地下鉄 じゃあ、海にでも行こうか、そう言ったのは先輩だった。一体何が「じゃあ」なのかわからなかったけど、反射で俺も「そっすね、じゃあ」と答えたので、そこはお互い様である。
駅で待ち合わせして、数駅乗って、乗り換えて。開けた場所に辿り着きたいというのに、長い長いトンネルの中にいる。密閉された空間に時折入ってくる外の風が心地よかった。
「……先輩って」
「なに」
「泳げますっけ」
「ある程度? つか、今日泳げねーぞ」
「わかってますって」
だって、海だから。想像するのは、夏の青い空じゃないか。春になりたての今、海開きはまだまだ先だ。
「虎斗は」
「……ある程度」
「くはは」
まあ、この歳まで水泳の授業を受けてたら、そこそこ泳げるようになるもんだ。聞くまでもなかった。
ゴオゴオと窓の外が流れていく。この中の電球って、切れた時誰が取り替えるんだろう。どうでもいいことばかり思いつく。
「……どうすか、大学」
「まーまー」
「それじゃわかんないっすよ」
「高校より学食がウマい」
得意げに笑うその顔の向こう側に、降りる駅の看板が見えはじめる。
「降りますよ」
「へーへー」
次の電車は、しばらく乗れば地上につながる。さらにずっと乗っていれば、その先は待ち焦がれた海だ。長い長い電車の旅。
「たまには部活、顔出してくださいね」
「新しいヤツらにはメーワクだろ」
「いいんすよ。俺がそうしたいんすから」
「ワガママな主将」
いいじゃないか、寂しいんだから。張り合う相手がいないと、日常に漂う空気が、なんだか軽薄だ。
「ボール持ってくればよかったか」
「砂浜でバスケはまずいっすよ」
「それもそうだな」
暗いトンネルに、小さな呟きは吸い込まれていく。置き去りにされた会話たちは、どこかで俺たちのことを覚えていてくれるだろうか。
「……先輩」
「わかってるよ」
置いてかないでくださいね、俺のこと。伝えるより先に伝わっている。人工的な灯りの下で、バレないように手を重ねた。他の乗客は皆、スマホに夢中だ。
海はまだ先、だからもう少し、この仄暗い電車の中で。