柵は思ってる倍は高く作れ テイワットを旅する空の持ち家である塵歌壺は、産まれた双子の子供のためにところどころリフォームされた。
まず、ありとあらゆる角にぶつかっても大丈夫なように緩衝材が取り付けられた。さらには吹き抜けの柵は登って落ちてしまわないように以前より高くなった。高くなる前は酔っぱらったウェンティやカーヴェがよく落ちていたものだが、これで彼らが落ちてしまうこともそうないと思いたい。普通の子供ならよほどのことがなければ落ちようもないだろう。
酔っぱらっていないカーヴェにアドバイスを貰って設計した新しい柵は空の胸あたりの高さになったし、足をかけられるような装飾も取っ払った。まあ、安全性を優先するのだから無骨なデザインでもいいかな、と考えていた空と芸術に興味のない魈はそのままでいいと思っていたのだが、建築デザインに余念のないカーヴェは二人を置いてけぼりにして、凹凸のない素朴な柵に美しい絵を描き上げた。璃月風の落ち着いた色合いの幾何学模様に染められた柵に空と魈は感動したものだ。スメールの天才建築家は画家の才能もあるらしい。その礼に空はカーヴェに酒を振舞ったし、魈も仙人秘蔵の酒を注いだ。
各国の美酒たちに上気分になって、揃って酒豪な仙人たち秘蔵の酒(かなり美味しく飲みやすいわりに度数が高い)にとどめを刺されて前後不覚になるまで酔っぱらったカーヴェは自作の柵から落っこちて魈に救出され、呆れかえったアルハイゼンに回収されていったが、彼が落ちたのはその高身長のせいだと思う。回収されてスメールに戻る際にカーヴェも「僕は落ちたけど!君たちや小さな子供は落ちない高さだから大丈夫だ!」と叫んでいたから問題ないだろう。
ここで、親である空も魈も天才建築家も予測できなかったのは、夜叉の血を引く赤子が、普通の赤子よりずっと身体能力が高かったことだった。後日、あくまでカーヴェの設計は人間基準だったゆえの悲劇だったと空はフォローしたが、天才建築家はずずぅんと落ち込んでヤケ酒で泥酔して、呆れるを通り越して無表情のアルハイゼンに回収される時に「次は仙人の子供でも神の子供でも安全な設計にするからな!」と叫んで帰っていった。
産まれてもう一年も過ぎた双子の兄妹は、空と魈それからたくさんの旅の仲間たちからめいっぱいの愛情を受けてすくすく育っていた。最近歩くことを覚えて活動範囲が広がった子供たちは好奇心に導かれるままにあっちへこっちへ歩き回っては、御守りのパイモンを冷や冷やさせている。しかし、歩くことができるとはいえまだはいはいばかりの子供である。階段の昇り降りは空や魈に抱えられてばかりだから、妖魔狩りで魈がいない時は空がいる階で遊んでいた。
ある日の昼、今日も今日とて璃月を護りに行った魈を見送った空は厨房でおやつ作りに励んでいた。子供たちが離乳食を食べ始めてしばらく経ったが、まあ食べるよく食べる。そこは主食が杏仁豆腐の父親の食欲ではなく、空のほうを受け継いだらしい。健やかに育つためだけでなく毎日動き回るためのエネルギーを摂取しなければならない双子は、昼ごはんにお粥やお肉をたんまり食べても食べ足りず、八つ時になると空腹に揃って泣いた。だから、空は朝昼晩の離乳食に加えて午後のおやつを作らなければならないのだった。
もちろん、手作りおやつといっても毎日ではない。空は旅人で、モラは自分で稼がなければならないのだ。テイワット中の友人たちが援助をしてくれてはいるが、頼りきりもよくないので程々に留めてもらっている。まあ、だから、かわゆい子供の面倒をずっと見ていたくともそうはいかず、依頼を受けた時は魈か、都合がよくない時は仲間の誰かに預けている。
この時の預け先は璃月の仙人だったり、頼れる父親の先輩卯師匠(あの香菱を立派に育てたのだから、空も魈も親の先立として敬っているのである)だったり、信頼と実績のアカツキワイナリー(あの義兄弟を育てたといっても過言ではないアデリンに任せれば心配無用である)だったりする――――――これに璃月の頼れる大人代表鍾離は含まれない。一度預けたら、服やらなにやらたくさん買い与えてしまって、それを全て往生堂と北国銀行に請求したものだから申し訳ないので――――――まあつまり、こういう時は璃月港で買った菓子を渡しているのだ。
しかし、今日は依頼がない日だ。最近は依頼が詰まっていて、留雲借風真君に預けている間ずっと市販品だったからその分豪華なおやつにしようと空は張り切っていた。
「杏仁豆腐と~、果物は昨日魈が採ってきた夕暮れの実があるからそれと、リンゴと~……」
「コレイに貰ったザイトゥン桃もあるぞ!」
「ありがとうパイモン。子供たちは寝てる?」
「ああ!ぐっすりだ!」
作業していた空の傍に桃色の果実を転がしたパイモンは星屑の光を散らしてにっこりと笑った。
双子は寝室でぐっすりすやすやとお昼寝していることだろう。
「子供たちと遊んでくれたいい子のパイモンには余った果物をあげよう~!」
「やったぜ~!へへっ」
お昼ごはんを食べて、いっぱい遊んでから子供たちは昼寝をする。そしておやつ時になると起きてくるのだった。だから、おやつを完成させて起きるだろう時間になるまでの間、ふたりはずっと談笑していた。
「あっ、そろそろ起きてくる時間じゃないか?」
そう言って、パイモンは壁に掛けられた時計を指さした。
「本当だ……そろそろ様子を見に行かなくっちゃね」
椅子から立ち上がって、厨房の扉に手をかける。子供たちが寝ている寝室は二階にあるから、吹き抜け越しに二階に目を向けようとして――――――
空は目を見開いて、一瞬思考を停止した。
空の愛おしい子供たちは、高く作られて登れないはずの二階の柵をよじ登って乗り越えたらしい。柵を越えてしまった幼子二人は、重力に導かれるままに落下していた。
それを視界に映した空は、口の中から全ての水が失われたような心地になって、全身から血の気が引いていくのを感じながら、次の瞬間には空の足は木の床を蹴って、前のめりになって飛び出していた。
(――――――まにあわなっ)
「……しょ、うっっ!!」
咄嗟に、本当に咄嗟に、カラカラに乾ききった空の口は番の名を紡いでいた。
次の瞬間。
腕を限界まで伸ばしたままべしゃりと床に崩れ落ちるはずだった空の身は細くもしっかりとした腕に抱えられていた。
「……は、無事か?空」
恐る恐る目を開けると、魈の顔がすぐそばにあった。心配そうに覗き込まれてぽっと赤く染まりそうになった頬は、しかし急降下したように青ざめる。
「――ぁ……子供たちはっっ?!」
魈の腕から飛び上がるようにして体を起こす。
「安心しろ、無事だ。ここにいる」
魈が空を支えていたのとは逆の腕の中を示せば、子供たちが、ついさっき落っこちたというのに!けらけらと二人で顔を見合わせて笑っていた。傷ひとつないその様子にすっかり脱力して魈にもたれかかる。
「はあ……よかったぁ……ありがとう魈。魈が間に合わなかったらどうなってたことか……」
「空が我を呼んだからだ。そうでなければ、我はここにいない。……肝が冷えたな」
めったにみせない狼狽を顔に乗せた魈は、片手ずつにおさめた大切なものを優しく抱き寄せた。
「……ごめん、魈。俺がちゃんと見てなかったから……」
「違うんだ!オイラがきちんと見てなかったせいだぞ!空は悪くない!」
「いいや、どちらのせいでもない。子供たちのすることを甘く想定していた。次から気を付ければ良い、そうだろう?」
すぐ冷静になって、自分を責める空とパイモンをなだめながら、魈は片腕の中から抜け出そうとジタバタ暴れる子供たちをそっと床に降ろした。
「……そうだね。次からは対策を立てなくっちゃ」
「いいこと言うじゃないか魈!……それにしても、こいつらどうやって柵を登ったんだ?二階の柵はカーヴェが登れないように作ったはずだろ?」
どうやって登ったんだ?と尋ねてみても、自由になった子供たちは「おやつは?」「まんまは?」なんて、三人の疑問を置いてけぼりにして三時のおやつを強請った。時計を見れば、いつものおやつの時間はとっくに過ぎていた。
「お前らなあ、危ないことはしちゃだめなんだぞ!!」
パイモンはぷんすかと頬を膨らませると、パイモンよりも小さい子供の目線に合わせて下降して、両手を腰にあてて怒った。なんとも彼女らしい、可愛らしい怒り方だ。けれど、子供たちは分かっていないのか聞いていないのか、またけらけらと笑いながらパイモンから逃げるように空に抱き着いた。
「まま、おやつ!」
「おやつー!」
「うーん、お話は後でにして、先におやつにしよっか……」
仕方ない!とにっこり笑って、空は服の裾を引っ張って抱っこをせがむ双子の妹の方を抱えて立ち上がった。兄の方はと言えば、魈の衣装の裾を握って――――――こちらは紛らわしいことに抱っこの要求ではない――――――おやつを今か今かと待ち構えていた。
「今日のおやつは杏仁豆腐アラモードだよ!」
「……なんだそれは」
聞いたことのない名称に魈が聞き返せば、すっかり気を持ち直した空はふふん、と得意げな顔を浮かべる。実物を既に知っているパイモンと、杏仁豆腐に反応したらしい双子は揃って目を輝かせていた
「プリンアラモードの杏仁豆腐バージョンです」
「すっごい美味しそうだったぞ!」
「すごく上手にできたんだ。魈も食べるでしょ?」
子供たちの持つ能力だとか、柵をどうすればいいのかだとか、考えなければならないことはいっぱいあったのだけれど。当然とばかりに、本来ならばこの時間にいないはずの自分のぶんも用意していた空がとても愛おしくて。
「もちろん、食べる」
魈はとりあえず、考えるのを後回しにしたのだった。
そして、カーヴェが事の次第を聞いて叫んで帰っていったさらに一週間後。
幼子の脅威の身体能力によって乗り越えられてしまった柵は、建築家の謎のこだわりを発揮したカーヴェによって文化財もかくやというデザインの柵が天井まで延ばされるのだが。
たくさんの果物で飾り付けられた杏仁豆腐アラモードを堪能していた空たちは全く考えもしていなかった。