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    Satsuki

    短い話を書きます。
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    Satsuki

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    オメガバースパロのレトユリ。ここには投下してなかったっぽいので再放送&書きたいところまで加筆してあります。そのうちまた加筆するかもしれない。多分。230131

    ユーリス・ルクレールはβ性である。
    この世界には、男女のほかに三つの性がある。貴族階級の家に紋章と共に発現しやすい「アルファ」、平民をはじめとして多くの者がもつ「ベータ」、そして極一部の「オメガ」と呼ばれる性別だ。才能やカリスマ性に溢れるアルファは紋章がなくとも持て囃され、ヒートと呼ばれる発情期によって周囲をかき乱すオメガは疎まれている。ただし、オメガの容姿端麗さは目を引くものがあるし、アルファとの相性から、由緒ある家の当主がオメガを妾や養子にとることも珍しくなかった。過去、紋章同士を掛け合わせるためにアルファ同士の婚姻が盛んに行われた歴史もあったようだが、上手くいった例は少ないようである。ユーリスはその秀麗さからオメガではないかと囁かれることもあったが、ヒートなんぞという面倒くさいものが起きたこともないし、ローベ伯爵やその他の貴族共のアルファフェロモンだかなんだかにクラクラしたこともない。貧民街にはオメガの娼婦もいたが、そのヒートにあてられたこともなかった。自身の紋章や出生についてコッソリ調べた時についでで確認した際も、ベータであろうという結果だった。だから、第二の性については、オメガ性をもつ仲間が苦しんでいるときに薬を差し入れしたり、アルファに見つからないよう匿ってやったりする時くらいにしか意識したことがない。
    同じように、ベレトに至ってはこの歳になるまで第二の性があることすらよく知らないようだった。曰く、
    「父は教えてくれなかった」
     なんだよそれ。紋章を持ちながら紋章と無縁に生きてきたばかりか、社会的地位にすら影響することのある性別にも無縁だったとは。生まれついての傭兵ってのはそんなもんかね。
    ユーリスは青獅子学級の机に頬杖をつき、黒板の前で兵法を説くベレトの顔を見つめた。授業内容はほとんど頭に入ってこない。昨日の茶会のせいだ。呼ばれて行った先でベレトに出された蜂蜜漬けの果実茶は、実によい香りだった。ベリーの甘酸っぱさに、蜂蜜の濃厚な甘み。ああ、いい香りだとしきりに褒めるユーリスに、ベレトも嬉し気に微笑んでいた。本当に美味しいお茶だった。それに、今もまだあの香りがするような気がする。ユーリスがすん、と鼻を鳴らすと、同じように鼻をひくひくさせていたシルヴァンがそっとメルセデスに声をかけた。
    「……なんだか、いい香りがするな……メルセデスか?」
    「あら~、分かった?実は新しいおしろいを試したのよ~」
    「おしろいか……いいね、君に似合ってる」
     メルセデスを褒めながら、しかしなんか違う匂いなんだよなあ……とシルヴァンが首を捻った時、授業の終了を告げる鐘が鳴った。ユーリスは伸びをひとつして、バルタザールと共にアビスへと戻ることにする。
    「あ~、終わった終わった……座学ってのはどうしてこう……」
    「文句言うんじゃねえよ。学級に入れて貰えただけ感謝もんだろうが」
    「分かってるがよ、俺はもっとこう実践的な……というか、実戦で学びてえんだよなあ」
     レスターの格闘王は鼻先を掻くと、足音に気付いて後ろを振り返る。
    「ユーリス」
    「先生?」
     ベレトだった。足早に追いかけてきたらしい彼を振り返ると、ふわっとまたあの香りが蘇った。瑞々しい果実と蜂蜜の融け合った、温かい香り。ユーリスがどこかとろんとした目で見つめると、ベレトは短く要件を告げる。
    「後で、俺の部屋に来てほしい」
    「なんだあ? 補習か? それとも俺様に会いたいって?」
    「聞きたいことがある」
     いつもの無表情からはなにも読み取れない。しかしどこかきっぱりとした物言いには、言外に必ず来いという圧力があった。
    「分かった、一度戻って、出直すよ。夕食のあとで構わないか?」
    「ああ、それで良い」
     それじゃあ、後で。そう言って立ち去るベレトの後ろ姿を見送り、ユーリスはベルタザールに向き直って肩を竦めて見せた。再びアビスへの秘密の入り口に向かって歩き出す。周囲には生徒もまばらだ。
    「俺、呼び出されるようなこと、したか?」
    「いんや、別に……話だけなら昨日だって茶会に誘われてただろう。……つーか、なんかいい匂いがするな」
    「お前もそう思うか?多分先生だ」
     果実茶みたいな匂いだろ?そう言って、ユーリスは人目につかないよう、アビスへの出入り口をくぐった。階段を下りれば、寝床は近い。
    「いや……違う……これ、ユーリス、お前……」
    「は?」
     急にガシリと肩を掴まれて、ユーリスは顔を顰めてバルタザールを見上げた。自分に勝手に触ろうとは、いくら級友のてめえでも……しかし小言は喉で止まる。見たことのない顔で、大汗を掻いたバルタザールが、そこにいた。
    「おま、お前、もしかして、ユーリス……!!」
    「えっ!? お、おい、なんだあ!!?」
     今度は突然肩に担ぎ上げられて、ユーリスは狩りの獲物か何かの荷物になったかのように、走り出したバルタザールによって運ばれる羽目になった。ものすごいスピードで景色が過ぎていく。アビスの住人がなんだなんだと呆気に取られている視線が痛い。
    「ざっけんなバルタザールなにすんだよ!!下ろせ!!」
    「うるせえ!いーから運ばれとけ!!」
     必死でバルタザールの背に掴まり、足をじたばたさせながら運ばれた先は寝床にしている男部屋だった。ぼすん、とベッドに投げ捨てられ、いてえ!と叫ぶ。そんなユーリスを尻目に、バルタザールは大慌てで自分の荷物を探って、小さな瓶を取り出した。
    「お前、お前も持ってんだろ、早く飲め!」
     ぐっと中身を一息に飲み干して、バルタザールはオエッと大げさに顔を顰めた。お前も飲めと言われても、何を飲めばよいのやら分からない。ユーリスが怒った顔で困惑していると、バルタザールは部屋の扉を乱暴に閉めて鍵をかけた。慌てた様子でユーリスに小声で怒鳴る。
    「お前、それ、ヒートだろうが!つか、オメガだったのか!」
    「は……はあああ!!?」
     思いっきり叫んだユーリスに、バルタザールも訳が分からないといった顔で茫然と立ち尽くした。


    「つまり、あれか。バルタザールはアルファで、俺からフェロモンの匂いを感じ取った。そして、さっき飲んだのは抑制剤。」
    「そういうこった」
     扉に背を凭れて頷くと、バルタザールは廊下を歩く足音にちょっと耳を澄ませた。かなりデリケートな話だ。アビスを統べるユーリスがオメガとあっては、そのヒートを狙う者も多いはず。バルタザールは持って生まれた紋章とアルファ性によって家を追われているらしい。そのせいで自分の性と、オメガのフェロモンに当てられることを何よりも嫌って、強い抑制剤を手元に置くことにしているのだとか。
    「だが、俺はベータのはずだ。今までヒートなんて起きたことねえぞ」
    「いーや、間違いねえ。さっきの鼻の中にこびりつくような匂い……ありゃ絶対にオメガのフェロモンだ。隣にいたのが俺じゃなかったらお前、今頃首に噛みつかれてるぜ」
     ま、感じたのは微量だったがな……両手を広げて見せて、バルタザールは胃のあたりをさすっている。飲んだのは本当に刺激の強い薬らしい。ユーリスも仕方なく、薬箱をひっくり返してオメガ用の丸薬を飲んだところだ。とにかく、苦くて……今も胸がムカムカとしている。
    「そもそもちゃんと調べたことはあんのか?」
    「闇医者に診てもらったことはあったが……五年ほど前だな」
    「五年か……第二の性は十代後半に発覚することが多いからな……体が成長して変化したのかも知れねえぞ」
    「んなことってあるかよ?クソッ……どうすりゃいい」
    「まあ、お前の見た目ならオメガだって言われても俺ぁ違和感がねえが……確かに、生活は変わっちまうな」
    「俺の母さんだって、ベータのはずだぞ……どこからオメガ性なんて……」
     そこまで呟いて、ユーリスはハッとした。どこから来たのか分からない性。どこから来たのか分からない、紋章。自分の出生の謎に、流行り病からの回復……それに、この美貌。
    「……心当たり、ありそうな顔してるが?」
    「うるせえ……チッ、ああ……腹減った」
     そういえば小一時間が経過したが、授業が終わってから何も食べていない。夕食……そうだ、そういえば夕食の後に、――
    「先生との約束、どうしたら……」
    「おお、そういやそんな約束してたな。ちょうどいいじゃねえか。あいつに相談して、薬出してもらえよ」
    「……いいや、それはダメだ。おいバルタザール、お前もこの件に関しては他言無用だぜ?」
    「言われなくとも分かってるよ……だが、薬は必要だろ」
    「んなもん、入手ルートはいくらでもあるさ」
     ユーリスは空きっ腹を抱えてベッドから立ち上がった。バルタザールに近付くと、扉から背をどける気配がない。
    「どけよ」
    「……なあ、悪いことは言わねえ。今日は外出を控えろよ」
    「いいからどけ」
    「お前、士官学校をなんだと思ってんだよ。貴族の、紋章持ちの坊ちゃん嬢ちゃんたちがわんさかいるんだぞ!?何人アルファだと思ってる!!」
    「るせえな!薬、飲んだだろうが!!」
    「だあ~!お前は甘く考えすぎだ~!!」
     薬は完全なものではない。もしもヒートに当てられて興奮したアルファに襲われでもしたら……万が一首を噛まれて、番にされてしまったら……
     ユーリスもバルタザールも、ヒートによる事故で妊娠したり、首を噛まれてもそのまま捨てられて泣き寝入りするオメガたちを見たことがある。だが、ユーリスはまだ自分がオメガだということに半信半疑だったし、それが現実だとしてもすぐには受け入れがたい。バルタザールはユーリスの手が腰の剣にかかったのを見て、抜かれる前に小さく両手を上げて扉から離れた。
    「おいおい、頼むから、相手を切り捨てて、また永久追放……なんてことにはなるなよ。すぐに帰って来い」
    「門限つきとは厳しいなあ。……大丈夫だ、俺様を信じろって」
     なにが信じろだ。バルタザールは仕方なくユーリスの背を見送り、盛大な溜息を吐いた。ユーリスと同じ部屋にいる間中、緊張して深く呼吸することができなかったのだ。薬のおかげか、フェロモンは嗅ぎ取れなかったが、それでも不安だった。
    「あ~、しんどいぜ……」


    「先生、俺だ」
     こんこん、とノックの音が響き、ほどなくしてギィと扉が開いた。
    「ユーリス、入って」
     明るい部屋の中からベレトが顔を出し、いつもの鋭い視線でユーリスの背後をさっと見回した。本人にそんな気はないらしいが、その仕草は傭兵が索敵するときの動きそのものだ。ここガルグ=マクの寮周辺に悪漢が侵入することは少ないはずだが、それでも身に沁みついた習慣は拭えないのだろう。ユーリスが部屋に一歩足を踏み入れると、例の果実茶の香りがまたふわっと体を包んだ。お茶を入れておいてくれたのかと部屋を見回すが見当たらない。その代わりに、軽食がいくつか机の上に乗せてあった。
    「なんだ、あんたも食堂で食い損ねたのか?」
    「ああ、行けなくてな。……ユーリス、何も食べていないのか?」
     それなら、とすすめられるまま、ユーリスはありがたく軽食に手を伸ばした。こんなに甘い香りがするのに、デザートも置かれていない。肉と野菜を挟んだパンは旨いはずなのに、ベリーと蜂蜜の匂いに気を取られて味がよく分からない。椅子に腰かけて足を組み、ユーリスは蝋燭の火に照らし出されたベレトの顔を見た。相変わらず、表情が動かない人だ。なのに今日は、なんだかとても……その顔が好ましく見える。
    「それで、俺様に話ってのは」
    「実は、……君たち灰狼学級の生徒に関して、噂が流れていてな」
    「へーえ。どんな噂だ?」
    「青獅子学級を利用して、士官学校の情報をアビスに流しているとかなんとか」
    「あんた、それ信じてるのか?」
    「いいや。わざわざ君たちがそんなことをしなくても、生徒の情報を知る手はある。ただ、学級に入ることで、特別に入手できるものもあるだろうが」
     ごくり、口の中のものを飲み込んで、ユーリスはニヤと笑った。この教師の、こういうところが好きだった。ぼーっとして見えるのに、妙に察しがいい時がある。ユーリスのことを正しく警戒しているくせに、突然なにも躊躇わず懐に入れてくれる。一度、ユーリスの率いる族の抗争に同行を申し出てきた時は、ユーリスがあちらのボスと話をしている部屋の前で殺気を放ち、困らせられたが。その時から、なんとなくベレトのことが気になっていた。もしもの時は、帳面に名前を書いてやりたいと思う程度には。
    「……だが、ユーリス。今日きみを呼んだのは、きみに聞きたいことがあったからだ」
    「おう、なん、だ、……」
     考えごとをしていたユーリスに、突然ベレトが距離を詰める。この距離はまずい。近すぎる。そう思った次の瞬間、またふわっと甘い香りがした。ベリーの甘酸っぱい、瑞々しい香り。蜂蜜の濃厚な甘さ。思わず胸いっぱいに吸い込もうとしたとき、ベレトの顔が険しく歪む。
    「俺に、何を仕掛けている?」
    「へ?」
     はあ、と息を吐いたのはユーリスではなくベレトの方だった。大きく呼吸し、また荒々しく吐く。だんだん顔が近づいて、驚いたユーリスは立ち上がった。腕を掴まれる。
    「この、香り……俺に、なにを仕掛けてるんだ?答えによっては、きみを学級に置いておけなくなる」
     ベレトの呼吸は苦し気なものに変わっていた。ユーリスの腕を掴む手が、服越しに分かるほど熱い。ぶわっと、ユーリスの背に冷や汗が滲んだ。香り? この香りは、あんたのだろう……
    「何かしているなら、どうかすぐにやめてくれ」
    「こっちの、台詞だろ、それ……」
     ユーリスは堪え切れず、ベレトの胸に飛び込んで顔を押し当てた。やっぱり、ここだ。ここから香っているんだ。果実茶に似た香りがユーリスを包み込み、一気に脳が沸騰した。クラクラと、酩酊したときのように思考が難しくなり、高揚感と多幸感と、むずむずとした欲求がユーリスを支配する。
    「何かしてるのは、あんた、だろ……」
    体重をかけ、ユーリスはゆっくりとベレトを寝台に押し倒した。こんなに嬉しい気持ちになるのは何故だ? 強く抱いてほしいと思ってしまうのは? 素肌同士て触れ合って、今すぐ深く繋がって、首の後ろを血が出るくらい噛んでほしいと思ってしまうのは?
    「あ……先生」
     押し倒した体の熱を楽しみながら、太ももを足の間に押し付ける。そこが硬くなっていることが、またユーリスの頭を痺れさせた。ベレトも興奮してくれている。嬉しい。触りたい。触ってほしい。気持ちよくなりたい。そう思うのに、ベレトはユーリスの腕を離さない。
    「ユーリス、離れなさい」
    「な、んでだよ……」
    「これが狙いか? つまり、俺を誘惑して……」
    「違う、違う!!」
    自由にならない両腕を子供のようにもがからせて、ユーリスはベレトの顔をキッと見た。
    「あんたがこんな、いい匂いさせて、俺をどうにかさせてるんだろうが!」
    「いい匂い? いい匂いをさせているのはきみの方だろう、香水か、媚薬の類か……?」
    「あんた、アホか! んなもんつけてたら、他の生徒やら兵士やらにも嗅ぎ取られるだろ!!」
     言われて、ベレトはすっかり困った顔になってしまった。その隙をついて両腕を振り払い、ユーリスはベレトの上着を脱がせようと夢中になる。だがやっとベレトの素肌に触れられる悦びに気を取られ、うまくいかない。俺様としたことが、寝台でこんな醜態を晒すとは……!
    「ユーリス、それじゃあきみは、何も仕掛けていないと?」
    「ごちゃごちゃうるせえな、さっきからそう言ってるだろ……いいからさ、もう堪んねえんだって」
     ユーリスがゆすゆすと腰を揺らめかせて体を擦りつけると、ベレトはウッと顔を顰めた。フェロモンに当てられて、彼も理性の限界なのだ。
    「あんた、アルファだったんだな……あんたと出会ってから、変なことばっかりだ。多分、あんたのせいで、俺様もおかしくなっちまった」
    「俺が、アルファ……? 分からない。俺の方こそ、ユーリスと会ってから、おかしくて……」
    全部都合よくベレトのせいにして、ユーリスはいよいよ自分の服を脱ぎ捨て始めた。熱くてたまらない。はーはーと興奮して荒くなった息を吐きながら、てきぱきと脱ぎ捨てて行く。
    「ユーリス、ダメだ、ちょっと、コラ」
    「もう『先生』は終わりの時間だろ」
    ベレトに馬乗りになったまま、ユーリスはぺろりと舌なめずりをした。上半身は一糸まとわぬ姿となり、ズボンの前も寛げてある。とろとろと、自分の後孔が濡れているのが分かった。ベレトと繋がるために体が準備しているのだ。
    「さあ、先生。俺様と……」
    「……ッユーリス、すまない」
    ユーリスがベレトに口づけようと身を屈ませた瞬間。ベレトの手刀が的確にユーリスの首を打ち、脳を揺らした。
    「えっ……」
     思っても見なかった一撃に、ユーリスは成す術もなく昏倒することとなり、ベレトの体の上で脱力した。半裸のユーリスがベッドから落ちないように抱き留めて、ベレトは大きな溜め息を吐く。花のような、草に寝転がったときのような、不思議な香り。ユーリスの首筋に鼻を埋めてみると、そんな素晴らしい香りがベレトを包み、幸福な気分にさせてくれる。
    『やれやれ、どうなるかと思うたが、おぬし容赦せんのう』
     ソティスの呟きに、ユーリスをベッドに寝かせて部屋の隅を見る。ふわふわと空中に浮いた少女は、何とも言い難い表情でベレトのことを見ていた。
    『最近の妙なめまいは、おぬしの体が変化しておったからなのか……?ふむ、よい香りというのはわしには分からんのじゃが……』
    「……紋章があったということは、自分もアルファだった可能性が高いということなのだろうか」
    『ふむ、おぬしはボーーッとしておるからのう。体の成長が遅かったのやもしれん』
     そこに、相性のいいオメガであるユーリスが現れて、一気に性が開花したのだろうか。ベレトは困った顔で、ベッドで眠るユーリスを見た。こんな感情は初めてだ。最初は生徒として守りたいと思った。次に、もっと彼のことを知りたいと思った。今は、……
     考えても答えが出せず、ベレトはそっとユーリスの裸の胸に毛布を掛けてやる。とにかく明日、彼ともう一度話をする必要があるだろう。気を抜けば、ユーリスの髪や肌に口付けて、この香り……フェロモン、を、胸いっぱいに吸い込みたくなってしまう。
    『運命の番……か……』
     ソティスはそう呟くと、眠たげにあくびをひとつ。ベレトにとって、今夜は眠れぬ一夜になりそうだった。



     朝が来たのだ、と分かったのは、瞼の裏に光を感じたからだ。意識は覚醒し、ユーリスの長い睫毛が震える。もう明るい。だけど、まだ眠っていたい。温かくて甘い誘惑が、彼を寝台に縫い留める。ふかふかの羽毛布団や、サラッとした清潔な敷布を知っている彼からすれば、今横たわっている寝台のお粗末なこと。アビスの大人数部屋のものよりはマシだが、硬くて頼りない作りだ。なのにどうしてこんなにも心地よいのだろう。どうしてこんなにも、まだここにいたいと、思ってしまうのだろう。
     少しばかり身じろいで、大きく息を吸い、吐いた。そもそも、自分はどうしてこんな場所で寝ているんだ?
    「……!」
    「……おはよう。よく眠れたか?」
     ガバッと身を起こしたユーリスの横で、ベレトが静かに口を開いた。椅子に座って、本なんか捲っている。長い髪をかき上げて、ユーリスは目を瞬かせた。ここは、先生の部屋だ。自分は昨夜ここを訪れて、そして……
    「お、俺、あ痛……!」
    「すまない、自分のせいだ」
     首の痛みに全てを思い出す。先生の胸に飛び込んだこと。自分で服を脱ぎ捨てて、襲い掛かろうとしたこと。そして、ベレトに力尽くで留められたこと。
    「まだ痛むか?」
    「痛むが……あ~、まあ、平気だよ……」
     ベレトの手から温かな光が迸る。弱いライブがかけられて、痛みは和らいだ。それよりも、気恥ずかしさの方が勝る。今は落ち着いているのに、昨夜の自分は一体どうしてしまっていたのか。ユーリスは、すん、と鼻を鳴らしてベレトの匂いを嗅いでみた。不思議と、今は何も感じない。
    「抑制剤というものを飲んだ。ユーリス、……きみはオメガだったんだな」
    「……どうやらそうらしいな。俺様も昨日知った」
    「そうだったのか……だとしたら、きみは自分の性について知る必要がある」
    「いらねえよ。お貴族様の性教育の内容なんざ、とっくに勉強済みだね」
    「そうか。……」
     いやにあっさりと引き下がり、ベレトは何か思案気な顔をした。ユーリスはもう一度大きく息を吸い込んでみる。甘酸っぱいベリーのような、あの香りは今はやはり感じられない。だが、昨夜はよい香りに包まれて、心から穏やかに寝ることができた。それに、今日ほど安心してゆったりと目覚めた朝はなかった。こんなによく眠れたのは何年ぶりだろう。いや、眠ったというより、気絶させられたのだが。
    「ユーリス、聞いてくれ。今日からきみは、この部屋で過ごしてもらうことになった」
    「は? どういう意味だ?」
     やっと口を開いたかと思ったら訳の分からないことを言い出した担任教師に、ユーリスは眉を顰めて見せる。
    「きみはオメガで、ヒートの最中なのだろう? そんな状態で地下に戻すわけにはいかない」
    「……はっ、心配してくれてるってのか? 地上の方が貴族のアルファ様がうろうろしてやがんだろ」
    「だとしても、だ。きみには少し強めの抑制剤を用意してもらった。きちんとこれを飲んで、この部屋に鍵をかけて眠ると良い」
    「ここで寝ろって……? じゃああんたはどうするんだよ」
    「……自分は今日から一週間、夜番に出る」
     ここでユーリスを寝かせるために、夜は仕事で留守にするつもりなのだ。ベレトの考えに、ユーリスはますます眉間に皺を寄せた。首を横に振る。
    「駄目だ。いくら担任教師だからって、あんたにそこまで迷惑をかけるわけには……」
    「昨夜、きみにあらぬ疑いをかけてしまったのは自分だ。それに、強引にきみを止めてしまったのも……」
    「ッ……あれは、俺が……」
     思い出して、ユーリスは顔を赤らめた。あの時、はっきりと『欲しい』と思った。先生のことが『欲しい』と。素肌で触れあいたい。首を噛まれたい。あの素晴らしい香りに包まれて、強い腕に抱かれたい。そう願った時のことが思い出されて、ブワッと体が熱くなりかける。理性が飛びかけるほど、あんな風に欲情したのは初めてだった。あれが、発情するということなのか。
    「昨夜は本当にすまなかった。この対処は、自分からの謝罪の気持ちなんだ。他の先生方や、レア様の許可も得てある」
    「……あんたが謝ることじゃねえだろ」
     思えば、ベレトの昨夜の口ぶりでは、彼もユーリスのフェロモンを感じ取っていたらしい。お互いに、惹かれ合っていたのだとしたら、もしかすると……
    「魂の、……?」
     小さな声でぽつりと呟いて、ユーリスはベレトをじっと見た。傭兵上がりの担任教師は、今日も表情を微塵も変えずに自分を見つめ返している。ユーリスはベレトの用意した抑制剤を受け取ると、一気に飲み干した。強い薬の服用は、発情を無理に抑え込むため、副作用を引き起こすこともあるらしい。だが、フェロモンで他のアルファを誘惑してしまい、事故を起こすよりはずっと良い。
    「よし、そんじゃお言葉に甘えて、世話になることにしますか……」
    「ああ。授業にはなるべく出るように。それから、きみは今週いっぱい、早朝の食事当番が入っているからそのつもりで」
    「はあ!? 本当かよ!?」
    「きみは早く起きて食堂へ行き、自分は交代でここで眠る。理にかなっているだろう」
    「勘弁してくれ……一週間ぶっ続けであの当番はきついぜ……」
     ユーリスは大きな溜息を吐き、片手で顔を覆った。指の間からちらりと窺った担任教師の顔は、ユーリスが提案を受け入れたことで安堵したのか、どこか薄く微笑んでいるようだった。


     それからの一週間、ユーリスは日が昇る前に起き出して、食堂で腕を振るうことになった。抑制剤の威力は絶大で、ユーリスがベレトの匂いを感じ取ることも、ユーリス自身が不要にフェロモンを放つこともなくなっていた。体調を崩している、とだけ聞かされていた青獅子学級の面々はユーリスを気遣い、ベレトの授業が午後だけになったことも気にしていない様子だった。ひとつだけ気になることがあるとすれば、ユーリスが朝早くベレトの寮監督部屋を出る時も、ユーリスがベレトとすれ違うことはおろか、彼の姿を見かけることすらない、ということだ。あの日以来、授業で顔を合わせる以外、茶会の誘いもなく、ベレトとは言葉を交わすこともできていない。ユーリスのフェロモンを嗅ぎ取っていたベレトのことだ、距離を置いてやりすごすつもりなのだろう。しかし、明らかにアルファであろうディミトリやシルヴァンが何も反応を示していないのだから、ユーリスの抑制剤はよく効いているはずだ。もしくは、彼らが教育済みの貴族らしく、他人の性に対して気付くことがあったとしても、みだりに騒いだり動じたりなどしない、ということか。
     最初の頃はそれで良かった。体がポッと熱を持つような発情も、薬を飲めばすぐに治まる。ベレトの寝台で眠り、起きて、食事当番に向かう。それで発情期をやり過ごせれば、それで良いはずだった。なのに、四日目の夕方、ユーリスはどうしようもなくやりきれない気持ちでいっぱいになっていた。
     息をするのも、吐くのも切ない。胸がぎゅっと締め付けられて、心細いような、今にも泣きたいような、そんな気持ちに支配される。
    (なんだ……? 発情期も、もう終わるはずだろ……?)
     体も重く、歩くのが億劫だった。剣の鍛錬もそこそこに、ふらつく足取りでベレトの部屋を目指す。
    「ユーリス、大丈夫?」
     追いかけて来たらしいアッシュが、心配そうにその顔を覗き込んだ。
    「真っ青だよ……まだ調子、良くないんじゃない?」
    「アッシュ……」
     そばかす面の垢ぬけない少年の言葉が、今はありがたかった。いかにも第二性はベータです、といった、無害そうな瞳。
    「僕に何かできることがない? えっと、食事を部屋まで運ぼうか」
    「ああ……それなら、明日の朝の食事当番……代わってくれねえか」
    「いいよ、任せてよ!」
     ユーリスに頼られて、アッシュは嬉しそうに笑った。思わずその頭をぐりぐり撫でてやりたくなったが、今は自分の腕すら重い。ユーリスは足を引きずってベレトの部屋に辿りつくと、中に入った。部屋の中の空気を吸うだけで、少し体が軽くなる。
    「寝ちまうか……」
     アッシュは食事を運んでくれると言ったが、扉の前にでも置いておいてくれるだろう。ユーリスは制服の釦を外し、椅子に乱雑に引っかけた。シャツの胸元を寛げさせ、寝台へと向かう。途中、兵法の本が置きっぱなしになっているのを見つけて、手に取った。彼も今日は急いでいたのだろうか。装備の下に身に付けていたのであろう服が、出しっぱなしになっている。ユーリスはそれも拾い上げ、抱え込んだ。もっと、ベレトのものが欲しい。ぼんやりとした頭でそう考えるが、元傭兵は持ち物が少ないらしい。仕方なく、箪笥を開いて中にあるものをかき集めた。全てを寝台に並べ、中心に横たわる。
    (あれ……? 俺、何やってんだ……?)
     ベレトのものに囲まれて、胸を締め付けるような苦しさは軽くなっていた。指先で彼の私物に触れると、ユーリスは満足げに大きく息を吐き、寝台の中で丸くなった。ベレトの匂いのする枕に顔を埋め、いつしか眠りの世界へと落ちていく。

    「――ス、……時間だよ、起きて……」
    「う、ん……」
     誰かが体を優しく揺さぶっている。嫌だ、まだ眠っていたい。ユーリスは何日かぶりの心地よい眠りの中から引きずり出されそうになり、かぶりを振った。相手が溜息を吐いたのが分かる。
    「当番だろう、――ほら、―――」
    「今日、は、当番じゃない……」
    「あと二日は朝食の当番だろう?」
    「アッシュ、が、……」
    「……やはり代わって貰ったのか。弱ったな……」
    「……」
    「ッ……!」
     その時にはもう、ユーリスの頭は随分すっきりとしていて、ベレトの手を掴んで寝台に引きずり込むなど容易いことだった。腕を引かれたベレトの体が寝台に乗り上げ、本やその他のものが落ちる音がした。ユーリスは構わず、その体を強引に抱き締める。戸惑ったように息を詰める担任教師は、寝る支度を済ませてあるようだった。
    「ユーリス、こら。離して……」
    「嫌だね」
    「まだ、ヒート中だろう。薬を、」
    「いらない。それより、ちょっとでいいから横に寝てくれよ」
     ユーリスは目を閉じたままでねだる。寝台に突っ張っていたベレトの腕から、少しだけ力が抜けたような気がした。一緒に寝るなんてそんなこと、子どもじゃあるまいし。もしくは、恋人同士か。どちらにせよこの教師が添い寝などやってくれるはずもないだろう。具合が悪いのだ、もう少し休ませてくれ。そう正直に言ったのなら、きっと寝台を譲ってくれるに違いない。けれども、ユーリスはそんなことは望んでいなかった。そう話したが最後、ベレトは最初の日のように、椅子で過ごすことにするに違いない。もしくは、慣れているからとかなんとか言って、床で外套に包まるか。そうではなくて、ほんの少しの時間でいいから隣に来て欲しかったのだ。ほんの、一瞬だけだって良い。そうしたら大人しく部屋を出て行く。そう思っていた。
    「……そっちへ、詰めて」
    「えっ……」
     寝台の上に散らばっていた自分の物を手早く片付けると、ベレトはユーリスを寝台の端へと促した。思わず言われるがまま体を寄せたが、どう考えても狭すぎる。二人分の体重に、寝台がギシリ、と軋んだ。薄っぺらい掛布団で二人の体を覆い、ベレトはユーリスの隣に体を横たえる。
    「これで良いか……?」
    「……腕を、こう……」
     意外にも自分の言う通りにしてくれる担任教師に、ユーリスは腕枕まで要求する。それもすんなり与えられて、心臓がドキドキと騒いだ。誰かと一緒にこんなお粗末な寝台に同衾して、生娘みたいに緊張するなんてこと、初めてだった。
     ベレトの腕がユーリスを抱き締めている。髪を撫で、温かな体同士が触れ合っている。ああそうか、これは夢なのかもしれない。再び訪れた睡魔に思考を攫われ、ユーリスは目を閉じた。これも薬の副作用だろうか、眠たくてたまらないのだ。
    「……ユーリス、眠るのか」
    「う、ん……先生、……」
     オメガの体にアルファのフェロモンがつけられると、それだけで他のアルファを寄せ付けなくなることがあるという。もしかすると、発情中のオメガを落ち着かせる作用もあるのかもしれない。そんな話、聞いたことはないが……
    「……ユーリス、きみに言っておかなければならないことがある」
    「…………?」
     もう半分以上眠りかけているというのに、ベレトはユーリスの髪に触れながら囁いた。ユーリスが眠ってしまっていても、それでも構わない、と言った様子だ。ユーリスが幸福な眠りの世界へ落ちていく瞬間、ベレトの優しい声がそっと囁く。
    「自分は、……ベータなんだ」


    続く?
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