おいしい時間 今日も魔法舎の厨房からはおいしそうな香りが漂う。
晶は入口から厨房を覗き込んだ。結われた空色の髪がトントンという音と共にリズムよく揺れている。
まだ朝食には少し早い。手伝いたい気持ちと、今はこの魔法舎の厨房の主と言っても過言ではないネロの、せっかくのひとりの時間を邪魔することになるだろうかと悩んでいると、がばっと後ろから肩に腕を回される。
「おっ、賢者! いいところで会ったな」
目の前に気を取られていたこともあるが、そうでなくても彼の気配には気づけなかったかもしれないとその人物を見上げながら思う。
「おはようございます、ブラッドリー」
「今日も朝からのんきな顔してるな」
ブラッドリーは朝が遅いわけでもないが、早朝に鍛錬をしているカインやシノなどと違い、まだ朝食の準備をしているような早い時間に現れることもない。肩に回された腕はひんやりしていて、厄災の傷でどこかに飛ばされていて、戻ってきたところなのかもしれないなと晶は察する。
「お前も飯食いに来たんだろ」
「えっと・・・」
ネロに声を掛けるかどうしようか悩んでいたと言う前にもう一つの気配に気づく。
「ブラッド、朝から賢者さんに絡んでんじゃねーよ」
入口で声を潜めるわけでもなく話していたのだから当たり前だなと思いながら、ネロにあいさつをし厨房の入口をくぐった。
「朝から騒がしくしてすみません」
「別に賢者さんは騒がしくなんてしてなかっただろ」
「うわっ、上手っ・・・」
ネロの手元を見ながら晶の感動は思わず声にでた。湯に落とされた卵はくるくると回り黄身が白い服をまとう、あっという間にポーチドエッグが出来上がる。
「すみません、本職のネロに向かって」
「いや、賢者さんは社交辞令で言わないから素直に嬉しいよ」
ちょっと照れるけどなと付け加えて笑う。
「賢者さんはサーモンとベーコンどっちにする」
「俺もベーコンにします!」
了解という声と共に二人分のベーコンがフライパンに並ぶ。
「ネロって料理誰かに教えてもらったりしたんですか」
「んー、ほぼ独学だな。ガキの頃・・・北の国の人間の暮らしの中で貴重な食料を自由に使えるなんてなかったし、料理番を任された時もまともに料理ができるやつなんていなかったし、食材も無駄に出来ないから必死なのもあったけど。でも何となくわかるんだよ、これとこれを合わせたら旨いだろうなとかさ」
「今作ってもらってる食事って正真正銘ネロの味なんですね」
「出来たぜ、ブラッドの分も一緒に持っていってもらえるか」
「任せて下さい」
ふたり分の皿を持ち晶は食堂へ向かう。
なんだがむず痒く料理の出来たタイミングで話を反らしてしまったが、後ろ姿を見ながら「俺の味ね」とネロは晶の言葉を反復した。
「ブラッドリーは味付けこうして欲しいとかってないんですか? こだわりとてもありそうですけど」
朝食に出されたエッグベネディクト、ポーチドエッグにゆっくりとナイフを入れながら、前の席に座るブラッドリーに晶は聞いた。
料理のメニューのリクエストはよく見るが味付けについて何かを言っているところは見たことがない。何に対しても誰よりも強いこだわりがあるように見えるのに、食事に関してはオーエンの方が明らかにこだわりが強いように感じる。
「は?」
ベーコンとマフィンをまとめて頬張ったところだ。ベーコンには半熟のたまごがからんでいたのに口の周りはきれいで、上手に食べるなと晶は感心する。
ブラッドリーは時間をかけ味わい飲み込むと口をひらく。
「手の込んだもの、上等な材料が使われてるってのはわかっても、作る部分に関して俺はからきしだ。最高の状態で提供できる任せられるやつがいるのにどうこうしてくれなんて言う必要があるか」
「…ない、ですね」
「そういうことだ」
この魔法舎に来たばかりの頃からブラッドリーが食事を大切にいている面は何度も見ている。そのブラッドリーがそこまで信頼している食事が目の前にある。
「何がそういうことなんだよ」
「なんでもねぇよ」
紅茶のポットとカップを用意しながら視線を向けるネロに、晶は本当に何もないと笑みを返す。
ネロにその場を提供したのはブラッドリーだけど、ブラッドリーの好みを作ったのはネロならいいなって話でした。
ブラネロは食の好み、好きも嫌いも似ているのがいいですよね。