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    倦怠期のルツのお話。
    ※年齢操作あり。

    Apricot Fizz***

    『そろそろ、行ってくるね。』

    『ああ……朝食は食べていかないのか。』

    『うん、時間がないから。今日も遅くなるし、君は先に寝ていてね。』

    『……わかった。』

    『うん、じゃあ。』

    今朝交わした、恋人同士にしてはあまりにも淡白な会話を思い出して、思わず重いため息を吐く。
    喧嘩をしたわけじゃない。
    別に、嫌いになったわけでもない。
    ただなんとなく、寂しいと言うタイミングが掴めなかっただけ。

    (これがいわゆる、倦怠期とかいうやつなんだろうか……。)

    ソファに寝そべって雑誌のコラムを目で追いながら、不意にそんなことを思った。
    高校を卒業して、類と恋人になってからもうずいぶん経つ。
    もう二人とも、とっくにいい大人になってしまった。

    (……今日も遅いな、あいつ。)

    類はここ数年で急激に仕事が増えていつも忙しそうだし、オレもそれなりに多忙な日々を送っている。
    そのせいなのだろうか……最近ずっと、すれ違い気味なのは。

    (……いつから、こうなってしまったんだろう。)

    まず最初に、スキンシップが減った。
    身体を重ねる頻度が少なくなって、いつの間にかキスも、抱き合うこともあまりなくなった。
    その次に会話。
    好きだとか、愛してるとか、そういう気持ちを言葉にしなくなった。
    ショーについて語り合う時間も減って、いつの間にか挨拶すら交わすことも少なくなった。

    「……もう、潮時なんだろうか?」

    なんて、雑誌に向かって問いかけてみても答えが返ってくるはずもない。
    今日も、遅くなるとだけ言って早々に家を出て行ってしまった。
    なんとなく、顔を合わせるのが気まずいのは向こうも同じなのかもしれない。
    それなら、もう一緒にいても意味がないんじゃないだろうか。

    (……類は、どう思っているんだろう。)

    最近は仕事にかまけて、あいつとゆっくり話す時間なんてなかった。
    労う言葉くらいかけさせて欲しいものだが、朝はオレより早く家を出ていくし、帰ってくるのも遅いのでなかなかタイミングが合わない。
    今度の休みは、何が何でもきちんと話をしよう……そう心に決めた時、インターフォンを鳴らす音が聞こえた。

    (……こんな時間に誰だ?)

    もう終電も終わりかける頃合いだ、来客だとしたらさすがに非常識だろう。
    少し億劫だったが居留守をするわけにもいかないので、ソファから起き上がって玄関に向かう。
    ドアホンで顔を確認すると、そこには意外な人物がいた。

    (……寧々?なんであいつがここに……。)

    とにかく出なければと、慌ててドアを開けて全ての事情を察した。
    泥酔状態の類が、寧々の肩にもたれ掛かるようにして立っていたから。

    「寧々!すまない、世話をかけてしまって……。」

    「ホント、身長差考えてよね……タクシー拾ってここまで引きずってくるの、大変だったんだから。」

    「悪かった、電話をしてくれれば迎えに行ったんだが……。」

    「……まあ、いいけど。わたしとあんたたちの仲だし。」

    慌てて類を寧々から引き剥がすと、完全に酩酊しているらしくそのまま玄関に座り込んでしまった。
    遅くなる理由は聞いていなかったが、寧々と飲みに行くからだったのか。
    それにしても、類が潰れるまで飲むなんて珍しい……いつもはオレの前でもこんな風になるまで飲まないのに。
    ぐったりしている類のコートを脱がしてやっていると、寧々が窺うように訊ねてきた。

    「……あんたたち、喧嘩でもしたの?」

    「え?いや、そんなことはないが……。」

    喧嘩はしてない……はずだ。
    ただ最近ちょっとすれ違い気味ではあるが……。
    オレの微妙な表情でなんとなく察したのか、寧々は呆れたようにため息をつくと、類を見下ろしてぽつりと呟いた。

    「……寂しいんだって。」

    「……え?」

    「司にちゃんと好きでいてもらえてるかわからないって、自分がそばにいることであんたの重荷になってるんじゃないかって……類、そう言ってた。」

    寧々にそう言われて、思わず目の前の男をじっと見つめてしまった。
    類が、そんなことを思っていたなんて少しも知らなかった。
    寂しがるどころか、飽きられたような気さえしていたのに……。

    「……どうでもいいけど、あんたも類も、ちょっと言葉足らずなんじゃない?
     これだけ長い間ずっと一緒にいるし、今更って思うかもしれないけど……言葉にしないと伝わらないこともあるでしょ。」

    「……そうだな。」

    出会ったばかりのころはオレたちの中で一番人付き合いが苦手だった寧々にそう諭されると、彼女の成長を実感して妙に感慨深い気持ちになった。
    正直、言葉足らずなのは自覚しているのだが、もう顔を見飽きるくらい長い時間を共に過ごしてきた仲なのだ。
    付き合って数か月のカップルじゃあるまいし……今更、自分の気持ちを事細かに伝えるなんて、少し気恥ずかしい。

    「ありがとう、寧々。こいつを送ってきてくれたことと、その……心配してくれたことも。」

    「別に……類がいつまでもうじうじしてると面倒だし。
     あんたたちがぎくしゃくしてると、わたしもえむも居心地悪いでしょ。」

    わたしたち、四人でワンダーランズ×ショウタイムなんだから、なんて少し照れくさそうにしながらそう言う寧々に思わず笑顔がこぼれた。
    そのユニット名を名乗らなくなって久しいが、あの頃の思い出は今もオレたちの中にしっかりと刻み付けられている。

    「そうだな……一度、類ときちんと話してみることにする。」

    「そうして。じゃあ、わたし帰るから。」

    「ああ、ありがとな。今度、えむも誘って久しぶりに四人で飲みにでも行こう。」

    「ふふ、そうだね。」

    じゃ、と手を振って踵を返す寧々の背中を見送って、ドアの鍵を閉める。
    さて、あとはこの酔っぱらいを寝室まで引っ張っていかなければ。
    途切れ途切れに呻き声をあげる類を何とか立ち上がらせて、二日酔い防止のためにキッチンの冷蔵庫からペットボトルのミネラルウォーターを取りだす。
    寝室までたどり着くと、類はそのまま充電が切れたようにベッドの上に倒れこんでしまった。

    「こら、起きろ、類。そのまま寝たらシャツがしわになるぞ。」

    「ん~。」

    「はあ、まったく……仕方がないな。」

    完全に酔いが回っている様子の類にため息をついて、シャツを脱がしてやろうと手を伸ばす。
    すると突然、信じられないくらいの力で腕を引っ張られて、抵抗する間もなくベッドへと引きずり込まれてしまった。

    「ちょっ!おい、類……っ!」

    「……つかさくん。」

    酒が入っているせいか、とろんと蕩けた目で類がオレを見つめている。
    こいつのこんな表情を見るのはずいぶん久しぶりな気がして、反射的にどくんと心臓が高鳴った。

    「類……?」

    「つかさくん……ふふ、つかさくんだ……。」

    「お前……相当酔ってるな?」

    ふわふわとした口調でオレの名前を何度も呼ぶ類は、なんだか妙に上機嫌だった。
    こんな風に無防備な笑顔を見せるのは珍しい。
    類は大型犬がじゃれつくようにオレをぎゅむぎゅむと抱き締めながら、ぐりぐりと頭を擦り付けてくる。
    いい年をした男がこんな甘え方をするのはどうかと思うのだが、今くらいは大目に見ようと、紫陽花色の指どおりがいい髪をそっと撫でてやった。

    『……寂しいんだって。』

    唐突に、先ほど寧々に言われた言葉が頭の中でリフレインした。

    『司にちゃんと好きでいてもらえてるかわからないって、自分がそばにいることであんたの重荷になってるんじゃないかって……類、そう言ってた。』

    (……お前がそんなこと思ってたなんて、全然知らなかったぞ。)

    言ってくれればよかったのに……言葉にしてくれたら、オレだって。
    いや、こいつはそんなことを素直に口にできるようなタイプじゃないな。
    それに……言葉にすることを怠っていたのは、オレだって同じだ。

    「つかさくん……つかさ、くん。」

    徐々に力が抜けていく背中に腕を回す。
    シャツの胸元に顔を埋めると、アプリコットフィズの甘ったるいアルコールの匂いがした。

    (寂しい、なんて……そんなの。)

    オレだって同じだ、馬鹿。
    いつも帰り遅くて、今どこで何してるのか連絡一つ寄越さないくせに。
    休みの日、一緒に家にいる時だってずっと作業部屋に籠ってばっかりのくせに。
    こんな風にお前に抱きしめられるの、どれだけ久しぶりだと思ってるんだ。
    アルコールが回っている類の身体はいつもより熱を孕んでいて、触れているだけで涙が出そうだった。

    「……あのね、つかさくん。」

    「……何だ?」

    「……きみが、もうぼくのことすきじゃないなら、おわかれしてあげないとっておもうんだ。」

    「……え?」

    唐突にそんなことを言う類の口調はいつもより舌っ足らずで……今にも泣きだしそうなくらい震えていた。

    「でも……きみがいなくなったら、ぼくはどうなっちゃうんだろうって……きっと、さみしくてしんじゃうんだろうなあっておもったら、いえなくて。
     だから、きみからわかれようっていわれるまでは、そばにいたいんだ。」

    その時が来たら、もう我儘は言わないから。
    どうかそれまでは、恋人でいさせてと、類は独り言のように呟いた。

    (……そんなこと。)

    そんなこと、考えさせてしまうくらい……オレはお前を追い詰めてしまっていたのだろうか。
    別れ話、なんて……漠然と考えたことはあっても、本気で口にする覚悟なんてなかった。
    もう終わりにしよう、友達に戻ろうって……いつかそう言われるのは、オレの方だと思っていたのに。

    「……類。」

    今度、ちゃんと話してみようなんて悠長なことは言っていられない。
    今、ここでちゃんと類の本音を引きずり出さないと……明日にはきっと、またあの冷たい関係に戻ってしまう。

    (それは……嫌だな。)

    飽きたとか、心変わりしたとか、満足できなくなったとか。
    そういう理由で心が離れてしまったのなら、もう仕方がない。
    けれど……想い合っているのに、すれ違うのは。
    それは、きっと……とても悲しいだろう。

    (とはいえ……このままじゃまともに話もできないな。)

    先ほど、類に引っ張られたときに思わず取り落としてしまったミネラルウォーターを拾い上げる。
    類はいよいよ眠気に限界が来たのか、すでに半分夢の世界に入り込んでいた。
    少しだけ躊躇ってミネラルウォーターを口に含む。
    そのまま口移しをするように、類の唇に自分のを押し付けた。

    「ん……っ!?」

    突然のことに驚いたのか、うつらうつらとしていた類の瞳がぱっちりと見開かれる。
    少しだけ開いた口に水を流し込むとわずかに抵抗する素振りを見せたが、やがて大人しくこくりこくりと喉を動かした。

    「っは……司、くん?」

    完全に酔いが醒めたのか、類はあきらかに動揺した様子で、抱きしめられたままのオレを見つめる。
    カナリーイエローの瞳が揺らいで、何を言えばいいのか必死に言葉を探しているようだった。

    「えっと……すまない、迷惑をかけてしまって……──。」

    「……類。」

    顔を逸らせないように、類の頬を両手で包み込む。
    こんな風に自分から触れるのは久しぶりで、指に触れる肌のしっとりと柔らかい感触に無性に泣きたくなった。

    「……類は、オレのことが好きか?」

    「な、なんだい?急に……。」

    「教えてくれ……お前の気持ちが知りたいんだ。」

    我ながら唐突すぎるし、こんなストレートな聞き方をするのはどうなんだと思わなくもないのだが。
    類と違って、オレは言葉を飾ったり、遠回しな言い方をするのは得意じゃない。
    それは、きっとお前だってわかっているはずだから、大目に見てほしい。

    「司くん……。」

    「……オレは、お前のことが好きだぞ。」

    「……え?」

    「……高校生のことからずっと、類のことだけ見ていたんだ。
     だから、お前に好きだと言ってもらえた時は、とても嬉しかった……今まで一度も、忘れたことはない。」

    大人になっても、ずっと……ずっと。
    数えるのも億劫になるくらい、長い間一緒にいたから……きっと、お前とオレの心は一つに混じりあってしまっているだろう、
    もう、ひとりぼっちには戻れない……お前という片翼を切り離されるのは、きっと、とても苦しい。
    だから……──。

    「だから……わかれたく、ない。」

    震える声でそう口にした途端、突然がばっと強く抱きしめられた。
    少し苦しいくらい容赦のない力で背中を抱かれて、下手をすれば押しつぶされてしまいそうだ。

    「る、い……?」

    「……きだよ。」

    「?……すまない、よく聞こえな……。」

    「……好きだよ。僕も、君のことが、大好きだ……当たり前だろう?」

    耳元で、苦し気な声でそう囁かれて、胸が痛いくらいにぎゅっと締め付けられた。
    好きの二文字だけで、こんなにも心が満たされる……本当はずっと、類からもらえる愛情に飢えていた。

    「……もう、飽きられたのかと思っていた。」

    「っ、そんなこと……。」

    「わかってる……オレが勝手に、そう思い込んでいただけだ。」

    距離が開いてしまっていることはわかっていたのに、その空白を埋める努力を怠った。
    いい年してあまりベタベタしているのはなんとなくみっともないような気がして、変な意地とプライドに邪魔をされて身動きが取れなくなった。
    いつかくる終わりが怖くて、愛したい、愛されたいと泣きじゃくる心を押し殺した。

    「類、お前はオレにどうしてほしい?
     オレは、お前のために何が出来る?」

    「……僕は。」

    類の唇に人差し指で触れてみると、先ほど水を口移ししたおかげかまだ潤っていた。
    柔らかな感触が指先に伝わる……もっと、触れてほしい。
    そう思った矢先、類の唇をなぞっていた指を掴まれて、そのまま手のひらにキスをされた。

    「……類。」

    「……もっと、キスしたい。」

    「……ん。」

    「朝起きたときと、夜寝る前……欲を言えば朝、家を出る前と、帰ってきた後も。」

    それからも、類のおねだりは途切れることなく続いた、
    もっといろいろなことを話したい、仕事のことも、趣味のことも。
    一日のうちのほんの一時間でもいいから、一緒にいたい……疲れている時でも、ソファじゃなくてベッドで寝てほしい。
    好きだと言って欲しい、気が向いた時だけでいいから、自分の気持ちをもっと言葉にして欲しい。
    類のお願いはどれも随分と遠慮がちで、人を宙吊りにしたり、ポップアップで何メートルも飛ばしたりしていたあの頃から、いつの間にか大人になっていたのだと改めて気づかされた。

    「……司くんは?」

    「え……?」

    「……君は、僕にしてほしいことはないのかい?
     僕ばかりお願いをするのは、不公平だろう。」

    「……オレは。」

    正直、この程度のこと”お願い”のうちに入らないと思うのだが、せっかくなので溜め込んでいた不満を洗いざらい吐き出してしまうことにした。

    「……休みの日くらいは、作業部屋に籠らないで一緒にいてほしい。」

    「……うん。」

    「……ショーのDVDを見たり、感想を語り合ったり、二人でどこかに出かけたりしたい。」

    遅くなる時は、仕事が忙しい時でもちゃんと連絡してほしい。
    もっと、いろいろなことを話してほしい、今携わっている舞台の話、この前見た映画の話、思いついた演出の話も。
    作業に没頭している時でも、話しかけたらちゃんと返事をして欲しい、悪気がなくても、無視をされると寂しいから。
    こんなことを言ったら女々しいと思われるかもしれない、面倒くさい奴だと疎まれてしまうかもしれない。
    そう思うと怖くて、ずっと言い出せなかったことが、今は驚くくらいするすると口から零れ落ちた。

    「……すまなかった。僕はもうずっと、君を寂しがらせていたよね。」

    「いい……お互い様だ。」

    「……君のことを、嫌いになったわけじゃないんだよ。
     僕の中で、君の存在が軽くなったわけでもない……そんなことは、ありえない。」

    きっぱりとそう言い切ってくれた類の真剣な瞳を見つめ返して、ようやく肩の力が抜けた気がした。
    自分で思っているよりもずっと、愛されていたのだと知ったから。
    心にじんわりと安堵が広がっていく……互いにまだ想いが繋がっているのなら、ごめんねの一言でいくらでもやり直せる。

    「悪かった、類……寂しがらせたことも、傷つけたことも。
     これからはもっと、お前の気持ちに寄り添えるようにする……だからずっと、傍にいてくれるか?」

    「もちろん……僕も、ずっと君を離したくなんてないよ。
     別れようなんて、冗談でも言わせてあげない。」

    「ふはっ、ついさっきまで捨て猫のように弱気だったくせに。
     もし本当にオレが別れ話を切り出したらどうするつもりだったんだ。」

    「……とりあえず泣くかな。」

    「……それはさすがに。」

    大真面目な顔でそんなことを言われて思わず苦笑いしてしまった。
    恋人の泣き顔を見たくないのは当然だが、それ以前にいい年をしたい男がギャン泣きしている絵面は想像するだけでもだいぶキツイ。

    「司くん……実はお願い、もうひとつあるんだ。」

    「なんだ?」

    ひどく言いにくいことを口にするのを躊躇うように、類は口を薄く開いては閉じるのを繰り返す。
    やがて踏ん切りがついたのか、深く息を吐きだして、もう一度オレを強く抱き寄せた。

    「……セックス、したい。」

    「……したいのか?」

    「……うん。」

    すこし気まずそうにこくりと頷く類に少し驚いた。
    それは……少し、意外というか。
    今まで、類がそういう欲望を剝き出しにしたことはあまりなかったような気がする。
    だからなんとなく、そういうことを進んでしたいタイプじゃないのかと思っていた。

    (いや……オレが我慢させてただけか。)

    普段は体裁なんてろくに気にする方じゃないくせに、一度心を許した相手の前では妙に格好をつけたがる。
    そんなこいつのことだからきっと、あまりがっつくのはみっともないとか、受け手側の負担の大きい行為を強請るのは思いやりに欠けるんじゃないかとか、いろいろ考えてしまったんだろう。

    (……馬鹿だな。)

    好いた男に触れられることを、嫌だと思う奴がいるか。

    「……いいぞ。」

    「え……いいの?」

    「……ああ。」

    拍子抜けしたと言わんばかりに目を丸くする類がおかしくて、つい笑ってしまう。
    もう少し若いころは互いにそういう欲が有り余っていたし、それなりに身体を重ねることもあったのだが。
    あの頃より幾分か落ち着いてしまった今では、積極的に誘うことはあまりしなくなっていた。
    だからオレも、類の中では性に淡白な人間だと思われていたのかもしれない。

    「……オレも、したい。」

    羞恥心のあまり消え入りそうな声でそう伝えると、案の定、類は驚いたように目を見開いた。
    恥ずかしい、あの頃だって誘う時は恥ずかしかったはずなのだが、大人になるとなおのこと恥ずかしい。
    もういっそこの場でシーツに溶けて消えたいような気持ちになるが、それを許してくれるほどオレの恋人は甘くない。

    「じゃあ……抱いていい?」

    「い、今か!?」

    「今、絶対に今……もうこれ以上待てないよ。」

    お願いと焦れるようにそう強請る類に、軽率に返事をしてしまった自分を少しだけ恨んだ。
    一応、類が帰ってくる前に風呂には入ったが、本音を言えばもう一度入りたい。
    こんなことになると知っていれば身体の隅から隅まで綺麗にしたのに。

    「ねえ、お願い、司くん……もっと、君に触れたくてたまらないんだ。」

    「あ、う……その、ゴムとか。」

    「あるよ、ベッドのサイドボードの引き出しの中に。」

    なんであるんだ、そういうことしなくなってもうだいぶ経つだろうに。
    そう思ったがなんとなく理由は聞かない方がいい気がした。
    何はともあれ、これで退路は完全に塞がれてしまったわけで……。

    「……もう好きにしてくれ。」

    結局、身体の力を抜いて潔く降参するしかなかった。
    類はオレが抵抗を諦めたことを確認すると、嬉しそうに頬や額に軽いキスを落とす。
    ちゅっちゅと顔じゅうに口づけられて少しくすぐったい。


    「なんだか、おかしいね……もう、何度もしているのに。
     今、馬鹿みたいに緊張してるんだ。」

    「っふふ、奇遇だな……オレも同じだ。」

    (……なんだか、あの頃に戻ったみたいだ。)

    付き合い始めたばかりの頃は、まだまだ二人とも幼くて、小さなすれ違いですぐに不安になって、愛されているのか確かめたくて必死に求め合って。
    あれからもう随分時が経って……もうこんな新鮮な気持ちになることなんてないと思っていた。
    こんな……馬鹿みたいに、たった一人の男のことで頭も心もいっぱいになるようなことなんて。


    「ねえ、司くん……僕、本当に君のことが好きだよ。
     あの頃から一度も、心が揺らいだことなんてない。」

    「ああ、オレも……っんん……っ。」

    好きの二文字は言わせてもらえないまま、口を塞がれてしまった。
    いきなり唇を割り開かれて、ぬるりとした舌が口内に入り込んでくる。
    そのまま粘膜同士を絡み合わせて、指先まで痺れるような快感に身を震わせた。

    (……気持ち、いい。)

    だんだん、頭がぼうっとしてくる。
    好き勝手に口の中を搔きまわして蹂躙する舌に侵されるまま逃れられない。
    久しぶりに味わう深いキスが気持ちよくて、思わずもっとと強請るように類の首に腕を回した。

    「んっ……るい、っふ……あ。」

    「っふふ、可愛い……。」

    絶え間なくキスをしながら、類の大きな手がオレの頭を撫でる。
    そのまま髪を指で掬い取ると、戯れるようにくるくると自分の指先に巻き付けた。

    「……今日飲んだカクテル、ね。」

    「ん……?」

    「……君の髪と、同じ色をしてて……飲んでる間、ずっと君のことを思い出して。
     気がついたら、潰れてしまっていたんだ。」

    「ふはっ、馬鹿だな、何をやってるんだ。」

    類の頬に手を添えると、まだ少しだけ熱を持っているのが分かった。
    ただ、それは酒のせいじゃないのかもしれないが……。

    「……寧々には、あとできちんと礼をしておけよ。」

    「……ああ、わかっているよ。
     でも、今は君をめちゃくちゃになるまで愛していいかな?……散々おあずけをくらったせいで、そろそろ気が狂いそうなんだ。」

    「っふふ……お手柔らかに頼む。」

    善処するよと苦笑した恋人に、嘘を吐けと笑い返す。
    まるで繊細なガラス細工にでも触れるように優しく肌をなぞる指にすべてを委ねて、少しずつ蕩けていく思考は早々に放棄してしまう。
    もう一度、深く重なった唇は、ほのかに甘い杏の味がした。

    ***

    「……んん。」

    「お……やっと起きたか。」

    「つかさ、くん……?」

    「……おはよう、類。」

    昨日聞いた要望を叶えるべく、寝起きで乾燥している唇に軽くキスをする。
    類は少しだけ驚いたようにぱちくりとしたが、やがて頬を緩めて重ねた唇を押し返してきた。

    「ふふ、よかった……夢じゃなくて。」

    「お前……あれだけ容赦なく抱き潰しておいて。」

    「うん、ごめんね。」

    「……演技でもいいから少しは反省しろ。」

    おかげで若干声がかすれてしまっている。
    今日の仕事が撮影じゃなくて本当に良かった。

    「……司くん、今日は何時に家を出るんだい?」

    「今日の仕事は午後からだからな。まだ随分余裕があるぞ。」

    「そう、よかった……ふふ、それなら、午前中はずっと一緒にいられるね。」

    「それは嬉しいが……お前、仕事はいいのか?」

    「ああ、作業はだいぶ前倒しでやってしまっていたからね……今日一日はお休みにするよ。
     それより、君につけたいと思って温めていた演出案が数えきれないほどあるんだ。
     聞いてくれるかい?」

    「……ああ、たくさん聞かせてくれ、類。」

    これだけ長い間一緒にいるのに、話したいことも、やりたいことも尽きなくて。
    少しずつ、変わっていく……きっと、昨日よりも好きになる。
    明日には、どんなオレたちになっているのだろうか……──。



    Apricot Fizz 振り向いてください
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