モブから日和をいただく郁弥の話 ストロベリーパフェの甘い香り。カフェで一番人気のパフェを嬉しそうに口へ運び、日和は時々携帯を見る。普段からあまり携帯を触らない子だったのに、最近はすっかりコートのポケットの中に入れるようになった。ランプが光ってメールが届くと、すぐ返信出来るように。
日和の口元がひっそり笑う。こちらに気づかれないよう口を結んでいるつもりだろうけど、そんなの僕にはバレバレだ。携帯の画面にゆっくりと指を滑らせる。日和の頬が薄っすら赤く染まる。そこには一体どんな文字が綴られているのだろう。僕はひどい胸やけを感じていた。
「……昨日デートだったの?」
「あ、うん。呼び出されちゃって」
「そうなんだ。平日なのに珍しいね。会うのは休日じゃなかった?」
「…会いたくなったんだって」
アイスミルクティーのストローを齧る。潰れてしまったストローを舌の上で転がした。
まだお腹の奥が熱い。苛立ちが止まらず、ふにゃふにゃ笑っている顎を掴み、無理矢理キスしたくなった。そんなこと出来るわけないけど。
「あっ今また惚気話って思った?郁弥が聞くからだからね…」
「うん。僕には教えてくれないの」
「そんなことないよ…いつも話せることは話してるでしょ」
日和に恋人が出来た。幼い頃から片想いをしていた人で、先月向こうから告白して来たらしい。本人曰く「夢のようだったし…今も夢なんじゃないかって思うよ…」だそうだ。いっそ夢だったら良かったのに。残念ながらこれが現実。それからずっと、日和は何もない空間をぼんやり見つめ、誰が見ても分かる程舞い上がっていた。
彼と旅行を計画している話。彼からプレゼントを貰った話。僕が一体どんな気持ちでその話を聞いているのか、露知らず。今日も彼の唇から甘い物語が紡がれる。もちろん相手は僕ではない。
「…そういう時どこで待ち合わせるの?夜遅いと大変だよね」
「うん。先生が車で家まで来てくれるんだ」
聞かなければ良かった。僕はペーパードライバー。そもそも車も持っていない。相手はきっと、オシャレで大きな車に乗って日和を迎えに来るのだろう。安易に想像がつく。
「助手席は日和の特等席なんだね」
「う、うん。そうかな。そうだといいな」
コップの中で氷の泳ぐ音。日和がストローを回す。レモンの果汁が滴り、甘酸っぱい香りへ変わった。
「でも……日和がまさかね」
女子なら未だしも、男と付き合うことになるなんて。今まで日和に恋人ができることを想定しなかったわけじゃない。ずっとノンケだと思っていたから、実は恋人ができたんだ、と嬉しそうに言った日和を見ても、てっきり女子だと信じていた。それなら彼女の黒い噂を流すか、彼女が僕を好きになるよう仕組むか、なんて簡単に考えていたらまさかの男性。しかも元は親の知り合いで幼い頃習い事の先生だった…なんていうのだから。
日和から真実と現実を知らされた日。僕は自室で一人、頭を抱えて眠ったことを覚えている。それから身辺を調べ上げたものの粗は全く見つからず、相手は「先生」としても恋人としても完璧な人間だった。だからこそ二人の恋を阻む方法が分からない。僕はずっとその方法を探し続けていた。
「…もうやったの?」
「何を?」
「色々。ここで言っていいなら言うけど」
やっと言葉の意味に気づき、日和は目をまん丸く開ける。一度咳払いをした。
「そういうこと知りたいかな…?やっぱり友達のそういうことは、あんまり知らない方がいいって…」
「日和のことならなんでも知っておきたいんだけど…友達だからこそじゃない?」
「うん…」
「それじゃダメ?」
わざと上目遣いで言う。そうすれば日和は断れないだろう、と知っているからだ。
「……そりゃ付き合って三ヶ月も経ったし」
「経験済みってこと」
「ちょっと、言い方がやだなぁ…」
日和は恥ずかしそうに俯き僕と目を合わせなくなる。氷だけになっているコップの中を覗き込み、ストローで何度か底を突いた。
「その人優しい?」
「…うん」
「良かったね」
「ありがとう」
一度だけ相手を見掛けたことがある。本屋で偶然日和を見つけた時、二人は手を繋いでいたからすぐに分かった。高身長の黒髪…爽やかな笑顔の似合う人。如何にも日和が甘えていそうな、お兄さんタイプの人だった。少なくとも僕の兄貴とは全く違う。どちらかというと、雰囲気は尚先輩に近い。
そして生活のゆとりを感じる立派なスーツ。靴と鞄。全てに品があった。笑い合っている二人の声。艶やかで真っ黒なスーツの色は、今も目の奥に焼き付いている。
「…じゃあまだ喧嘩とかしたことない?」
「そうだね。そう言われると…ないかも」
「そっか。何かあったら相談してね。日和はなんでも一人で抱え込むんだから」
日和はもう一度ありがとう、と言って笑う。最近微笑み方もあの人に似て来たような気がする。恋人になると色々似てくる…って聞いたことあるけど、本当なのだろうか。僕はむしゃくしゃして背もたれに寄り掛かる。ちなみに相手は華道の先生。そろそろ華道教室が始まる時間だ。日和は時計を見ると、携帯の画面を伏せテーブルに置く。
僕は窓の外を見つめる。通りかかった数人の女子がなぜかこっちを見ている。僕にはどうしても手に入れたいものがある。一度は諦めようかと思ったけど、そんなの無理だった。やっぱり我慢出来なかった。だって日和の瞳もその体も…元々は全部僕のものだったはずだ。日和はずっと、僕だけを見ていたはずなのに。
「郁弥、どうしたの?」
「なんでもない」
僕は純粋に恋をしている。これを只の執着や子供じみた独占欲、そんな風に捉えられるのなら、僕は別にそれでもいい。とにかく残念なことに僕がこの気持ちに気づいたのは、日和が既に誰かの手に渡った後のことだった。今更悔やんでももう遅い。だから今度はもう迷わない。日和を取り戻すためなら、僕はなんだってする。
「…楽しそうだね?どうしたの」
「ん、どうしようかなと思って」
「映画館とか近くならプラネタリウムもあるらしいよ。郁弥気になるって言ってなかった?」
「うん。今日は別に行きたいところがあるんだ。ついてきてくれる?」
日和は鞄を取りながらもちろん、と言う。嬉しそうな声。僕もつい嬉しくなって笑みを零してしまう。
からん。涼しい音を立てコップの中の氷が溶ける。何も気付いていない日和が、赤いランプの光っている携帯を見つめ、優しく微笑んだ。