犬も食わないってヤツ 「小次郎さんのわからず屋、頑固親父!」
「なっ、おまえこそ、あれだ、んーと、おたんこなす」
「むー、ひどい! とにかく、別にいいでしょ、わたしの勝手でしょ!」
「勝手になんかさせるわけねーだろ、このどてかぼちゃ…プリン」
ご覧の通り俺たちは今、ケンカの真っ最中だ。
突然リビングで始まったこの険悪な言い争いを、あゆ海ちゃんがオロオロしながら見ている。
「ちょ、専務ー、どーしたんですかー、やめましょーよ、美奈子先輩もやめてくださいよー」
あゆ海ちゃんは、美奈子の大学のサークルの後輩で、──美奈子が卒業した年に入学したから、大学では親交はなかったらしいが、友人の妹の友達の知り合いだとかの縁で、夏休みや冬休みなんかの長期休みには、うちにアルバイトに来てくれている。すごく気の利くとても良い子だ。
「あゆ海ちゃん、悪いんだけど、このハンカチを、そこのケチケチおじさんに渡してくれる? アイロンかけたから」
美奈子から、ハンカチを受け取ったあゆ海ちゃんが、今度は俺にそのハンカチを差し出す。
とんだとばっちりでごめんな。
「あゆ海ちゃん、俺からもいいか、あそこでぶーたれてるべっぴんさんに、このホットミルク渡してやってくれ」
美奈子愛用のマグカップに淹れたホットミルクを、あゆ海ちゃんに手渡す。
あゆ海ちゃんからマグカップを受け取った美奈子が唇を目一杯尖らせて更に悪態をつく。
「ふーんだ、こんな真夏にホットミルクなんて、暑くて飲めませんよー、でもありがとうって、伝えてくれる?あゆ海ちゃん」
「あゆ海ちゃん、今日は組合の寄り合いだけだから、早く帰ってくるからなって、行ってくるって伝えてくれるか? あとハンカチのアイロン助かった、ありがとな、って」
「気を付けてね、って伝えて」
「……、二人とももう私関係なく話してますよね」
呆れた声のあゆ海ちゃんに、すまんと手を合わせ、玄関で靴を履く。
美奈子の見送りがないと、やっぱ気合い入んねーなー、と思ったその瞬間、パタパタと小走りのスリッパの音が近づいてくる。
「やっぱりお見送り…」
「ばかっ、走んなっ」
「もー、心配し過ぎ」
「いいか、今日はずっと家にいろよ、出歩くな、冷やすな、できればベッドでゴロゴロしてろ。あと仕事は絶対にダメだ」
「別に病気じゃないし、仕事できるよ、小次郎さんが会議でいないのに、私も行かなかったらバイトさんたち動きにくいでしょ」
「ダーメーだ、絶対にダメだ、仕事はデイリーのだけ指示だしてるから、あとは帰ったら俺がやるから、だから頼む、仕事は休んでゆっくりしててくれ」
「むー、そしたら小次郎さん遅くなっちゃうじゃん、一緒にお話したいの、だから仕事早く終わらせたいもん」
「あのー、専務、お取り込み中すみません。」
リビングの扉の影からあゆ海ちゃんが顔を覗かせる。
「立ち聞きすみません。今日の指示出し、私出来ますよ、やりますから、専務は早く美奈子先輩の所に帰ってきてあげてくださいね、あ、あと、おめでとうございます❤️」
──すごく気の利くとても良い子だ。
履いた靴を一度脱いで、大切な奥さんを寝室まで送る。
無理やりベッドに押し込み額に口付ける。
「まだ血液も通っていないけど、トクトク拍動をはじめる、この時期の胎児の心臓を、ホワイトハートって言うんだ。これから、美奈子の身体の中で血液が通う、どんどんでかくなる。俺は心配するしか出来ないから、口うるさいかもしれんが、ちと辛抱してくれ。……帰ってきたらまた話そう。」
そう言った俺の言葉に美奈子が頷く。
昨日の夜、告げられた。
恥ずかしそうな笑顔で。
来年の三月、新しい家族が増える。