女装コスプレ狂詩曲<中編>「あ、兄さあ…?」
「…音?」
自分とよく似た特徴的な眉毛に白い肌、母によく似た目は見たことがないほど見開いている。おそらく自分も似たような顔をしているに違いない。どうして、兄がこんなところに。それよりも鯉登は今自分がどんな格好をしているかを思い出し、サッと血の気が引いた。リオンちゃんのコスプレをして、机の上には18禁の同人誌が並べられている。こんな状況でどう言い訳をできるというのだろうか。かくいう平之丞もパンパンになったトートバックを肩から下げている。しばし見つめあったのちに、先に口を開いたのは平之丞だった。
「まさか、百野先生って音んことやったんか!?」
「いや、そんた違うて。これは尾形が」
うっかり尾形の名前を出してしまい、慌てて口を閉じる。しかし、平之丞の耳にははっきりとその名が届いていた。
「尾形? あの尾形百之助か?」
「あ、いやその」
そのとき机に置いたままであったスマートフォンがちかちかと瞬く。メッセージが届いた通知だ。このタイミングで通知がくるなんて、もしやと手にとって確認すると思った通り尾形からのメッセージだった。
<なんでお前の兄貴がいるんだよ>
どこから見ているのか、キョロキョロと辺りを見渡してみても尾形の姿は見つけられない。急いでメッセージを打ちこむ。
<わからん、尾形も来てくれ>
<嫌だ>
即座に返ってきた返事にイラッとする。どう見たってピンチな状況なんだから来い。目の前の兄はどうしたのかと不思議そうな顔でこちらを見ている。
<もうお前の名前を言ってしまった。早く来てくれ>
そう送ると返事は返って来なかった。もしかしたら、逃げたかもしれない。尾形だって、兄とは面識がある。こんなところで会いたくはないだろう。こみ上げてくる何かをグッと堪えて、兄と向き合う。
「兄さあ…これは…」
「尾形、ほんのこてわいやったんか!?」
鯉登の言葉を遮るように平之丞が声をあげる。その目線は鯉登の少し後ろの方を見ていた。驚いて振り返ると、この世の全てを憎んでいるような暗い目をした尾形が立っていた。
「尾形…」
「ドウモ…」
尾形がぎこちなく会釈をすると平之丞も軽く挨拶をした。父親同士が親友で子供の頃からの知り合いが描いた18禁の同人誌を女装した弟が売り子をしているスペースに買いに来ている。気まずい沈黙が3人の間に流れた。
「撤収したら…話し合おうか」
「うん…」
平之丞がそう言うと、鯉登も力なく返事をした。尾形が小さく舌打ちをしたのが聞こえた。
「…」
「…」
話はついたと思ったが平之丞はまだ机の前にいた。何か言いたそうだったが、口籠もっている。鯉登はハッとして口を開く。
「あ、新刊、買うと?」
「…うん」
尾形が描いた同人誌を手渡す。自分と同じ格好の女の子が陵辱されている表紙を切なく見つめた。尾形も平之丞もその間一言も喋らなかった。また後で連絡をすると言い、平之丞は会場の人ごみに消えていった。鯉登と尾形は顔を見合わせてぐったりと項垂れた。
「まさか兄さあが買いにくるなんて」
「…お前の兄貴に身バレするとか最悪すぎるだろ」
尾形はため息をつきながら髪をかき上げた。鯉登もスカートの端を掴んで俯く。ずっと楽しかった、誰からも可愛いと言ってもらえて、尾形にも褒めてもらえて、自分の趣味が肯定されているようで心地良かった。兄さあは失望しただろうか、おやっどんにも叱られてしまうだろうか。力なくパイプ椅子に腰を下ろす。ぐるぐるとこみ上げる不安から目を閉じていると、背中に暖かい感触がした。ぽんぽんと慰めるように優しく撫でられる。どんな顔をしていいのかわからなくて横を見ることができなかったが、その手の温もりがじんわりと心に沁みた。
その後、1時間もたたないうちに尾形の同人誌は売り切れた。尾形はスマホを操作したあと、撤収するぞと言った。鯉登が沈んだ気分で着替えを済ますとちょうど兄から連絡がきた。店を予約したからここで夕飯を食べようとのことだ、もちろん尾形も一緒に。こうなったらもう腹を括るしかない。
尾形は逃げずに鯉登のことを待っていた。兄からのメッセージの内容と予約している店名を告げるとはーとため息をついた。
「アフターで叙○苑かよ」
「家族で焼肉を食べるときはいつもここだ」
「…」
じとりと睨まれるが無視して荷物をもつ。さあ、行くぞと重い足取りで会場を出た。
予約されていた焼肉屋に行くと個室に案内された。平之丞はすでに部屋の中で待っていた。尾形と2人で向かいの席に座る。尾形は適当に注文をし始めていたが、鯉登と平之丞は気まずく目を合わせた。
「そいで、今日んこっなんじゃが」
平之丞は重々しく口を開いた。鯉登も思わず身構える。
「、まずは私の方から話そうか」
尾形がいるからか、改めて標準語で話始める。
「ちょうど半年くらい前のことだったんだが、たまたま見たアニメが頭から離れんくなってな。ネットで調べているうちに二次創作、同人という文化を知った」
「…」
「1人1人が思いを込めて描いた絵や小説…それぞれの世界が広がる素晴らしい作品たちに虜になり気づけば通販サイトで片っ端から同人誌を買っていた」
「お待たせしました。タン塩盛り、ネギタン塩盛り、特選タン盛り、3人前です」
「尾形、タン以外にも注文してくれ」
勝手に肉を焼きはじめた尾形を無視して話に戻る。
「一緒の家に住んでいるはずなんに、全然気づかんやった」
「音のいない時間を指定して宅配してもらったからな」
ジューと肉が焼ける音に脂の匂いが漂う。
「ようやく仕事の都合が合い、イベントに行けるようになったのが今日のことだった。その、百野先生も参加されると告知されてたので…」
「はぁ…」
焼けた肉を自分の皿にだけ取りながら尾形は気のない返事をした。
「そしたら、音が売り子をしとるし、百野先生は尾形で…驚いた」
ふふ、とようやく柔らかい笑顔をみせた。その様子に鯉登も安心する。
「オイも…ずっと隠していたことがあって…。その、女装、をするのが好きなんだ。衣装を作って、メイクをして、可愛い女の子の格好をするのが好きだ。鯉登家の男としてみっともないことをしてるのはわかっている。それでも、やめられなくて…」
徐々に声が震えてくる。そうは言っても兄は鯉登家の長男で立派に働いている。昔からかっこよくて尊敬する兄だ。そんな人の前で、女装が趣味だなんて言うことがあまりに居た堪れなくなりだんだんと尻すぼみになってしまう。
「音」
優しく名前を呼ばれて兄の方を見る。兄の顔には怒りも蔑みの表情もなかった。子供の頃からよく見た優しい顔だった。
「驚きはしたけど、音のことを笑ったりはせん」
「兄さあ…」
ジュー
「衣装まで手作りするなんて本当に好きだと思ったよ。それにわっぜむぞかったじゃ。こんなむぜ弟がいてオイは嬉しか」
「うぅ…兄さあ」
ジュー
「肉焼けましたよ」
涙目で兄を見つめていると遮るように尾形が肉を置く。
「ふふ、突然のことでびっくりはしたけど、音と趣味が合うて良かった。リオンちゃんのコスプレもよう似合うちょった」
「あ、あいがと! あれは尾形が…」
と言いかけたところで言葉を切る。そうだ、途中からノリノリでやってはいたものの元はと言えば脅されて売り子をやらされていたんだ。チラリと隣の尾形を見るも無表情で肉を食べている。
「お、尾形がこのアニメを薦めてくれてな。リオンちゃんが気に入ったからコスプレしたんだ。ちょうど尾形もリオンちゃんの本を出す言うたから売り子として手伝いに行ったんじゃ」
「へぇ、そうやったんだ。百野先生は界隈じゃ人気じゃっでね」
「尾形でいいです…」
尾形はボソボソと喋りながらカルビを焼き始めた。緊張がほぐれたからか鯉登も食欲がわいてきた。遅いタイミングだが、人数分の酒を注文する。
「尾形と会うのは久しぶりだけど、音とは仲良くしていたんだな」
「はい、まあ…」
「そ、そういえば兄さあも尾形の本を買うちょったけど、リオンちゃんが好きと?」
「ん、ああリオンちゃんは可愛いから…あとススムとのカップリングも良くてな」
ススムはリオンちゃんの兄にあたるキャラクターだ。褐色肌のリオンちゃんとは違い、色白で優しい彼は女性人気も高い。実は血のつながらない兄妹ということが判明すると、2人の関係について様々な考察が飛び交い、界隈では人気の男女CPとなっていた。
「ああ、ススムはよかにせじゃっでな…兄さあに似ちょるんじゃらせんか?」
「そ、そうか?」
色白で背が高く、優しい顔つきは似ている。平之丞は照れながらビールを飲む。尾形はバチンとハサミで肉を切った。
「うん、兄さあもコスプレしてみもはんか?」
「コ、コスプレは流石に…でも、音が一緒にしてくるっなら」
満更でもない顔でデレデレと笑う。兄と同じものが好きだということが嬉しくなって、ついつい鯉登もお酒を飲むペースが早くなる。
「尾形はどうだ? ススムとリオンちゃんの話は描かんのか?」
「ススリオは地雷なんで…」
相変わらずつまらなそうな顔で肉を焼いていた尾形は眉間に皺を寄せながら答えた。
その後も話は盛り上がり、楽しい時間を過ごすことができた。心配していたことはなく、新たな理解者を得られた充実感に満たされていた。
「音はこのまま家に帰っとな? それなら一緒に行っどん」
「え、と…その、荷物の整理を手伝うと約束していたから、今日は尾形の家に泊まる」
「は」
尾形は驚いたような顔で鯉登の方を見たが、無視して話を進める。
「そうか、じゃあまた明日」
平之丞はいつの間にか手配していたタクシーに乗り込み帰っていった。
「おい、泊めるなんて言ってねぇぞ」
「もう少しお前と話がしたかったんだ。家までは行かん、少し歩こう」
尾形はまだ納得がいってないというようにブツブツと言っていたが、仕方なく駅の方へ歩き出した。鯉登もその歩調に合わせて隣を歩く。
「まさか兄さあにあんな趣味があったとはなぁ」
ということは立ち入り禁止の兄の自室には大量の同人誌が保管されているのだろうか。なんて考えていると、尾形がボソリとつぶやいた。
「…いいのかよ」
「ん? 何がだ」
ピタリと足を止めた尾形は相変わらず本心のよめない黒い瞳でじっと鯉登を見つめた。
「脅迫されてるって言えば俺はぶん殴られてたぜ」
「ああ…」
同じく立ち止まった鯉登は少しだけ低い位置にある尾形の目をしっかりと見つめながら微笑んだ。
「確かに、脅されてはいたが…兄さあは受け入れてくれたし、尾形の手伝いをするのは楽しかった」
「…」
「女装をするのは私にとってはかけがえのない趣味だ、それで尾形の力になれるのならいくらでもやるさ」
しばらく無言だった尾形はハッと笑った。いつものように髪を撫で付けるような仕草をすると、少しだけ柔らかく目を細めた。
「ははあ、とんだお人好しだな」
「私もそう思う」
ふふ、と笑いながら街灯に照らされた道を並んで歩いた。駅まで着くと、鯉登は電車を確認しながら声をかけた。
「では、ここまでだな。さっきのことは気にするな、適当にホテルにでも泊まる」
「…別に、家に泊めてやってもいい」
「え」
「…来るか?」
「う、うん! 行く!」
そう言えば近所に住んでいると言っていた。こいつなりに今日の礼のつもりなのか、本当に片付けを手伝わせるつもりなのかはわからないが、警戒心の強い猫のような尾形のテリトリーに入れてもらえることが嬉しかった。
確かに尾形の家は鯉登の家からそう遠くないところにあった。シンプルな単身者向けのマンションで、尾形の部屋は思っていたよりも物が乱雑に散らばっていた。
「修羅場だったからな…」
「そうか…」
好きで衣装を作っているから何かに追われて作業をしたことはないが、尾形のように趣味で本を作るのもそう簡単なことではないなと思った。
「客用の布団なんてねぇからお前はソファで寝ろ」
「わかった」
急に泊まることになったのは悪いが、客にベッドを貸さないあたりは尾形らしいと思った。少しだけ会話は交わしたが、イベントの疲れもあってすぐに寝てしまった。同じ部屋で寝起きをすると、昔を思い出した。まだ子供の頃はお互いの家に泊まったこともあったな、とそう思い出した。
衝撃のイベントの後、兄は鯉登の女装活動を応援してくれるようになった。相変わらず出張が多く、家にいることは少ないが衣装作りに必要な材料を手配したり、コソコソと隠れて作業をする必要がなくなったのはありがたかった。
「どうだ尾形!」
「まあいいんじゃねぇか?」
あの日以来尾形とはよく連絡を取り合うようになり、お互いの家に遊びに行くことが増えた。新作の衣装ができあがると真っ先に尾形に見せ、感想をもらうようになった。絵を描いているだけあって尾形はデザインセンスが高く、衣装のアレンジの相談にものってくれた。
「…だが、露出が多いな。もう少し丈を長くしろ」
「む、そうか」
改めて鏡の前で衣装を着た自分の姿を確認する。原作に忠実に再現したつもりだったが、気になるほどスカート丈は短かっただろうか。うーんと首を傾げながら長さを調節する。尾形はソファに座ってタブレットに向かって何かを描き込んでいる。どうやって絵を描いて本を作っているのか知らなかったが、あのタブレットひとつで全てできるらしい。持ち運びも楽ということで尾形も鯉登の家で作業をすることが多くなった。
尾形が絵を描いているなんて思いもよらなかったな。子供の頃はよく遊んでいたが、尾形にそんな趣味があったとは知らなかった。昔から器用なやつだったし、絵を描くのには向いていたのかもしれないな。
「そういえば…」
真剣な顔をしてタブレットを見ている尾形の姿を見てそう思っていると、ボソリと話しかけられた。
「お前はいつから女装し始めたんだ? きっかけとかあったのか?」
「…」
チラッと黒い瞳がこちらを見る。きっかけ、か。とっさに思いつかず、そのまま黙り込んでしまった。実際に服を着たりしてみたのはある程度自由になった大学生になってからだ。ぼんやりと可愛いものへの憧れはあったが、きっかけとなったことは思い出せない。
「ま、無理に答えなくてもいいぜ」
「ああ…」
尾形にしては珍しく気を遣った言葉をかけると、ひらひらと手を振った。そしてまた無言で作業に没頭し始める。鯉登も衣装の手直しに戻るが、きっかけという言葉が頭に残り続けた。いつからだったのだろうか、可愛い服を着たいと思ったのは。
尾形に見てもらった衣装は無事に完成し、納得のいく写真も撮れた。相変わらずシンプルな説明文だけをつけて投稿すると、すぐにいいねとリプライがつく。
<今日の衣装もすげー><相変わらず美しい…><絶妙なスカート丈…5兆点…>
今回もいい出来だったとほくほくしながらベッドに寝転がった。リアルのイベントも楽しかったが、こうしたネット上だけのやりとりも活動の支えになる。尾形にアドバイスをもらうようになってからは衣装への賛辞も増え、流石のセンスだなと思った。
そうだと思い、とあるアカウントを検索してみる。”百野”という名前に可愛らしいネコのイラストのアイコン。プロフィールを見るにこれが尾形のアカウントに間違いないだろう。”百野先生”は確かに界隈では有名な絵師であり、フォロワーも多かった。
<先日はイベントありがとうございました(^ ^) 通販を開始しましたのでよろしくお願いします♪(*'▽'*)>
こいつツイッターだと陽気だな。普段の尾形からは想像できない顔文字が多用されたツイートに若干引いていると、尾形がリツイートした写真がホームの1番上にくる。
<先日のイベントで披露したリオンちゃんです>
その写真にギュッと心臓が掴まれたような衝撃を受ける。可愛い女の子がリオンちゃんのコスプレをしている写真だ。顔も出していてかなり可愛い。
<可愛いですね、完成度高いです>
尾形のコメントにズキズキと胸が痛んだ。写真の女の子のアカウントを見てみると、それなりに有名なコスプレイヤーらしい。男女ともに人気があり、イベントにもよく出ている。ツイートの文面からも明るくて社交的な人だとわかる。
<百野先生に可愛いって言ってもらえた!>
ピコンと更新されたツイートに暗い気分になる。尾形が私を脅迫したのはイベントでコスプレの売り子をさせるためだった。もしも、尾形に好意があって喜んでコスプレをする人がいれば、わざわざ私を脅してさせることもないだろう。しかもそれが可愛らしい女の子なら尚更だ。
それまで楽しかった女装も急に惨めなものに見えてきた。どれほど頑張ったところで完璧に可愛い女の子になれることはない。じわりと浮かんだ涙を隠すように枕に伏せる。どうしようもない悔しさを鎮めるうちにいつの間にか眠ってしまった。
子供の頃に住んでいた部屋、隣には尾形が座っていた。髭も生えていないし、頬の傷もない子供の頃の姿だ。両親も兄もいないとき、よく尾形が面倒を見てくれていた。2人で寄り添いながらテレビを見ていると可愛らしい格好をした女の子たちのアニメが流れる。
『むぜね…』
『ああ…お前ああいうのが好きなのか?』
『べ、別に好きじゃなか!』
『さっきむぜとか言ってただろ』
『ぅ、おかしかじゃろ…オイは男なんにあげなもんが好きなんて…』
『おかしくはないだろ』
ぽんと優しく頭を撫でられる。ひそかに憧れていた可愛らしい女の子。
『そうたろかぃ…』
『お前可愛いしああいう格好、似合うんじゃないか?』
『なっ、そげんわけなかじゃろう!』
からかいのつもりで言った冗談なのかもしれない。けれど、尾形に言われた可愛いという言葉は今まで言われた何よりも嬉しいものだった。
少しの頭痛とともに目が覚める。なんだか懐かしい夢を見ていたような気がしたがはっきりとは思い出すことができなかった。