レタスチャーハン オイスターソースなんて、以前は名前すら知らなかったのに。
キッチンに備え付けられている棚には、いつのまにか調味料がびっしり揃えられている。中華スープの素、鶏がら、ブラックペッパー。冷蔵庫にも、白出汁、コチュジャン。全てをきちんと使いこなせているわけではないけれど、それでも以前よりはレシピを忠実に再現できるようになった。
「何チャーハン?」
「レタスチャーハン」
作るものだって簡単なものばかりだ。それでも先輩は喜んでくれている。誰かを喜ばせるためにする料理というものは、何たる幸福だろうか。気合だって入るというものだ。
先輩の家で料理をするようになったのは、「泊めてくれたお礼」がしたい、と考えた末のことだった。大学に入ってから一人暮らしをはじめた先輩はだいたい総菜を食べていて、たまにSNSで見つけたすぐに作れるおかずを作って、そんな生活をしていた。俺は使った食器を洗うくらいしかはじめはしていなかったのだけれど、先輩と二人で飯を食うなら、どうせなら美味しい物を食べたいと思ったのがきっかけだ。
「うまそ。いただきます」
「いただきます」
上手くできてるといいのだが。二人分のスプーンが手に取られる。
ハムの塩気、卵の口当たりのやわらかさ。レタスが舌の上で踊り、鶏がらが味をまとめあげている。うん、なかなかうまく出来たんじゃないだろうか。
「うめー」
「よかった」
先輩はあっという間に平らげておかわりをする。どんな食レポよりも、それが一番嬉しい。
「はじめての時は塩と砂糖間違えてたのになあ」
「だからっ、それはもういいだろって」
これだ。俺が上手く調理できると、先輩は決まってこの話題を出す。恥ずかしくて顔から火が出そうになるが、それも成長の証だろうと思うことにしている。塩も砂糖も、入れ物に名前を表記してある。もう間違えることはない。
「大学、どうすか」
「フツー。オマエみたいに根性あるやついなくて張り合いねえ」
「いつもそればっかっすね」
俺はスポーツ推薦で、またバスケの強いところに行くから、一般入試の先輩の話は新鮮だ。先輩のところのバスケサークルは、さほど本格的ではないらしい。しくった、という本音を漏らす彼の姿は、一歳違うだけなのに、遠い存在に思えた。
「オマエも大学生なった時って、一人暮らしすんの?」
「どうだろう……しばらくは実家かもっす」
「なら、オレのアパート更新の時、一緒に引っ越さねえ?」
え、という声を出すために、俺は必死に口の中の物を飲み込まなければいけなくなった。
「これからも、オマエのメシ食いたい」
「……それ、プロポーズみたいっすよ」
「ほんとだな」
少し恥ずかしそうに、照れ隠しで飲み物を流し込む先輩が、愛おしいと思った。二人暮らしって、どんな感じなんだろう。毎日先輩に会えるのか。去年までのことを思い出す。あの頃はこんな関係ではなかったけど、毎日顔を突き合わせて、1ON1をしていたっけ。遠い昔のことのようだ。今の穏やかさが奇跡に思えた。同じ人を好きになって、一緒に振られて、そのあと寂しさに気付いて。隣にいた人を恋しく思って、会うようになって、会話をするようになって。恋人というよりは戦友、親友の延長線のようなものだと思う。それでも今こうして一緒に食事ができるのは、お互いがお互いを求めあってるから。とても大切な、大事な時間だ。
「ごっそさん」
「皿、洗うんで置いといてください」
「はは、妻っぽ」
「誰が妻ですか!」
こういうところ、本当に食えない。だけど自分でも思う。まるでこれじゃあ。
「新婚気分だな」
「……亭主関白は勘弁ですよ」
顔が真っ赤になるのがわかる。二人暮らしをはじめたら、こういうことも頻繁に言われるに違いない。俺も恥ずかしさを覚えることに慣れていくのだろう。未来のことを考えると鬼が笑う。だけど、考えてしまうのは仕方がないじゃないか。
「新婚旅行、行かねーとな」
「……金貯めないとっすね」
食器を片付けるためにシンクに向かう。先輩に真っ赤な顔を見られたくなかった。だけどシンクに立った時、ふいに後ろから先輩の手が伸びる。
「虎斗」
「……なんすか」
「洗い物、オレがやる。置いとけ」
「え、でも」
「今はこっち」
ぐ、と頬に添えられた手に力を籠められ、強制的に左を向かされた。そこにあるのは先輩の顔。唇と唇が重なる。
「……今、食べたばっか……」
「オマエのこと食ってねー」
もう一度重ねられた唇に、俺は抗えなかった。先輩の方に向き直り、肩に腕を回す。
「……キッチンでやるのって、新婚っぽいな」
「だ、から、そういうこと……!」
「燃える?」
楽しそうな先輩の笑みに、ぞくぞくと背中が震えた。俺は答える代わりに、唇を塞ぐ。
「いただきます」
俺の首に舌を沿わせる先輩の、蜂蜜色の瞳に吸い寄せられる。二人暮らしをしたら、これすらも日常茶飯事になるのだろうか。
それはちょっと、身体がもたないな、と。俺は溜息をつきながら笑うのだった。