メル燐ホラーナイト!! どういう訳か、ESの中はゾンビで溢れかえっているらしい。
昨晩は普通だった。いつも通りの社内だったし、いつも通りの寮部屋だった。いつもと違うことといえば明日はハロウィーンだからとか言って俺っちじゃありえないくらい早く寝たこと。でもなんだか部屋の外が騒がしいと思ってあまり長時間寝ないうちに目が覚めて、何だ何だって部屋の扉を開けたらこの惨状が広がってたって訳だ。
…いや何言ってるかわかんねェっしょ?俺っちにも意味がわからねェ。わかんねェけど、それでも奇声を上げながら走り回る生ける屍…ゾンビ達に捕まってはならないと思ってとにかく逃げ回ってた。ゾンビの中には知っている顔もちらほらあり、声をかけても襲ってくるばかりで反応がない様子を見て、ドッキリでも仮装大会でも何でもなく、ただ本当にES内の人間がゾンビと化してしまったのだと悟った。いや受け入れらんねェけど!
緊急事態だと思った俺っちはスマホも財布も持たずに寮を飛び出し、ESのメインビルに入れば誰かしら生存者がいると思って急いで駆け込む。深夜帯ではあるけれどまだ日付は変わっていないから、社員やアイドルがいるはずだ。生存者が俺っちだけなはずがない。そう希望を抱いて階段を駆け上がった。俺っちしかまともな人間がいないかもしれないということも不安だったが、Crazy:Bの3人や一彩が怪我をしていないか、それが何よりも心配だった。
「マヨイちゃん!マヨイちゃーん!!いねェの!?!?」
片っ端から部屋の扉を開け、生存者がいないか確認をする。いくつか階を登ったところで頭上に向かって大声で問いかけた。以前ニキから「マヨちゃんは天井裏にいることが多いんすよ」なんて聞いたからもしかしたら…なんて思って声をかけたものの、特に気配もなく俺っちだけの声が響いた。その声にまたゾンビが吊られてくる。それらに追いつかれないようにまた階段を上り、扉を開け…何度も繰り返し、やがてコズミックプロダクションのフロアにたどり着いた。
「おい!蛇ちゃん!!」
副所長の茨ならいるかもと思ったが、彼がそこにいる気配はなかった。
「蛇ちゃんもいねェのかよ…!!」
他拠り所がついに消え、俺っちは俯いた。
どうしよう。もしこのまま誰もいなくて、外に出てもゾンビだらけだったら。もし大切な仲間たちが死んでしまっていたら。
…いや、こんなこと考えている場合では無い。
悪い妄想は振り払い、また階段を駆け上がる。もうかなり高い位置まで来た。社員食堂のフロアだ。そこでふと、あることを思い出した。
そういえばニキは今晩、社員食堂の厨房を借りて夜に何かするとか言っていた。詳しく聞いていなかったから何をするのかは把握していなかったが、もしかしたらこのフロアにいるかもしれない。
ニキがいるとするなら厨房。すぐそこではあるけれど、このフロアにも結構な数のゾンビが徘徊している。自分の知らない間にゾンビになってました、なんてことには絶対なりたくない。
「…よし。」
自分の頬を叩いて気合いを入れる。数十メートル先の厨房の扉へ向かって、俺っちは思い切り床を蹴り飛ばした。
何とか厨房の扉へたどり着いた。深呼吸をする。頼む。誰でもいい、誰でもいいから生きていてくれ。そう望みを賭け、俺っちは勢いよく扉を開いた。
「ゥ…ウゥ……」
運命の女神様とやら…、さすがに恨むぜ。なぜ俺にこんなにも大きな試練を下すのか。あぁ、懺悔します。今までやってきたことをのツケがここで回ってきたのか…。女神様、俺っちは今まで悪いことを沢山してきました。たくさんのアイドルに迷惑をかけ、その大切なファンをたくさん傷付けました。世界でいちばん大切な弟をたくさん悲しませました。仲間を危険な目にあわせました。それが例え何かが良い方向へすすむきっかけになったとしても、悪いことだったことは認めます。でも、でもさ、それでもこんなのはないんじゃねェの?
厨房の奥、俺っちの目の前で膝をつき牙を剥いているのは、水色頭の超絶美人。
「メル…メル……、」
思わず発した声に水色頭は顔を上げ、こちらを睨みつけた。
ゾンビなのにこんなにも綺麗な顔立ち、綺麗な唸り声、すらっとした身体。こいつは誰がどう見たってHiMERUだ。
俺の声に反応したメルメルが苦しそうな唸り声をあげながら一歩、一歩とゆっくりこちらへ近づいてくる。
「お前…なんでここに、」
問いかけるも反応は無い。少しだけ、他のゾンビたちよりも動きがのろのろとしているような気がした。とはいえ近付いてきてるのは事実で、その瞳には生気が宿っていなかった。
「メルメルまてまて食っちゃダメっしょ…俺っちぜってェ不味いって!」
じりじりと追い詰められ、尻もちを着く。
何とか止めようと交渉を試みるも、反応はない。他の奴よりも動きが遅いのは単なるたまたまで、本当はもう理性なんてないのかも。俺っちは成すすべもなく、まるで空腹を拗らせた時のニキみてぇな様子のメルメルに歯ぎしりをする。
もうダメだ。そう思って強く目を閉じた時、ボタボタと瞼に何か液体が落ちた。よだれかな。メルメルのなら全然いい。むしろ最期の時にメルメルのよだれかけられンのなら誰かも分からねェ奴に食われて死ぬよりはよっぽどいい。最期までニキとこはくちゃん、それから一彩に会えなかったのは心残りだけど、まぁいいや。こんなことになるんだったら、ニキにちゃんと金返しとくんだったな。こはくちゃんや一彩に愛してるってもう1回伝えとくんだったな。なんて死を覚悟した時、頭上のメルメルが呻き声を出した。
「ぁ、まぎ……ギィ…ッ」
“天城”
そう確かに聞こえて、閉じていた瞼をゆっくり開いた。それで、俺に降り掛かってきたのはよだれなんかじゃなくてもっと別なものであったのだと認識した。
「メルメル、泣いてンの?」
「ゥゔ…ぁぎィッ…」
メルメルは俺の頭上で、牙をむき出しにして歯をガチガチと震わせていた。
メルメルは食いたくねェんだ、俺っちのこと。食いたくて食いたくて仕方がねェのに、今踏ん張って耐えてンだ。そう思ったら、俺っちの方が泣けてきた。
潤む目を擦ろうと目線を下げると、床に転がっている紫色のスマートフォンが。発光し続ける21:9の画面には、“天城燐音”の文字。何十回にも渡って俺っちにかけたのだろう、不在着信のマークがいくつも表示されている。
そういえば、なぜメルメルは厨房にいたのだろうか。何か用があったのだろうか。そう考えていると、メルメルの脚の間から向こう側が見えた。蹲るこはくちゃんとそれに覆い被さるように横たわるニキ。2人はもう、ピクリとも動かない。あの様子じゃあ、もうじき2人もゾンビになる。
「守ってたのか…お前…」
きっと「2人にも食べて欲しいっす」なんて言ったニキに付き合ってここまで来ていたのだろう。訳も分からないままこんなことになって、3人で肩寄せあって震えていたに違いない。
なんだよ。リーダーそっちのけで、3人でずっと脅えてたのかよ。俺っちが呑気に眠っている間に、こいつらはここでずっと苦しんでいたんだ。
涙をぼろぼろと流し続けるメルメルの頬に、俺っちは震える手で触れた。いつもの触り心地のいい肌じゃない、どろどろと腐ったような感触。冷たくて臭くて、でも綺麗な顔で、こんな姿になってもギリギリの理性で立ち止まるこいつを、早く解放したかった。
「メルメル…俺っちのこと、噛んでくンねェ?」
「俺…もう1人でアイドルやってもなんの意味もねェんだわ…。Crazy:Bじゃなきゃ続ける意味がねェんだよ。だからさ…」
一か八か、俺っちの馬鹿さ加減に目覚めて欲しい。そう望みを賭けて。
「Crazy:Bはゾンビ界のアイドルになるってのはどうよ!」
沈黙。刹那、首元に走る経験したことの無いような痛み。
「ッッでぇ…ッ!!」
クソ!負けた!メルメルは目覚めてくれなかった!肉を千切られるのはこんなにも痛いのか。
「ぅ……ゥヴ…」
あ、メルメルがまた泣いてる。ダメっしょメルメル?たとえ俺っちのまえだからってそんな顔しちゃ。そんな“HiMERU”見たら、ファンまで泣いちまう。
「…へへっ…冗談っしょ……ぜんっっぜん、いた…くねぇ、…し……!」
「ううぅゥ゛…!ヴゥッ…!」
ダメだ。慰めようと思ったのにもっと泣いてる。気にすんなよメルメル。あんたがゾンビになったのも、あんたが俺っちを食ったのも、あんたのせいじゃない。あんたがゾンビになったのは知らない誰かさんのせいだし、俺っちが食われたのは自分がアホなこと言ったせいだ。
「だから……おめェはなんも…しん……ぱい…」
あ、まずい死ぬ。視界が暗くなってきた。俺は今、死ぬ。生存方法なんてない。今この場で死ぬんだ。そう感じて床に倒れ込んだ。
運命の女神様、どうか。どうか来世でも、こいつと同じユニットでアイドルをやらせてください。今度は悲しませません。離しません。どうか…どうか…………………
目を覚ます。眠りについた時と同じ天井、同じ布団。ちょっと違うのは、隣にメルメルがいること。時刻は10月31日の午前0時48分。
「…いや夢かよ!!」
ここは現実。外も騒がしくない。さっきまでの出来事はなんだったのか。それは悪い夢だったと考えるのが真っ当だ。
「…?……なんですかあまぎ……まだよるですよ…。」
俺っちがあまりに大きい声で叫んだもんだから隣で寝てたメルメルが目を瞑りながら眉間に皺を寄せた。寝る時にはいなかったから、後から入ってきたのだろう。なんだコイツ、可愛すぎるじゃん。
俺っち夢の中で超かっこよかったじゃねぇかよ!!もったいねぇ!と悔しくなりつつ、こいつが無事で良かったなんて、柄でもないことを思ったそんな30日の夜だった。