忘れるほど遠くへ「ねえ、遠くまで行こうよ」
そう言ってきたのは俺の伴侶であり、吸血鬼としては親となる男だった。
「どうしたよ、いきなり」
「前から考えていたんだよねー、ロナルドくん結局生涯ワカホリ男だったじゃん。旅行なんてお祖父様の発明使っての空想以外なんかあったっけ?」
キッチンからソファに持ってきたマグカップには温められた牛乳が入っていた。なんか他の味もするので色々入れられているのだろう。俺にはうまいということしかわからないが、ジョンに聞けば事細かに感想と解説を聞けたのに。
「ないがなんか悪いか」
「その無駄に素早い拳は悪いかな」
「おっけ、じゃあ足な」
仕事に生きた人生でなにが悪いか、確かに国内でも行った観光地はロクにはないがだからといってそれが不幸だとも、だから刺激がない人生だったということもない。トラブルとお祭り騒ぎがデフォルトなこの町では常に全力疾走を求められていたのだから。
「違うわ!ええいいい加減会話をしろ馬鹿造が。退治人から引退して、吸血鬼になって、いろいろ整理していたらこのビルも耐震の影響で建て直しで離れることになった。これ以上旅立つのに理由なんぞいらんだろ」
ちなみにこの部屋のものはドラウスの城に預かってもらうことになっている。この前まで次住むマンションを検索していたのにいったいどんな心境の変化なんだか。
とは言われても、突然行きたいところなど出てこない。それを正直にいうのも気恥ずかしいので、ずらして答えることにした。
「んじゃーどこいきたいんだよ、お前は」
「旅行経験の少ない君の意見を優先してあげよう。でも経験なさすぎて意見さえ出てこないかごめんね♡」
「ハワイ」
おそらくは見越されていたのだろうが、だからと言って対応を緩める理由はチリほどもなかった。出来上がったのが塵山だけに。
「手足に文句が出たからってヘッドバットならいいと思っとらんか?ならまずはハワイね」
「まずは?」
「え、もっといろんなところ行こうよ。うちが持っているの別荘廻りとかする?」
なんか変な言葉が聞こえた気がする。
「そんなに別荘ってあんの」
「お父様の城だって本邸はルーマニアだから別荘扱いだよ、埼玉の城と合わせてこの狭い島国に二つある時点で考えて欲しい」
「こわい」
こわい。別荘ってそんなにいっぱい持っているものだろうか。今更ながらこの家の総資産が恐ろしくなる。
「正直なご意見ありがとう。え、でもまじで別荘めぐりする?使ってないのもあらかじめ言っておけば私たちが泊まれる程度は整理してくれるから全然アリだよ」
ならもういっそ行き先は毎回ルーレットとかくじとかで決めちゃおうか。と
「いや、でもわざわざ手入れしてもらうのも悪くねえか?」
「なに言っているのさ、建物は手入れし続けなければ簡単に荒れてしまうものだよ。無人の城なんて、まぁ……ほとんとはないさ。血族の誰かが住んでいるか、いなければ管理人だけがいるかの違いだけなんだから」
城がいっぱいあるだけでも怖いのに、管理人さんを雇って手入れしているという事実も怖い。
「本当にいろんなところにあるんだよ、お祖父様がぽんぽん建てたからね。行きたくないかい?」
「なんだよ」
ポンポン建てられた城は怖いが、その突然のジト目で見上げてくるのも怖い。下からライトで照らしていないだけまだマシというだけだ。
「……ジョンの故郷」
「えっ行きたい」
「はーい、じゃあそこも決定ね」
思わず反射で答えてしまったがでもそれは行きたい。ジョンのご家族……はいなくてもその血縁のアルマジロたちはいるんだろ。えっ会いたい。
「好きなだけいろんなところに行ってさ」
「ん?」
「気に入ったらそのまま住んじゃってもいいし、やっぱりここに帰ってきてもいいんだよ」
「なに言ってんだよ、お前は」
「私たちには途方もない時間が許されているってことさ、好きなだけ回り道ができるほどにね」
喪服を着た吸血鬼を、やせぎすの吸血鬼は優しく抱きしめた。
唯一となっていた家族(さいごのくさり)が亡くなったのだから、これからは私たちだけが家族だ。
やせぎすの吸血鬼は相手に見えない口元を持ち上げた。