教師御影小次郎 なんで俺は気付いてやれなかったのか
そんだけ浮かれてるってことか
いい年して情けねぇったらありゃしねぇな
新緑が深まり、暖かい風の匂いが真新しい春の季節の終わりと、次のシーズンの訪れの予感を告げる。
生き物にも植物たちにも優しい、この季節が一年で一番好きだ。
誕生日が嬉しい年なんかじゃねぇけど、
もうすぐ俺の誕生日で、
直前の日曜日を彼女と一緒に過ごしたかった。
二人が置かれている立場を考えれば、現状、関係性のステップアップなど望むべくもない、それでも……。
例えば、俺が彼女を下の名前で、呼んでみたらどんな反応をするだろうか。
モーリィに似たうるうるの黒目を大きくして驚くだろうか。
嫌がるだろうか。
ダメだと言うなら引き下がるしかねぇけど、戸惑う彼女に付け入る隙がありそうなら甘い言葉を重ねて強引に頷かせちまおうか、ずるい算段。
気持ちを軽口に隠して昇降口の前で彼女に声をかける。
俺が誘いの言葉を口にする前に、どこか行きたいところがあるのかと問われ、勘の良さと、立場への配慮にまた一つ、……積もる気がした。
待ち合わせ場所を決め、んじゃ頼んだぞ、と何でもないことのように告げたが、心臓はどんどこと早鐘を打ちまくっていた。
あっ、ぶねー
あの笑顔は…
可愛すぎて全部持っていかれそうだ
・ ・ ・
前日の夜はなかなか寝付けなかった。
遠足前の小学生かよ、と自嘲する。
高校生活謳歌させてもらうだけじゃなく、小学生気分まで味あわせてもらえるとは思わなかったな、そんなことを考えながら眠りに落ちていった。
前日遅かったわりには、早く目覚めてしまい、楽しみな気持ちがもう隠しようもなくなってしまっていることに改めて気付かされる。
身支度が早く終わるからと答えた体育祭のテーマのような好きな音楽が頭の中に自然と流れ、結果、身支度が早く終わった俺は待ち合わせ場所へかなり早くついてしまった。
課外授業では待ち合わせ場所に早くつくなんてことはなかったから待つ時間も楽しいなんて知らなかったな、と恥ずかしげもなく呟く。
慌てたように小走りで駆け寄って、荒い息を整えながらごめんなさい、なんて言うのだろうか。
どんなテイストの格好で来るのだろうか。
しかし、彼女が待ち合わせ場所に現れることはなかった。
忘れられちまったのか、
それとも外せない用事でも出来ちまったのか。
どちらにせよ、俺が楽しみにしていたほどには、意味のない休日の予定だったということか。
誕生日の前に関係性のステップアップ、例えば俺が彼女を下の名前で呼んでみたら、……恥ずかしいな、うん、恥ずかしいじゃねぇか。
何を乙女チックな妄想をしていたんだ。
しっかりしろ小次郎
俺は教師で、彼女は受け持ちの生徒だ。
関係はそれだ。
今、がっかりと感じている気持ちは勘違いだと、自分自身を鼓舞する。
区切りを付けるように留守番電話にメッセージを残し、気持ちに蓋をする。
蓋が外れないようしっかりと鍵をかける。
・ ・ ・
翌日、事務の先生から欠席の生徒の連絡メモを貰ってことの顛末に気付く。
彼女の名前の下に、一週間から10日の欠席予定とあった。って、相当じゃねぇか。
そしたら、多分、あの昇降口で誘った時だって、体調悪かったはず。
思い返せば、顔色が悪かった気がする。
さくら色の頬がいつもより白っぽかった。
なんで俺は気付いてやれなかったのか。
無理をするたちだって知っていたのに。
前に理科準備室でハイビスカスのお茶を振る舞ったことを思い出す。
少なくとも、あの時の俺は、教師御影小次郎で、受け持ちの生徒のいつもとは違う様子にちゃんと気付けていた。
先週の俺は……初めて生まれた気持ちに浮かれて、やれ誕生日がどうの、関係性がどうの、自分のことばっかりで周りが全く見えていなかった、情けねぇな。
己の未熟さに気付かせてくれたのが、神様という輩からの今年の誕生日プレゼントだってことなら甘んじて受け入れるが、
出来ればしんどいのは彼女にじゃなく、俺にして欲しかったと独りごちる。