シンデレラ・ドレス(ライマス) ある休日、マスターとシャルルヴィルは普段着姿で市街地を歩いていた。カサリステ本部の人間への重要書類の受け渡しという簡単なものだがれっきとした任務の一環だ。簡単ゆえマスター一人でも事足りるものではあったが、ラッセル教官と任務について話している時に偶然別の報告でやってきたシャルルヴィルがぜひ供をしたいと申し出たのだった。希望されれば特に断る必要もないので、マスターはシャルルヴィルと共に任務へとやってきたのだった。
想定通り、待ち合わせの場所で滞りなく書類の受け渡しは終わった。
所要時間も、移動時間を含めたとしても一時間程度。なんとも簡単な任務である。
「もう終わっちゃったね。教官からは無事に終わっていれば報告は急がないと言われているし、せっかく町に来たからどこかでお茶でもして帰ろうか?」
「Ça y est 大賛成!」
シャルルヴィルは嬉しそうに頷くと「そうと決まれば早く行こう!」とマスターの手を取った。シャルルヴィルの笑顔につられてマスターの顔も綻ぶ。良い一日になりそうだ。
二人は、いつの間にリサーチしていたらしいシャルルヴィルのおすすめのカフェに向かうことになり、町の大通りを歩いていた。ここには買い出しに来ることもあるが、最近ではなかなか忙しくゆっくり買い物に来る暇もなかったので歩くだけでも良い気分転換になる。
あれが美味しそうだの、あの小物が可愛いだのと他愛ない会話を交えながら歩いていると、マスターはとあるショーウィンドウの前で歩みを止めた。
マネキンが着ている、膝丈の淡いピンクのワンピース。腰でウエストが絞られつつ、裾がふわっと広がっていて可愛らしい。
「可愛いワンピースだね。プリンセス・ドレスって言うのかな」
「うん、凄く可愛いなと思って」
普段制服か手持ちの質素な服しか着ていない彼女には、その色といい形といい、全てが可愛らしく思えた。
(ライク・ツーはああいう可愛い服、好きかな)
ふと恋人――正確には銃だが――の彼のことを思い出す。私服の機会がほとんどないのであれそれ言われたことはないが、ライク・ツーは美容やおしゃれにはとても気を遣っているので、相手がこんな洒落っ気のない女で申し訳ないと思うことがある。
「気になるなら着てみたら? マスタースタイル良いんだから、絶対似合うよ!」
「え、いやでも、私には可愛すぎるし、高そうなお店だし…」
店先から感じる高級感溢れるオーラにたじろぐマスター。この服装で入るにはやや勇気がいる。
「何言ってるの、マスター。士官候補生とはいえ、任務についてるわけだしお給料は貰ってるわけでしょ?」
「うん…それはまぁ。他の同級生よりは貰っていると思う」
「そりゃそうだよ、学業に励む彼らと違って最前線でアウトレイジャーと戦っているんだから。どうせ使うこともないんだから、貯まってるでしょ」
図星をつかれ、うぅ、と言葉に詰まる。言われた通り使い道がないため貯金は貯まっていく一方だった。シャルルヴィルはマスターの背中をぐいぐいと押して強引にお店へと入っていく。
「さあさあ! 大丈夫足りなければ僕がなんとかするから」
「えっそれは悪いよ」
「すみませーんこのワンピースを見たいんですけど」
笑顔のシャルルヴィルに押されるがまま入店することになり、やってきた店員とシャルルヴィルが会話をし、あれよあれよという間にワンピースを持った店員に試着室へ連れられた。
高級店だからなのかシャルルヴィルが不慣れなマスターの為に口添えしたのかはわからないが、着替えを手伝ってもらうことになり、なんとも粗末な下着を高級店の店員に晒すことになってしまった。
(…下着も、ちゃんとしたやつ買っておこ…)
普段の訓練時は晒を巻くことが多く、不自由もしていなかったので気にしていなかった。店員に背面ファスナーをあげてもらう間、マスターは今度買い出しに行こうと固く心に決めるのだった。
カーテンを開け、おそるおそるシャルルヴィルに試着を披露する。
「な、なんだか落ち着かないよ…」
やや恥ずかしそうに頬を赤らめるマスターに、シャルルヴィルは少し目を丸くして、それから満面の笑みで手を叩いた。
「Très bien とっても似合っているよ、マスター!」
シャルルヴィルの言葉はとても素直だからこそ、そう褒めてもらえて嬉しかった。
マスターは姿見に映る自分が普通の、どこにでもいる女の子のように見えた。自分が違う自分になれたような、そんな不思議で、でもとても心躍る感覚。まるで魔法のよう。
「本当に可愛い! マスターのこの姿を見られただけでも今日ついてきて良かったと心から思うよ」
「あ、ありがとうシャルル…でもちょっと恥ずかしいな」
「恥ずかしがることないよ、こんなに素敵なんだもの。あ、でも……」
何か思い当たったのか、シャルルヴィルは顎に手を当て、途端に悩ましげな表情を浮かべた。
「まずいなぁ…」
「?」
「こんな素敵な姿、僕が一番に見たって知れたら、きっと怒られちゃう」
「怒られる?」
「僕が一緒だったって、内緒にしておいてね」
首をかしげるマスターをよそにシャルルヴィルは人差し指をたてて小声でそう言って見せた後、店員に「すみませんこれいただきます!」と勝手に話を進めてはじめていた。そうしてまた、脱ぐために試着室へと押し込まれる。なんだか慌ただしい。
(怒られるって…? ひょっとして、ライク・ツー? …このくらいで、怒るだろうか?)
持参の私服に着替えながら、ふと考える。
内緒ね、というくらいなのだから、マスターとライク・ツーが恋仲であると知っているなら、彼以外に当てはまる相手はいない。
確かに任務に同行した件については、自分が手が空いていたなら自分が、と不貞腐れることもあったかもしれないが、洋服を買ってそれで怒るとは少し想像がつかなかった。
■
洋服を買った後――もちろんシャルルヴィルには払わせず自腹で――、カフェでゆっくりと休息を楽しんだ後、士官学校へと帰還した。休日というのにいつも通り出勤しているラッセル教官に任務の報告をして、自室へと戻る道すがら、射撃場にいる目当ての人の姿を見つけマスターは射撃場へと足を運んだ。
「ライク・ツー」
邪魔にならないように休憩の頃合いを見計らって声をかける。
「ん、なんだ。マスターか。どうした?」
「あ、えぇと。大した話ではないんだけど…今日の夜時間があったら、夕食の後に少し部屋に寄ってほしいなと思って」
「珍しいじゃん、マスターがそんな風に言うの。何か話でもあるのか?」
「うん、ちょっと…見せたいものがあって」
改めて、洋服を見せたいためにこうして誘うというのも大仰な気もしたが、シャルルヴィルが絶対にそうしろと言っていたし、何よりマスター自身も見てもらいたい気持ちが強かった。
要件のはっきりしない誘いだったが、ライク・ツーは特に疑うこともなく「そっか。わかった」と返事をしてくれる。
「よかった。…じゃあ、待ってるね」
嬉しそうに笑みを零して去っていくマスターの後ろ姿をライク・ツーが見送る。
(…あいつに限って夜の誘い…なわけは、ねーよなぁ。…期待しすぎか、俺)
思春期の男子のごとき淡い期待を抱いてしまったらしいライク・ツーは、はぁ、と小さくため息をついてから頭をがしがしと掻いて、肩に自身の銃を担いで射撃場へと戻っていくのだった。
そして夜。
マスターは一足早めの夕食をとって自室へと戻り、今日買ったばかりのワンピースに袖を通していた。そうしてそわそわと落ち着きなく窓際とドアを行ったり来たり。いつライク・ツーが来るかと思うと、心が落ち着かない。
「なんだこの程度のことで呼びつけたのかとがっかりされるかな…」
自信もってマスター!
俯き加減で自身がなくなりかけていたマスターは、シャルルヴィルの言葉を思い出す。
「…うん。大丈夫。きっと、喜んでくれる」
そして今度は一緒に買い物に行けたらいいな、とマスターはまた心弾ませていた。
「マスター、入るぞ」
短くそう告げ、ガチャっとドアが開けられる。遠慮はないが、二人の関係性があってこそのライク・ツーの振舞いなのだろう。
「話って何―――ちょっ!!」
言葉の途中で、ライク・ツーは部屋の中のマスターが淡いピンクのワンピース姿でいるのに気づいたらしく、目をまん丸くして肩を揺らした。そしてそのまま慌てたようにドアを閉める。
「え、なに、それ。どうしたんだよ」
ライク・ツーはマスターの普段の制服姿とのギャップに動揺を隠せない様子で近づいてくると、上から下までまじまじと見つめた。心なしか、頬が赤い。
「今日街に行った時に買ったの。あんまり服のことはわからないんだけど、素敵だなって。…どうかなぁ」
恥ずかしそうにはにかみながら、ワンピースの裾を摘まんで広げてみせる。
「どうって…」
その姿にライク・ツーはいよいよ顔を真っ赤にさせ、がばっと勢いよく、マスターを抱きしめた。
「めっっっちゃくちゃ可愛い。なんだよこれ、反則すぎるだろ」
そう吐き捨てたライク・ツーはなぜかちょっと怒っているようにも聞こえる。
なんだか自分よりも照れているライク・ツーの様子に、マスターは嬉しそうに「ありがとう」と笑った。
「つーか、今日街に行ったって…シャルルヴィルと一緒だったってことだろ」
「あ…うん」
内緒にしてねと言われたはずが、隠す間もなくバレてしまった。
「まぁ、あいつなら…正直良い気はしないけど、許容範囲か」
そして「これがマークスだったら腸煮えくり返ってどうにかなりそうだったわ、俺」と苦々しく呟くライク・ツー。ひどい言い草に、思わずマスターはくすりと笑ってしまうのだった。
「笑い事じゃねぇし」
不貞腐れたようにライク・ツーは唇を尖らせるが、マスターは一層笑みを深くするだけだ。これを聞いていたらマークスの方こそ怒って手が付けられなくなりそうだ、なんて想像しながら。
「なぁマスター」
そう言って、ライク・ツーがぎゅっと抱きしめる腕に力を込める。
「今度服買う時は、絶対俺を連れてけよな。…俺が一番に見たいから」
「…妬いてくれてるの?」
「当たり前だろ! こんなに可愛い格好、他の奴になんてぜってー見せたくない」
力強いのに、優しく抱きしめてくれるその温もりが嬉しい。マスターはライク・ツーが耳まで真っ赤になっているのに気づいて、その愛しさに笑顔になる。
「そんなに褒めてもらえると、照れちゃうな…」
「言っとくけどお世辞なんかじゃねぇからな。ついでに言うと誇張でもない」
「ふふ、わかってるよ、ライク・ツーがお世辞なんて言う性格じゃないって。だから尚更嬉しいの。ありがとうライク・ツー」
「素直でよろしー」
身体を離した二人は向き合って笑いあい、ライク・ツーはマスターの頭をくしゃりと撫でた。
「最高に似合ってる。可愛いよ、マスター」
二人の距離が縮まり、唇が重なり合う。
その世界一優しく愛おしい体温に、ただただ心をゆだねるのだった。
――翌日。
ライク・ツーからの突き刺さる怨念めいた視線を受けて、シャルルヴィルはバレてしまったことを瞬時に悟ったのだとか。