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    晏沈の転生もの本編最終話です。

    夜の帝王の記憶なし晏無師×記憶あり沈嶠で、晏無師の記憶を戻そうと沈嶠ががんばる話です🌃

    今回は記憶を取り戻した晏無師の話です。

    転生晏沈 ラスト 晏無師は部屋を飛び出した。
     エレベーターがすぐに来ないことに舌打ちし、意味がないと知りながらもカチカチと繰り返しボタンを押す。こんな時に限って全ての台がまだ低層階にある。昇ってきていることを示すエレベーターの点灯ランプの遅さに苛立ち、晏無師は黒いコートを翻した。これ以上待ってなどいられない。晏無師は非常階段のドアを開け、一気に駆け下り始めた。一刻も早く沈嶠を追いかけなければいけなかった。
     どう言い表せばいいのかわからないほどの凄まじい感情が晏無師の胸の中で渦巻いていた。心臓が高鳴り、全身が炎に包まれているかのように熱い。どれほど会いたかったか、どれほど恋しかったか。気が狂い心が割れるほどに愛したその相手が、生まれ変わった今、手が届く距離にいるのだ。
     沈嶠の自由を願い、最期の最期で忘れようと願った。しかしどんなに忘れようとしても本心はまだ沈嶠を求めていた。長い間表面に出すことができず無理矢理抑え込んでいた感情が呼び起こされ、破裂して火山の如く噴き出してくる。沈嶠のためだと忘れることを自分に強いたのに、もう止められなかった。
     螺旋状の階段をただひたすらに降りながら、晏無師は今世で沈嶠と出会ってからの三週間を思う。

     記憶が戻ってからずっと、必死で晏無師を探していたと言った沈嶠。
     晏無師のことを『愛している』と何度も言ってきた沈嶠。
     自分を置いて逝ったことだけが心残りだったと、今度こそ自分を看取ると、そのためだけに生きると言った沈嶠。

     前世では、ただただ、もう一度会いたいと願い続け生きてきた。その沈嶠が今また存在し、記憶が戻った今、この気持ちを抑えこむことはもうできない。今すぐに沈嶠に会いたかった。会わなければいけなかった。
     晏無師はマンション前に停まっていたタクシーに乗り込んだ。しかし行先を告げようとして眉を寄せる。沈嶠が行きそうな場所に心当たりがないのだ。この三週間、沈嶠は晏無師の家と店の往復以外、食料の買い出しくらいしかしていなかった。晏無師は沈嶠がここに来るまでどこに住んでいたかも、何をしていたのかも知らなかった。今さらながら、なぜもっと聞いておかなかったのかと自分に腹を立てる。どこにいても見つけるつもりだが、今は一秒でも早く会いたい。もう一度抱きしめることができるのならば、持ち得る全てを投げ打っても構わない。


    「玉生煙、沈嶠は来ているか!」
     晏無師は結局タクシーを店に向かわせた。勢いよく店に入るなり、開口一番でそう言った晏無師に玉生煙は慌てて駆け寄った。
    「いえ、来ていません。オーナーに言われた通り沈嶠の予約は全てキャンセルしていますし……今日も休みではないんですか?」
     予想通りの答えに晏無師はチッと軽く舌を鳴らす。玉生煙の質問には答えず、晏無師は店にいた従業員全員に向けて言った。
    「よく聞け、今日は店は開けなくていい。その代わりに全員で沈嶠を探せ。見つけた者には褒賞をやるからすぐに私に連絡しろ」
    「しかし、今日はクリスマスイベントも準備していましたし、常連客の予約もたくさん入っています。年末で懐の緩んだ客から絞り取るのには絶好のチャンスですが……」

     玉生煙がおそるおそる言うと、晏無師は鼻を鳴らす。
    「構わん。金などどうでもいい。客から奪えない分は全て私が補填する。沈嶠を見つけるのが先だ!」
     
     いつも余裕を崩さない晏無師の剣幕に、玉生煙はもうそれ以上何も言えなかった。よく見れば、晏無師の息は僅かに上がり、溶けた雪のせいか足元は濡れている。汚れるのを嫌う晏無師が、この雪の中を傘もささず走って来たのだろうか。常にゆったりとした歩幅で歩く晏無師が、焦る姿を見たのはこれが初めてだった。普段は完璧な長い髪も乱れ、溶けて水滴になった雪が照明で光る。きっとただ事ではないのだろう。玉生煙は真剣な顔で頷いた。

    「わかりました。すぐに全従業員総出で沈嶠の行方を捜します!」
     玉生煙の返事を聞くと、晏無師はそのまま踵を返した。開店準備をしていたホスト達は手を止め、顔を見合わせると直ちに自分達の客や友人に電話をかけ始める。玉生煙もまだ出勤していない辺沿梅に電話をかけた。

    「師兄、玉生煙です。急なんですが、今日店は休みになりました。その代わりオーナーの指示で沈嶠を探すように言われています。人脈が広い師兄の力が必要なんですが、今どこにいますか? ……え? いえ、詳細はわかりません。でも、あんなに必死なオーナーは初めて見ましたよ。沈嶠のやつ、やっぱりどこかの店の手先だったんでしょうかね? それともオーナーの大切な何かを盗んで逃げたとか……」
     神妙な声で話す玉生煙を始めとして、店内はにわかに慌ただしくなっていった。

    _____________________

     晏無師はタクシーに戻り、周辺の道路を走らせていた。車窓から通行人の中に沈嶠はいないかと目を凝らすが、年末で人通りが多く、雪で傘をさす人も多いため探しにくい。しかし、晏無師は沈嶠のことだけは見逃さない自信があった。沈嶠はどこにでもいるようなその辺の蟻とは違う。前世で愛した唯一無二であり、生涯焦がれ続けてきた相手だ。見逃すわけがない。
     晏無師が探している間も、晏無師のスマートフォンは店のホスト達からの連絡でひっきりなしに光る。しかしその全てが『ここにはいませんでした』という内容のものばかりだった。桑景行の店に偵察に行ったホストからも、『桑景行は普通に店に出ています』という連絡が来たので、桑景行の所でもないのだろう。桑景行の顔を思い出し、晏無師の焦燥感が増した。沈嶠にも客への営業用にスマートフォンを与えていたが、沈嶠は営業を好まず店に置いたままだったため、こちらから連絡を取る手段はなかった。更に晏無師は沈嶠がここに来る前に住んでいた場所も、何をしていたのかも知らない。晏無師は手に持っていたスマートフォンを握り締めた。これだけの人数でしらみつぶしに探させているのにまだ沈嶠の目撃情報すらないという。買い物をするためのカードは渡していたが、鍵と一緒に部屋に残されていたので沈嶠は金を持っていないはずだ。店の前で拾った時には財布すらなかったので、どこかに泊まることも、遠くへ行くこともできないだろう。晏無師は窓の外の雪を見つめる。前世で沈嶠を失ったあの日も雪が降っていた。この雪の中、その身一つでどこへ行ったというのか。この三週間のことを思い返し、沈嶠の行きそうな場所を考えるが、やはり思い当たらない。晏無師は額に手を当て、目を閉じた。沈嶠の声が蘇ってくる。
      
    『あなたを愛しています』
    『晏郎……ごめんなさい』
    『最後に、もう一度……』
    『……あなたに……会いたかった……』

     それは沈嶠を桑景行に引き渡した朝、沈嶠が夢うつつで言った言葉だった。今思えば、沈嶠はきっと自分の死に際の夢を見ていたのだろう。人間が一番苦しい時に思い出すのは、自分を最も愛してくれた人だという。自分が死に面したその時に、沈嶠もまた自分のことを想っていたのだ。そう思うと喉に何かが詰まったように苦しくて、晏無師は胸元を押さえ、大きく呼吸を繰り返した。同時に沈嶠の血の気のない真っ白な顔が頭をよぎり、ゾッとする。ようやく出会えたのにまた失うことを想像すると気が狂いそうだった。もう二度と失えない。二度と。今世では沈嶠と共に最期まで生きたい。もう一度最初からやり直すのだ。

    『もし全てが最初からやり直せるとしたら』

     ふと、沈嶠の言葉がまた頭をよぎる。最初から……? 晏無師はそこではっと顔を上げた。最初からやり直せるとしたら、それはどこだろうか。前世での二人の縁は崖の下で沈嶠を救ったことから始まった。自分の命もまた沈嶠によって崖で救われ、沈嶠を失ったのもまた崖の下。

    「行先を変えてくれ」
     晏無師はタクシーの運転手に新たな目的地を告げ、バックシートに背を預ける。逸る気持ちを抑え窓の外を眺めた。
     
     
     数十分後_____晏無師がタクシーを降りたのは自分のマンションの前だった。建物には入らず、敷地内の小路へと向かう。晏無師の住むマンションの敷地は広く、ガラス張りのエントランスの脇には堀が作られ、水が流れている。晏無師はその堀に沿って奥へと進んだ。駐車場を横切り、共有のガーデンを抜ける。高い木が等間隔に植えられた長い石道には雪が積もっており、晏無師はその雪を踏みしめながら速足で先を急ぐ。雪がちらつき、すっかり日も暮れ冷えた小路には誰もいない。しかし、ちょうど自分の部屋の真下まで辿り着いた時、整えられた生垣の中に子供のように蹲っている人影が目に入った。

     ようやく、見つけた。
     
     晏無師は安堵の息を吐き出し、その人影に近づく。
    「阿嶠、探したぞ」
     晏無師の声に、沈嶠は顔を上げた。橙色の電灯に照らされた目元が赤い。
    「探して、くれたんですか……」
    「なぜこんな所にいる?」

     沈嶠は膝を抱えたまま、すん、と鼻を鳴らす。
    「……崖の下で始まり、崖の下で終わりました。ここは崖ではありませんが、あなたのいる高みの下なので……ここで今後どうするかを考えていました」
    「どうするつもりだ? 私を諦めるのか?」
     晏無師の部屋を見上げ、沈嶠は口を開く。
    「怪我が治るまでは私が責任を持ってあなたのお世話をすると約束しましたが、あなたの怪我が治り、あなたが私を意図的に忘れたと知ってしまった以上、あの部屋には戻れません。でも、私の居場所はあなたの側にしかありません。例え思い出してもらえなくても、好きになってもらえなくても、どうやったらあなたの側にいられるかを考えていました」
    「それで? 答えは出たのか?」
     晏無師が尋ねると沈嶠は首を振った。
    「いいえ、でもそこに道がある限り、私は諦めません。あなたを愛しているので」
    「……」

     晏無師は言葉に詰まった。諦めないという力強い言葉に、どんな苦境に立たされても揺らぐことなく真っ直ぐに前を向く前世の沈嶠の姿が重なる。ああ、やはりお前はお前のままだ。千秋が過ぎても、生まれ変わっても変わらない。沈嶠はまだこんなにも自分のことを想ってくれている。晏無師は喪失の苦しみに引き裂かれ、最期の最期で手を放してしまった前世の自分を思い出す。しかし沈嶠はどんなことがあっても強くしなやかな竹のように折れることはない。今世でまた晏無師がどれほど裏切ろうとも、雪のように白く清い心のまま、その手を掴み引き上げようとしてくれる。
     

    「……鲜鱼汤だ」

     晏無師はぽつりと呟いた。
    「え?」
    「タクシーの中で本座に魚料理の名前を聞いただろう? 奇岩近くの店で食べた、貝がたくさん入った海魚のスープ。簡単に作れるのに出汁がよく出ているがしつこくなく、普段はあまり量を食べないお前がいたく気に入っていたな」

     晏無師の思いがけない言葉に沈嶠の目が見開かれる。それは二人で行った南端の海の話で、前世の晏無師と自分しか知らないことだった。呆気に取られている沈嶠のまつ毛の上に静かに雪が舞い落ちる。

    「それとも途中で食べた清蒸魚か? あの店の近くでお前に飾り紐を買ったな。あと魚料理で一緒に食べたと言えば……」

     沈嶠は瞬きを繰り返し、慌てて立ち上がる。ドクドクと心臓が騒いでいた。冷え切っていた身体に興奮で血が巡っていくのを感じる。

    「待って下さい。もしかして、思い、出したんですか……?」

     晏無師は何も言わず笑みを浮かべ、腕を広げた。羽織っただけの黒いコートが風で翻る。沈嶠の目が潤む。白い息が視界を遮る。互いの足が一歩近づき、腕を伸ばしかけた。長い時を経て、ようやく自分の知る晏無師にまた会うことができたのだ。

     しかし、沈嶠の足はそこで止まった。

    「……なんだ?」
     晏無師は眉を寄せ、動かない沈嶠に向けて早く来いとばかりに上向きにした手のひらをひらひらとさせる。

    「阿嶠、なぜ早く私の胸に飛び込んでこない。ここは感動の場面だろう」
    「飛び込みたいのは山々なんですが、ちょっと、腑に落ちないことがあって。思い出してくれたのはうれしいんですが、晏宗主はどうして私を忘れようとしたんですか? 私が逝った後何があったんですか?」
    「……」

     晏無師が答えないのを見て、沈嶠は大きなため息をついた。
    「やっぱり……あなたは軽口や揶揄いの言葉はいくらでも出るのに、自分の辛さや苦しみは決して口にしませんね。千秋過ぎてもあなたはあなたのままです」
    「何が言いたい?」
     眉を顰める晏無師を、沈嶠は慈愛を込めて見つめる。
    「ここでずっと考えていたんです。あなたはあれほど私を愛してくれていたのに、どうして私を忘れてしまったのかと。あなたは強い人ですが、痛みを知らないわけではありません。表には出さなかったかもしれませんが、前世では私を失ったことに苦しんでいたはずです。『生まれ変わっても絶対にまたお前を追いかける』と言っていたあなたが私を忘れたのには、相当の理由があるはずです。私と同様に何としてでももう一度会いたいと思ってくれたに違いありません。でも、それでも忘れようとしたのなら、それは多分私のため、なんでしょう? 大方、私が死んだのは自分のせいだと思い、思い詰め、来世では私を解放しようとしたのではないでしょうか。……でも、もしそうだとしたら、そんな心遣いは嬉しくありません。私を諦めないで下さい。私がどれだけあなたのことを愛していたか知っていたはずです」

     沈嶠の指摘に、晏無師は軽く視線を落とす。
    「だが、前世でのお前は私を『愛している』とは言わなかった……」
     沈嶠は首を振る。
    「言葉が全てではありません。あなただって揶揄っているから本心も嘘だとは限らない、と言っていたじゃないですか。言わなくとも私の行動であなたはわかっていたはずです。でも、死に直面して、私はあなたに愛していると言葉でももっとたくさん伝えればよかったと思いました。だから今世では恥ずかしがらずたくさん伝えます」
     沈嶠は一度言葉を止め、晏無師をじっと見つめた。

    「愛しています、晏郎。例えあなたが私のために私を諦めたとしても、私は絶対にあなたを諦めません。あなたがいなければ私の人生は百倍穏やかですが、あなたと一緒にいる方が千倍楽しいんです」
     
     沈嶠は晏無師を包み込むように静かに微笑む。暗く寒い夜に辺りを照らす淡い光のようなその笑みに、晏無師はため息を漏らす。ようやく明かりがついた家に辿りついた気分だった。長い間彷徨って張り詰めていた緊張の糸がようやくほぐれ、温かい家の中で待っている人がいる。光の中に失った希望が見える。沈嶠に聞きたいこともたくさんあるし、伝えたいこともたくさんあった。しかし、この場面で晏無師の口から出たのはまた思いがけない言葉だった。

    「阿嶠……桑景行には抱かれたのか?」
    「……」
     沈嶠は呆気にとられた。この人は千秋過ぎても相変わらず自分勝手だ。自分のしたい話を自分のしたい時にする。 

    「なぜ今この場面でまたその話なんですか! 抱かれていませんよ!!」
     沈嶠が手を握り締めて怒ったようにそう言うと、晏無師は探るように覗き込んだ。

    「じゃあどうやって逃げて来た? 蛇のようにしつこいあいつがお前に手も出さず簡単に逃がすとは思えん」
     どうやら沈嶠への愛情が蘇ると同時に急に独占欲も止められなくなっているらしい。眼の奥に嫉妬の炎をチラつかせ始めた晏無師に、沈嶠はため息を吐く。

    「あなたが桑景行から受け取った指輪の代金を、私が代わりに支払うことで了承してもらいました」
    「我々にとってはそれほどの価値はないとはいえ、その辺の車一台くらいは買える金額だぞ。一文無しのお前がどうやって払うんだ?」
     晏無師の言葉に沈嶠はふっと微笑んだ。

    「私だってこの歳まで何もしないで生きてきた訳ではありませんよ。あなたを探すために全国各地を回りましたが、その中で前世で繋がりがあった多くの人たちと再会したんです。誰一人記憶はありませんでしたが、おそらく前世で縁があればまた巡り合うのでしょうね。私は幸いにも記憶があったので、彼らが前世でどんな人物でどんな才能があったのかを知っています。彼らの力を借りて私は人材派遣関連の会社を作りました。信用できる有能な人たちだけを起用したので、業績も順調なんですが、『玄都』という会社名を聞いたことはありませんか? あなたに私の会社だと気づいてもらえるように、広告を出し続けてきたんですが」
     
     記憶のない頃の晏無師は全く関心がなかったが、確かに耳にしたことがある会社名だった。

    「しばらく休暇を取るから連絡しないように、と言ってあります。一緒に会社を立ち上げた郁藹と部下の十五に任せているので、私がいなくても業務は滞りないはずです」
    「しかし金だけであの桑景行が納得したのか?」

     沈嶠は首を振った。
    「しなかったので、少々脅しました。易辟塵、雪庭禅師、汝鄢克惠のことは覚えていますね? 今世でも私は彼ら全員と知り合う機会がありました。格闘技の世界王者として名を馳せている狐鹿估もそうですが、世の中に武功が必要ない代わりに、彼らは皆別の分野でそれぞれの力を発揮して有力者となっています。かつては敵だったとしても永遠に敵とは限りません。立場が違い目的が同じであればその性質をよく知っているかつての敵は強力な味方となることがあります。警察官、政治家、弁護士、医者、マスメディア……各分野の有識者、権力者として私の周りには桑景行の犯罪行為を暴くことができる友人、知人が揃っています。彼らの名前を挙げ、私に何かした場合今までのように揉み消すことはできないと桑景行に言いました。彼は疑り深いので、すぐに私の会社や交友関係を調べさせたようですが、私が言っていることが真実だとわかると手を引きました。やはり名誉や富、有力者との繋がりは役立つものですね。ただし、それだけに没頭して本来の目的を忘れてはいけません。私の目的はあなたと共に生きることですから」
     
     晏無師は黙って聞いていた。

    「とはいえ、今世においても桑景行がしてきた行為は許されることではありませんし、見逃すことはできません。証拠も掴んでいるので今までの犯罪や被害者の無念は法の下で裁いてもらいます」

     最後にさらりとそう付け加えた沈嶠に、晏無師はついに声を上げて笑った。
    「世間知らずで純粋な阿嶠が今世では人の力まで利用できるようになったとはな。随分と強かになったじゃないか」
    「前世で出会ったばかりの頃の世間知らずの私ではありませんよ。何年もあなたと一緒に過ごしたんです。欲しい物は自分の力で手に入れろ、と教えてくれたのはあなたでしょう? 欲しい物を手に入れるためなら、私はすべてを賭けます。昔あなたが私のために命を賭けてくれたように」
     
     沈嶠はコホンと咳をして手を差し出した。
    「だから、あなたを守るだけの力はあります。あなたさえよければ一緒に行きましょう。今世では最期まで側にいさせて下さい」
     沈嶠の言葉を受けて晏無師は微笑む。
    「それは、プロポーズか?」
    「そうです」

     きっぱりと言い切る沈嶠の目は真剣だった。沈嶠の言葉や視線、その一つひとつが心に染み渡り、凍った心がゆっくりと溶けていく。もうこれ以上離れてなどいられなかった。晏無師は自分から脚を踏み出し、沈嶠を抱きしめる。

    「……以前私はお前を王子のようだと言ったが、本当に姫を迎えに来た王子だったようだな。やはり生まれ変わろうとも、千秋が過ぎようともお前は変わらない。だからお前は特別なんだ」

     腕の中の温もりはずっと求めていたものだった。沈嶠を失った日から止まっていた時と心臓がようやく動き始めたようだった。晏無師は冷えた沈嶠に頬ずりし、唇を温めるように軽く口づける。沈嶠も抵抗することなくそれを受け入れた。合わせた唇はすっかり冷えていて、温めようと腕の中に更に引き寄せる。
     晏無師は沈嶠の後頭部に手を回し、さらに深く唇を合わせた。沈嶠の唇を自分の唇で完全に覆い、舌と舌を絡ませる。込み上げる愛しさに胸が震え、自分の熱を全て送り込むように夢中になって抱き締めて口づけた。隙間なく抱き合い、互いの身体が密着する。しかし、抱きしめれば抱きしめる程に服越しでは満足できなくなっていく。もっともっと沈嶠に触れたい。
     晏無師が腕を弛めると、二人の口づけで温まった白い吐息が溶けていく。ふわふわとした綿菓子のような雪が二人の頭上に花のように降り注いだ。はっ、と息を吐く沈嶠の甘く濡れた眦を見て晏無師は眉を顰めた。

    「……本当に桑景行には抱かれていないんだな? その顔を見て我慢できる男がいるとは思えん。事と次第によっては今すぐ殺してくる」
     自分が置いてきたくせに何を言っているんだと思わなくもないが、沈嶠は小さな声で言った。

    「……それなら、今からご自身で確かめて下さい」
     その言葉を聞いた晏無師は一瞬眉を上げてから、心底嬉しそうに笑った。

    「長いお預けだったが、ようやく許可がもらえたようだ」
    「そんなに長くもないでしょう? たった三週間と少しです」
    「最後に抱いてから何百年経ったと思っているんだ? 幸い今回は宿屋ではないし、遠慮はいらなそうだ。しばらくは眠れると思うな」
    「覚悟は、できています」

     恥じらいながらも力強くそう言った沈嶠の手を握り、晏無師はマンションのエントランスへと向かう。何があってももうこの手を離す気はなかった。反対の手でずっと光り続けていたスマートフォンを取り出し、玉生煙に「もう探さなくていい」というメッセージだけを送り、電源を切る。ほんの少しも邪魔をされたくなかった。生まれ変わっても、記憶がないことを願っても、それでもどうしても忘れられないものがある。命を賭け、全てを失ってもどうしても手に入れたいものがある。

    「阿嶠、愛している」

     エレベーターの扉が閉じた瞬間、晏無師は零れるようにそう口にした。沈嶠は晏無師を見上げ、花が咲き誇るように微笑んだ。
    「ようやくその言葉を聞けました。私の勝ちですね」
    「何がだ?」
    「今世で初めて会った時、『必ずまた愛していると言わせてみせる』と言ったでしょう。あなたが提示した一か月という期限内に、言わせました」
     晏無師もまた沈嶠を見つめる。そして咲き誇る花を慈しむように微笑み返した。

    「そうだな、お前の勝ちだ。何が欲しい? お前が望むもの何でもやろう」
     沈嶠は首を振り、晏無師の手を握り返す。
    「もう十分です」

    「本当にそうか? そういえばお前は最初に会った時、私の身体が目当てだと言っていたな」
    「そっ、そんなこと言っていません!」
    「私を探し、愛してくれたお前の誠意に報いたい。しかし私はお前に与えられるものはこの身しかないからな。今夜は私をお前の好きにしてもいいぞ……沈郎」

     滴るような甘い声と晏無師の色香にあてられ、沈嶠の耳の縁ががほんのりと赤く染まっていく。晏無師はゆっくりと指を伸ばし、沈嶠の頬に触れた。わざと動きを遅くし、肌の感触と沈嶠の反応を楽しむ。今までは晏無師が触れようとする度に逃げてきた沈嶠も、もう逃げなかった。睫毛を伏せながらも晏無師の手から与えられる温もりを受け入れる。この先のことを期待しているのか白く透き通ったその頬の下には血が通い、ほんのりと色付いていった。沈嶠の頬に体温があることに、晏無師の胸には苦しいほどの喜びが込み上げる。私の阿嶠はやはり誰よりも美しい。

     ああ、お前の勝ちだ。とても敵わない。

     晏無師の部屋まであと少し。二人は上昇するエレベーターのランプを横目で見ながら、もう一度口づけを交わした。
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    5ma2tgcf

    PROGRESS晏沈の転生もの番外編その1です。

    夜の帝王の記憶なし晏無師×記憶あり沈嶠で、晏無師の記憶を戻そうと沈嶠ががんばる話の🔞です。

    今回はお風呂でイチャイチャ編です🛀
    ⚠️攻めフェあります
    水槽の中の闘魚 エレベーターの中で晏無師の唇に酔いながら、沈嶠はこの先のことを想像していた。今世で出会ってから今日までの間にも何度も手を出されかけている。晏無師のことだ、前世でもそうだったように部屋に入って扉を閉じたらきっとすぐに始まるだろう。

     しかし、ついさっきまではこんなことになるとは想像もしていなかった沈嶠の胸の中は、喜びと同時に緊張がぐるぐると渦巻いていた。晏無師に想いが届かずどうやったら側にいられるかをずっと考えていたのに、急に記憶が戻り、今から身体を重ねることになるなんて……。いずれ抱かれるつもりでもいたし、ずっと晏無師に触れたいとも思っていた。しかし、晏無師は前世も今世も自分以外の身体を知り尽くしているのに対し、沈嶠は今世も性経験は皆無。さっきは誘うようなことを言ったものの、性技に関してはあまり自信がない。晏無師の期待に応えられるのかと不安になってくる。経験豊富な晏無師は、他の相手と自分を比べて失望しないだろうか。「こんなものだったか」と思われないだろうか。前世でも晏無師が求めてきたのはずっと「好敵手」だった。何も知らない処子だった前世の自分とは違い、今の自分は経験はないとはいえ記憶がある。それなのに何もできなかったらどう思われるのだろう。もし失望されたらどうする……? 急に高まってきた緊張と不安で、沈嶠の胸はドクドクと騒ぎ、手が震える。
    10068

    5ma2tgcf

    PROGRESS晏沈の転生もの8話目です。

    夜の帝王の記憶なし晏無師×記憶あり沈嶠で、晏無師の記憶を戻そうと沈嶠ががんばる話です🌃

    今回は闘魚とすれ違い編です。
    転生晏沈 8 胸がざわつく。
     妙な夢を見た後、晏無師は眠ることができなかった。目を閉じる度に沈嶠の顔が瞼にちらついて仕方がない。昨夜桑景行に売り飛ばした沈嶠は、今頃奴に抱かれているのだろうか。晏無師の頭の中に、夢の中で見た乱れた沈嶠の顔が浮かぶ。あの表情を桑景行が見ているのかと思うと腹の中が煮えるような感覚に襲われる。

     不可解な感情を持て余した晏無師は苛立ち、必然としばらく吸っていなかった煙草に手を伸ばす。沈嶠がいない今、止める者もいない。摘み上げた煙草を肺一杯に深く吸い込み、余計なことを考えないよう身体中を煙で満たそうとする。しかし焦燥はおさまらない。小さく燻るような赤い火が灯る煙草の先端。灰皿の上には吸殻が積もり、時間だけが過ぎていった。晏無師は長い指で灰を弾き、艶のある髪を気だるく掻き上げる。窓の外はすっかり明るくなっていたが、まだちらちらと雪が舞っていた。風に翻弄され、熱が加えられれば儚く溶けてしまう雪。また沈嶠の顔が浮かびそうになり晏無師は煙草を揉み消した。
    6007

    5ma2tgcf

    PROGRESS晏沈の転生もの6話目です。

    夜の帝王の記憶なし晏無師×記憶あり沈嶠で、晏無師の記憶を戻そうと沈嶠ががんばる話です🌃
    今回はホスト編とワクワク同居編のラストです。そこそこ手を出されます。R15くらい。
    転生晏沈 6 晏無師と沈嶠が同居を始めてから三週間。沈嶠は相変わらず夜はホストとして働き、昼は晏無師の世話をするという生活を続けていたが、それは意外にも穏やかで楽しい日々だった。二人の同居は『怪我が治るまで』という理由で晏無師が言い出したものだったので、怪我が治ったら追い出されるのだろうと沈嶠は思っていた。しかし晏無師は『まだ治っていない』『傷が開いた』などと言っては、なかなか沈嶠を手放そうとしない。
     最近の晏無師は出会った当初の冷たい印象とは違い、沈嶠のことをそれほど警戒していない様子だった。沈嶠を揶揄っては面白がり、笑顔を見せたりもする。少しずつだが心を開いてくれている、と沈嶠は感じていた。晏無師を変えることなどできないと思っていたが、晏無師は沈嶠の望み通りあれ以来煙草も吸わなくなった。二人の関係はいい方向に進んでいる。このまま一緒にいたらそのうち記憶が戻るかもしれない。いや、もし戻らなくともこの晏無師と生涯を共にすることができるかもしれない。楽観的かもしれないが、沈嶠はそう思い始めていた。
    9441

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