「寝ていなさい」
重たい瞼は体を起こせば痛みで持ち上がる。だから背中に当たる柔らかなところから起きようとした。そうして色々分かった。まず、ここはきっとベッドだということ。背中らから僕の全身を包んでくれているのは寝台で、上から優しく抑え付けているのは毛布だ。後頭部を包んでいるのは枕。どうやら床を這いずり切れたらしいと思ったけど、たぶん、これは違う。起き上がろうとした僕を毛布より強く、なのに何処か穏やかに推し戻した力によって違うと解った。この力が助けてくれたんだろう。し、この力は手で、支持をくれた声はその手の持ち主だ。薬を作っているのに何故だか優しい不思議なあの子が助けてくれたんだろうか。でもあの子は、こんなに低い声はしていなかった。何より極力声を出そうとしない子だった。声を出さないことによって誰かと話すことを遠ざけているようだった。なのに時々僕を見つけて、見つけると助けてくれる。だからこの手はあの子じゃない。この手には僕を助ける理由がちゃんとある。観察という名の監視をしている。薬だとかここに送り込んだ兄さまの手がかりが僕の体には詰まっている。でも薬はもう完成していて、僕に使われていたのは粗悪品だから露見しても問題ない。兄さんのことを僕が話すわけがないので、これも問題ない。あの家で、僕は生きていても死んでいても変わらなかった。体も心もガタがきていた僕の処分を、兄さんはここに決めたのだ。だから僕は終わりを待っている。裁かれる日を待っている。兄さんにもあの人にも誰にとっても役立たずの僕の終わりを、ずっと待っている。
「もうおわる?」
だからやっと終わるか聞くべきだったのに、熱と痛みを和らげられた僕は迂闊に胸の裏に隠したかった言葉を使った。
「終わらせない」
寝台の上で横たわるばかりだった手を握られる。強い力だった。強いのに、骨を折ることも皮膚を裂くこともしない、不思議な力だった。
「唐突に服用を絶ったことによる副作用の一環と疲弊による症状だ。寝ればいずれ治る。薬は不要だし、使えない」
慰めでも放置でもなく、有るが儘の事実を告げられたのは初めてのことだった。それらの症状は僕が勝手に予想していたものとあまり違いはなかったけど、そうだと頷いたり、説明してくれる人なんて今まで居なかった。彼が口にしたのはきっとかなり残酷なことで、ずっと不器用な言葉だったんだろうけど、僕にはとびきり優しい声に聞こえた。
「だから寝ていろ。傍に居る」
僕を寝台に寝かせ続けた手が撫でるように動く。たぶん、本当に撫でている。布団の中の体は寒いのに熱くて苦しくて痛くて仕方がない。いつもと何も変わったところなんてない。なのに僕はこのとき、穏やかに眠れる気がした。いい夢さえ見れる気がした。布団の上から体を撫でた手は早々に離れていく。この手をどう引き留めればいいか僕は知らなかった。
「りんご」
だからやっぱり、本当の願いが口から零れた。
「りんご、ほしい」
離れていこうとした手が少し止まってくれた。手は、ややあって離れてしまったけど、僕の頭にきてくれた。彼の少し皮の熱い軍人らしい掌が皮膚に感じられなくて、このときようやく額に何かが置かれているのだと解った。きっと氷嚢だったり冷たいタオルだったりしたそれは生温くなっていたけど、それでも心地いいと思った。「わかった」と、ずっと柔らかい声が聞こえて、僕は、体中に巡る熱と、それが眼の縁から零れ出た感触を自覚した。
あなたからのりんごが食べたい。
あなたが蛇でも、僕をだましていてもいい。