自由時間に町を歩いていると、服の裾を引っ張られる感触があった。振り向いても正面にはいなかったが、見下ろすと、
「ねぇ、お兄ちゃんは、光の勇者様のお友達?」
背の小さい、二つ結びの女の子がいた。
「……おい、これを何とかしろ」
通りがかったクロードが、女の子と目が合った時に小さく手を振ったのをディアスは見逃さなかった。
仮想空間のエクスペル、故郷のアーリアから程近い見知った町ではあるが、こんな子供がサルバにいることなど、ディアスは全く知らなかった。年齢は不明だが4、5歳くらいだとしたら、村を出て行くまで、赤子時代に顔くらいは見たことがあるはずだ。なのに全く覚えがない。これも仮想だからなのか。
そのくせクロードとは顔見知りであり、えらく懐いている。それは人当たりの良いこいつだから…もあるに違いないが、話を聞いているうちに、“光の勇者様”として、なかなか’壮大な約束をしていたらしい。
「──そうだよ、僕が光の勇者さ」
……力のない者は、蹂躙される一方だ。
だから強くなりたかった。
世界では力が全てだと悟った。
そのせいで、この子供の親も。ディアスは拳を強く強く握りしめる。
「やっぱりお友達だったんだ! さっきね、ペンギン亭でお話してたの、見たんだ」
「そうだったんだね」
クロードは中腰の姿勢を崩さぬまま穏やかに話しかけている。目線を子供に合わせていた。
「僕の友達もな、モンスターを一緒に退治してくれているんだよ」
「じゃあ、お兄ちゃんもいいひとだ!」
ディアスは若干困惑した。善人扱いされるのには慣れていない。マーズのセシルといい、ギャムジーの孫といい、子供に威圧感のある自分を恐れられないことは複雑でもあったが、不思議と嫌悪感はなかった。
「ねぇねぇ、勇者様とお兄ちゃんは、きょうだいいる? あたしはいないんだ、だから、今はおばあちゃんと一緒にくらしているよ」
「一緒だね、僕も一人っ子だよ」
目を輝かせて聞く子供にクロードは律儀に答える。二人の顔がディアスの方を向いた。
「……妹が」
いた、と言い切る前に。
「いいなーっ、おなまえは?」
「…………セシル」
呟いた声に、隣のクロードが苦しそうな顔をする。
なぜお前が。子供の手前、ディアスは言葉を飲み込んだ。
「セシルちゃんっていうんだね。お友達になれたらよかったな」
無邪気な声が心に刺さる。
何年経っても。敵を斬りつけ忘れようとしても。
奥底の淀んだ気持ちは簡単に消えることはない。
「……………もう、いない」
「?」
「ディア」続きを察知したクロードは声をかけたが、
「死んだ」
子供から笑みが消えた。
あの子に思い出させてしまう。クロードは次に紡ぐ言葉を必死で探した。無言の時間が続くかと焦り始めていたところで、彼女は顔を上げた。
「……………でもね、いるんだって」
「……?」
「おばあちゃんがね、勇者様と会って、あの後におしえてくれたんだ」
「? 何をだい?」
「パパやママはね、あたしのなかで生きてるんだって」
女の子は両手を胸に当て、目を閉じて笑う。
「パパやママが本当にしぬ時は、あたしがパパ達を思い出さなくなった時なんだって。もう、あたしの目の前にはいないけど、思い出すだけで、あたしの中で生き続けるから。いつでも会えるから、大丈夫なんだよ、って」
クロードの脳裏に、最後に会った姿が浮かぶ。
“しばらく見ないうちに、たくましくなったな”
──────父さん
涙が零れ、膝から崩れ落ちそうになった瞬間、視界が急に暗くなった。瞼を押さえつけていた両手に、布の感触。
ディアスのマントが頭の上から被さっていた。
「あれ? どうしたの?」
「……靴紐が解けたから、恥ずかしいらしい」
少しだけしゃがんで、彼女には聞こえないくらいの小声で。
───お前は、勇者様なんだろう。
挫けた姿を見せるな。不器用な配慮に、涙と笑いが同時に漏れそうになる。両目を急いで拭いて、クロードはしっかり立ち上がった。
女の子と別れ、仲間と落ち合うため、並んで歩きながら、クロードはぽつりと言った。
「僕の方が、あの子に励まされてばかりだな」
「……子供というのは、時にこちらが教わるようなことを言うからな」
クロードが足を止める。ディアスもそれに続いた。クロードが思い出したように、ふふっと笑う。
「ディアスって、無愛想な割に、子供に好かれるよな」
「……好かれているかはわからん」
「………。ディアスは、もう大丈夫、なのか?」
問いながら、まっすぐに目を見つめる。ディアスはしばらく思案しているように見えた。
「どうだろうな…。急に泣いてしまう誰かに比べたら、な?」
ニヤリと笑う。クロードはかあっと顔が赤くなるのを感じた。
「……なぁディアス、さっきの絶対、レナには言うなよ」
「さあ、な。善処はしてやる」
マントを翻し、先にディアスは足早に歩き出す。
町の入口では二人以外は既に揃っていた。レナが気づき、両手で大きく手を振るのが見える。おいっ、と慌てるクロードの声が背後からした。
思い出す、か。
ディアスの頭の中にいたセシルの顔は、霧が晴れたような爽やかな笑顔だった。
いつか、自分がいなくなることがあれば、この男に思い出してほしい。何となくそう思ったが、クロードにはまだ言うまい。
旅はまだ途中なのだから。