雨想と晴白 穢れを受け止めすぎた自分の身体が黒く染まりほろほろと崩れていく。
意識の遠くの方で私を呼ぶ主様の声が聞こえた。必死に伸ばした手はきっと間に合わないだろう。
霞む視界の中、駆け寄る主様の顔は見たこともないくらい悲しそうで、もっともその表情が悲しみだと教えてくださったのはあなた様なのだけれども。
間に合わないと思っていた主様の手が肩に触れ、その白い清らな召し物が煤汚れた。
「いけません、主様……汚れてしまいます……」
「何を言っている!どうして、こんな……」
私を抱きとめた主様の震える指が小さく浄化の印を結ぼうとする。それこそ間に合わないだろう。
作り物の体が冷えて崩れていく。それ以上に生まれたばかりの小さな仮初の心がこの方の側に居れなくなってしまう寂しさではち切れそうだった。そんな寂しさと悔しさで埋め尽くされた心がほろりと小さな欲を生んだ。
──最後なのだし、ひとつ、ただひとつくらいならばこの人擬きの存在も何かを願っても許されるでしょうか……
「……むら、北村。起きろ、北村」
雨彦さんのご家族が持ってる民俗学の本が今度の課題で参考になりそうだったから読みたくて、雨彦さんの部屋にお邪魔していたら、腰掛けていたベッドでそのままうたた寝してしまったらしい。
「っぅあ……な、にー?あ……僕、寝ちゃってたー?」
ここのところドラマの撮影が続いているからか変な夢を見た、気がする。どんな夢だったかは覚えてないけれど寂しくて苦しい気持ちが身体の中をぐるぐると巡っているよなうな感覚が残っていて少し肌寒い。
「……北村」
小さく身震いした僕に覆い被さるようにこちらへ伸ばされた雨彦さんの指が頬を滑る感覚で自分の頬が濡れているのに気がついた。優しく何度も目尻を撫でてくれる手が気持ち良くてさっき起こしてもらったばかりなのにまた眠気が襲ってくる。
「なあ、北村」
「なんですかー?」
「お前さんがうちのセンターでよかったよ」
僕が眠そうだってわかってるのに髪や顔をゆるゆると撫でる手も止めてくれないし、このまままた寝ちゃおうかな、とぼんやり考えていたところにあまりにも雨彦さんらしくない言葉が差し込まれるものだから、眠気がどこかへ飛んでいってしまった。
「なに、急にどうしたの?ありがとうございますー?」
「いや、なんでもないんだ。これからも俺と、古論の隣をよろしくな」
「隣?ああ、そういえばセンターってそういう場所だねー」
隣、という言葉に何故だかとてもしっくりきた。やっぱりドラマの役の影響だろうか、この人の隣にいることを心の奥深く、自分でも把握しきれていない大事な場所がそう望んでいるような気がする。でも、それだけじゃなくて今まで二人と一緒に歩んできた僕自身だってそう思った。
「……僕も、僕の隣が雨彦さんとクリスさんでよかったなーって思うよー」
「主様……な、まえを、私の名を……呼んで、くださいませんか……」
「白、白……しろ」
灰のように崩れていく身体を必死に手繰り寄せ、もう目も見えないのかぼんやりと虚空を見つめる白に請われるまま何度も名を呼んだ。私の声に導かれるように緩慢に視線を彷徨わせる白に私はここだと額を合わせると安心したのか、花が綻ぶようにふうわりと微笑む。
「……あるじ、さま、」
声になれなかった弱々しい吐息が僅かに頬を擽りいまにも消えそうな言葉を伝える。それはまるで祈りのように捧げられた願いだった。
──どうかまた……あなた様のお隣に、添わせてくださいませ……