一月の半ばに三ツ谷がお世話になった仕事相手が結婚することになった。
お相手は四歳の娘がいる女性で、結婚式をあげる日の娘のドレスをサプライズで用意してほしいと頼まれた。
サプライズとはいえ、喜んでもらうためには相手の好みを熟知したものでなくてはならない。そのため、三ツ谷はこのところ四歳の小さなレディのお相手をし、彼女の趣味や好みを熟知した。今では「三ツ谷くんと結婚したい」と言ってもらえるほどに好かれ、これから彼女の父親という名のナイトになる気満々だったイタリア人の嫉妬を全身に浴びた。
それがクリスマスまでのこと。
年明けの式に間に合うようにドレスを急ピッチで仕上げなくてはならない。
「クリスマス休暇ぐらい休めよ。年が明けてから作業してもらえればいいぜ、結婚式は一月一日じゃないんだ、二十日以上あるのに」と呆れたようなメールをもらったが、三ツ谷としては年明けこそ働きたくなかった。
「正月にこそ休みたいんだよ、日本人だからァ」
ぶつぶつとぼやきながら、頼まれた子供服の裾や胸元にレースやフリルのコサージュ縫い付けていく。
三ツ谷のサイドテーブルに置かれたマグカップを取り上げて、中に冷えたコーヒーがなみなみと残っているのを見て龍宮寺はため息を吐いた。
「いつから寝てねえの」
「えー、クリスマスパーティーから」
四歳の少女のナイトとして完璧に振る舞って見せたクリスマスイブの夜、いい気分で作り始めてから寝た記憶がない。
ある種の精神高揚の賜物であることを自覚しているが、どことなくその感覚を手放しづらくて続けている。
「寝ろよ」
「今、正論いらねーんだけど」
「同じことオレがやったら?」
「寝ろよって言うけど」
「そこまで分かってて、オマエなあ……」
呆れたため息を吐いた龍宮寺は、首を振りながら冷えたコーヒー入りのマグを持ってリビングに戻る。その背中に三ツ谷は「そばよろしく」と甘えた。
龍宮寺と三ツ谷は子供の頃からの友人だ。
付き合いも二十年近いので、腐れ縁であり幼馴染であり、お互いのみっともないところもよく知っている。今更格好つけるところもないほどの仲なので、普段は二人の妹の兄として気を張っている三ツ谷も少し甘えたりしてしまう。
三ツ谷にとって友人の龍宮寺は、同時に憧れの人でもあった。
小学生の時に格好いいと思った気持ちがいつまでも継続してしまうのが不思議で堪らないが、みっともないところも格好悪いところも散々見てきたというのに、それでもいまだに三ツ谷にとっては憧れの男だ。
仕事に追われて生活が乱れがちな三ツ谷のところに足を運んで雑ながらも面倒を見てくれるのを、こそばゆいと思う気持ちと恐れ多いと思う気持ちがせめぎ合う。そろそろ恐れ多いが薄れてくれてもいいのに、と自分のことながら思うが、まだまだ薄れてはくれないようだ。
ドレスのハギレで作ったコサージュを仕上げて肩紐のところに縫い付けながら、三ツ谷はテーブルの上に積まれたレースに目をやった。
今回のドレスのために仕事場からいくつかレースを持ち帰った。ドレスのイメージに合わせて使う予定のレース生地の中に二つ、どう見ても女児用のレースではない大柄な花模様のものがある。
これはなんとなく龍宮寺に似合う気がして持ち帰ってしまった。別に龍宮寺にレースのついた何かを作るつもりはなかったが、ふとした時にこれで龍宮寺に何か作るとしたら……という悪戯心に近いものが芽生えてしまう。
「三ツ谷、天ぷら買いに行ってくるけど。なにがいい」
レース生地のモデルが顔を覗かせる。
年越しそば用の天ぷらを買いに行ってくれるらしい。三ツ谷のアパートの区画から大通りに向かう道の角に揚げ物屋がある。そこの揚げ物を龍宮寺は大層気に入っているので、そこに行くのだろう。
「ちくわとかき揚げ、頼んでいい?」
「りょーかい」
「サンキュー、俺の仕事ももうすぐ終わるわ」
「終わんの? じゃあビールも買ってくるか」
「ビールはもう冷蔵庫にある」
年末に龍宮寺が来ることを見越して、クリスマスイブのパーティーが終わった足でコンビニで買い込んであった。
「さすが三ツ谷」
ニヤリと笑って部屋を出ていく男の背中を眺めながら、三ツ谷は「やっぱカッコよく見えるんだよなーあれが」と変わらない自分の好みにため息を吐いた。
午後九時。
大晦日の夜は人通りの気配が薄く、道を行き来する人の足音もなく静かだ。
三ツ谷の部屋のこたつの中で延々と続くテレビ番組を見るともなく眺めながら、龍宮寺は自分の置かれている状況を見失いそうになった。
ビールを三缶飲んだだけで、まだ酔っ払って前後不覚になるような量ではないはずだ。しかし、龍宮寺の隣に座る三ツ谷はこたつの天板に顔を乗せながら、赤く染めた顔で幸せそうに笑いながら「やっぱかっこいいなー、似合うな」と龍宮寺の顔を眺めている。
眺められている龍宮寺には明るいグレーのレース生地が頭から乗せられて、そこには別の色のレース生地で縫い付けられたフリルがついている。ふわふわとしたレースが頬に当たってわずらわしい。
「なんなんだよこれ」
龍宮寺より早いピッチで四本目の缶を開けた三ツ谷が、作業場机から持ってきたそれを甘んじて被ってはいるが、邪魔くさい。
「ベール」
「ベール?」
「結婚式でかけられてんだろ、よく」
「……ああ」
三ツ谷に言われて思い出すが、あれは女性の頭にかけられているのではないかと思い直す。龍宮寺はどこからどう見ても女性ではない。
顔の前にかけられていたレースを三ツ谷は恭しく持ち上げて、にっこりと笑う。
「ドラケン、オレと結婚しよ」
「は?」
突拍子もないことを言われて、龍宮寺は聞き返した。
「誓いのキスね」
「待て待て、コラ」
「なに、今更」
「今更もなにも」
龍宮寺と三ツ谷はそういう関係ではないはずだ。今までずっと。
誓いのキスをすることを龍宮寺としては拒むつもりはないが、色々なことを飛ばしすぎている。
「三ツ谷あのな、オレはオマエとそういうのになってもいいけど、急すぎねえか?」
「ドラケン以上にかっこいいなって思う相手もいねえし、いいでしょ」
「オレの気持ちは」
「あ? ダメなのかよ?」
滅多にないことだが、三ツ谷に凄まれる。酔いの力がすごいなと思うと同時に、疲れているのでいつもい以上に酔いが回っているのだろうと察した。
「明日忘れてるようじゃダメだろ」
「忘れねえよ」
それは嘘だ、と龍宮寺には分かっていた。三ツ谷は忘れる。今までも何度か、三ツ谷と恋愛の駆け引きめいた際どい会話を繰り返しているが、次の日の三ツ谷が覚えていた試しがない。
深層心理が酔っ払って出てきているのかと思う気持ちもあるが、龍宮寺と飲んでいない時も三ツ谷は誰かにそういうことを言っているのかもしれないという気持ちもあって、半信半疑で聞いている。
しかし誓いのキスは初めてだ。
どうせ覚えていないのをいいことに、龍宮寺はいつもより踏み込んでみることにした。
「三ツ谷、オレのこと好きなの?」
「好きに決まってんじゃん、何年友達やってんだよ、オマエはァ」
「……この言い方だと分かんねーんだよ。オレはオマエと結婚してもいいけど」
「じゃ、結婚しよ」
「軽いんだよ。あのなあ、他にも誰かに言ってたら許さねえぞ」
「言う訳ないじゃん。他にドラケンいねーし」
三ツ谷が龍宮寺に抱き着いて、龍宮寺の鎖骨の下に吸い付いた。
「……やったな?」
「ドラケンもキスする?」
はい、と三ツ谷が自分のシャツのボタンを外して、インナーの襟元をグイッと広げた。鎖骨の下を晒されて、龍宮寺は吸い込まれるようにそこに口付けをした。強く吸い上げるが、三ツ谷のそこに痕が残るほどではなかった。うっすら赤くなっただけのそこを三ツ谷はそっとなでる。
「これで結婚か?」
「どんな結婚観だよ」
「じゃ、この後は初夜だな!」
ハキハキと言われたがどうせこの後三ツ谷は爆睡して、次の日の朝に「ドラケン、味噌汁……」と呻くのだ。それが無性に腹が立って、龍宮寺はにっこりと笑ってみせた。
「三ツ谷、今日は初夜だな」
「おう?」
「寝ても起こすからな」
「寝ねーよ、初夜でしょ、だって」
絶対に寝ることを龍宮寺は知っている。しかし、初志貫徹で寝かせる気はなかった。
しっかり者の三ツ谷の世話を焼く日々は楽しく、三ツ谷との関係性に今のところ不満はないが、この役回りを他の誰かに任せるのは許せる気がしなかった。
こんな状況になることも滅多にないので、新年の抱負の一つとして関係性を一段階深めることを龍宮寺は辞さないつもりだった。寝そうになる三ツ谷を起こしてなだめすかして、騙すような形になるかもしれないが優しくしようと心に誓う。
次の日の朝パニックになった三ツ谷に懇切丁寧に夜に起きたことを説明する龍宮寺は、三十回は「同意だから」と口にすることになる。