マシンボディユとキのif話 鉄のひしゃげる音がした。
次の瞬間、体は派手にふき飛ばされてどこかに頭を強く打ち付けていた。眼球におさめられたカメラが中途半端に潰れ、不規則な明滅を繰り返している。
同時に、ぶつけた頭部だけではなく、自動車と呼ばれるこの世界の乗り物に衝突した手足や胴体もいくらか破損しているであろうことを悟る。見えず、触れず、色々な感覚も今は頼りないものだけれど、だからこそ、それくらいは分かった。
キリトは無事だろうか。
視線を動かして彼の姿を探そうとしたが、視界は固定されたみたく同じ方向を映し続けている。ままならない。思わずため息をつきたくなる。
先ほどから自分の体はバチバチと赤い火花を散らすばかりで、一つも思うように動かせなかった。そのくせ、不思議と体のどこにも痛みはない。
触覚を司るセンサーが破損したのかもしれないし、元より強い痛みは感じぬよう設計されているのかもしれないし、はたまた他の複数の要因が絡んでいる可能性もあった。自分の体のことだけれど、僕はそこまで詳しくないのだ。専門的な説明を受けても理解できるだけの知識の土壌がまだ育っていないから。
痛みを感じない体に思うところがないではないが、今はそのおかげで思考にリソースを割く余裕がある。そして、焦燥がつのる胸の内でどうか無事であれと絶えず祈っていた。つもりだったことを知る。
ぶつり。
突然意識が途切れていたことに、目が覚めてから気づいた。直後、随分狭くなった視界の端で、背広の男の背中と親友の姿を捉える。
真っ白い画用紙に水気をたっぷり含んだ筆を乗せるみたいに、心のすみずみまで安堵が広がった。
よかった。キリトは無事みたいだ。今度は、手が届いた。届いたんだ。あの時とは違う。途端にふっと気が緩まる。
ああ、でも、咄嗟にかなりの力で彼の手を引いたせいで、その拍子にどこか怪我してしまったかもしれない。あの世界のキリトならそんなことにはならなかっただろうけど、こちらの世界のキリトはどうやら格別体幹が優れているわけではないようだから。
背広の男はどこかに電話をかけている様子だったが、声までは聞こえない。そして、キリトはたぶん自分に向かって何かを伝えようとしてくれている。口をぱくぱくと開いて閉じて繰り返しているのが見えた。
その懸命な姿に申し訳なさを感じる。普段通りに表情をつくれたなら、今ごろ眉を八の字に歪めていたところだ。
ごめんね。お前が何を言っているのか聞こえないんだ。
キリトの言葉だけじゃない。周囲はとても静かで、ユージオの耳には何一つ音が入ってこなかった。いつの間にやら聴覚機能も停止してしまったらしい。
せめて心配はいらないとそう返事ができたらと思い声を出そうとしているが、意味ある言葉を発せられているのかどうかも怪しい出来だった。こればかりはもうどうしようもない。
また意識が落ちる。昏倒と覚醒がたび重なり、覚醒している間の時間も段々と狭くなっていく。
このまま僕が一人寝込んだら、アリス一人に負担をかけてしまう。GGOでシノンに先生をしてもらう予定も台無しになった。用意されたカリキュラムにも、遅れをとるだろう。クラインの目当てのアイテムが落ちるまでクエストに付き合う約束も付き合えない。
上手く考えがまとまらず、あちこちに思考がずれていく。体から切り離された細い意識の糸が、近いような遠いようなどこか薄ぼんやりした場所へ手繰り寄せられる奇妙な気配があった。微睡みに似ている。久しぶりに何だか眠いなと思った。
暗転。
○●○
「弁明を求める」
ラース本社ビル、ユージオに与えられた個室で数週間ぶりに顔を合わせた親友からかけられた第一声がそれだった。彼にしては珍しく判然としない言い方をする。
「弁明って……?」
「どうしてユージオは飛び出してきた車から俺を庇ったのか、についての弁明だよ」
ああ、弁明とはそのことか、とユージオはキリトの言いたいことを概ね理解する。
数週間前のある日、外出許可を得たユージオは行動計画を提出した上でキリトと町に出かけた。ユージオの監視及び護衛目的の男が数人つけてきていたが、それ以外は普通の青年らしく友人と安息日、こちらで言うところの休日を過ごす予定だった。
しかし、穏やかな休日は崩れ去る。博物館に向かう途中で、対向車が歩道目掛けて突っ込んできたのだ。幸い、付近にキリトとユージオ以外に歩行者はおらず、より車の進行方向の近くにいた彼を庇ってユージオが損傷したこと以外に人的被害は出なかったと聞く。それでも、ユージオを助けようと動いてくれた大人には悪いことをしたと反省しているけれど。
事故現場を最後にぷつんと記憶が途絶え、ユージオが次に目覚めたのは研究室のベッドの上だった。ベッドとは言っても、あそこで休息としての睡眠を取ったことは一度もない。メンテナンスを行い一度意識を強制的に落とした後に目覚める場所なので、便宜上ベッドと呼んでいるに過ぎない、簡素な台だ。
そこでユージオは目覚めて早々に事情説明を受け、同時に大きいお叱りを受けた。どうやら事故による破損箇所が多すぎた為、あらかじめ用意してあったスペアボディにユージオのライトキューブは移し変えられたらしい。
特に頭部の損傷は激しく、装甲を特別頑丈に設計していたおかげで要のライトキューブは守られたものの、危ないことはするなと念入りに釘を刺された。なるほど。最悪でも頭は守るように立ち回らなければ、と新しい注意事項を心に書き留める。
ユージオが目覚めた時には既にスペアボディの細かな調整に入っており、入れ替わり立ち替わり色んなスタッフの人達に声をかけられながら、ユージオも微力ながらそれに協力した。それから、カウンセリングを受けたりリハビリに励んだりして、ようやくキリトとの面会がかなったのが今日だったのだ。
キリトは、目の下にキュッと皺を寄せ、憮然とした顔つきでこちらを睨んでいる。
怒りの籠ったその視線にあてられ、ユージオはどう言ったものだろうかと頭の中で言葉を整理しながら、口を開いた。
「今の僕の体はほとんど代替がきくもので作られているから、お前が治らない怪我を負うよりはずっといいと思ったんだ」
「そんなの後付けに過ぎないだろ」
「それは……っ、そうかもしれないけど」
正直キリトのいう通りである。
あの時のユージオは気がついたら体が動いていた。
ユージオがキリトに伝えた言葉に嘘はないが、同様に真実もない。
「治る怪我ならいいってそう言うのか」
「……結果的に重傷者は出なかった」
「重傷者は出なかった? 馬鹿馬鹿しい。お前がいるだろうが」
出会ってから今までキリトはユージオらアンダーワールドの人々をずっと一人の人間として扱う。ひとの手によってひとの魂を模してつくられたAI達を。彼にとっては当たり前のことなのだろう。ユージオ自身、ひととしての自分を推し量れていないのに。だから、お前は一人の人間だよと断言するキリトに勝手に手を差し伸べられた感覚になる。
「何で自分の犠牲を勘定にいれない! 何で自分で自分を大切にしない……!」
キリトは握りしめた拳でドンッとユージオの胸を打った。
ユージオはそれに顔をしかめる。痛みからではない、自らの不甲斐なさ故に。
「この身を粗雑に扱ったつもりはないよ。キリトやアリス、ラースのスタッフ、他にもたくさんの人達の助力のおかげで僕はここに居るんだ。それを適当に扱えるわけもない」
「ならどうして」
「でも、僕にとってはキリトの方が余程大切だから」
ユージオは、自分とキリトの安全を天秤にかけて、反射的にキリトを取ったのだ。その結果が、全身破損。機械の身でありながら、生死の境をさ迷った。
キリトがユージオの言葉にヒュッと息を呑んだ。その顔は余りの怒りに青ざめている。
「……っ俺は! 俺の身代わりをさせる為に、お前をこの世界に連れてきたんじゃない!」
キリトはポロポロと大粒の涙を目尻から溢して泣く。
それは、ユージオにとってこの世界に来てからはじめて目にするキリトの涙だった。
「泣かないでよ」
ユージオは困惑と心配を募らせ、それらを声音に乗せた。合成音声ソフトで構成されたとは思えないほど、真に迫った声である。
「誰が泣かしたと思ってる」
キリトは恨み節を入り混ぜて問いかけた。
「僕、だよね。分かってる」
「そうだよ。お前なんだよ」
「反省はしてるよ」
「後悔はしてないと」
誰よりも、ともすればユージオが己より余程信頼する大切な友人に、嘘はつけない。俯き黙り込んだユージオのつむじに、キリトの大きなため息が落とされる。
「お前の体は使いべりしない道具じゃないんだ。それでも、ユージオがそう思ってしまうようなら俺がいくら言っても意味はない」
意味はあるよとユージオは言いたかったが、それこそ現在進行形でキリトの言葉をないがしろにしている自分が、反論を口にしたところでと思い、グッと奥歯を噛み締めた。
「何より、お前の魂を機械に押し込めてまで、こっちの世界に連れてきたのは俺だ。少なくとも、決めたのは俺が先だ。だからこれは俺の責任でもある」
キリトの滅茶苦茶な論法にユージオはブンブンと首を横に振る。
「それは絶対に違う」
「違くない」
ユージオへ向けて、キリトの口から即座に否定が返ってきた。
平行線だ。互いに折れるのは難しいと分かっている。
暫しの時間、針の先でつつかれるような非常に居心地の悪い沈黙が二人の間を縫った。