授業が終わった昼下がりの自室。マッシュは勉強疲れを取るために習慣の山盛りシュークリームを頬張っていた。隣でわんこそばの給仕のごとくレモンが予備を持って控える。ランスは自前のエプロンを着用しており、正面にあるペラペラした布をめくり上げるとプリントされた妹の顔が現れる仕掛けをドットに自慢していた。フィンは好き勝手している面々に泣いていた。
「平和ですな」
もっもっもっ。独特の効果音が延々とマッシュの背後で流れる。
「平和デスナー、じゃねえよ! お前今日の授業も力業で誤魔化してただろうが。俺がカバーしてやったから良かったものをよ」
「ごめん、それはありがとう」
「ぼくは実技より筆記の方が心配だけどなぁ…」
「また皆で教えますからね、マッシュくん♡」
「アンナ、心配するな、お兄ちゃんはいつも通りだ」
「ランスお前、エプロンの妹に話しかけるのやめろよ……さすがに引くわ…」
「ふざけるな、妹だぞ。むしろ好意で見せてやることに感謝してひれ伏せ」
以前レグロが友人に囲まれたマッシュを見て涙ぐんでいたが、最早マッシュとフィンの部屋にこのメンバーが集まるのは日常となっていた。
立ちはだかる敵を悉く拳一つで粉砕していくマッシュの姿を、はじめは唖然とした顔で見ていたものの、慣れとは恐ろしいもので、目に余る悪態をつくような生徒と出くわしてしまうと逆に相手に同情するまでになる。もっとも、マッシュから手を出すことはない。遭遇した時に一緒にいる友人が絡まれてしまわない限りは。
「いるか、マッシュ・バーンデッド。ちょうどいい、そこにドット・バレットもいるな」
レインが開きっぱなしの部屋の前で声をかけ入ってくる。ドアがまだマッシュのおかげで直っていないからだ。
「うす」
「どうしたんすか? 監督生自ら」
「お前ら、座学の先生から伝言だ…すぐ学校に来いとな」
ギロリと横目で睨みつけながら言った。
「寮の風紀を乱すようなことであれば……わかってるな?」
「わかった、今度はうさぎの形でシュークリーム作ります」
「…………」
レインはテーブルに乗っている山盛りのシュークリームをちらりと目で追うと、頭の中で飼っているペットの顔を想像して、無言で去っていった。
「あ〜~やってらんねぇな〜。絞られた絞られた」
「長かったですな」
職員室を出て、二人で廊下を歩きながら怒られた顛末を思い出していた。
魔法薬学の授業で確実に当てられることを予期したマッシュが、杖で無理やりシュークリームを形作り、隣の席のドットにこれをやるから代返をしろと半ば強要したのがばれたのだ。
「いやお前のせい……。もういいわ、さっさと帰ろうぜ」
両手を組んで後頭部に当てつつ欠伸をして歩いていると、すれ違ったレアン寮のローブを着た男子生徒が、ニヤニヤしながら振り向いた。
「お、噂の魔法不全者くんじゃーん」
悪意に満ちた声色に、ドットの耳がピク、と動いて止まる。
「あぁ?」
「よく来れたよねぇ。俺だったら魔法が使えないなんて、恥ずかしくて街を歩けないのに」
「てめぇ、コイツがいなかったらあのデケェ化物にやられてたかもしんねぇのに、よくそんな口が利けるなぁ?」
初めてイノセント・ゼロが学校に襲撃してきた時、撤収間際に数十メートルの言葉が通じない化物を置き土産にしていった。誰もが絶望した中、魔法が使えないマッシュが綱引きをして倒してしまったことは最近の話で、一丸となって応援していた生徒たちの記憶には新しいはずだ。
「気に食わないんだよ……。あんなに魔法が使えない奴がなぜ称賛される? 俺は由緒ある名家に生れた貴族なんだぜ。ふざけてるにも程がある」
「いっちょやっちゃいますか」
マッシュは拳をつくり指をポキポキ鳴らしたが、隣でドットが前に出るのを制した。
「やめろ、お前は校内でこれ以上問題を起こすな。…てめぇ、それ以上言うなら俺が相手になってやるよ。──十回死にてぇならな」
課外授業で使った森に移動した。ドットの頭の中に、シルバと対峙した時の苦い記憶が蘇る。
情けねぇ姿を見せちまった。でも今は違う。
「さっさと終わらしてやらぁ! エクスプロム!」
ドットが素早く杖を振るった。眩い火の玉が飛ぶ。
「ビースタル!」
空を通り抜けようとしたカラスが魔法に当たると、巨大化し、目の色が赤く変わり鋭くなった。咆哮を上げてドットの火の玉を受け止めて爆発する。
「なんだあいつの魔法は!?」
「俺の魔法“ビースタル”……どんな生き物でも凶暴な獣化をし、主を守り続け、戦うのさ! 倒れるまでずっとなぁ!」
「ぐっ…普通の動物を犠牲にしてやがんのか!」
「オラオラぁ、さっきまでの威勢はどうしたあ? さっきの魔法でやっつけちまえばすぐに終わるんだぜぇ?」
「ならてめぇを先にやっちまえばいい話だ……! エクスプロム!」
「オラ主を守りやがれ!」
再び放った火の玉は、本人に当たる前にカラスがぶつかりに行き爆発して消えた。魔法が解けたカラスが身体から煙を出して倒れる。
「畜生!」
動物を虐げる罪悪感がドットにのしかかる。動けない。
「なんだぁ、もう終わりか? ならこっちからいくぜ! ビースタル・デュオ!」
今度は草むらの陰にいた猫二匹が魔法に当たった。野太い奇声をあげ、鋭く伸びた爪でドットを無数に襲う。身体中を牙で嚙み続ける。
「ぐわああああああ!」
「あっはっはっは、弱い奴をいたぶるのは楽しいなぁ!」
高笑いが静かな森の中で響いた。傷だらけのドットが血を吐きながら膝をつく。
「くそっ…俺はまだあの時の弱いままなのかよ…」
“……らしくな”
ここで、同じ場所でシルバとローエンを叩き潰したマッシュが、自分のお礼に返した言葉。
「弱ぇ弱ぇ弱ぇ! 何もできねぇヘタレだなぁ!」
あらゆる箇所から血が噴き出る。地面に、握りしめた拳を引きずった跡がついていく。
「大見得切って、前の借りを返すために、あいつをかばってやるつもりだったのによ……こんなクズ野郎一人倒せねぇようじゃ、ダチ失格じゃねえかよ……くそおおおおおおっ」
「大丈夫」
一瞬風が横切った。その直後、頬をぶん殴る音。
「え……?」
殴られたことも気づかぬまま吹っ飛び、背後の樹木に背中を打ち付けた。マッシュが一歩ずつ近づきながら言う。
「動物たちがみんな教えてくれたよ」
「ひぃっ……」
マッシュの笑っていない目が光る。
「仲間たちがあんたのせいでたくさんやられた」
膝を屈めて、その場でジャンプの体勢をとると、
「あんたこそが一番のクズ野郎だってね」
鬱蒼とした森を超えて飛び上がる。
「ニュープロフェッショナル魔法─────ダイビングドロップ」
空から落ちてきた勢いのまま拳を顔正面にめり込ませ、背後の樹木を何十本もなぎ倒し、それは崖の壁にぶつかって止まった。
「………弱い奴って言うな」
見下ろしたまま、マッシュはパンパンと手の埃を払う。そして倒れたドットを起こした。手に持っていた何かを塗る。
「ごめん、一回近くまで行ったんだけど、その鳥さんの手当したほうがいいかと思って、傷薬取りに行ってて遅くなった」
「お前……派手にやっちまったけど大丈夫なのかよ、内申…」
「校長先生がいて、鳥に免じて許してくれるって」
「けっ、運のいい奴」
ドットが軽く笑ったのを見て、マッシュは少し安心したような息を吐いた。ドットを立ち上がらせる。
「帰ろう。ランスくんもフィンくんも待ってる」
「俺の愛しのレモンちゃんが抜けてんぞ………いててていてぇよお前その担ぎ方おかしいだろ米俵じゃねぇんだぞ!」
「だってこうしないとシュークリーム潰れるし……」
マッシュに抱えられながらドットは唾を飛ばしたが、そのまま無視して走り出した。
“ダチ”
この一言が力を与えてくれること、ドットには照れくさいので秘密にしておこうとマッシュは思った。