私は思わず立ち上がる。斉藤さんは笑って言葉を続けた。
「うん。今僕の同僚が連れて来るみたいだから、ここで待ってようか」
「はい!」
良かった。伊織に会えるんだ……。
「お、来たみたいだね」
斉藤さんが天幕の入り口の方を見ながら言う。私もつられてそちらを見ると、そこには伊織と……ヤクザが居た。
「ヒッ!ヤクザ!?」
「ブッwww」
思わず叫ぶと、隣に居た斎藤さんが盛大に吹き出す。
「ぶはははっ!ヤクザだってよ、新八!確かにお前ヤクザ顔だもんな!」
「うるせぇぞ、てめぇ!誰がヤクザ顔だ!誰が!!」
新八と呼ばれた男性は額に青筋を浮かべながら斎藤さんに食ってかかった。
「はー、おもしろ。あ、因みに一応コイツも警官ね。さっき沖田ちゃんが言ってた警察学校の同期」
「え」
このヤクザ顔の人が?どう見ても警官には見えないんだけど。
訝しんでいると男性がこちらにやって来て、私に手を差し伸べて来た。
「俺は永倉新八ってモンだ。よろしくな嬢ちゃん」
右の顳顬から口元まで続いた切り傷のある厳つい顔がニカッと笑う。
「は、はい!よろしくお願いします!」
私は緊張しながらその手を取った。その瞬間、グイッと引き寄せられて伊織の腕の中に収まる。
「すまないが、あまり気安く触れないでくれないか」
「お?おぅ、わりぃな……」
伊織がドスを効かせた声で注意すると、永倉さんは困惑した様子だった。そりゃそうだ、ただ握手しただけなんだから。
「はいはい、そうカッカしない。再会出来たんだから良かったじゃないの」
「……」
斎藤さんが伊織を宥めると、彼は渋々と言った様子で私を解放する。私はホッと息を吐くが、次の瞬間伊織が口を開いた。
「帰るぞ」
「え?もう?」
「ああ。これ以上ここに居ても仕方ないだろう」
「ああ、ちょっと待って。はいこれ、僕からの奢り。2人で飲みな」
斎藤さんは私に2本のラムネ瓶を手渡してくる。
「ありがとうございます」
「おう、またな!」
「夜道には気を付けてね〜」
私はお礼を言うと、伊織と一緒にその場を後にした。
「あれ?さっきの人帰っちゃったんですか?」
「ああ。連れが見つかったからってな」
2人が帰ってから少しして。
見回りから戻って来た沖田が本部内に居ない立香をキョロキョロと探しながら斎藤に聞くと、彼はラムネを傾けながら答える。
「えー、折角焼きトウモロコシ買って来たのに……まぁいいや、じゃあ永倉さんにあげます」
「じゃあって何だ。まぁ貰うけどよ」
「どうぞ〜」
沖田は永倉にトウモロコシを渡すと、パイプ椅子に座って自分は食事を始めた。
「そう言えばさっきの女の子……藤丸さんでしたっけ?やっぱりお連れさんは『アレ』だったんですか?」
「ああ。僕達と『同類』。あの子、正体知ってんのかね?」
沖田がアメリカンドッグを食べながら問うと、斎藤はラムネを飲み干して答える。
彼等も伊織と同様、妖の血が流れている半妖だった。
「ちっとばかし話してみたが、あちらさんも俺達が同じって事は分かってたみたいだぜ。まぁだからこそあの嬢ちゃんを早く遠ざけたくてさっさと帰ったんだろうが」
「なるほど。……で、どうするんです?あの子」
「……さぁね。まぁ近くに住んでるみたいだし、また会う事もあるかもしれんしね。様子見ってところかな」