セラサクセラ 下町らしい活気ある浅草の通り。爽やかな青空に浮かんでいた太陽が西に傾き始め、街が茜色に染まっていく。
堺は帰路を急ぐ子供たちの横目に、丹波たちと約束していた居酒屋に向かっていた。約束の時間まで十分余裕がある。今日も一番乗りは自分であろう。まぁ、時間通りに始まればそれでいいと思い、早くも遅くもない足取りで歩いていた。
年代の近い固定化したメンバーで、馴染みの場所で、いつの時間に集まる。いつの間にか変化がないことをつまらないだとか、飽きたとか文句を言う年齢ではなくなっていた。未知との邂逅で鼓動を躍らせるより、心は安心感を求め始めている。
チームでも若い歳ではない。しかし、それがネックだと思いたくはない。
それ故、食事にもコンディションにも気を遣っていた。それは丹波も心得ているのか、野菜中心の塩分控えめの料理を予め店にお願いしているようで、毎回アスリート向けの料理を提供してくれている。
家での食事に店の料理を参考にしてみようかと考えた時。
「キャン!」
高音のポンと弾んだ鳴き声が耳に入ってくる。
視線を横に向けると、通行人に見やすいように置かれたガラスショーケースの中で、ひと際小さな子犬がケースをこれでもか舐め散らかしていた。タピオカ店から空きテントなってしまっていた一角。知らぬ間に、そこはペットショップになっていたのだ。
犬種はポメラニアンだろうか。ジャンプをしてようやく届く位置を一舐めしては落ち、再びジャンプして真っ赤な舌で透明な板を器用に舐める。そんな必死にジャンプする必要はないだろうに、堺と目が合ってからは、より真っ赤な舌を見せつけるようにベロベロと舐め続けていた。舌が乾きそうである。
「ガラスなんて味しねぇだろ」
フッと鼻で笑って、子犬の涎でべちょべちょに濡れたガラスを覗き込む。自然と足は止まっていた。
「キャン!」
はっ、はっと舌を出した子犬が、どこか阿呆っぽい表情で返事をして、今度は先ほど舐めていた場所よりも高い位置を舐めてみせる。他の身長の高い犬種であれば、苦労しなくても届く位置。なんなら隣のケースで眠っているゴールデンレトリーバーの子犬ならジャンプをしなくとも届くはずだ。それなのに、こいつは馬鹿の一つ覚えみたいに……。
意地悪をしようとしたわけではない。純粋にどこまで努力をするのだろうかと気になっただけ。
指先をそっとガラスに這わす。届くか届かないかギリギリのライン。それを合図にして、指に向かって躊躇いなく子犬が飛んだ。
あと少しで届きそうなところで小さな身体が落ちる。しかし、諦めてたまるかとどこかの誰かみたいにキリッと顔を整え、再び飛んだ。
あぁ、今度は届くだろうな、と力強く踏み切った足を見て確信する。結局、努力しようとしてる奴を目で追ってしまうのだ。馬鹿みたいに単純で、それでいて諦めない奴を。
「キャン! キャン!」
お世辞にも華麗とは言えない着地をしたあと、褒めてくださいと全力で尻尾を振る。このまま放置すれば、ふさふさした尾がちぎれてどこかに吹っ飛んでいきそうだった。
「あー……」
「キャン!」
「俺は何もおやつとか持ってな……」
「気になりますか? よろしければ抱っこしてみます?」
「えっ」
キャンキャンと吠え続ける子犬の声に気がついたのだろうか。ペットショップの店員がわざわざ店の外までやってきた。残念ながら飼うつもりで見ていたわけではない。ただなんとなく目に留まっただけ。
「……クーン」
潤んだ瞳が、お願いしますと訴えてくる。
おい、そんな目で見るな。十年以上前に見たチワワのCMと自分の置かれている状況が被って、ヒクリと頬が引き攣った。しかも、一瞥した腕時計は、まだ時間に余裕があると悪魔の囁きをしてきている。
そう。少しくらい抱いても問題ない時間。ここでモダモダしている方が時間の無駄だ。
「少しだけなら……」
そうポツリとこぼし、子犬がショーケースから出てくるのを待ったのだった。
そして子犬を抱き、いよいよ大変な目にあった。嬉しションをされかけたり(辛うじて免れたが)、頬をガラス並にベロベロと舐められたり、帰らないでくれと服の袖を嚙まれて身動きできなくなったり……。
結局、居酒屋に到着したのは、集合時間ギリギリ。
足早に居酒屋にやってきた堺に、丹波は「堺が一番遅いとか、珍しいこともあるもんだな。あっ、なんかいいことあった? いい顔してんじゃん」と笑いかけたのだった。