後日、アビスは秒殺された その日の魈は、素材が欲しいのだと言う空の要望で、翠決坡と遁玉の丘の間に潜む爆炎樹を狩りに行っていた。必要数集まったと喜ぶ空を眺めていたら、ふよふよと宙に浮かぶパイモンが言笑の料理が食べたいというので望舒旅館に戻ろうとしたのだ。
魈が空と恋仲になってから、空は以前にも増して望舒旅館を訪れるようになった。
最近はスメールでの騒ぎに巻き込まれていたらしく、しばらく顔を合わせていなかったが、それも一段落して足りない素材があったから一旦璃月に戻ってきたらしい。スメールの動乱はまだ解決出来ていないようで、数日すればまたスメールに戻るのだと空は言った。
テイワット各地に点在する、空にだけ使えるワープポイントなるものを使えばスメールと璃月の移動も楽になるのだそうだ。そのワープポイントも、空は乱用するのもよくないし、旅の楽しみが減るからと、活用はするが頻繁に使いすぎることは無かった。道中の魔物を狩るのも大切らしい。だから、望舒旅館に戻るにも徒歩で行くことになって、その道すがらに、アビスの魔術師が二体怪しげな行動を取っているのを見つけたのだ。
アビスの魔術師らは数体のヒルチャールを従えて何やら儀式を行っているようだった。璃月に害をもたらすというのなら魈に連中を見逃す理由などない。同じように、空にも奴等を見逃す理由はなく、それぞれ片手剣と槍を手にアビスの魔術師とヒルチャールに襲いかかった。
たいして強い個体でもなく、取り巻きのヒルチャールを早々に撃破し、バリアを破ったアビスの魔術師にそれぞれとどめを刺したところに、空が死角から魔術による攻撃を受けた。
呻き声をあげた空をぽふんっという音ともに白煙が包み込んだ。アビスの魔術師が使う攻撃はおおよそそれぞれの元素に対応した魔術で、白煙に包み込まれるような攻撃は魈も初めて見るものだった。それに気を取られた瞬間に、瞬間移動してきた別のアビスの魔術師から魈も同じ攻撃を食らってしまったのである。
軽快な音ともに煙に包まれ、不覚だったと唇を噛んだのは一瞬だった。切りかえて視界を遮る煙を払おうと槍を振るったと思ったところで、自分の身が異変に包まれていることを認識した。
振るったはずの腕は短く、握っていたはずの槍はない。空?!魈?!と自分たちの名を必死に呼ぶパイモンの声に混じって、にぃー、と愛らしい鳴き声が聞こえた。ゆっくりと時間をかけて白煙が晴れ、ようやく周囲が見えたところで、魈は自分の背丈が異様に低くなっていることに気がついた。普段ならはるか下にあるはずの草が近い。ぐるりと周りを見渡しても空の姿はなく、煙が晴れても未だに空と魈のことを探しているパイモンの姿だけがある。先のアビスの魔術師はとっくに逃げたようで姿も見えなければ気配もなかった。
「そらー!魈も、どこに行っちゃったんだー?!」
戦闘があった周囲をぐるぐると探し回るパイモンに、我はここだと返そうとして――――――
「にゃー」
己の声帯から放たれたのは、なんともまぬけな猫の鳴き声だった。
唖然として、先程まで槍を握っていたはずの己の手を見れば、丸っこく、暗緑色の毛に包まれている。ばっと全身を見れば、体全体が同様に毛に覆われていて、視界の端に見慣れないしっぽがチラついた。
「にゃっ、にぃ、にっ」
遠くから、別の鳴き声がする。
「え、猫?……なんで猫がいるんだー?!」
おそるおそる、パイモンは茂った草の中に小さな腕を伸ばしたようだった。幼子の腕にすっぽり収まるように抱かれたそれはさらに小さかった。
ふわりと宙に浮いたパイモンがすくいあげたのは、金色の仔猫だった。
「ぴぃ、にぃー」
「この猫が首につけてるのって、空の耳飾り……おまえ、空なのか?」
「みゃーん」
「そ、空が、猫になっちまったーーー!!」
草原にパイモンの叫び声が響き渡る。その大きさに驚いたのか、彼女の腕に納まっていた空はその身をよじらせ空中に逃れてしまった。
パイモンが大した高さまで浮上していなかったからか、危なげなくしゅたっと地面に着地した仔猫はその勢いのままパイモンから離れようと駆け、未だ唖然としている魈の方に向かってくる。
そら。と呼びかけようとした声はやはり「にゃん」というまぬけな音に変換されたが、それでも仔猫は自分のことだと認識できるらしく、怯えを滲ませながら魈に擦り寄った。
「もう一匹猫がいる……もしかして魈なのか?!」
「にゃおん」
聞くに堪えない己の鳴き声は考えないことにして、肯定の意図を込めて返事をする。
「どういうことだよーーーっ!!」
再び響き渡った叫び声に驚いた空(ねこのすがた)があらぬ方向へ走りさろうとしたので、魈はすばやくその首根っこを咥えて止めた。
それがまるで本物の猫のようで、パイモンはうっかり、魈って本当は猫なのか?と言ってしまったのだけれど。
残念ながら人の言葉を話せない今の魈には反論のしようもなく、にゃーと不満気な鳴き声をこぼすしかなかった。