薬屋と傘屋。 カランコロン、カランコロン
雨水を踏み締めた下駄が、裾にシミをつくる。
カランコロン、カランコロン
稼いだ小銭が心許なさそうに手の中で揺れる。
カランコロン、カランコロン
穴が空いた番傘から落ちる雫で、髪が肌に張り付く。
カランコロン、カランコロン
カランコロン、カランコロン……
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「助けてくれ!!」
土砂降りだというのに、その声は庭を越えて家の中によく響いた。
今家には僕しかいない。両親は少し遠くの領主の元に医者として赴いている。薬屋の家に来たということは、確実に病に侵された人間がいるのだろう。薬材を碾いていた手を止め、庭へ出る。
お世辞でも裕福とは言えない、使い古した粗末な着物と、お手製だろうか、ボロボロの番傘を持った同い年くらいの少年が立っていた。肩で息をしながら、明らかに少ない銭を頸が見えるくらい頭を下げて差し出してくる。
「妹が、妹の咳が止まらないんだ、水も飲めなくて、呼吸もままならないし、声をかけても目線が合わないんだ。頼む、無理言っているのはわかる、絶対にお金は返すから、妹を、助けてください……!!」
親からは、きちんと報酬を払う人を相手するようにと言い聞かされてきた。薬の単価は高く、その日その日で食いつなぐような人では一生かけても薬代を払えないからだ。しかし僕は、まだ幼いからだろうか、目の前で嗚咽を漏らして必死に懇願する人を無碍に追い返すようなことはできなかった。
妹さんの症状を詳しく聞かせて、準備するから。と言えば、少年はパッと顔を上げる。
町を覆い潰すような雨の中で目立つ、黄色の髪に縁取られた目は、とても綺麗だと思った。
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親への反抗心もあった。僕には夢があったが、自分以外子供がいないため、薬屋を継ぐのは必然的に僕しかいなかった。彼からお金を受け取るつもりはなかったし、親が帰ってくるのも明後日だ。バレようがバレまいがどっちでもいい、練習だとでも言っておこう。僕の部屋よりも狭い家の中で、苦しそうに息をする少女を診察しながら心の中で呟いた。
例の彼は、少女の手を握りながら「さき、さき」と絞り出したような声で呼びかけていた。家の広さや物を見た感じ、親は居らず二人暮らしなのだろう。ある程度の薬は置いて帰るつもりだが、なくなってしまったらもう、どうにもしてやれない。
親の教えを頭の中で唱えて、薬籠から手早く薬を調合する。持ってきた軟膏を胸の辺りに塗ってやれば、幾分か気道が開いたようで、少女の顔色が少し良くなった。
一人で診察をするのは初めてだったため、多少の緊張を持って手を動かす。気がついたら外の雨は彼が来た時より静かになっており、僕も薬籠を閉じて道具を片した。終わったことを告げると、静かに寝息を立てる妹を安心したように撫でていた彼が顔を上げる。
「ありがとう。心の底から感謝する。お前のおかげだ」
「構わないさ。今回はたまたま対応できたけど、きっと次はない。薬を少し置いていくから、苦しくなったらすぐに飲ませるように」
「ああ、ああ!わかった!」
お礼を、と差し出された銭袋を断る。元から貰うつもりはなかったが、彼は納得できなかったらしい。なにもお礼せずに帰すことはできないとはっきり言われ、困って視線を泳がせたらある物に目がついた。
「君、傘屋かい?」
「ん?ああ、見様見真似の素人だがな……和紙を綺麗に染められれば、どんなに汚い服を着ていてもそれを一蹴してくれる。見上げるだけで笑顔になれる。傘は好きだ」
傘によって狭くなる視界が、自分を周りから隠してくれているように思うのだろう。わからないでもない、と思った僕は並んでいる傘を一本とった。
「なら、これをお礼として頂こうかな」
彼の大きな瞳が瞬きをする。
「いいのか?そんなもので」
「素敵だよ」
荷物を背負って家の扉を開ける。雨は降っているものの、少し明るくなった空を見上げると、後ろから「あっ」と大きめの声が聞こえた。
「こんなに世話になったのに、名乗り忘れていた!オレは天馬、天馬司だ」
「司くん、ね」
真っ直ぐとこちらを見つめる目は、やはり綺麗だ。
「僕は類。神代類。それじゃあ、お大事にね」
ありがとう!と薄い壁の長屋二つ先まで届きそうな感謝の言葉を聞きながら、扉を閉めた。僕の家に来た時も思ったが、彼は元から声が大きいらしい。
家から持ってきた番傘ではなく、お礼として受け取った番傘を開いて歩き始める。
「うん、やっぱり綺麗だな」
彼の瞳を思わせる夕陽の色をした番傘の下で、神代類は笑みをこぼした。