40 鍾魈とある休日の正午。週末に片付ける家事がひと段落ついて、一休みしようと魈はソファに座った。ちなみに鍾離は次の原稿について打ち合わせがあるからと出かけていて、部屋には魈ひとりだけが残っている。
ガラス窓の開いた網戸から入ってくる風はちょうどいい温度で、カーテンを揺らし、魈の眠気を誘った。
『戻るのは十三時頃になる。待っていてくれるなら、昼食は俺が作ろう』
『そのようなお手間は……我が準備しておきますので』
『それはそれでありがたい申し出だが、ここ最近はお前に頼り切りだったからな。そろそろ落ち着きそうだし、手始めに料理を振る舞いたいんだ』
『……わかりました。それでは、楽しみにしてます』
壁に掛かったアナログ時計が秒針をすすめている。それは鍾離が戻るまであと一時間弱であることを知らせていた。
「…………」
十五分だけならいいだろうかと、のそり、ソファに横になる。テレビもつけていない室内は静かで、時折カーテンが窓ガラスと擦れる音が聞こえる程度だった。
重くなった瞼を下ろして、それから。
「――――……あの。鍾離、様?」
次に目を覚ました時。視界に映ったのは鍾離の顔で、
「ああ、おはよう。よく眠っていたな?」
さらにどういう訳か、膝枕をされている状態だった。
驚きのあまり飛び起きるではなく硬直してしまう。ちらと時計を見れば、鍾離が予告していた帰宅時間よりさらに一時間針が進んだ後だった。
「も 申し訳ありません……何時ごろお帰りに?」
「ついさっきだよ。予定より打ち合わせが押してしまったんだ。一応お前に電話もしたんだが応答はなかったし、珍しいなと思って帰ってくれば、ソファで居眠りする姿を目にしてな。起こすのも忍びなかったから、そのまま寝かせておいた」
「左様で……あの、すみません、全く気づかず……お待たせしてしまって」
帰宅してからまだあまり時間は経っていないようだが、それでも居眠りを続けた結果、鍾離の昼食は後ろ倒しになっている。起こしてくれても良かったのにと眉を下げたが、鍾離は手のひらで魈の額を撫でると笑って返す。
「お前の寝顔を見たくてそのままにしておいた、という理由もあったんだ。こうして膝上に乗せておけば、より近くで眺められるし……時間も忘れて魅入っていた。それでつい、起こせなくなった」
「……、…………そう でしたか」
急に恥ずかしくなってきた。寝顔を見られるのは今回が初めてではないものの、改めて口にされると変な顔などしていなかったか、涎など垂れていなかったかどうか、色々気になってきてしまう。
ひとまず目が覚めたことだし、この体勢をどうにかしなければと魈が上半身を起こそうとすると、鍾離が「まだだ」とやんわり阻んでくる。
「もう少し、このままでいさせてくれ」
「で、ですが鍾離様のご負担に……」
「なっていない。……だから、そうだな。あと十五分程、このままでいさせてくれないか?」
「――……鍾離様が、望むのならば」
頬にかかった髪の毛先を指で絡め取られて、はらりと流される。くすぐったくて身を捩ると、頭上から嬉しそうなため息が落ちてきた。どこか甘さをも感じる吐息に、きゅうと心臓が狭くなる。
こちらを見下ろす瞳はどこまでも穏やかで、美しい。じっと見つめられていると、またふわふわと意識が溶けそうになってしまう。二度寝だけはしないようにと気を張ろうにも、鍾離の指先が輪郭を撫でるたびに糸を緩めてしまうから、何度も張り直すことになる。その葛藤が滲み出ていたのか、鍾離は魈の両眼に手のひらをかぶせて、小声で囁く。
「あと十五分。……もう一度、眠っていなさい」
暗くなった視界によって、また瞼が重くなる。鍾離の匂いがずっと漂うのも手伝ってか、余計に眠気が濃くなってしまう。
十五分だけで済むだろうか。自信がない。どちらかというとまた延長になってしまいそうだ。そしたら昼食を逃してしまう。自分だけならともかく鍾離を待たせるのは良くないと理性はずっと語りかけてくるのに、そうだと応じられなかった。
まどろんでいく意識の中。なにもできない自分も今は許されているような気がして、魈は鍾離の言葉のままに、もう一度眠りの世界に向かうのだった。