水星の魔女 第一話ノベライズ「編入手続きよし、制服よし、コックピットのレギュレーションよし」
暗闇でリストをスワイプするスレッタ・マーキュリーの顔を端末の明かりが照らす。
その周りでは彼女の散らかした私物が無重力の作用でフワフワと浮かんでいる。
スレッタの赤い髪もあちこちに浮かんで跳ねているが、これは無重力のせいではなく、生来のくせっ毛のせいだ。
それを少し古びたヘアバンドでまとめて、長い髪は後ろで房のようにひとつ結びにしている。
するとスレッタの声に呼応するように彼女の周りでヒュォンと機器が発光した。
「大丈夫、エアリアルの申請もしてあるよ」
明度が増したことでスレッタの座る場所の全体が浮かび上がる。
ここはコックピット。彼女に『エアリアル』と呼ばれたのはこの場所を備えたモビルスーツの名前だった。
『フロント73区アスティカシア高等専門学園、到着5分前です』
スレッタの搭乗する輸送船のブリッジからアナウンスが入る。
思わずスレッタはモニタに張り付くように近づいて、手に持った端末を操作した。
コックピットのモニタに外部の映像が映し出される。
──巨大な宇宙居住型の高等教育機関。
これからスレッタが編入するアスティカシア高等専門学園は中心に円の形をした構造物があり、それを囲むように構成された4つの円がそれぞれがゆっくり回転している。
「あれが、学校……お母さん、とうとう来たよ。あ……!」
弾んだ気持ちで学園の外観を眺めるスレッタの目に何かが映った。巨大建造物に似つかわしくない違和感。
モニタの画像を拡大、もう数度拡大。そうしなければならないほどそれは小さい。
──人だ。
宇宙服を着た人間が浮かんでいる。
学園の外壁と命綱で繋がれている様子もないので、整備中の作業員ということはあり得ないだろう。
仰向けでポツンと宇宙を漂っているのは明らかに異常だ。
「うっ……うそ! だだだだっだだだめだめだめっ……!」
スレッタはあわてて端末からブリッジにコールをする。宇宙での事故は即、死に繋がる、猶予は少ない。
『こちらブリッジ』
「うしゃっ、う……っひとっひと、ひとーー!そとそとそとにーー!!」
スレッタは焦るとどうしても口調がつっかえてしまう。
要領を得ない訴えと、スピーカーからのハウリングに顔を顰めたブリッジのクルーだったが、音声と共にスレッタの端末から送られた映像を見て、状況をすぐに理解した。
『救助部署発令、要救助者発見。船外活動、用意!』
『救助者の状況を確認してください。破片等が衝突したなど痕跡はありますか?』
ブリッジからの指示が飛び交う中、スレッタは慌ただしく操縦席に座り、ヘルメットを被るとコンソールを起動する。
「進めば……二つ……」
『は……!?』
スレッタの唱えた言葉の意味はブリッジのクルーには通じない。そもそも誰かに語ったものではないから返事も必要としていない。
「たたっ……助けおまふっ!」
噛み気味のスレッタの声と同時に、起動したエアリアルの目が発光した。
『おい! 何にしてる!? 救助ならこっちに任せろ!』
モビルスーツを固定するアンカーのロックを引き剥がし、発進するエアリアルが前へと一歩踏み出す。
その脚を下ろした勢いで、止めに入ろうとしたクルー達が後方に飛ばされた。
『外に出る気か!?』
『チッ……ああっもう! モビルスーツのパイロット、今から船外のハッチを開ける。大人しく待ってろ!』
ブリッジは、どうやらこれ以上勝手にされて格納庫を壊されでもしたらたまったものではない、と判断したようだった。
「ごごごごごめっん……なさい」
『要救助者を見つけたら連絡してくれ、こちらですぐに対応する』
──どうしてもじっとなどしていられなかった。
故郷の水星では、事故の遭難者の救助はいつもスレッタの役目だった。だから考えるよりも先に体が動いてしまった。
開いた輸送船のハッチから、スレッタを乗せたエアリアルは飛んだ。真っ暗な宇宙空間にポツリと浮かぶ遭難者を目指して。
宇宙は過酷だ。必要な酸素もなく、有害な高エネルギーの放射線が飛び交う。
そして宇宙で生きるには、人はあまりにも脆弱な存在だ。
──そんな空間を、宇宙服ひとつ隔てて浮かぶ遭難者は見ていた。
胸元にあるビーコンがゆっくり点滅する。そして遭難者の見上げた先にモビルスーツが現れた。
エアリアルが両手ですくい上げようとすると、遭難者は両腕をしきりとバタバタとクロスさせる。
何かをこちらに伝えていることは分かった。
「酸素切れ!? 今助けます!」
一番にありえそうな原因をスレッタが口にする。
この遭難者の身振りは、酸素のなくなる恐怖でパニックを起こした者の行動にとてもよく似ていたから。
しかしエアが漏れているにしろ、バッテリーの故障にしろ、これだけ動けているのなら最悪の事態は防げているということだ。
スレッタはやや安心しつつも、急ぎエアリアルのハッチを開ける。少しでも早く遭難者を安全な場所に引き入れてあげなくてはならない。
スレッタはコックピットから飛び出すと、エアリアルの手に包まれた遭難者をしっかりと捕まえた。
なぜか遭難者は抵抗しようとするが、その宇宙服のバックパックのスイッチを操作して外し、コックピットに引き込む。
ハッチが閉じると、スレッタの上でうつ伏せに倒れていた遭難者の宇宙服が減圧され、膨らんでいた外観が細くなる。
──遭難者は動かない、気絶してしまったのかもしれない。
「だ、大丈夫ですか? もしもしっ、もしも……わあっ、わっ! ぐぅっ……」
ガキン、と遭難者がスレッタに強烈な頭突きを喰らわせてきたのだ。
ヘルメット越しでも衝撃は伝わる。脳天をしたたかにぶつけたスレッタは、ヘルメットの頭を押さえて身悶える。
「ジャマしないでよっ!!」
「うう……はい?」
強烈な頭突きと同じくらいの口調のキツさで、遭難者がスレッタを怒鳴りつけながら、ヘルメットのフェイスシールドをオープンにした。
現れたのは銀髪の美少女だった。年もスレッタと同じくらいだろう。
「もう少しで脱出できたのに! アンタのせいで台無し!」
美少女は怒りも露わに、ズイっとスレッタの眼前に迫る。
「責任! とってよね!」
──人を助けたと思ったのに、余計なことをしてしまったらしい。
「……はい」
スレッタは美少女の勢いに押されて、訳も分からぬまま返事をしたのだった。
*****
スレッタを乗せたリニアが学院に向かう。
窓の外を見るために、スレッタは半身を捻って幼い子のように窓枠に手をかけ眺めていた。
全てが機能的に美しく整備された風景が見える。そして移動用のバイクに乗って通学する学生達も。
全てがスレッタにとっては物珍しく、豊かとは言えない水星では見ることができない心躍らせる風景だった。
アスティカシア高等専門学院はベネリットグループの経営する学園で、パイロット科、メカニック科、経営戦略科の3つの専科に分かれている。
それぞれが学ぶ教科によって様々な授業の形態がある。
学院内をパイロット科の生徒が操るモビルスーツが闊歩し、メカニック科の生徒は実際にモビルスーツを整備する。
経営戦略科も総合的に専門に知識を学び、皆ここを卒業する時は一人前のプロフェッショナルとして通じる人間になっている。
「スレッタ・マーキュリーさん?」
「ん、あ……はっ、はい!」
実習の見学に夢中になっていたスレッタを呼ぶ声に慌てて振り返る。
そこには黒髪に青のインナーカラーを入れた、笑顔の優しげな少女が立っていた。
「実習、見学なんだよね? メカニック科2年のニカ・ナナウラです。分かんないことあったら聞いてね」
「ひょ! ひゅうれい! よろれろ! よろどぅつんどぅ!」
ガバ、と頭を下げる。しかし、よろしくお願いします、のひと言は上手くいえなかった。
スレッタの受け答えは噛み気味を超えてしどろもどろになってしまう。
「緊張してる?」
「がっ、学校……きたの、はじめて……だから」
スレッタには圧倒的に経験が足りない。
この学院に編入といってもスレッタは今まで学校に行ったことはなかった。必要な学習は、母やエアリアルのアーカイブに収められた様々なデータやコンテンツから学んでいた。
だから水星にはいなかった同年代の相手との会話はつい構えてしまう。言葉を上手く紡ぐことができないのだ。エアリアルと会話をするときは滑らかに話ができるのに。
「初めて……?」
「ねえ!」
「あっ……」
横からニカの肩にぶつかり押し退けて、女子の三人組が現れた。
「水星から来たって本当?」
「人住んでたんだー」
「え……えっと……」
三人組はスレッタに質問を矢継ぎ早に浴びせかける。しかし、いきなり失礼な物言いだ。
スレッタはなんとなく座り込んでしまい、三人を見上げた。
「専科は?」
「パ、パイロット科、です」
「エリートじゃん〜!」
「なんで編入してきたの?」
「お母さん、が……行きなさいって……いうから」
「お母さん?」
「じゃあ、その古そうなヘアバンドもお母さん言うからつけてるの?」
三人組の顔に意地の悪い笑みが浮かぶ。
「やめなよ〜!」
他の二人がクスクスと笑いながら静止する振りをするが、ポーズにすぎない。
本当はこの辺境の星からやってきた気の弱そうな編入生を馬鹿にして、しょんぼりする姿が見たいのだ。
ニカ・ナナウラが三人組の意地の悪さに眉をひそめる。
この三人だけでなく、宇宙育ちのスペーシアンは選民志向の塊で、アーシアンや辺境の星に生きる者をことの他差別する。
──が、しかし。『お母さん』という単語が出た途端、今まで弱々しかったスレッタの反応が変わった。
「もちろんです!」
明るい表情で元気に答える。
編入生がへこんだところが見たかったのに、皮肉が通じなくて三人組は引いた。
「……マジ?」
三人組の反応がいまいち分からなくてキョトンとしていたスレッタだっだが、背後を歩いていく人物の足音に気を取られて振り返った。
その人は長い銀髪を揺らし、バックシームのラインが入ったストッキングを履いていた。
ヒールのショートブーツでカツカツと歩いていたが、視線に気がついてスレッタの方に振り向く。
人目を引く美少女。
「ああっ……!」
あのときの漂流者だ。
──アンタのせいで台無し!
激しく怒る声がスレッタ脳裏に蘇る。
立ち止まった美少女に指導教官からの声が飛んできた。
「ミオリネ・レンブラン。事情は聞いている、すぐに授業に参加するように」
「はい」
授業に参加しようとするミオリネの横からか細い声が響いた。
「せっ……責任……」
不審な声にミオリネが振り向く。そこには端末ボードで顔を隠した人間が立っていた。
「責任っ……取ります! だっ、脱出手伝います! どどっ、どうすればいいですか!?」
「ああっ! あのときのジャマ女!」
スレッタはあのときのミオリネの怒りを思い出すと、まともに顔を見ることができず、まだボードで顔を隠したままジリジリと後退する。
「責任?」
「どういうこと?」
周りの生徒がざわめく。
「馬鹿なの!? こんなところで!」
ただでさえ脱出騒ぎで注目を浴びているのに、これ以上悪目立ちをしたくない。
ミオリネがスレッタを止めようとすると──
「せきにーん、取ってもらったらいいじゃないですかあ。逃げたいんですよねえ? 地球に」
挑発的な顔と口調で、ミオリネに声をかけてきたのはパイロット科の女子生徒のフェルシー・ロロだった。
その隣ではメカニック科のペトラ・イッタが同じような意地の悪い顔を浮かべてミオリネを見ていた。
ミオリネがギリ、と怒りの表情を浮かべる。
「授業中だぞ、私語は慎め」
教官の静止が入らなければミオリネも言い返していただろう。
スレッタがボードから顔を出した。
「地球……?」
(ミオリネ、さんの脱出したい先は地球なのか……)
そのとき、激しい警告音が響いて、周りの風景が一変した。
今までカモフラージュされていた地上風の環境設定が停止され、外の風景、宇宙がそのまま映し出される。
その場にいた生徒全員が頭上に視線を向けた。
そこに電子表示が浮かぶ。
【GUEL JETURK vs PARKER EASTCOTT】
直後、ゲートが開いて掴み合ったモビルスーツが2台入り込んできた。
一方は赤いモビルスーツで、もう片方は灰色のモビルスーツだ。
この2台は争っているようだが、赤いモビルスーツの方が圧倒的に優勢だった。
「赤いディランザ……グエル・ジェタークか」
教官がスコープをのぞいてモビルスーツを確認する。
この機体の持ち主は、見ただけで名前が出てくるほどの有名人ということだ。
『実習中失礼する』
涼やかな声が放送チャンネルから響いた。
『これは決闘委員会が承認した正式な決闘である。立会人はこのシャディク・ゼネリがが務める。各自手出し無用に願いたい』
シャディク・ゼネリと名乗るこの男は決闘委員会という耳慣れない言葉を放った。
飄々とした表情に長い金髪。制服の前を大きく開けて着こなす姿は、派手で軟派な雰囲気を振りまいている。
「決闘?」
この状況についていけないスレッタは、ただ呑まれたようにモビルスーツ同士の戦いを眺めていた。
戦いは赤いモビルスーツ、グエル・ジェタークが圧倒的に優勢だ。
──グエルは外部モニタに映ったミオリネを見つけて口に歪んだ笑みが浮かべた。
剣戟で対戦相手のスコットのモビルスーツを押し出していく。
『おい! そっちは……!』
このままでは生徒達の方に戦いの場所が移動してしまう。スコットは焦るが、グエルは意に介さず戦いを続ける。
「こっちくる?」
生徒達がざわめきはじめる。
「グエルせんぱーい!」
「やっちゃえーー!」
さっきミオリネに絡んできたフェルシーとペトラがグエル・ジェタークに声援を送る。この二人はジェターク寮に所属している、グエルを応援するのは当然だった。
グエルの槍のような形のビームパルチザンがスコットのモビルスーツを貫いた。
そして立ち尽くすスレッタの前に二体のモビルスーツがそのまま押し進んできた。
「スレッタさん!!」
ニカ・ナナウラが叫ぶ。しかしスレッタは動けない、この異常な状況に体が反応してくれない。
「馬鹿っ!! 巻き込まれたいの!?」
ミオリネがスレッタの手を引っ張って駆け出した。
「走って!!」
逃げる二人の背後にグエルが薙ぎ払ったスコットのモビルスーツのブレードや頭部が次々と落下する。
外壁のカモフラージュ映像が元に戻り、宇宙から青空と木々の風景に変わった。決闘が終わったのだ。
グエル・ジェタークがモビルスーツの外に出てきた。
尊大な表情をして、他の生徒とは違うカラーリングのスーツを着ている。そして波打つような髪の毛をピンクと黒に染め分けている。それは彼の気性を表すように荒々しい、獅子の立髪のようだった。
「見たかミオリネ。このグエル・ジェタークの決闘を! 俺はお前も会社も全部手に入れて見せるぞ」
スレッタを庇って覆い重なっていたミオリネが、モビルスーツから出てきたグエル・ジェタークをキッと睨みつける。
そこにモニタ越しにグエルに呼びかける声が入った。弟のラウル・ニールだ。
『授業中だよ兄さん。早く撤収しよう』
「こいつは俺を笑ったんだ。花嫁に逃げられた男だとな」
花嫁、という唐突な言葉にスレッタが驚く。
「花嫁?」
(逃げたというのはミオリネさんのことだ。じゃあミオリネさんがこの人の花嫁ということ?)
「最っ低……!」
当のミオリネはその言葉を聞くと、スレッタから離れてグエルに背を向け歩きだした。
「待てよ、ミオリネ。負けたら虫の言葉で謝るルールだ。こいつの謝罪を見ていけよ! ハッハッハハハハハ!」
グエルがせせら笑ったのは決闘相手か、それともミオリネだったのか。
スレッタは去っていくミオリネの背中を追った。
ミオリネは自分の部屋に帰ってきた。部屋といっても住んでいるのは寮ではない。
独立した建物で、彼女はどこにも属さず一人でここに暮らしていた。
ただいつもと違うのは、ミオリネから少し離れたところに屈強な男二人が監視についていることだった。
ミオリネが入り口の足元にある電子錠のロックを解除する。
建物の中には美しく咲いた鉢植えの数々が並んでいる、それらがミオリネを迎えた。
(ここを脱出して、もう二度と見ることがないと思ったのに)
「ただいま……」
「あっ、あの!」
ミオリネが振り向くと、そこには両手を落ち着かなさげに握り合わせたスレッタが立っていた。
「まだなにか用?」
「さっ、さっきは……たっ助けてくれて、ありがとうございました!」
「は……!?」
──なんだっていうんだろう。この女はそんなことを言うためにわざわざ追いかけてきたのか。
「そ、そのミオリネ、さんの婚約者……」
「やめて! 私は認めてないから」
ミオリネがスレッタの言葉を遮る、そう言われるのが腹立たしくてたまらない。
「じゃあ、あの人。勝手に自分をこっ、婚約者ってえ……!?」
スレッタが頬に手を当てて驚愕する。
ミオリネさんが認めていないのに婚約者を名乗るなんて、あの立髪頭の人はかなりおかしい。
「決闘よ」
ミオリネが、勘違いを重ねていきそうなスレッタに言った。
「この学園ではね、生徒同士が大切なものをかけて決闘するの。お金、権利、謝罪、結婚相手……!」
「だから結婚、するんですか? どうして?」
「うちのクソ親父が決めたから」
*****
ミオリネとスレッタが話しているのと時を同じくして、ベネリットグループのフロント、宇宙に浮かぶグループ企業の中心部では定例会議が行われていた。
「ジェターク・ヘビー・マシーナリー、ペイル・テクノロジー、グラスレー・ディフェンス・システムズ。以上が我がベネリットグループの今期成績優秀者だ」
映し出された損益レポートの前で、ベネリットグループの総裁であるデリング・レンブランが実績を読み上げた。それにモニタ越しに参加するグループの面々が拍手を送る。
「しかし、パルネオ社は三期連続で損失を計上した。赤字を垂れ流すものは我がグループに必要ない。以後グループ内系列融資を停止することにする」
「お待ちください! デリング総裁! そんなことをすれば我が社は潰れてしまいます!」
モニタに映し出されたパルネオ社のCEOが叫ぶ。
「そうだ。潰れろ」
「う……」
デリングのあまりの非情な言葉に、パルネオ社のCEOは青ざめるしかなかった。
「財務諸表を見れば改善は可能ですが」
「機会は与えた。結果以外の言葉を私は必要としない」
グラスレー社のサリウス・ゼネリが進言したが、デリングは冷徹にそれを退ける。
デリングの暴君そのものの振る舞いと共に会議は終わった。
会議室から退出するデリングに、側近が後ろから付き従いながら報告をする。
「ミオリネお嬢様に二名の見張りをつけました。お会いになりますか?」
「会ってどうする? 私につまらん時間を使わせるな」
デリングは瑣末な報告を受けるのに立ち止まったりはしない。時間は有限で、彼の時間は重要な事柄に費やされるべきなのだ。
それがたった一人の娘のことでさえも──
*****
ミオリネが床のボタン押すと、保存庫が迫り上がってきた。そこには脱出前に収穫したトマトと小袋に入った種が入っていた。
種の状態をチェックする、問題はないようだ。ミオリネは種をしまった。
ミオリネのしていることが気になるスレッタが、入り口から思わず部屋に顔を差し入れ覗き込む。
「入らないで!」
「ごごっ、ごめんなさい!」
「さっきからなんなのよ……」
スレッタがミオリネが手にしたトマトをじっとみた。
「それ、なんですか?」
「なにって、トマトに決まってるでしょ」
「それが……トマト」
資源の貧しい水星で、新鮮な食材など手に入ることは難しい。あの星にあったのは加工された食品ばかりだった。
スレッタは初めて本物のトマトを目にしたのだった。
そんなことを知る由もないミオリネにとってはそれは理解し難い。
トマトなんて誰でも知っているもののはずだ。それをこんな風に言うなんて。
「水星人って普段なに食べてるわけ?」
「トマト味……なら。あ……!」
食べ物の話題に誘因されたようにグウウ、と盛大にスレッタのお腹が鳴った。
「あげる」
大きく鳴った音が恥ずかしくてお腹を抱えて座ったスレッタの前に、ミオリネが布で包んだトマトを置いた。
──それぞれの住んでいる宇宙の居住域によって暮らしのレベル環境は変わる。
意図して言ったことではなかったが、さっきの言葉は水星に暮らす人々を揶揄するようで、ミオリネはそれを謝る代わりにトマトを渡したのだった。
「あ、あっ、ありがとうございます! えっと……」
(トマトってどうやって食べるものなんだろう?)
「そのままかぶりつく!」
ミオリネの言葉に促され、スレッタが赤い実に歯を立てた。
薄い皮がはじけると、中からトマトの汁が溢れ出し、スレッタの口の端にもについた。初めて感じる新鮮な歯触りと、甘くてほどよい酸味が広がる。
「んん!」
──これが本物のトマト!
「おいしい……!」
「トマトならどれでもおいしいわけじゃないわ」
スレッタに背を向けたミオリネは鉢植えの葉を触った。
そういえば、ここでできたトマトを人にあげたこともなければ、その味を褒められたことなどなかった。
「そのトマトは特別。お母さんが作ったの」
「トマトを!?」
「品種に決まってるでしょ……!」
「お母さんが……」
スレッタがトマトに目線を落とす。
「私も……同じ、です。お母さんが……水星を豊かな、星にするため勉強してきなさいって……だから」
「そう……あなたのお母さんは生きてるのね」
「あ……ごご、ごっごめんなさ……」
申し訳ないことを言ってしまったと慌てるスレッタに、特に感情を波打たせることもなくミオリネが近づいた。
「生徒手帳貸して。帰り道わかんないんでしょ? 学園マップ入れてあげるからさっさと出てって」
「あ……」
ミオリネはスレッタから端末受け取り、学園マップの情報を読み込ませていると──
「また土いじりか! 地球の真似事をして、なにが楽しいんだか」
外から聞き覚えのある尊大な声がした。
「グエル……!」
モビルスーツに乗って決闘をしていたパイロットのグエル・ジェタークが、肩に羽織ったスーツをひらめかせながらズカズカとミオリネの部屋に踏み込んできた。
グエルの後ろにはさっきミオリネに嫌味を飛ばしていたフェルシー・ロロとペトラ・イッタがニヤニヤ笑いを浮かべて立っている。
「勝手に入らないで!」
グエルはミオリネの制止など意に介さない。
「いいアイデアを考えた。お前はこれから俺達のジェターク寮で暮らすんだ。脱出騒ぎはもうごめんだからな」
「私は認めてないから」
「お前の父親が決めたルールだぞ?」
「親が決めたら絶対? あんたはパパの言いなりだもんね」
スッとグエルの表情が固まった。直後、拳を振り上げると花の植木鉢を弾き飛ばした。
ミオリネが丹精を込めた花々が次々に破壊されていく。
「なにするのよ! やめろ!」
後ろから掴みかかったミオリネをグエルが弾き飛ばした。その衝撃で側にあったトマトも一緒に床に転がった。
「ほらほら〜お嬢サマ」
「頑張ってぇ〜!」
グエルが室内の花達を破壊する音と、フェルシーとペトラの笑い声が響く。
「とっとっ……とめ……とめてっ……とめて!」
あまりのことに慌てるスレッタがグエルの弟のラウルの袖を掴んだ。
「兄さんを止めたければ自分で止めなよ」
ラウルには兄のすることを止めるつもりはなどははじめからない。癖なのか、右手で髪をいじりながら冷たく言い放つ。
「た、た助けっ……」
そしてミオリネに付いている監視役二人も、彼女を助ける様子は一切なかった。それどころかこの騒ぎを見てもつまらなそうに欠伸をしている始末だ。
──ベネリットグループの総帥の娘というポジションは彼女を助けはしない。それどころか、その立場こそが彼女を孤独に追い詰めていた。
「俺は少し優しすぎたようだ」
グエルが床に座り込んだミオリネに、折れた枝を突きつける。
「俺は未来の夫として、これからは厳しくしていく。お前は大人しく俺のものになればいいんだよ!」
誰もミオリネを助けはしない。彼女はあまりにも無力で孤独だ。
打ち伏せるミオリネの前でパシン!と大きなな音が響き渡った。
スレッタがグエルの尻を思い切り引っ叩いたのだ。
「いっ……」
「おお、おお、お母さんから教わらなかったんですか!? そんなことしちゃ、だ……駄目です」
勇気を奮ったもののスレッタの腰は引けて、手足は震えている。
「なんだお前は!?」
「ひい……!」
グエルの怒りの勢いに、スレッタは思わず近くにいたペトラ・イッタの背後に隠れた。
「お前、俺が誰だかわかってるのか!?」
「え、えっと、横恋慕さん……?」
ペトラとフェルシーから失笑があがる。
「チッ……俺はなあ! ベネリットグループ御三家の御曹司で、決闘委員会の筆頭で! 現在のホルダーだ!」
グエルにとってそれは何よりも重要なことだった。
この立場を崇められることはあっても、他人から尻を引っ叩かれるなどの扱いを受けるなどあっていいはずがない。
「ホル……ダー?」
なんのことだかスレッタには分からないことだらけだ。決闘もホルダーも、どうしてミオリネさんがそれに従わなくてはいけないのかも。
「決闘で選ばれた学園ナンバーワンのパイロットだ」
「そ、それでも、でも! 悪いことは悪いです! ミオリネさんに謝って、ください!」
「ハッ、ここではな、何が善か悪かは決闘で決めるんだよ。それとも俺と決闘するか? ハッハッハ……」
できるはずがない、とたかを括ったグエルが嘲笑う。
グエルは全戦全勝の絶対王者だ。決闘を申し込んでくるのはよほどの自信家か、功名心をたぎらせた奴のどちらかだ。
こんな弱々しい水星の田舎者が受けて立つはずがない。
「やります……!」
「……なに?」
スレッタがグエルをキッとグエルを見上げる。
「あなたと……決闘、します!」
「やめて! あんたに関係ない!」
グエルがミオリネを手で遮った。
「面白い。お前が負けたら退学してもらうぞ」
「はいっ」
「この馬鹿!」
出会って間もない相手のために自分の進退をかけるなんて──
「やります……!」
スレッタの瞳に強い光が浮かんだ。
*****
「キャリアを二番ゲートに回せ! 予備のパックも乗せとけよ!」
ジェターク寮の格納庫ではディランザの出撃の準備のために、グエルのスタッフ達が慌ただしく動いている。
調整を終えたディランザがモビルスーツコンテナに格納された。
『キャリア、2番ゲートへ移動。予備パッケージ搭載完了』
オペレーターの指示が飛ぶ。
そして決闘の配信が始まった。決闘は生徒の端末で見ることができる。
「決闘だ!」
「グエル様!」
「相手は?」
「編入生だって」
アスティカシアではただでさえ関心の高い決闘の上、無敗を誇るグエル・ジェタークと話題の編入生の戦いだ。生徒たちは大いに湧き上がった。
『戦術区域までオブジェクトなし。発艦を許可します』
ディランザを乗せたコンテナがレールに乗って射出された。
*****
同じ頃、ジェターク社ではグエルの父のヴィム・ジェタークが側近からある物を受け取っていた。
「本当によろしいのですか?」
「デリングが死ねば、息子のグエルが婚約者として確定する。決闘ごっこが白紙になる前にやらねばな」
「起爆は出航から10分後にお願いします」
ミオリネの父、デリング総裁の乗る移動艦には、ヴィム・ジェタークの命令により爆弾が仕掛けられていた。
そしてデリングはその移動艦に乗っていて、爆弾の起動スイッチは今ヴィムの手の中にある。
「デリング、長い付き合いも今日で終わりだな」
弑逆の成功を確信したヴィム・ジェタークが、この出航が死出の旅になるとも知らずにいるデリングに別れを告げた。
*****
第13戦術試験区域にディランザのコンテナが到着した。
「戦術試験区域の環境設定情報を入手。コリオリ補正問題なし、バイオインフォ識別完了、パーメットインク良好」
「KP001グエル・ジェターク。ディランザ、出るぞ!」
キャリアのアンカーが外されてディランザが戦術試験区域に降り立った。
「派手だねえ」
モニターに映し出されたその様子を、決闘委員会のシャディク・ゼネリが評した。
「エランは見ないのか?」
「興味ない」
エランと呼ばれた青年は、手袋をした手に持った本に目を落としたまま、すげない返事をした。
端正な顔立ちだが、その感情を排した様子から学園内では「氷の君」などと呼ばれている。
だれにも無関心なエランは、この決闘にも興味を示すことがないようだ。
『あんな田舎者の決闘を受けるなんて』
ディランザの通信モニターに弟のラウル・ニールが映っている。癖である右手で髪を弄る姿だ。
ラウルは兄を咎めているわけではない。けれども、兄ほどの人物があんな辺境の惑星からきた格下の相手をするべきではない。
決闘をするならもっといくらでもふさわしい相手がいる、という思いが声に滲んでいる。
「瞬殺してやるさ、俺はドミニコスのエースになる男なんだからな」
ドミニコスはモビルスーツ開発評議会、カテドラルの特殊部隊だ。その部隊のエースになると堂々と言い放つところにグエルの自信のほどが窺えた。
──コックピット内に警告音が鳴った。
「来たか、水星女」
生徒たちの端末に、ドローンで撮影された戦術試験区域を進むエアリアルの姿が映し出される。
それを決闘委員会のセセリア・ドートとロウジ・チャンテも見ていた。
「こっちも派手っすねえ」
「どこも見当たらない。ハンドメイドかな?」
ロウジはメカニック科に所属していて、モビルクラフトのことには知見がある。その彼が各社のモビルスーツの一覧を検索しても、この編入生の操縦するモビルスーツは出てこなかった。
『これより双方の合意のもと、決闘を執り行う。勝敗は通常通り相手モビルスーツのブレードアンテナを折った者の勝者とする』
立会人のシャディク・ゼネリの説明の声が流れる。
『両者、向顔』
──そこに映し出されたのは、エアリアルのコックピットに乗ったミオリネ・レンブランの姿だった。
「あれ? お姫様じゃない?」
「編入生じゃないの?」
グエル対編入生の決闘を待っていた生徒たちのざわめく声が飛び交う中、スレッタはモニターに映し出されたエアリアルとミオリネを見ていた。
「ミオリネさんが、どうしてエアリアルに!?」
ミオリネの部屋を訪ねたときに生徒手帳端末を渡した場面がスレッタの脳裏によぎる。
あのあと騒ぎが起こって、端末はスレッタに返されないままでいた。ミオリネはそれを使ってエアリアルに搭乗したのだ。
「あ、スレッタさん?」
鉄柵を握りしめてモニターを見つめるスレッタに、通りかかったニカ・ラナウナが声をかけた。
「どうしたの?」
*****
「なんのつもりだ? ミオリネ」
問いただすグエルに、モニターに映った俯いたミオリネが映る。その瞳に強い力を宿してミオリネは顔を上げた。
「なんだってみんな勝手に決めるの? これは私の喧嘩よ!」
その姿は画面越しに見ていたシャディク・ゼネリにも見えていた。ミオリネの言葉にシャディクの表情が変わる。
ミオリネの言葉に煽られたグエルがディランザの、長槍のようなビームパルチザンを振り下ろした。
「生意気な女だ。いいさ、お前じゃ俺には勝てないってわからせてやる」
『グエル、決闘相手の変更を了承するのか?』
「了承する」
シャディクがグエルに確認をとった。事前に決めた相手の変更をするには承認がいる。
「勝敗はモビルスーツの性能のみで決まらず」
グエルが決闘の宣誓の口上を述べる。
「操縦者の技のみで決まらず」
ミオリネもそれに続く。
「ただ結果のみが真実!」
二人の宣誓が重なる。
そして立会人のシャディクの号令が放たれた。
『フィックスリリース』
それを皮切りに戦術区域のエフェクトが変更される。外壁側面の枠組みが消え、荒野の光景に変わった。
「武器! 武器は!?」
ミオリネが焦りながらパネルから武器を選択する。
「うあぁぁっ!」
ビームを放った反動でエアリアルが尻餅をついてしまう。
「素人にモビルスーツが扱えるかよ!」
グエルのディランザもビームを連射し、エアリアルに被弾する。
──この戦いと並行してヴィム・ジェタークのデリング暗殺計画も進んでいく。
「あと2分」
ヴィムが腕時計でタイミングを合わせる。総裁の命が消えるまでの時間を読み上げた。
ミオリネがエアリアルの頭部バルカン砲からビーム連打の攻撃をディランザに仕掛ける。
「好きにさせてよ……!」
けれど素人のミオリネの単調な攻撃など、本式のパイロットであるグエルに通じるはずもなく、ビーム弾は一向に当たらない。
「人の人生勝手に決めるなあっ──!!」
ミオリネは渾身の攻撃を放ったが、ディランザに軽く避けられてしまう。それどころかディランザの突進を真正面から受けてしまった。
「うっ……ああっ!」
後ろに吹っ飛ばされたエアリアルは斜面を勢いよく滑り落ちていった。
「経営戦略科のお姫様が勝てるはずないじゃん」
地球寮で端末を仲間達と覗き込んでいたチュアチュリー・パンランチが吐き捨てた。
地球生まれのチュチュはスペーシアンなど大嫌いだ。
その中でもヒエラルキーの頂点にいるミオリネ・レンブランなど特に虫が好かない。その上突然モビルスーツに乗って決闘しようなどと、パイロットを舐めている。
「身の程を知れ!」
仰向けに倒れたエアリアルの上でディランザがビームパルチザンを突きつけた。
「お前はただのトロフィーなんだよ」
とどめを刺そうとするグエルの言葉を遮るように電子音が鳴った。
「アラート!? 侵入者だと!?」
決闘中に戦術試験区域に侵入してきたものを感知すると、アラートが鳴るように設定されている。
あくまでここは学園の中であり、安全が考慮されるからだ。
モニターに侵入者のプロフィール画像がが映し出される。
──それはニカ・ナナウラの姿だった。
「誰だお前は!?」
グエルの怒声が響き渡る中、戦術試験区域を移動用スクーターを高速で走らせる者がいた。
スレッタだ。
『制限速度を超えています。スピードを落としてください』
移動スクーターに設置された球状のベースユニットのハロが警告したが、無視をしてスレッタは高速のまま進む。エアリアルの元へ。
「なんでニカの名前が?」
決闘を見ていた地球寮の面々が驚きの顔を浮かべる。当のニカは寮にいる。これは一体どういうことなのだろうか。
「人助け、かな?」
アスカティシア学園の機器は生徒手帳端末がなければ動かせない。
ニカはなすすべもなく、決闘の様子を見ているしかなかったスレッタに、自分の端末を貸してあげたのだった。
ニカはスレッタの顔を思い浮かべた。
──頑張れ、スレッタさん。
スレッタは倒れているエアリアルによじのぼり、緊急ハッチを操作した。
コックピットが開いて、真っ暗だった内部が薄っすら明るくなる。
うつむいていたミオリネがスレッタの姿を認めた。
「あんた…… っあ──っ!」
ミオリネの絶叫が響き渡る。スレッタがミオリネに盛大に頭突きをくらわせたからだ。
「なにすんのよ!」
ミオリネがヘルメットの上から頭を抱える。
「返してください!」
「はあ!?」
「エアリアル、私のです!」
スレッタもミオリネの勢いに負けていない、日頃のオドオドとした様子を一切見せずに、はっきりと反論している。
「あんたには関係ないって言ったでしょ!?」
「だったら自分のモビルスーツを使ってください!」
戦術試験区域と配信されている生徒の端末に二人の怒鳴り合う声が鳴り響く。
『なにこれ?』
『喧嘩?』
生徒達はざわつき、決闘委員会の部屋ではシャディク・ゼネリが肩をすくめた。
ミオリネとスレッタの怒鳴り合いは続く。
「ケチ! たかがモビルスーツじゃない!」
「エアリアルはたかがじゃありません! 私とずっと一緒に育った、私の家族なんです!」
操縦席に体をねじ込んだスレッタを追い出そうとミオリネが腕で押し出そうとする。
「はあ? 家族ぅ!?」
モビルスーツを家族と呼ぶなど突飛すぎる、ミオリネは抵抗する気を削がれて後ろに座るスレッタに振り向いた。
「責任なら買って果たします。私とエアリアルは、あんなのに負けません!」
このやりとりを聞いていたグエルの指がピクリと動いた。
「あんなの、だと!? くっ……!」
グエルの両腕が怒りで戦慄く。
「シャディク! 決闘相手を再変更だ!!」
『了承しよう。セセリア』
面白いものを見るような顔をしたシャディクがセセリアに命じた。
『はいはい〜』
セセリアが端末を操作すると、戦術試験区域に対戦表が浮かび上がった。
SULETTA MERCURY vs GUEL JETURK
『兄さん……!』
モニターから弟のラウダ・ニールの嗜める声がしたが、熱くなったグエルへの抑止にはならない。
「田舎者の無知を修正してやる!」
グエルの操縦するディランザがビームパルチザンを投げ捨て、ビームライフルに持ち替えた。そこから発射されたいくつもの光弾が、エアリアルに浴びせかけられる。
横殴りの雨のように襲いくる光弾の中、エアリアルはゆっくりと片膝立ちに起き上がる。
「前っ!」
次々と飛んでくるビームにミオリネが声を上げる。
「お母さんが言ってました。逃げたらひとつ、進めばふたつ、手に入るって」
「は?」
スレッタが語り始めた言葉はミオリネにはまるで分からなかった。こんな切迫した状況でいきなりなにを言いだすのだろう。
「逃げたら負けないが手に入ります。でも、進めば……」
「勝てるっていうの?」
しかしこの呪文のような言葉を唱えるスレッタは堂々として、自信に満ち溢れているように見えた。
「勝てなくても、手に入ります」
「あ……」
スレッタの気持ちに呼応するように、モニタに複数のアイコンが円形に広がるような表示が出たのをミオリネは見た。
「経験値も、プライドも……」
モニタの外の、エアリアルにも変化が現れていた。
胸部から頭部にかけてのシェルユニットが赤く発光しだした。
「信頼だって!」
両腕を大きく開いたエアリアルからパーツが弾け飛んだ。
弾けたパーツ達は光の軌跡を描きながらエアリアルの周りを旋回し、前に突き出したエアリアルの左手の前に集合した。
ディランザから強力な出力でビームが放たれる。
被弾したビームはエアリアルを覆うように光弾を撒き散らした。そして土煙の中から舞い上がったエアリアルは、赤く発光を走らせた盾を構えていた。
『シールド!』
モニター越しに見ていたラウダが驚きの声をあげた。
「防いだか! だったら……!」
ライフル装備を投げ捨てたディランザが、ビームサーベルを構えてエアリアルに向かってきた。するとエアリアルのシールドが赤い光を放ちながら分解した。
11個に分かれたパーツ達は、今度は青い光の軌跡を描きながら旋回し、瞬間ピタリ、と空中で停止した。
そして一斉にパーツ達からビームが放たれた。
パーツ達は自由に動き回りながらディランザを砲撃する。
11基から繰り広げられる攻撃はディランザの手足をもいでいった──無情に鮮やかに。
グエルの目が驚愕で見開かれる。
「なんなんだ!? そのモビルスーツは……!」
『ガンドアーム、ガンダム……』
決闘委員会の部屋でエラン・ケレスが読んでいた本を閉じた。そしてモニター画面に、エアリアルに視線を向けた。
エランの言葉にシャディクは表情を大きく動かした。それは面白いものを見つけた子供が浮かべる顔にとても似ていた。
エアリアルがビームサーベルを構えた。
「なんなんだ、お前はぁ!?」
──辺境惑星の軌道基地からやってきた田舎者に、思い知らせてやるはずだった。圧倒的な力で二度と逆らうことなどできないように。
──そのはずだった。
エアリアルの攻撃によって戦闘能力を奪われたディランザの中で、グエル・ジェタークが驚愕の声を上げる。
そしてエアリアルのサーベルがディランザのアンテナブレードを叩き折った。
*****
「時間だな」
時計の表示を見ていたヴィム・ジェタークが呟いた。これで全てが手に入る。
「ジェタークCEO」
「今更止める気か?」
いざ爆破というときに声をかけてくる側近に、ヴィムが苦い顔を浮かべる。
「いえ、御子息が決闘に敗れました」
「んん!?」
「今デリング総裁を殺めてもミオリネ嬢の婚約者はグエル様ではありません」
「相手は誰だ!? グラスレーか、ペイルか!?」
「いえ! それが……」
*****
決闘を終えたエアリアルの掌に上に、コックピットから出てきたミオリネが降りてきた。
エアリアルから見下ろす地上には、バラバラになったディランザが転がっている。今までミオリネを縛り付けていた、その象徴のようなモビルスーツが目の前に。
「あの……か、か、勝ちました……」
ミオリネの背後からスレッタがおずおずと声をかける。戦っている時に見せた雄々しさも今はすっかり身を潜めてしまったようだ。
「そうみたいね」
ミオリネがエアリアルに装着された生徒手帳端末を外して、スレッタのスーツの胸元のエンブレムにかざした。
「スレッタ・マーキュリー」
エンブレムが虹色に発行すると、同時にスレッタの装着しているスーツの色が変化する。白を基調として、黄色と黒のカラーリングされた色合いに。
この色はさっきまでグエル・ジェタークが着ていたスーツの色だ。
「あっ……あれ!? ええ!?」
「この衣装は決闘の勝者、ホルダーの証よ」
突然の変化に慌てるスレッタにミオリネが説明をする。
「そして、私の婚約者の証でもあるわ」
「うえええ!?」
自分が婚約者になったのだと告げられて、スレッタがより一層慌てふためく。
「言ったでしょ? そういうルールだって」
「で、で、でも! 私っ、女です、けど?」
ミオリネがさらり、と髪をかき上げた。
「水星ってお堅いのね。こっちじゃ全然アリよ」
スレッタの目がこれ以上はないと言うほど見開かれた。
「よろしくね、花婿さん」
まるでの騎士のように跪いたエアリアルの手の上に立つミオリネとスレッタ、2人を天上から降り注ぐ光が照らしていた。