25日目 タカちゃんは23日に成田に着くんだけどオレもルナもマナも迎えに行けないんだ、と八戒が寂しそうにしていたので、24日と25日は弟妹に返すので23日は借りることを条件に、龍宮寺が空港に迎えに来た。ちなみに、三ツ谷本人はそのことを全く知らない。
空港など馴染みがないので、とりあえず到着ゲートにいればいいのだろうと思い、八戒から教えられた到着時間に合わせてぼんやりとゲートを眺めていた。
龍宮寺は体格も良ければ見た目も目立つので、とりあえず悪目立ちしないように髪は下ろしてタトゥーは隠した。
三ツ谷はそれで気付くのかと不安にもなったが、ゲートから吐き出された三ツ谷はすぐに気が付いて目を丸くしている。
「ドラケン! 何してんだよ」
銀色のトランクを引きずって駆け寄る三ツ谷の髪は黒くなってはいたが短く整えられていて、先日会った違う世界の三ツ谷ではないことがはっきりと分かって、龍宮寺は安堵した。
小走りに近寄ってきて龍宮寺を見上げる顔に寂しげな風情はない。抱き締めそうになったが、まだ早いと自分を抑えた。距離感がおかしくなっている。
「おかえり」
「誰も迎えに来ねえ予定だったんだけど」
「急にオレに決まった。電車乗るより車のが楽だろ。社用車だけどよ」
「断然楽。軽トラでもありがてえな」
三ツ谷が笑って引きずるトランクを預かる。龍宮寺にも触れるトランクは、先日見た三ツ谷のと同じものであるような気がしたが、気のせいかもしれない。
広い空港を抜けて、駐車場の一角で三ツ谷は「軽トラじゃねえじゃん」と喜んだ。
「軽バンだけどな」
「トランクに大事なもん入ってっから、軽トラの荷台だと剥き出しで怖えなとは思ってた」
「軽トラで来ても固定できるようにしてたけど。何入れてんの?」
乗り込みながら、三ツ谷は楽しげに土産物の名前とその宛先を教えてくれる。まずは妹たち、母親、そして柴姉弟、龍宮寺、乾に花垣や松野の名前もあった。
「ダチが多いからって土産買いすぎじゃねえのか」
「クリスマスだし、プレゼントだよ。高いもんじゃねえもん」
いつもよりも高めのテンションで会話をしていたが、高速道路に入って少しすると三ツ谷は「時差ですげえ眠い。悪りぃ、寝る」と言い置いて、すぐに寝息を立て始めた。
龍宮寺は東卍の頃を思い出して、眠る三ツ谷の鼻筋とまつ毛を時折眺めた。
変な話だが、この間別の三ツ谷が隣で眠っていたことで見比べができる。二人の寝顔は同じようで、どこか少し違う気がしていた。それぞれの歩む道の違いが、歳とともに顔に刻まれているのだろう。
一向に起きない三ツ谷が今日から住む場所を知らないので、とりあえず職場に連れてくる。眠そうな三ツ谷を起こして立たせて、バイク屋の店内を通って二階の乾の部屋にようやっと連れ込んだ。ベッドを三ツ谷に貸すことを乾は全く拒否していないので、とりあえず寝かしてやろうという配慮だ。
「ほら、三ツ谷。布団入れ」
「んー……ドラケンに会ったら、すぐに言いたいことあって……トランクの中にあるんだけど」
「あとでいい」
「もうちょい起きてられる。すげえ見せたいから、トランク開けて」
あくびを繰り返しながら、三ツ谷はトランクをロックする暗証番号を告げた。偶然なのか、元の世界に戻ってしまった三ツ谷がトランクをいじっていた時と同じ番号に思える。
その通りに合わせて開けると、中からふわりと日本の街とは違う香りが漂う。異国の香りだ。
「どれ」
「土産の、チョコレートの箱の下の……そう、その新聞で包んであるヤツ」
「これか?」
海外の新聞紙で包んである包みを取り上げると、それはくたりとしなる。紙の向こうに柔らかなものの気配がする。
「開けてみて」
「いいのか?」
「おう。それはドラケンの」
包みを慎重に開くと、中から出てきたものに目を疑う。
店で売っているようにきれいに折り畳まれ、アイロンがかけられたそれは、龍宮寺の無くしたはずのシャツだった。
つい最近、ここにいるのとは違う三ツ谷と散々見たシャツだ。見間違えるはずはない。しかし、あれは彼があちらへ持っていってしまった。だというのに全く同じものに見える。よく似た違うものなのだろうか。
「ドラケン、そのシャツ覚えてる?」
「……オマエと昔、原宿でもらったヤツ」
「そうそう。しばらく前にマサウェイさんと話してて、ドラケンがそのシャツ無くしちゃったらしいって聞いてたんだよ。珍しく落ち込んでるからオマエには言わないと思うよって笑ってたから、オレも黙ってたんだけど。向こうの古着屋で偶然コレ見つけてさ。ドラケンのシャツそっくり、ってゆーか、同じだろ? だから慌てて買って帰ってきたんだよ」
すごくね? とベッドに転がりながら三ツ谷が笑う。
「すげえな」
「ドラケンのところに戻りたかったんだろうなあ」
「オレもどうにかして戻ってこねえかと思ってた」
「うん……貸して」
三ツ谷に渡すと、立ち上がってそれを龍宮寺にあてがった。「サイズも一緒だし、すげえ似てるぐらいに思ってたけど、もしかすると同じかもよ。マジで」と満足そうに頷いている。
背中にシャツをあてて、三ツ谷の指が襟足からシャツの裾までをたどる。裾でふと指が止まって、三ツ谷がシャツを龍宮寺の背から外した。
「あれ? なんだこれ」
めくられた裾を三ツ谷と一緒に覗き込んで、龍宮寺は息をするのを忘れた。
三ツ谷がめくったそこには「龍宮寺堅」と白い糸で縫い込まれていた。混乱しているのは龍宮寺だけではなく三ツ谷も同じで、「こんなん昨日までなかったけど」と眉を寄せて唸っている。
「名前が縫いとってあるし、やっぱこれもしかしなくてもオマエのじゃん。ドラケンが刺繍した……わけねえよな。その前にこの刺繍の感じはオレが入れたっぽいけど、オレ、刺繍した覚えない。昔したっけ? 今より下手だし……」
本人がそう思うのならば、やはりこれは三ツ谷の刺繍なのだろう。けれど、これはきっとこの世界の三ツ谷のものではない。あちらの三ツ谷が刺繍をしている姿を龍宮寺ははっきりと覚えている。
「ん? 胸ポケットに汚れがあるけど……赤いな。ケチャップ? あれ、なんかメモ」
三ツ谷はシャツを探って、胸ポケットから取り出した小さな紙片を広げる。外国語の新聞の切れ端のわずかな空白に「ケンチンごめん」と走り書きがしてある。
龍宮寺をケンチンと呼ぶのは一人しか思いつかなくて、龍宮寺と三ツ谷は顔を見合わせた。
その呼び名も耳にしなくなってから久しい。文字とともに蘇る声の記憶は、昔のままだった。
「マイキーじゃん」
「だな」
「マイキーのメモなんかいつの間にあったのかな。店で見つけた時、全然気付いてなかった」
「いや」
いつかまた繋がるかもしれない。
そう願っていた三ツ谷と本当に繋がった気がした。この服の様子から察するに、きっと佐野と二人でうまく逃げて、元気でいるのだろう。
「うまくいったんだな」
呟くと、三ツ谷が不思議そうに首を傾げている。少し前に経験した不思議なことの全てを三ツ谷と共有したくなって、龍宮寺は三ツ谷をベッドの端に座らせた。
「話が長くなる。ちょっと待ってろ」
龍宮寺は慌てて階下に降りて、書類整理をしていた乾に声をかける。
「イヌピー、悪りぃけど、今日オマエの部屋一晩貸して。ちょっと前にオレが寝泊まりしてたラブホ、どの部屋でも好きなとこに泊まっていいから」
乾は顔を顰めた。
「嫌だ。ドラケンと三ツ谷がそっち使えばいいだろ」
「三ツ谷がもう眠そうなんだよ。また移動させるの可哀想だろ? ラブホは意外に快適だぜ」
「……ベッド汚すなよ」
龍宮寺の必死さに負けたのか、それだけを告げて乾は了承した。店の戸締りも全て請け負ってくれる。信心深いわけでもないくせに妙に義理堅い乾の、ささやかなクリスマスプレゼントのつもりらしい。
龍宮寺は店の外の自動販売機で缶コーヒーを二つ買い、一段抜かしで階段を戻る。
長い話をする前に三ツ谷に聞かなければならないことがあった。
「三ツ谷」
コーヒーを投げると、またどこか眠たそうになっていた三ツ谷は危なっかしくも受け止める。
「ーつ聞いていいか」
「んー? いいよ」
「なんでもいいか?」
「慎重じゃん」
「絶対答えろよ?」
「分かった分かった。なに」
龍宮寺のあまりの慎重な問いかけに、三ツ谷が眉根を寄せた。意外に熱い缶コーヒーの中身を冷ますように、唇を尖らせている。
「トランクの暗証番号四ケタ、オレの誕生日なのはなんで」
「え!」
声を張り上げて驚いた三ツ谷は、小さい声で「やらかした……」と呟いている。すっかり眠気が覚めただろう三ツ谷に、龍宮寺は最大限の笑みを見せた。
「今日、この後眠れるとか思うなよ」
話したいことは山ほどあった。