『今日はいるの?お休み?』ピコン
『もうそろそろ、冷蔵庫空いてくる頃じゃない?』ピコン
『また教えてね』ピコン
『ピコン』
最後にうさぎが手を振っているスタンプで終わったメッセージ一覧を見て、ディアスは頭を抱えた。
懲りずに部屋に再び来ようとするレナを数日間は抑えることができたが、一〜二週間もすると勝手に家の玄関前に座り込んでいた。ただもうあんなことがあった以上、年頃の娘と二人っきりになるわけにもいかない。「じゃあお母さんから持ってってって言われたらどうしたらいいのっ」と膨れっ面で訴えられ、仕方なく今まで教えなかった携帯電話の番号を教え、メッセージアプリで事前に来る日は伝えてもらうことにした。
その結果が毎日のピコンピコンである。生活に支障はないのだが、ディアスはこの返事を出すのがめっぽう苦手なのだ。面倒だし、文面を考えるのも割と気を遣う。結局のところは、ぶっきらぼうな返事をしてレナに嫌われたくない気持ちが根底にあるからだった。
「最近楽しそうだね、レナ」
ホールからキッチンに下がってきたところで、レナはクロードに声をかけられた。無意識に鼻歌を歌っていたらしい。
「そう見える?うん、ちょっとだけ進展した?って感じなの」
学校からほど近いファミレスでアルバイトを始めた。当然自分で自由に使えるお金が欲しい気持ちもあったけれど、何もしていないとディアスの返事を待ち続けて気もそぞろになるからだった。不器用な彼のことだ、「わかった」の一言でも出すのが遅れるに違いない。頭ではわかっているのに、先走って何度もメッセージを送っては既読されたか確認してしまう。重たい相手にはなりたくなかった。
「………彼氏でもできたのかい?」
「……ううん。そうなったらいいな、とは思ってるけど」
レナは赤くなった顔を手持ちのトレーで隠した。
「……そうなんだ」
そう答えたクロードの顔は僅かに曇っていたが、レナに気づかれることはなかった。
アルバイトの時間を終え、更衣室で着替えながらスマホを確認すると、メッセージは届いていなかったが着信履歴が一件残っていた。ウェスタが何か用事かと思いホーム画面を開く。
まさかのディアスだった。レナはスマホを凝視した。慌てて身支度を全て整え、タイムカードを押して外に出る。逸る気持ちを抑えて電話をかけ直す。呼び出し音のリズムと心臓の音が一緒になる。
『………レナか』
声が近い。名前を囁かれたみたいで、首の辺りが熱を持つ。
「うん。電話、出れなくてごめんね。ちょっとバイト中で」
『………バイト?』
「そう、ほら駅前の、ハンバーグがおいしいところのファミレス。最近、始めたの」
『…………。…………そういうことこそ連絡……いや、もう、いい』
「?それで、何かあったの?」
『メッセージを見たから連絡しようと思っただけだ。今週は日勤で木曜休み、残ったタッパーは2個だ』
顔の緊張が緩む。仕事上がりのクロードが外に出てきた。笑顔で手を振り、電話しながら駅まで歩き出す。
「……うん、わかった」
『……ところで、いつなんだ』
「?なにが?」
『ファミレスのバイトのシフトだ』
「えっ、食べに来てくれるの?」
『……夜、帰りが遅い時間もあるだろう。ついでに送ってやる。毎回は無理だぞ』
「……ありがとう。また確認してメッセージ送るね」
嬉しさがふふ、と笑い声に漏れる。
「なんか、ディアスってお父さんみたいね」
『………………』
ディアスは嬉しくなかったようだ。電話を切った後も、レナの歩く足取りは軽やかだった。
「ねぇねぇ、あの人めちゃくちゃかっこよくない?彼女とかいるのかなぁ」
「あんな優良物件いるに決まってるって!ほらぁ、あの一緒に働いてる女の子とか怪しくない?付き合ってそう!」
「あの子本当にかわいいなぁ。連絡先聞いてみようかな」
「やめとけよ、所詮高嶺の花だって」
ファミレスは値段が手頃でおいしいのが売りだが、いかんせん外野の声が騒がしい。無責任な会話のオンパレードに嫌気が差し、ディアスはドリンクバーのコップを力任せに壊しそうになる。
大体どうして世の中は色恋沙汰がこんなに好きなのだろう。芸能人の不倫がどうだ、スポーツ選手の結婚がどうだの、自分にとってはどうでもいい情報ばかりがテレビやネットで溢れる。レナはそういう類に興味があるタイプだが、自分が疎ましく思っているのを知っているので、帰り道でもあまり目の前では話題にしない。いつも少し後ろをついてきて、今日のファミレスの客入り数や学校であったことを後ろから弾んだ声で話しかけてくる。
それが懐いた小動物のようで、かわいい。思い出して僅かに口の端が上がる。
────ガチャン
食器が派手に割れた音でディアスは我に返り、その音の方を振り返る。
「失礼しました!」
レナの声が響く。下げた食器を片付ける時に落としてしまったようだった。割れた皿を触ろうと伸ばした手を、横から金髪の同僚の青年が制した。僕がやるよ、大丈夫だから他のことをしてて。口の動きでそうレナに伝えたのがわかる。
「疲れてるんだよ、その前に少し休んだ方がいい。裏で深呼吸してきなよ」
「ごめんなさい、クロード…ありがとう…」
クロードと呼ばれた男は少し笑って、放心状態のレナの肩を軽く叩き、道具を取りに奥に入っていった。
「やっぱり付き合ってるよ〜!」野次馬が騒ぐ。
ディアスは会計伝票を手に席を立ち、支払いを済ませて外に出た。レナに一声かけようと裏口へ回る。
「レ」
「クロード、さっきは大丈夫だった?ごめんね、私の不始末なのに…」
「僕は大丈夫だよ。レナこそ、毎日色々やることあって、忙しいんだろ?シフト少なくしてもいいのに」
「いいの。私が好きでやってることだし」
「………そのディアスって人が、羨ましいな」
「えっ……?」
「ねぇ、レナ。僕が君にしてやれることって、とても限られてると思うんだ。だからせめて、ここにいる時だけは一番君の力になりたい」
「クロード……ありがとう…。いつも十分助かってる。この間変なお客さんが来た時も、クロードがいなかったら大変だったから…」
レナの萎れた声を背後に、ディアスは無言でその場を立ち去った。
ファミレスの客の会話が脳内で木霊する。
『一緒に働いてる女の子とか怪しくない?付き合ってそう』
バイト中に客に絡まれた話なんて、レナから聞いたことがなかった。バイトを始めたのも事後報告だった。
あんなお似合いの理解者がいることも。
「あいつに甘えすぎていたな…」
情けなさで独りごちる。もう幼馴染の肩書きでレナを自分に付き合わせるのはやめよう。ディアスはスマホを取り出し、
『もう 俺のことは気にするな 飯のことも』
一言メッセージを送ると、レナの通知をオフにした。
*****
「あらー。久しぶりねぇ、ディアス君」
職場と家の往復しかしなくなって半月ほど立った頃、ディアスは夕方の商店街でウェスタと出くわした。お互いに買い物帰りだったらしい。
「久しぶりです、おばさん」
「レナが色々悪かったわねぇ」
「いえ……こちらこそ、一時期は甘えてしまって」
一礼しようとしたところで、ウェスタが慌ててそれを止めた。
「いいのよ、あの子が好きでやってることだったし」
「……レナと、同じことを言うんですね」
「だって、本当だもの。私はちょっとだけ、手を貸してあげただけ」
「…………?」
会話が噛み合わない気がして、ディアスは首を傾げた。
「? あら、ディアス君、本当に知らなかったの?」
「─────」
ウェスタの話の続きを、どこか遠いところで聞いている気がした。
商店街の人混みを掻き分けて走る。走りながら、ウェスタの一言一言を思い出す。
「一応、毎回私も味見して、安心しなさい大丈夫よって言うのよ」
すれ違う人と肩がぶつかる。謝意を込めて会釈して走り続ける。
「我が子ながらよく続いてるなぁ…って」
パンパンの保冷バッグを思い出す。
あれは。
「頑張ってるから、材料費だけは出してあげてるのよ』
冷蔵庫を開けながら言っていた台詞。
『一人暮らしだと栄養偏るから、って』
……どうしていつも、肝心な所を教えないのだ、あの幼馴染は。
学校の正門前に着く。下校中の生徒を捕まえて所在を聞いたが首を横に振って終わる。
ファミレスに着く。入口の店員に聞いたが、今日はシフトに入っていないと言う。
近所中を手当たり次第探したが、レナは見つからなかった。結局自宅のアパート前まで戻ってきてしまう。ディアスはポケットからスマホを取り出し、諦め半分で電話をかけた。
RRRRRRRRR…
見慣れた金属製の外廊下で、スマホの呼び出し音が響き渡る。
電話をかけ続けながら自室にたどり着くと、ドア前にスマホを取り出そうとしている彼女がいた。気配に気づきこちらを見て驚く。
「ディア」
名前を言い終わる前に、ディアスはスマホを投げ捨てレナをきつく抱きしめた。強く。二度と離さないように。
「…………今まで、すまん」
自戒を込める。今までの愚かな自分の行いを悔やみながら。
「…ディアス…くるしい」
「………すまなかった」
力は緩めつつ、抱きしめる体勢を崩さないディアスに、レナは不思議そうに問う。
「スマホ壊れてたの? 最近、既読つかなかったから」
「…本気で言ってるのか?」
「?」
一息ついて、ディアスはやっと身体を離した。
「…………おばさんに、今日会って全部聞いた」
「あっ……」
「お前が、バイト中疲れてるように見えたのも、俺のせいで無理してたんじゃないのか?」
ウェスタの目の奥が笑っていない、張り付いた笑顔を思い出す。あれは娘を蔑ろにしたことへの静かな怒りだと、いくら鈍い自分でもわかった。あの顔を見ていると、一生頭が上がらない気がする。
「ちがうの、おかずを作っていることは、本当に負担じゃなかったの」
急いで首を振って否定した後の、言葉の続きを待っていたが、レナは俯いたままで動きがない。
「レナ?」
「……あのね、食器割っちゃった時は、ディアスが来てたでしょ? あの時、なんだかディアス、笑ってたじゃない?」
ディアスが頷いて先を促す。
「その……笑ってた顔にね、他のお客さんが『かっこいい〜』って騒いでてね……私の方がよく知ってるのに、ってモヤモヤしちゃって……それで手元が滑って……」
レナが顔を真っ赤にして両手で顔を覆う。その姿にディアスは衝撃が走る。思わず胸を手で押さえた。
「……おばさんも俺が会った時、相当怒っていたぞ」
若干足元のふらつきを覚えながら、ディアスは疑問を口にした。
「それも……ちがうの……。あの…お母さん、私のディアスへの気持ちとか、ぜんぶ知ってるから…。私がディアスのことでちょっと落ち込んでたりすると……うちの娘にこんな顔させるなんて……ってなるみたいで……」
ディアスはレナの頭上から湯気が出ていのが見えたが、自身もひどく動揺しているので見間違いと思うことにした。
「……。今度おばさんに会ったら、ちゃんと謝っておく」
それこそ誠心誠意。じゃないとこの先が恐ろしい。
冷静さを取り戻すために空を見上げる。気づくととうに日は落ちて、星が少しずつ出始めていた。
「もう遅い。家まで送る」
レナは笑って頷き、ディアスのスマホを拾って手渡した。
並んで歩きながら、レナは顔だけディアスの方を向いて聞いた。
「ねぇディアス、今度はいつ持って行ってもいいの?」
「……お前、意味がわかって言っているのか」
「だって、もういいんでしょ? 私たちって……」
そういうことをしてもいい関係になったんじゃないの。
そんな言葉を伝える代わりに、ディアスの小指の先をレナがぎゅっと握る。繋がった先から、ディアスの反対の手まで痺れる感覚があった。
「……言わなくても、わかるだろう」
「だめ! 女の子はみんな、ちゃんと言葉で安心がほしいんだから」
立ち止まってディアスの前に立って、少し背伸びをして、両目を瞑る。
「ん!」
「……人に見られるぞ、レナ」
答えず動かないレナに、ため息をつく。そして。
「───」
誰にも聞こえないように、耳元で囁くと。
「……私も……」
レナが流した一筋の涙を拭いて、ディアスは口元を手で隠して唇を重ねた。
晴れた日の夜。星がきらきらと輝いて、レナは空からも祝福を受けた気がした。