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    kanagana1030

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    kanagana1030

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    大学生みどさかが温泉に浸かる話。
    2019年11月のイベントで出したコピー本の話です。読み直すと慌てて書いたなって感じの箇所がたくさんですが大きな心で許してください。

    秘湯の二人 その日は朝から重い曇天だった。坂道が朝起きて、カーテンを開けた後も外が暗く厚い雲が空にはかかっていた。けれど、天気予報では雨は降らないだろうと言っていたし、どうしても今日の予定は変えたくなかったので、坂道はその日の山での練習を強行した。
     どうして、坂道がそんなにも予定を変えたくなかったか……。
    実は、今日の山のトレーニングは、他の部員達の予定が合わず、御堂筋と二人だけでのものだったのだ。貴重な御堂筋との二人っきりの山。それが雨によって中止になったらどうしようと坂道はここ数日、ずっと今日の天気予報を睨んで、てるてる坊主まで作ったりした。その甲斐あってか、雨は降らずに今日という日を迎えられたのだ。
    最近、御堂筋の坂道に対する態度が前にもまして冷たい。同じ大学の同じ自転車競技部に入って、顔見知りと言うこともあり、何だか仲良くなれた気がしたのに……最近の御堂筋は坂道の顔すらまともに見ない。おまけに何故か避けられているような気すらした。なので、今回の山は久しぶりに御堂筋と長時間一緒にいられる機会なのだ。坂道としては二人っきりになって仲良しに……とはいかないまでも普通に喋れる程度には仲を回復したかった。
    昔から無神経で気がつかぬ間に人の気を逆撫でしてしまう自分だ。御堂筋にも何か失礼なことを言ったりやったりしたのではないかという不安があった。それならそれで謝りたかったし、何か誤解があるなら解きたかった。でも、もしかしたら誤解ではないかもしれないけれど……。
     坂道はずっと長いこと、御堂筋のことが好きだった。高校時代から内に秘めて、誰にも言わなった思いは大学で御堂筋に会い、その傍に居られることで段々と膨らんでいった。膨らむ思いは御堂筋に悟られないように心の奥の方にしまっておいた筈だったのだが……。でも、敏い御堂筋のことだ。気がついて距離を取られてしまっていてもおかしくはない。
     
     でも、御堂筋くん、大丈夫だよ。僕、何もしないからっ。

     ただ御堂筋が好きで側にいたいだけなのだ。特に期待もなければ御堂筋に望むものもない。この思いを胸にしまったまま、坂道は何をするつもりもなかった。





    待ち合わせは幹線道路沿いのコンビニで、補給食や水などを調達した後に出発することになっていた。坂道が待ち合わせ十分前にコンビニに着いた時には、御堂筋はすでに現地に居て、坂道の到着を待っていた。
    「み、御堂筋くん、早いね」
    御堂筋と二人っきりだと意識した途端に何だか緊張して、声が上ずってしまう。こんなんじゃあ、御堂筋くんに余計に気味が悪がられると平静を装うとするのだが、その事で余計に緊張して上手くいかない。
    御堂筋はと言えば、ちらりと坂道の姿を見て怪訝そうに眉を潜めた。
    「キミィ、防寒具は? これから山やのにそんな恰好しとって風邪引いても知らんよ」
     確かに御堂筋を見れば、ネックウォーマーに厚手のサイクルジャージと坂道より数段、暖かそうな恰好をしている。今日の山は標高の高いところまで道路が続いており、上まで登っていける場所だった。当然、山なので下よりも気温も低い。坂道もそう思って準備をしてきたのだが、御堂筋の恰好を見ると準備不足だったのではと不安がむくむく沸いてくる。
    「一応、上に着るのは背中に入ってるんだけど……」
     坂道も念の為と防風の上着を一枚持ってきてはいる。でも、それでは不十分だったかもしれないと不安になるが、御堂筋は呆れたような顔で坂道から目を反らした。
    「別にキミィがええんやったらええけど……」
    「そ、そうだよね。今日はこんな天気なんだからもうちょっと厚いの着て来なきゃだったね」
     きちんとした御堂筋に及ばない自分の浅はかさが恥ずかしくなる。
    「別に嫌やったら来んでも良かったのに……。せっかくの休みなんやし、インターハイ優勝の人気もんの小野田くんはデートでもしたかったんやないの?」
     デート? 言われて、一瞬、何のことか分からずにきょとんとしていると御堂筋が苛立ったように続けた。
    「ボクゥと山なんかやなくて、もっと浮かれた楽しい休日があったやろっ。それにこんな天気や。無理に付き合うことない」
     御堂筋の言葉を聞きながら、やっと何を言われているかが坂道にも分かった。
    「えっ? あっ! デートってそう言うことかっ! え、ええっ! ぼ、僕、そんなこと思いつきもしなかったよっ」
     御堂筋と二人で山に行けると今日の日を何日も前から楽しみにしていたのだ。坂道にとっては、今日こそが最高の休日で、これ以上に求めることなどない。
     でも、御堂筋からそんな言葉が出てくるということは……。
    「御堂筋くんは山に行くよりデートの方がしたかったの?」
     もしかしたら、自分が知らないだけで御堂筋にはそういった親密な相手がいるのだろうかと不安に思いながら恐る恐る聞くと、御堂筋は更に苛立ったように声を荒げた。
    「ボクゥがそんなんしたいわけないやろっ! 自転車が全てや! それ以外ないわっ」
    「そ、そっか! よ、良かったっ。僕も楽しみにしてたんだ。御堂筋くんと一緒に走れるのっ。今日はこんなお天気だけど頑張ろうね」
     別に、御堂筋に特定の相手がいるわけではなかったみたいだと思わずニコニコが漏れる。と、御堂筋は坂道の様子に毒気を抜かれたように不機嫌を収め、「もうええ。キミィと話とっても埒があかん」と御堂筋が自転車から降りて、コンビニに入っていくので坂道もそれに倣って自転車を固定し、その後ろに続いた。水と補給食を手に取ってレジへと持って行く。御堂筋が買っているおにぎりを見て、自分も朝ごはんを食べていなかった事を思い出してレジで肉まんを追加で買った。
     外に出て、自転車の所に戻りながら二人並んで買ったものを無言でお腹に入れる。ふと御堂筋の視線を感じてそちらを向くと、御堂筋がふいっと自分から目を反らしたのが分かった。
    「どうしたの?」
     自分の顔に変なものでもついているかと不安になって聞く。御堂筋はおにぎりを食べながら、明後日の方向を見たままで「別に」と答えた。
    「何かついてる?」
     自分の顔を探るが、そうではなかったらしく、御堂筋が「ちゃう」と短く否定の言葉を返してきた。
    「……キミィと肉まんがそっくりや、と思っとっただけや」
    「僕と肉まん?」
     かじっていた肉まんをしげしげと眺めるが自分と似ているかどうかは分からない。どこら辺が似ているのだろうと聞こうとしたら、御堂筋はすでに自転車に跨っている所だった。
    「ちんたら食べとらんでいくで」
    「あっ、ま、待ってっ!」
     慌てて口の中に残りの肉まんを押し込んで、坂道も自分の自転車にまたがる。そのまま幹線道路の脇をずっと山まで走っていく。
     御堂筋の背中を追いながら走る道。気がつけば、確かに頬や耳元を抜けていく風は冷たい。考えてみれば、もう十一月だ。夏を越し、秋になり、もうすぐ冬が来ようとしている。御堂筋が寒さ対策に言及したのも分かる気がした。
     ただ、坂道は気温の変化に鈍く、暑さや寒さをあまり感じない。冬でも薄着でいて驚かれたり、逆に真夏なのに厚手の上着を羽織っていて心配されたりする。ようは季節の移り変わりに疎いのだ。
     御堂筋はその反対で、暑さや寒さに敏感ですぐにウェアや衣類が変わる。冬はしっかり冬用の装備を整えているし、夏は夏で暑さ対策を万全にしている。
    『自分のコンディションを整えんのも試合のうちや』
     いつか御堂筋がそんなことを言っていたことを思い出す。それからすると坂道の構わなさは信じられないぐらいだろう。今までも、御堂筋に密かに呆れられていたのではと思うと冷や汗が出てくる。
     自分と同じように御堂筋が自分を好きになってくれるとは思えなかった。けれど、御堂筋から嫌われたくはない。呆れられたり、駄目な人間だと思われたりしたくなかった。
     街を抜け木々が多くなり、幹線道路が細くなって来る頃、横道に入って、道は本格的な登りになってくる。ペダルがぐんっと重くなるが御堂筋のスピードはほとんど落ちない。その背中についていくようにケイデンスを上げていく。途中で御堂筋が振り返って、先頭を交代して、お互いに交互に前を引いて、段々とキツくなる坂をぐんぐん登っていく。息が徐々に上がってくる。心臓の鼓動が早く鳴る。先ほどまで感じていた寒さはもう感じない。
     御堂筋と二人で山を登っている。そのことだけでも楽しいのに坂が激しさを増していくと身体中の血液が沸き立つようで楽しい。思わず歌を口ずさみたくなるような気分になるが御堂筋にどんな顔をされるだろうと思うと怖くて、なかなかそこまでは出来ない。
     と、ぽつりとグローブから出た指に落ちた水滴が見えた。不思議に思って、空を仰ぐと雨粒がぽつりぽつりと木々の間から落ちてきた。
    「み、御堂筋くんっ、雨だっ!」
    「言われんでも分かる。急ぐで」
     御堂筋が坂道を引くように前に出て速度を上げる。坂道もその背中についてペダルを回した。雨は徐々に強さを増し、段々と叩きつけるような勢いになってくる。
    「御堂筋くん、雨がすごいよっ」
    「だから、分かっとる言うとるやろっ」
     強く降る雨に前を行く御堂筋の背中を黙視することすら危ういような視界になる。練習中に雨に降られることはあるのだが、それでも山中で、ここまでの激しい雨にあうと飲みこまれてしまうようで恐ろしくなる。
     遠くで雷が鳴っている気がする。雷が近づいてきたとしたら、さすがに自転車に乗って進むことは出来ない。それまでにどこか雨宿りの出来るところ……っと坂道は辺りを見渡しながら走ったが、山中にちょうどよい場所はなかなか見つからない。山の中なので木々はあるのだが、この大雨の中、暗い木々の中に身を潜めるのには勇気がいると言う気がした。段々と心細さが増す。
     御堂筋も同じように焦っているのだろうか、と坂道が考え始めた頃、御堂筋が脇道に自転車を向けた。
    「み、御堂筋くん!?」
     その後ろに着きながら声をあげると御堂筋が振り返って、声を張った。
    「温泉があるらしいわ」
     温泉っ!? びっくりするが、御堂筋の言う事に間違いがあるとも思えずにその後を着いていく。でも、こんな民家もないような山奥に本当に温泉宿なんてあるのだろうかと不思議に思う。
     坂道と御堂筋はだいぶ山道を登ってきており、すれ違う車すらほとんどなかった。坂道がよく知る温泉は人のいっぱいいる温泉街にあるイメージで、こんな山奥に温泉があると言われてもにわかには信じ難い。
     御堂筋と二人、横道を外れてくねくねとした道を登っていく。道が途中で未舗装路になってからは、御堂筋も坂道も自転車から降りて押して歩くことになった。
    「ほら、看板あるやろ」
     御堂筋が林道わきの薄汚れた看板を示し、坂道を振り返って励ますように言った。確かに看板がある。
    「雷に打たれたらしまいや。急ぎ。もうすぐやから」
    そして、そんな風に御堂筋から声をかけられる事が嬉しくて、坂道は酷い雨の中でも何だか力がわいてくるような気がした。
     未舗装路を歩いて二十分ほど。ようやく目の前に木造りのこじんまりとした建物が見えてきた。
    「あれやな。あとちょっとや」
    「う、うん!」
     御堂筋の声に引っ張られるように冷えて重くなっていく身体を動かしていく。二人がその建物に着いた時には、辺りは雨で真っ暗になり、近くで大きな雷の音がしていた。
    「間一髪やったな」
    「ホント、良かったね」
     自分達も自転車もずぶ濡れで、濡れていないところがないぐらいだ。自分の身体中からぽたりぽたりと落ちる滴を眺める。ふと横を見ると御堂筋の前髪からもぽたぽたと滴が垂れていた。キレイに滴になって落ちる水滴が何故か勿体なくて、坂道はその滴を手ですくってみたいという気がした。
    「……キミィ、大丈夫なんか?」
     絞れるだけウェアを絞っている御堂筋が不意にそんな声をかけてきた。何を聞かれているのか一瞬、分からずにきょとんとしていると御堂筋が言葉を続けた。
    「そんな恰好で冷えてへんか?」
     そう言えば……っと思うと途端に身体の芯が冷えて震えてくるような気がする。でも、変な心配はかけたくないと「大丈夫。ちょっと薄着だったね」と返すと、御堂筋は無言で建物の中に消えた。
    「あっ、御堂筋くんっ」
     追おうとしたがまだ身体中から滴が垂れている。慌ててあちこちの水滴を払い落とす。と、御堂筋が戻ってきて、入口を開いた。
    「温泉浸かれる言うから……」
    「ほ、ほんと! 良かったっ」
     山では行きは登りだが帰りは下りだ。雨の中、こんなずぶ濡れに冷えた状態で山を下ることを思ったら恐ろしく、温泉に浸かれると聞いて嬉しかった。
     自分の身体から水滴がもう落ちないことを確認して、御堂筋に続いて建物の中に入る。中は温かく、ふんわりと温泉の匂いがした。靴を脱ぎ上がった所に受付のようなものがあり、御堂筋がそこで宿の人と何かを話しているところだった。坂道よりもずっと世慣れしているような御堂筋の様子がカッコいい。
     御堂筋は宿の人から何かを渡されて、坂道の所に戻ってきた。
    「タオル……ジャージ干すんにハンガーも貸してくれた。今日は他に客がいぃへんから好きにしてええって」
     ジャージ乾くやろか、と坂道と同じくずぶ濡れになった御堂筋が言う。そのまだ濡れている横顔を見て、またドキドキがぶり返してくる。自転車に乗っているとある程度距離があるがこうやって二人で並んでいると二人っきりだと言うことを意識してしまう。それに今日の御堂筋は何だかまとっている雰囲気が優しくて、距離が近づいたような気がして嬉しかった。
    「お、温泉って、僕、インハイ以来かもっ」
     思わず浮かれたような声が出て、坂道は分かり易い自分が恥ずかしくなるが、御堂筋は気がつかないらしく「ふーん」と坂道に顔を向けた。
    「千葉には温泉ないんか?」
    「うん。うちの近所にはないよ。海の方ならあるのかも」
    「京都にはあるよ。ちょっと山の方やけど。練習帰りに良く行ったな」
    「そっかっ。じゃあ、御堂筋くんは温泉上級者だね」
    「なんや、それ」
     御堂筋が呆れたように笑みらしきものを零す。それだけで坂道の身体全体がすでに温泉に浸かったように温かくなる。やはり、今日の御堂筋は何だか優しい。最近は坂道が何を言っても邪険にされたり、無視をされたりすることが多かったのでそんな御堂筋の柔らかさが嬉しかった。
     もしかしたら自分は嫌われていなかったのかもしれないと思える。好かれることなどはなから諦めている。でも、嫌われていなかったら嬉しい。
     坂道と普通に話したり、一緒に走ったり、レースに出たり。そう言ったことを御堂筋が嫌な事だと思っていなかったら、何よりだと言う気がした。
     脱衣所の入り口を示すであろう暖簾が見えてきて、男性のマークの描かれた青い暖簾を二人でくぐる。スリッパを入口の所で脱ぐのだが、他に置かれたスリッパはない。それに気がついた坂道に気がついたのか、御堂筋が声をかけてきた。
    「この雨やから他に客はおらん言うとったよ」
    「そ、そうなんだ」
     ということは風呂には二人っきりなのだと思ったら、急に心臓がドキドキ速く鳴り出す。御堂筋が先に脱衣所に入り、籠を手にしてサイクルジャージを脱ぎだした。そのことでさらに心臓の音がうるさくなる。
    坂道も御堂筋も部活の着替えなどで裸になることは多く、二人とも互いの裸は見慣れていると言っても過言ではない。
     けれど、今は周りに他の部員もいなくて二人っきりだ。それに一緒に風呂に入るというのも御堂筋とは初めてのことで、坂道としては好きな相手と一緒に風呂に入ると言う状況に対して、どうしていいか分からない。
     そうこうしている間にも御堂筋はサイクルジャージを脱ぎ終わっていて、そちらへと目をやると御堂筋のいつも見えていない部分の白い肌が見えた。背中やお尻。滑らかな白い肌に一瞬、目を奪われるがはっと気がつき、慌てて目を反らす。坂道は自分もぎこちない動作で濡れたジャージを脱ぎ始めた。

     駄目だ、駄目だっ。おかしなことを考えてちゃあっ。

     御堂筋はきっと坂道からそんな目で見られていることを想像もしていないのだろうと思ったら、御堂筋を邪な目で見てしまう自分にひどい罪悪感が湧いてきて頭を抱えたくなる。
    「先、行くで」
     御堂筋が坂道に声をかけて脱衣所から風呂場の方へと行った。脱衣所に御堂筋の姿がなくなって、少しほっとする。着替えながら、邪な気持ちを消して頭を真っ白にしようと努力する。が、先ほど目にした御堂筋の裸体が瞼の裏にちらちらとして、邪念は全く打ち払えない。
     坂道の人生において誰を好きになったことはあっても、こんな風に現実的な接触を持つのは初めてのことだった。いつも対象は二次元だったり、テレビの中だったりして、こんな風に現実に側に居る人を好きになるのは初めてで、御堂筋に対してはどう接していいか分からないが常だった。それなのにいきなり難易度マックスのこんな状況だ。自分が慌てふためていても、しょうがないような状況だろう。
     何とか深呼吸をして気持ちを整えて、坂道も裸になって風呂場に向かう。すでに御堂筋は洗い場に座って身体を洗っていた。その裸の後ろ姿に再び吸い込まれそうになって、慌てて視線を反らして、少し離れた蛇口で坂道も身体を洗い出す。
     温かいお湯で身体を流すと指先からじんじんと温かさが戻ってきて、全身が冷え切っていたのが良く分かった。お湯のありがたさを改めて感じながら、石鹸を泡立てて身体を洗っていく。
     と、御堂筋が先に身体を洗い終えたのか、ざぶりと湯に入った音が後ろでした。先ほど見た感じでは温泉の湯は濁っていて、お湯に入ってしまえば、気まずい思いをしなくて済みそうだった。坂道も急いで身体を流して、大きな檜の浴槽に浸かった。
    「あったかいねぇ」
     お湯の中に身体を沈めると冷えて固くなった筋肉がほぐれていくのが分かる。少し離れたところで湯に浸かっていた御堂筋が「お湯なんやから温かいのは当たり前やろ」と返してくるが、その言葉にいつもの冷たさはない。
     坂道は不思議になって、ついつい考えたままのことを口にした。
    「今日の御堂筋くんは優しいね。どうして?」
     御堂筋が驚いたような顔をして、こちらを見るので坂道にもまずい質問をしたということが分かる。けれど、一度口にしてしまった言葉は引っ込められず、どうしようと慌てていると御堂筋が嫌そうな顔をして口を開いた。
    「別に優しないわ。今日が一つ違うとしたら、キミィのうるさい取り巻きがいいへんからやろ」
    「取り巻き?」
    「いっつもいるやろ、キミィの周りにうるさいんが……」
     確かに大学に入ってからは、坂道の高校のインターハイでの優勝を知っている人が何人もいて、そう言った人に良く声をかけられたり、部活中も練習に誘われたり、声をかけられたりという機会が増えた。ただ、元々知らない人と話すのが苦手な坂道としては、見ず知らずの人に寄って来られると縮こまってしまい、ちゃんとした答えを返したり出来ないのが常だったのだが……。
    「友情だか愛情だか知らんけど、ボクゥにはそんなんに構っている暇ないんや。キミィらが楽しく部活動やるんはええけど、ボクゥの邪魔までせんで欲しいわ」
    「ご、ごめんっ。で、でも、最近はあんまりうるさくないと思うよ。ほら、僕、一緒にいても面白いわけじゃないから、皆それに気がつくと離れて行っちゃうし……」
     自分の事ながらちゃんと口にすると情けない。でも、事実そうだった。皆、『インターハイ優勝の小野田坂道』に興味があるだけで本物の坂道と接すると一様にがっかりして去って行ってしまうのだ。
    「……でも、カノジョ、が出来たんやろ?」
    「えっ!? ぼ、僕に!? で、出来てないよっ」
     あまりに予想外のことを言われたことで湯の中でざぶざぶと波を立ててしまう。御堂筋はいぶかし気に目を細めて坂道を見た。
    「でも、もっぱらの噂やで。なんや、髪の長い可愛い子らしいやないの」
     髪の長い可愛い子と言われて、一人だけ思い当たる女の子がいた。確かによく話しかけて来てくれるクラスメイトの女の子がいたが、坂道には彼女の話している話のほとんどが分からず、ただ曖昧に相槌を打っているだけということを繰り返していたら、その子から声をかけられることもめっきり減ってきた。
    「ぼ、僕はそんなに上手に誰かとお話したり出来ないから……恋人なんてとんでもないよ」
     別に坂道自身が仲良くなりたいと思っていた人ではない。けれども、期待して近づいてきただろう人に自分は何も返せていない。大学に入って今まで、どれだけの人を失望させてきたんだろうと思ったら、気が滅入る。おまけに密かに恋心を寄せている御堂筋にそんな誤解をされていたのかと思ったら余計に辛かった。
    「高校ん時は上手くいっとったやろ」
    「あ、あれは……周りの皆が助けてくれてただけで、僕が上手くやれていた訳じゃあ……」
     高校時代、確かに自分には友人やチームメイトと呼べる存在が出来た。けれど、きっとそれは総北高校自転車競技部だから、出来た友人だったのであって、自分の力ではないという気がする。
     鳴子も今泉も杉元も、先輩も後輩も……人に恵まれていたのだと離れた今になって思う。
    「僕……友達、作るの苦手だから……」
     御堂筋に情けない奴だと思われたくはなかったけれど、本当の事だ。それがずっとずっと恥ずかしいと思ってきた自分自身だった。
     情けなくて俯く坂道に、御堂筋が手ですくった湯をぱしゃりとかけてきた。驚いて顔を上げると口元を歪めた御堂筋がこちらを見ていた。
    「何凹んどるんか分からんわ。別にそんなん苦手でええやろ。ボクゥかて得意やないし。そんなん必要ないわ」
     何を悩んでいるのか分からないっといったように御堂筋は、坂道の言葉を一蹴する。そして、続けた。
    「そんなんで人の価値は決まらんし、後ろめたく思う必要もない。ボクゥはそのままのキミィが好きや」
     一瞬、聞き違いかと耳を疑う。坂道が驚いて固まっていると、こちらを見ている御堂筋の顔が徐々に朱色に染まっていくのが分かった。そして、坂道が沈黙しているとその表情を段々と苦虫を潰したような顔になってきて、御堂筋が気まずい思いをしているのが分かった。
    何か言わなくてはと焦る。焦って口を吐いたのは、ずっと心に秘めようと思っていた言葉だった。
    「ぼ、僕も好きだよっ。御堂筋くんのことっ」
     今度は御堂筋が驚いたように目を見開いて固まる。坂道は自分の顔も御堂筋のそれと同様に真っ赤になっていくのを感じていた。
     広い風呂の中、二人っきりで向き合ったまま、どちらとも動けずにしばし固まる。と、御堂筋がぎこちない動きで坂道から目を反らし、湯の中で両膝を抱えた。
    「ぼ、ボクゥの好きはあれやで……キミィのとはちゃう」
    「ぼ、僕の好きだって御堂筋くんのとは違うと思う……」
    「ど、どんな好きなん……?」
    「え、えっと……う、上手く言えないんだけど……と、特別な好きだから……御堂筋くんのとは違うと思う」
    「ボクゥのかて特別やし……」
    「そうなの?」
    「うん……」
     お互いにお互いから目を反らして、湯の表面を見つめて言葉を交わす。心臓が痛いぐらいにドキドキといっていて今にも止まってしまうのではないかと怖かった。

     御堂筋くんが僕を特別に好き……なの? ホントに?

     自分の耳で聞いた事なのに信じられない。何かの聞き間違いではないかと自分の耳を疑う。

     本当に好きって言ったのかな? 特別って本当に? もしかしたら、特別に大きいとか、特別に聞きとか……全然別の言葉を聞き違えたんじゃないかな……。

     考えれば考えるほどにぐるぐると思考が回って分からなくなる。坂道が頭を抱えていると不意に御堂筋の視線を感じた。坂道が振り向くとこちらをじっと見ている御堂筋と目が合う。
     湯の中、御堂筋がゆっくりと動いて、坂道の方に来たのが分かった。

     あっ……。

     御堂筋の伸ばされた手が肩に触れた……瞬間、心臓が大きく跳ねる。そして、思い出した。
    「み、御堂筋くんっ。は、裸だっ。裸だよっ、僕たち、今っ!」
    「は、はぁ?」
    「だ、だって、何も着ていないんだよっ」
    「ふ、風呂に入っとるからな」
    「だ、駄目だよっ。ドキドキしすぎて心臓が止まっちゃうよっ!」
     御堂筋に好きだと言われただけで、こんな風に心臓が痛いのだ。裸でその身体に触れようものなら、心臓がはじけ飛んでばらばらになってしまうような気がした。
    「ほ、ほら、よくニュースでやってるでしょ。お風呂で倒れて亡くなる人がいるって。あ、あれになっちゃうよ」
     考えると恐ろしい。聞き間違いかも知れない。夢かも知れない。けれど、せっかく御堂筋に好きと言って貰えたのだ。ここでそんな風に死んでしまうのはどう考えても悔いが残る。
     御堂筋も分かってくれたのか、「そ、そやな」と伸ばされた手を引っ込められた。けれど、それはそれで寂しい気がするので現金なものだ。お互いに背中を向けて、湯から出る。身体は十分すぎるほどに温まっており、湯のせいか、それとも御堂筋からの思わぬ告白のせいか、立ち上がると頭がくらくらとした。
     上がり湯をして、脱衣所に戻って身体を拭く。全身がポカポカとして心地よく、まるで夢の中を歩いているようだった。タオルを腰に巻く。先ほどエアコンの側に干してジャージはだいぶ乾いてきているようだった。脱衣所の窓を叩く雨も先ほどより弱くなってきている気がした。
    「雨、止むかなぁ」
    「あの大雨や。そんな長くは降らんやろ」
     応えてくれる御堂筋の声の調子がいつも通りなので少し緊張がほぐれる。と、同時に先ほどまでのことが嘘だったような気もしてきた。坂道と同じように腰にタオルを巻いた御堂筋の方を見るとその視線に気がついた御堂筋は「なんや」と眉を上げた。いつも通りのドライな御堂筋の対応にやはり先ほどの事は夢だったのではという気がする。
    「……御堂筋くん、本当に僕のこと好きなの?」
     聞くと御堂筋は顔を赤くしながら渋い顔をして、唇を捻った。
    「……知らん」
     やっぱり何か都合のいい夢だったのかと坂道ががっくりして言葉を失っていると、御堂筋が渋い顔を更に渋くした。
    「そんなん……何度も言うことちゃうやろ」
    「そ、そうだね」
     でも、本当の事だったのかと思って、改めて頭がぼーっとしてくる。こんなんじゃ、帰りの自転車で落車でもしてしまいそうだと自分の頬をぺちぺちと叩く。
    「あっ……」
     御堂筋が壁にかかった何かを見て、短く声を上げた。何を見ているのだろうと坂道も近づき、覗き込む。と、御堂筋が壁にかかったそれを隠すように動いた。
    「な、何でもないっ。ほら、いつまでも裸やったら風邪引くから、ジャージ、ドライヤーで乾かし」
    「あっ、う、うん」
     洗面台の所に備え付けてあったドライヤーを手にジャージのまだ乾いていなそうな部分を乾かしていく。元々乾きやすい生地のためか、すぐに乾いて、坂道も御堂筋もすぐに着替えられた。
     窓の外を見ると雨が弱くなってきていて、これなら自転車に乗って帰れそうだった。けれど、いざ帰るとなると何だか寂しい。
     せっかくの御堂筋と二人の山が終わってしまうのだ。
    「あっ」
    「何?」
     宿の人に日帰り入浴のお礼とお代を払って、宿を出る頃には雨はほとんど止んでいた。
     二人でまた未舗装路で自転車を押して歩き出した時にふと思い着いて、坂道は声を上げた。御堂筋が怪訝そうな顔でこちらを見る。
    「忘れ物か?」
    「う、ううん」
     坂道が御堂筋の事が好きで、御堂筋も坂道のことを好いてくれているとしたら……この二人っきりで出かけてきた山は……。
    「もしかして、今日の練習はデートってことなのかな?」
     御堂筋は自分がする訳がないと豪語していたことだったが、お互いに好きって思ってたなら、そうだったのかもね。と坂道がはにかみながら笑みを零すと、御堂筋はそんな坂道の笑顔に何とも言えない顔をして「キミィがそう思いたいのやったらそう思っとき……」と小さく返した。
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