吸血鬼と鮫の人魚① すぐ死ぬが再生を繰り返すこの身体も、成長をとめてしばらく経つ。超自然的な能力も使い魔もないが、血筋にあわぬスペックに不満も不便さも感じてはいない。
ただ漫然と退屈な日々を過ごしていた私の世界が一変し、空色の青に囚われる。始まりは、御祖父様の気まぐれで敢行された遠泳大会の日。
海に来たのは子供の頃以来か、波をかぶるだけでも死ぬ私は自動的に見学だ。皆の勇姿を上から眺められそうな崖が視界に入り、向かう道中の険しさに度々自分の選択を呪いながら、なんとか崖の上に辿り着いた。
まさかそこに先客がいようとは誰が予想できようか、しかも高さ十五メートルはあるこの場所には本来いるはずのない影。崖の淵に座っていたのは男の人魚だった。
「うわ、俺の秘密の場所にまで吸血鬼が!俺も遊びに誘おうってか?」
月夜に輝く銀髪を海風に揺らし、鋭利な歯と立派な尾ビレを持つ鮫の人魚が私を見るや叫ぶ。遊びという単語に御祖父様の顔が浮かび、遠泳大会の様子を眺めてみれば、一族達は鮫の群れに囲まれていた。あの鮫達は御祖父様の遊びの誘いを許諾、つまり催眠にかかっているのだろう。
彼は私が吸血鬼だと認識し、鮫達が催眠にかかっていることも理解した上で、この場から逃げる素振りも見せず、興味の眼差しを私に向ける。その振る舞いから、彼が海の強者であり、本人もそれを自覚していることがよくわかる。私が驚異にならないことも見抜かれているのかもしれない。
「君は吸血鬼に知り合いでも?」
「まさか、実物を見るのはアンタ達が初めてだ。みんな怖がって逃げたけど、俺は強いから!せっかくだから見物してやろうと思って。」
「それでこんな所にいるのか、でも一体どうやってここに?」
流石に海からジャンプしてここに辿り着けるとは思えない。まさか飛行能力を持つ人魚なのか?
「海から登ってきただけだけど?この崖指がかかりやすいからよく来るんだよ。帰りは飛び込めばすぐだし、俺の秘密の場所!」
一瞬理解できずに固まって、登ってる姿を想像したら可笑しいやら怖いやらで、言葉より先に笑いが溢れてしまった。我ながらとんでもなく失礼な態度だが、彼は機嫌を損ねるどころか不思議そうにこちらを見るだけだった。
「俺のとは違うけど、アンタの歯も結構怖いな」
笑いが落ち着いた頃合に、彼はなんだか嬉しそうに言った。
「失礼、こんな面白い存在に出会ったのが初めてで我慢できなくて。隣りに座っても?」
許可を得ようと近付けば、少し動揺が見えたが拒絶はなかったので隣に立つ。彼と並んで足を投げ出し座るつもりだったが、眼下の景色が視界に入れば恐怖に屈して後ずさり。仕方なく彼の少し後ろで体育座りをした。
「吸血鬼って高いところ苦手なのか?」
呟きながら彼は降ろしていた尾ビレを持ち上げて体を回転し、私の膝と彼の背ビレが並ぶ形で向き合った。月を背にした彼の目元に影が落ちたせいで、笑うと見える鋭利な歯が際立っていた。
「吸血鬼に会えたら聞きたいことがあったんだ。」
初対面の吸血鬼と人魚の、膝を突き合わせての奇妙なおしゃべりが始まった。
人魚にも様々な能力を持つ者がいる。だが彼は身体能力が異常に高いものの、超自然的な能力は一切使えない。そのかわり能力の察知と耐性は高いのだと教えてくれた。なるほど、御祖父様の催眠について全てわかっていたのも頷ける。吸血鬼による能力の影響を受けたモノによく遭遇したとかで、それらから聞いた話で興味をもったらしい。聞きたいこととは、畏怖欲についてだった。
「自分を見て怖がったり怯える姿に喜びを感じるってどういうことなんだ?俺もみんなに怖がられるけどこれが当たり前だし、楽しいなんてとても思えない。」
「吸血鬼は人間の血を啜る化け物だからね、恐れられて当たり前の存在、海での君とおそろいだね。でも私達は享楽主義者だからなんでも楽しみたいんだ。これはもう生まれ持った性だから、不思議に思ったこともなかったよ。ちなみに君は何をしてる時が一番楽しいの?」
私にとっての当然は彼には理解できないものだ。彼を納得させる答えは出せないと思い、質問で返した。
「えっ、楽しいこと?なんだろう、美味しい物探してる時とかかな。でも食事自体は楽しめないから違うのか。あ、今楽しいぜ!こんな生き物と近付くのも話すの久しぶりだし。俺の楽しいことは吸血鬼かもな!」
相変わらず目元は暗いが、端正な顔立ちが柔らかくふやけているのはわかる。いつの間にか、その笑顔から目が離せなくなっていた。
「でも吸血鬼って海嫌いだろ?あぁ、この滅多に見れない存在ってのも大事なのかもな~。」
「君がいるならまた来るよ。」
実際自力でここまで足を運べるわけがないのに、思わず口が滑った。
「今言っただろ、滅多に見れないからいいんだって!そうほいほい会えちゃ駄目だろ。」
違和感が強まる。彼の私への関心の強さは相当で、この対話を楽しんでいるのも明確なのに、それをまた望むことがない、先の話が一切出ない。
「君、もしかして明日死ぬ呪いにでもかかってるの?」
「は?」
本気の理解不能を詰め込んだ声色が返ってきた。どうやらそういうことではないらしい。これは人魚の性?彼の特性なのだろうか。それこそ私には理解出来ない。私との会話を楽しめているのならいつまでも続ければいいし、次を望んで然るべきだろう?
「あ、鮫達いなくなってる」
返事をしない私の視線に居たたまれなくなったのか、彼は海を見下ろし大会の終了を察した。お前も戻らなくていいのかと、終わりを促された。
彼が考えない未来に介入してやりたい。これは私にとって初めての執着だ。そうだ、今更だが私は彼の名前も知らない。
「私は吸血鬼、ドラルク。君の名前を聞いてもいいかな?」
彼は驚いた顔をして、それから少し困った様子で笑った。
「そうだよな、こんなに俺のこと喋っておいて名乗るの忘れてたな。名前、使うこと滅多にないから」
これは、教えてくれない流れなのか?他人の名前も覚えられない可能性も出てきた。
「俺は鮫の人魚、ロナルド。」
私の名乗りと同じリズムで彼は返した後、体を翻して背中から海へ落ちていく。ここで初めて彼の顔を月明かりが照らし、その瞳の色に吸い込まれる。
「じゃあな、ドラルク!」
名前を呼ばれ、胸の高鳴りを感じた。遠ざかっていく空色に思わず手が伸びた。大きな飛沫を上げた後、海の中を進む影はあっという間に沖合に消えた。
「あぁ、どうか私の名を覚えていて」
何も掴めなかったはずの拳を開けないまま、口から願いが零れていた。